校長室より

校長室より

令和7年度 「新年度のご挨拶」

 令和5年4月に校長として本校に着任し、3年目を迎えます 森 美樹 と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。日頃より本校の教育活動にご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

本校は、昭和24年に兵庫県立福崎高等学校神南分校として開校され、昭和49年に兵庫県立香寺高等学校として独立、そして平成9年に兵庫県下初めての総合学科高校に改編され、今年創立76年となる伝統ある学校です。姫路市北部に位置し、四季折々の豊かな自然に恵まれ、非常に落ち着いた学習環境を有しています。また、総合学科ならではの多彩な選択科目の中から「なりたい自分」を実現させるのに最適な科目を選ぶことができます。香寺高校は、夢、目標、志をかなえるために、長所や得意なことをさらに伸ばすことができる学校です。3年間で徐々に力をつけ、成長していく姿を見守りながら、私たち教職員は一丸となって全力でサポートしていく所存です。

 「個性伸ばせば、夢ひろがる ~君の夢が実現します~」のスローガンのもと、生徒も教職員も学ぶことを最優先にしている学校を目指します。「この学校で学んで良かった」「この学校に子供を通わせてよかった」「地元にこの学校があってよかった」と言っていただけるよう、全身全霊を尽くして取り組んで参ります。

 本校教育活動のさらなる充実と発展のため、ホームページをご覧いただいた皆様には、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

令和7年4月1日
兵庫県立香寺高等学校
校長 森 美樹



ありがとうございました

ありがとうございました

 年度末を迎えました。2年間、兵庫県立香寺高等学校の校長として、大変お世話になりました。定年退職後の再任用校長としての2年間を、香寺高等学校で勤務できたことを本当に嬉しく思っています。

 思えば2年前の4月1日、井上新悟教頭先生の自家用車で香寺高等学校に着任しました。先生方から温かく迎えていただいたことを、昨日のことのように覚えています。

 2年間、本当に好きなようにやらせていただきました。始業式や終業式のパワポを用いたお話、文化祭や体育大会での親父ギャグ入りの挨拶、これでもかという程の回数の「校長室より」と「理科の散歩道」。多くの先生方に支えていただきました。特に井上教頭先生は、体育大会での「1、2、3、ダーッ」発言のように、芸風が変わってしまいました。申し訳ないことです。

 また、西播磨地区校長会、総合学科校長会等の会議では、たくさんの校長先生方に助けていただきました。また県の教育委員会事務局、特に高校教育課と教職員人事課の皆様には感謝しかありません。

 私事ですが、新年度からは東加古川にある、兵庫大学教職センター、というところに勤めることになりました。今度は大学生を相手に、教員採用試験や就職試験の合格へ向けてのお手伝いをすることになります。香寺高等学校からも、毎年兵庫大学に進学する生徒がいます。大学生になった皆さんとは、教職センターでお会いできることを楽しみにしています。

 私は香寺高等学校からは離れますが、4月からは新しく森美樹校長先生が着任されます。これからも香寺高等学校の発展を応援しています。生徒の皆さん、先生方、関係の皆様方のますますのご活躍を祈念してやみません。本当にありがとうございました。 

 木村 篤志

 

大塩平八郎の乱

大塩平八郎の乱

 藪田貫(やぶた ゆたか)さんが書いた、中公新書「大塩平八郎の乱」です。藪田さんは日本近世史を専門とする歴史学者で、現在兵庫県立歴史博物館の館長をされており、第二代の大塩事件研究会会長を務めています。

 大塩平八郎の乱は、日本史の教科書には必ず登場する事件ですが、私もこの本を読むまでは詳しい内容を知りませんでした。大塩平八郎の乱の研究としてまとめられたものとしては、幸田成友(こうだ しげとも)の「大塩平八郎」(1910)が最初です。ちなみに幸田成友は、文豪幸田露伴の実弟です。続いて石崎東国(いしざき とうごく)の「大塩平八郎伝」(1920)、戦後は相蘇一弘(あいそ かずひろ)の「大塩平八郎書簡の研究」(2003)が全三巻で発行されました。しかしこれらの研究では、書簡の分析等から大塩平八郎の人となりの研究が中心で、乱自体の分析が少ないものであった、と藪田さんは書いています。

 大塩は大坂町奉行所の元与力(町奉行を補佐する中間管理職で、行政を中心に、警察官と裁判官の役割を兼ねた)でした。大塩は文としては陽明学を研究し、私塾洗心洞(せんしんどう)を立ち上げ、弟子を数多く育てました。また武としては、槍の達人で、鉄砲や大砲などの砲術にも堪能でした。まさに文武両道で、徳川幕府の実績のある役人として活躍した人物であっただけに、大塩の乱は幕府を震撼させました。

 その大塩が天保8年(1837)2月19日に反乱を起こします。天保の大飢饉があり、餓死者が続出する中、奉行所に救済を嘆願したが容れられず、私塾の門弟たちと「救民」を掲げて決起しますが、わずか1日で鎮圧されます。大塩の乱の評価は二分しています。大塩贔屓(びいき)の意見は、決起当日に撒かれた「檄文」が「飢饉のため、餓死者が出ているような社会であるのに、幕府や奉行所は庶民を救おうとしない。また豪商たちと結託して、贅沢の限りを尽くしている。このような状況を救うために、我々は決起する」という内容であり、実際に所蔵していた書籍等を売却して窮民に施しを行ったので、大塩は素晴らしいというものです。反対に大塩嫌いの意見は、飢饉の最中に市街戦を決行し、罹災者を増加させてしまったのはけしからんというものです。

 そして反乱壊滅後、大塩は約40日あまり大坂市内に潜伏していました。他の同志たちは捕まったり、自害していたのですが、なぜ大塩だけは生き延びていたのか。その理由は乱の前日に幕府、特に老中あてに「国家のことについて掛け合う」という内容の密書を送り、その返答を待っていたようなのです。ここでも文武両道の大塩像が見られるようです。ともあれ、現在でも熱狂的な大塩ファンの人々がいるのは間違いないですし、今後また新たな書簡等が発見され、研究が進む可能性もあります。大塩の研究は親潮や黒潮に乗って、満ち潮のときに進むかもしれません。

 

小津と芭蕉の共通項

小津と芭蕉の共通項

 「江東区が世界に文化的に誇れるのは、松尾芭蕉と小津安二郎だ」作家の高橋治さんが残した言葉です。

 今年で生誕120年を迎える日本映画界の巨匠、小津安二郎(1903~63)は東京都江東区深川で生まれ、小学生の頃に三重・松阪に引っ越し、約10年を過ごした後に深川に戻り、映画界に入りました。映画監督として「東京物語」「晩春」「麦秋」といった世界的にも著名な代表作の数々を、脚本家の野田高梧、俳優の原節子、笠智衆といった「小津組」と呼ばれるおなじみの顔ぶれで制作しました。

 日本を代表する江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~94)は伊賀上野の出身なので、忍者かもしれないという説があります。亡くなるまでの約14年間、深川の芭蕉庵を主な拠点とし、「野ざらし紀行」や「おくのほそ道」などの旅に出ました。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を詠んだ場所も深川の芭蕉庵でした。芭蕉には蕉門(しょうもん)という一門があり、俳諧連歌は弟子たちと一緒に作り上げるものでした。「古池や~」の句は、芭蕉庵に集まった弟子たちと行った句会で、芭蕉が詠んだ最初の一句(発句)でした。

 俳諧と映画監督という違いはありますが、世界的にも有名なこの2人が、東京深川と三重にゆかりがある人物だということは、私も知りませんでした。また、芭蕉の俳句と小津の映画はともに集団創作であり、蕉門と小津組は似ていると言えるかもしれません。

 小津は、オズの魔法使いを、芭蕉は場所をわきまえて、作品を作り続けたのかもしれません。

 

言葉と人は、不思議に出会う

言葉と人は、不思議に出会う

 ミステリー作家の米澤穂信さんが、毎日新聞に書いていました。劇作家の寺山修司の作品に「ポケットに名言を」という角川文庫があり、その中にフランスの作家アルベール・カミュの「手帖」という作品からの言葉で、次のようなものが収められています。

「性格を持たないとき、人はたしかに方法を身につけなければならない」

「私(米澤さん)はこの言葉を、天才でないなら技を磨かねばならないと解釈した。書くべき内面がないならば、せめて上手くなれ。その技は、もしかしたら、ひょっとしたら、何かの「性格」に届くかもしれないと思った。言葉と人は、不思議に出会う」

 世の中には天才と呼ばれる人が、いるにはいるのでしょう。例えば将棋の藤井聡太さんは多分天才なのでしょう。しかし藤井聡太さんは自分を天才だとは思っていないのだと思います。そうすると世の中に存在する人は、私も含めて、ほぼ凡人だらけということになります。それならば、せめて「上手くなれ」「技を身につけよ」ということです。何かを求めて格闘していると、人は不思議と良い言葉に出会う、という訳です。

 3月、4月は、別れと出会いの時期です。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」1995年、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の冒頭の一節です。今回はいつものように(?)真面目に終了します。

 

赤いインク

赤いインク

 ある男が、東ドイツからシベリア送りとなりました。彼は、検閲官が自分の手紙を読むことを知っていました。だから、友人にこう言ったのです。「暗号を決めておこう。もし、俺の手紙が青いインクで書かれていたら、手紙の内容は真実だ。だが、もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」1ヶ月後、彼の友人が手紙を受け取ると、すべてが青いインクで書かれていました。そこには、こう書かれていたのです。「ここでの暮らしは大変素晴らしい。美味しい食べ物もたくさんある。映画館では西側の面白い映画をやっている。住まいは広々して豪華だ。ここで買えないものと言ったら、赤いインクだけだ」

 このジョークは、ドイツがまだ東ドイツと西ドイツに分かれていた時代に、ソ連の「社会主義」を皮肉ったものです。しかし、このジョークはひょっとしたら現在の私たち「資本主義」での暮らしにも当てはまるかもしれません。

 今私たちが享受している「自由」や「豊かさ」がこの青いインクで書かれた手紙の世界だとしたら。例えば、日本に暮らす私たちは、ウーバーイーツで美味しいものを注文したり、Netflixで好きな映画を見たり、ルンバの自動掃除機を買うこともできる。そんな世界では、私たちの望む自由がすべて実現されているように見えるかもしれません。でもそれはただ、この社会の不自由を描くための赤いインクがないからだとしたら。だって、実際には、給料は安いし、仕事もつまらない。家も車もローンを組まないと(あるいはローンを組んでも)買えない。定年まで必死に働いても年金はもらえないかもしれない。さらに、気候危機は悪化していく。そのうえ、インフレに悩まされる世界経済の先行きは不安で、日本には円安や人口減少という問題もある。ロシアとウクライナの戦争は終わる兆しがないし、台湾有事も心配だし、北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるか分からない。実際には、これからも資本主義が続く、と言われて未来に希望を持てる人は、どんどん減っているのではないでしょうか。これは単に、資本主義では赤いインクが手に入らなくて、世界が青いインクで塗りつぶされているだけなのかもしれません。

 ここまで長く引用した文章は、経済学者の斎藤幸平さんが書いた、NHK出版新書「ゼロからの『資本論』」の一節です。斎藤さんは現在に必要な赤いインクとして、マルクスの「資本論」を取り上げます。マルクス、資本論、社会主義などという言葉は、過去の遺物としてとらえられている気もします。斎藤さんは「資本論」とマルクスが書き残したメモ等を読み込み、これから必要とされる社会のあり方を考えていきます。もちろんそれは当時のソ連や現在の中国が行っている「社会主義」とはまったく異質な社会です。一読をお勧めします。社会を赤いインクで書くと、深い理解が得られ、愉快な機会が増えて、高い2階に登り、世界を見る視界が広がります。

 

失笑する人は笑っているか

失笑する人は笑っているか

 日本語、漢字は難しいシリーズが続きます。「失笑(しっしょう)」という言葉はどういう意味でしょうか。「失業(職業を失う)」「失念(うっかり忘れること)」「失格(資格を失う)」「失望(望みを失う)」などと同様に、「失笑」を「笑いを失う」つまり「(あきれるなどして)笑いも出ない」つまり「笑わない」と思う人が増えているそうです。

 二字熟語に「失」が含まれる場合、確かにそれを「なくす」「なくなす」「喪失する」という意味にとらえる場合が多いのは事実です。しかし「失」にはもう一つ「しそこなう」「落ち度」「誤る」という意味もあります。「失言(言葉を誤ること)」「失火(誤って火事を起こしてしまうこと)」「失禁(我慢できず大小便を漏らすこと)」「失政(政治の手法を誤ること)」などが例としてあげられます。「失笑」もこちらの意味で、「おかしさのあまり、吹き出してしまうこと。笑ってはいけない状況で、こらえきれずに笑いだしてしまうこと」という意味です。失笑する人は、当然笑ってしまった人になります。「失笑を禁じ得ない」という風に使います。

 またもう一つ、「失」には「行き過ぎ」「度を超す」という意味もあり「遅きに失する(遅すぎてタイミングをのがす。時機に遅れたため用をなさない)」という風に使います。同じ形で「長きに失する」「遠きに失する」「奇抜に失する」などが使われますが、それぞれ「長すぎる」「遠すぎる」「奇抜すぎる」という意味で、「失する」は「限度を超えている」「~であり過ぎる」という意味で使われます。

やはり日本語、漢字は難しいです。失笑すると、決勝で圧勝して、熱唱して、一生、発症や、抹消せずに、折衝ができるかもしれません。

 

音楽の構成

音楽の構成

 北海道函館市出身のロックバンド、GLAYです。1994年にメジャーデビューして、数多くのヒット曲があります。メンバーは、TERU(ボーカル)、TAKURO(ギター)、HISASHI(ギター)、JIRO(ベース)の4人で、活動の初期にはリーダーでもあるTAKUROが楽曲を作っていました。GLAYのヒット曲の中でも有名な曲は、97年8月に発表された「HOWEVER」です。この曲を作ったTAKUROが、先日こんな話をしていました。

 同じ97年2月に発表された小室哲哉さん作詞作曲で、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」を聞いたときに、これは当時のJ-POPの最高傑作だと思いました。新しい言葉づかいで歌詞の「永遠っていう」でいいんだと、その自由さが当時の安室さんの心情を出していて、あまりにも感動した僕は、一度でいいからこの曲のような「サビのような、いわゆる“つかみ”が来て、その後にちょっとしたイントロがある」という構成で書いてみたいと思って「HOWEVER」を作ったんです。

 「CAN YOU CELEBRATE?」は名曲で、現在でも結婚式ソングとして歌われています。「HOWEVER」も名曲ですが、こんな裏話があったとは知りませんでした。歌詞もメロディーも全然違う曲ですが、言われて見れば曲の「構成」はそっくりです。曲の発表当時にはこんな話はできなかったかもしれませんが、26年経ちましたから、もう時効ということでしょう。それにしても現在にも歌い継がれている名曲が、同じ年に発表され、先の曲を元ネタに使って、次の曲が誕生するというのは、面白すぎます。

 今のJ-POPは「Aメロ、Bメロ、サビ」という風に形式が決まっていたり、コンピュータミュージックのように、リズム重視の曲が多いように思いますが、97年にはこのように「音楽の構成」が模倣されていたのですね。構成を考えると、趨勢に押され、統制や養成する間もなく、優勢に創世されて、どうせいと言うのやら。

 

 

漢字の音読み

漢字の音読み

 皆さんは、漢字の読み方に音読みと訓読みがあることはご存じだと思います。このうち訓読みは、日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したもので、一般にひらがなで表記されます。そして多くの漢字の訓読みは、一種類です。

 それに対して、音読みの方は、漢字の中国語における発音に由来するものが多く、漢字によっては、複数の読み方があります。例えば「明」という漢字は訓読みだと「明るい(あかるい)」と読みますが、音読みだと「みょう」「めい」「みん」と三種類もあります。これはどういうことでしょうか。

 実は音読みには「呉音(ごおん)」「漢音(かんおん)」「唐音(とうおん)」の三種類があります。最も古い時代に伝わり、定着した音読みが呉音です。現在では仏教の用語に多く残っています。漢音は7~8世紀、奈良時代後期から平安時代初頭にかけて、遣隋使、遣唐使や留学僧などによってもたらされた読み方で、現在一番よく使われている読み方です。唐音は平安末から江戸時代の終わりまでに、禅宗の留学僧や貿易商によってもたらされました。唐音で読む語数は少なく、例えば椅子(いす)、行灯(あんどん)、提灯(ちょうちん)、蒲団(ふとん)などがそれにあたります。先ほどの「明」でいうと、呉音が「みょう」、唐音が「めい」、唐音が「みん」になります。ですから、音読みには複数の読み方が生じるのです。

 このうち、呉音で読む例としては、「眼(げん)」「行(ぎょう)」「品(ほん)」「色(しき) 般若心経に出てくる、色即是空(しきそくぜくう)」「食(じき) 断食(だんしょく ではなくて、だんじき)「発(ほつ) 発起人(はつきにん ではなくて、ほっきにん)」「変化(へんげ) 七変化(しちへんか ではなくて、しちへんげ)」「男女(なんにょ) 老若男女(ろうじゃくだんじょ ではなくて、ろうにゃくなんにょ)」「金(こん) 金堂(きんどう ではなくて、こんどう)」などがあげられます。なるほど仏教の用語がとっつきにくいとされるのは、この呉音読みにも原因の一つがありそうです。

 いやー、小学生の時には、なぜ一つの漢字の読み方がたくさんあるのかが不思議でしたが、そういうことだったのですね。呉音の読み方で、御恩返しができそうです。

 

湯道

湯道

 茶道や華道があるように、お風呂の入り方について「湯道」を提案したのは、小山薫堂さんです。薫堂さんは元々は放送作家として「料理の鉄人」をはじめ、数多くのテレビ番組を担当してきましたが、熊本県の出身でもあり、人気キャラクターの「くまモン」を生み出した人でもあります。2008年には映画「おくりびと」の脚本も手掛け、今回は映画「湯道」の企画・脚本を手がけました。

 「まるきん温泉」という銭湯を中心にした物語ですが、生田斗真、濱田岳、橋本環奈の3人が主役級です。その他、結構有名な俳優さんたちが少しずつの場面で、強力に個性を発揮しています。私の好きなオヤジギャグも満載です。日曜日の15時からFMで放送されている「日本郵便SUNDAY‘S POST」という番組に、小山薫堂さんとアナウンサーの宇賀なつみさんが出演されていますが、この番組で映画「湯道」の出演者が宣伝のためにゲストに来ていました。2月19日は小日向文世さん、26日は厚切りジェイソンさんでした。

 小日向さんは定年退職を迎える郵便配達員の役で、全体の狂言回しを行います。ラストシーンでは、素晴らしいセリフが与えられていました。ラジオでも、そのセリフが一番良かったと話していました。厚切りジェイソンさんは、日本の女性を奥さんに迎えるため、その女性の父親と仲良くなるために、一緒にまるきん温泉に行きます。ところが、びっくりするようなありえない行動をとってしまいます。「それは実際にはないやろ」と思いましたが、ラジオを聞くと、薫堂さんは「この話はフランスで聞いた実話です」と言われていました。ネタバレを避けるため、こんな表現になりましたが、他にも見どころ満載です。劇中歌もシャレが効いてて、素晴らしい。是非一度鑑賞してみてください。お風呂に入って、湯道を極めて、湯豆腐を食べましょう。

 

高級語彙

高級語彙

 言語学者の鈴木孝夫さんによると、「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」としました。そして日本語に対して、英語の高級語彙は門外漢にはなかなか理解できないと言います。

 例えばagoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)という神経症の病名があります。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気の事です。この語はagora(アゴラ)という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ語由来のphobia(フォビア)という「恐怖症」を意味する接尾語が組み合わさってできたものです。専門家でない人がそうした古典語の知識や教養抜きにパッとagoraphobiaを示されてもまったく意味が取れません。しかし日本語ならば「広場恐怖症」という字面を見ただけで、大体の意味内容を推測することができます。

 鈴木孝夫さんはこのように述べています。「なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組み合わせで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである」

 なるほど、その通りなのかもしれません。ヨーロッパでは、大学で一般教養としてラテン語が必修科目だと聞いたことがあります。ただ日本でも漢字を見て、その意味が大体わかるというのは、ある程度の教養が必要になってきているように感じます。日本の小学校でも英語の学習が必修になりましたが、漢字の学習も疎かにしてはいけない気がします。漢字をしっかり学ばないと、園児が返事をせずに、臨時の惨事や珍事が起こり、民事の判事が汝に代わって、点字で印字してしまうかもしれません。

 

薫陶と陶冶

薫陶と陶冶

 薫陶(くんとう)を受ける、薫陶よろしきを得る、という言葉があります。薫陶という言葉はもともと「香を焚きしめて、粘土を焼き陶器を作ること」ということから、自分の徳で人を感化すること。すぐれた人格で教え育てあげること。という意味です。

 芥川龍之介の「手巾(ハンケチ)」という作品に「何故と云えば、先生の薫陶を受けている学生の中には、イプセンとか、ストリントベルクとか、乃至(ないし)メエテルリンクとかの評論を書く学生が、いるばかりではなく・・・」という文章があります。先輩や先生から良い影響を受けて、自分が成長するときに用いられます。

 もう一つ陶冶(とうや)という言葉もあります。これももともと「陶器や鋳物をつくる」という語でしたが、「人の生まれ持った資質や才能を円満完全に発達させること。人材を養成すること」という意味で使われます。「人格を陶冶する」「情操陶冶の教育を行う」という風に用いられます。少し難しい言葉たちですが、語源を知ると、また使いたくなりますね。

 このように、人格形成、人材育成はしばしば作陶(さくとう)、陶器をつくることに喩(たと)えられます。良い陶磁器を焼くためには、材料の粘土や釉薬、そして窯の温度や時間等、多くの手間がかかることから、このような表現が生まれたのだと思います。陶器を焼くためには、早期に冬季に勇気を持って、納期に間に合うように、早期に放棄してはいけません。

 

3.5パーセント・ルール

3.5パーセント・ルール

 アメリカのハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院教授のエリカ・チェノウスさんが書いた「市民的抵抗 非暴力が社会を変える」を読み終わり、社会を見る目が少し変わりました。

 この本は、人々は政治的な暴力―テロ、宗派間暴力、内戦、反乱―を追求することがあるが、これは革命を起こすためには暴力を用いる方がうまくいくからだ、という思いこみがあるからである、というふうに始まります。しかし著者は社会を変革するためには暴力を用いるのではなく、非暴力の市民的抵抗の方が効果が高いことを実証していきます。その例として、1945年から2014年までの間に、世界中で実施された政府機関等に対する389回の市民的抵抗運動を題材に取り上げています。そして運動の観察可能な出来事の絶頂期に、全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説を唱えます。389回の市民的抵抗運動のうち、3.5パーセントのハードルを越えたのは、たった18回しかありません。しかしその18回のうち、明らかに失敗した例は2回だけで、あとの16回はいずれも体制を変革することに成功しています。

 この非暴力の市民的抵抗が成功するためには、大規模な参加、忠誠心のシフト、戦術的イノベーション、抑圧に直面した時に持ちこたえる力、の4つの特徴が必要です。現在でも、軍事力を背景にした独裁者が政権運営を行っている国家が見受けられます。民主的で、人間と環境に優しい国づくりが望まれるところです。革命を起こすためには、悪名を高くして、匿名のふりをして、克明に復命をすることが必要です。

 

 

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

 ウィリアム・シェイクスピアはイングランドで1564年に生まれ、1616年に亡くなりましたから、16世紀末から17世紀に活躍した劇作家です。四大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など、数多くの傑作を残し、現在でもその戯曲は上演されています。当時のロンドンでは多くの演劇が上演されていましたが、シェイクスピア以外の作品は、今ではほとんど上演されません。なぜでしょうか。

 この疑問に答えているのが、劇作家、演出家で、兵庫県立・芸術文化観光専門職大学の学長である、平田オリザさんが書いた朝日新書の「名著入門 日本近代文学50選」です。この本によると、シェイクスピアの時代は、身分が固定され、自由な恋愛ができない封建社会からイギリスでは、エリザベス朝ルネッサンスと呼ばれる時代への過渡期である。ルネッサンス以降、人々は自らの努力によって、恋愛や冨や権力を獲得できるようになった。いや、なったというのは正確ではない。その可能性が生まれた。シェイクスピア劇は近代の黎明の時代に書かれた。人々は「もしかしたら、俺達って、とっても自由なんじゃない?」と考え始めた。新しい文学、新しい芸術は、こうした新しい秩序とともに生まれる。あるいは新しい秩序の完成途上に、その矛盾と向き合う形で生まれていく。その意味でシェイクスピアの戯曲は、新しさを失わない。このような内容です。

 またこの本の主題は、明治以降の日本の近代文学の歴史なのですが、明治、大正、昭和と時代が進む中で、やはり戦争の影響はとても大きいものがあったと書かれています。早く戦争のない世界を作らないと、運送や演奏ができないし、真相や人相もわからないし、連想や論争ができるように、奔走したいと思います。

 

西山太吉

西山太吉

 西山太吉さんという、元毎日新聞社の記者だった人がいます。第二次世界大戦の終了から、沖縄の施政権はアメリカ合衆国のものとなり、アメリカ軍の基地が多数置かれ、特にベトナム戦争では沖縄の基地から爆撃機等がベトナムに向かっていました。このままではいつまでたっても、沖縄はアメリカの統治下のままです。そのころ沖縄出身の歌手、南沙織さんはパスポートを持って、日本本土に来ていました。

 当時の佐藤栄作首相は、アメリカのリチャード・ニクソン大統領と1971年に沖縄返還協定を結び、72年5月15日に沖縄が日本に返還されました。その功績から、佐藤栄作首相にはノーベル平和賞が授与されました。しかし、この交渉の中では、功を焦る日本政府は

①アメリカが沖縄の基地を、これまで通り自由に使い続けること 

②沖縄返還にかかる費用は日本が負担すること

③その代わり、アメリカ軍が沖縄に保管していた核兵器はすべて撤去すること

という交渉をしていました。「していました」というのは、後になってアメリカの公文書が公開されて明らかになったことで、「アメリカが沖縄の地権者に支払う土地原状復帰費用400万ドルを、日本政府がアメリカ政府に秘密裏に支払う」という密約が存在していました。ここで「西山事件」が起こります。西山太吉記者が外務省事務官からこの機密情報を聞き出し、それを当時の日本社会党国会議員に漏洩したのでした。

 事務官と西山さんは逮捕され、裁判で有罪判決を受けますが、この時政府は「密約は存在しない」の1点張りでした。日本政府がウソをついていたわけですが、問題は西山さんの国家公務員法違反という罪に置き換えられてしまいました。また、アメリカの公文書公開からこの密約の存在が確認された後、西山さんは国家賠償請求訴訟を起こしますが、これも敗訴してしまいます。形としては国家に楯突いた西山さんが、嵌められたという構図です。

 この時も「公文書は存在しない」と言われました。最近にも同じような事件がありましたね。また、①のように、現在でも沖縄にはアメリカ軍基地が存在し、辺野古に新しい基地を作りつつあります。②のように、費用負担で言えば「思いやり予算」という名前で継続しています。

 西山さんは1931年生まれですから、現在92歳です。2022年に出版された「西山太吉 最後の告白」という集英社新書では、西山太吉さんと評論家の佐高信さんが対談をしながら、多くの出来事を振り返っています。私も大変勉強になりました。密約の存在を許すと、お金を節約して、活躍することができません。

 

紙芝居・イン・フランス

紙芝居・イン・フランス

 小さい頃に、紙芝居を見たことのある人は多いと思います。保育園や幼稚園、小学校で、あるいは街中でお菓子を買うと、おじさんが紙芝居をやってくれていました。

 そんな紙芝居ですが、発祥の地は日本ということです。その紙芝居をフランスで広めた人がいます。紙芝居作家の「つのゆいこ」さんです。もともと絵を描くことが好きで、美術大学に進学したつのさんですが、舞台美術や演劇にも興味があり、それなら両方ができる紙芝居をやってみようと思い立ったそうです。つのさんは父親の仕事の関係で、0~3歳までの幼少期をフランスで過ごしたということで、子供向けの紙芝居をフランスでやってみたいと思い、行ってきたということです。

 現地では大好評で、2018年にはフランスのラルースフランス語辞典にKamishibai(紙芝居)という言葉が掲載されたほどです。フランスでは紙芝居を通して友人もでき、紙芝居の舞台を作ってくれた人もいたそうです。もちろんフランスではフランス語で紙芝居を行いますが、現在つのさんは日本に帰ってきていて、日本でも紙芝居の普及に取り組んでいます。代表作は「めんどりさんときつねさん」。絵と、つのさんの語りによって、素晴らしい作品に仕上がっています。子供はもちろん、大人にも十分鑑賞に耐える作品です。ユーチューブでも見ることができるので、是非一度見てみてください。

 紙芝居には、ケバい姉ちゃんは出てきませんが、ヤバい話をかばい、ネバい結果が得られるかもしれません。

 

ぼくの職業は寺山修司です

ぼくの職業は寺山修司です

 歌人・劇作家・その他多くの肩書を持っていた寺山修司さんが、あなたの職業は何ですか、と尋ねられたときの答えは「ぼくの職業は寺山修司です」というものでした。

 ある人の中学校の同窓会があり、当時の先生が91歳になっていましたが、担任をした生徒全員の名前を暗唱されたそうです。年をとっても、自分の職業についての記憶が染みついているということです。日本語の職業は、英語ではオキュペーションに当たりますが、もう一つ、コーリングという語があります。(それをするべく)呼ばれている、召喚されているという意味です。自分がここに居ることの意味を問うと、「居る」を「要る」と考えることになります。ただ居るのではなくて、必要とされて要るということです。

 そして、人の生涯は私が生まれることで始まり、死ぬことで終わるのではなく、同時に、何かを受け継ぎ、また引き継がれるものとしてもあるということです。それを全うできたと思えた時にはじめて人は、寺山修司さんの言葉「ぼくの職業は寺山修司です」を、その人なりに口にしうるのでしょう。

 以上の文章は、哲学者の鷲田清一さんが書かれたものを、私が勝手に要約しました。大袈裟ですが、職業を「使命(ミッション)」と捉えられるかもしれません。生涯は受け継ぎ引き継ぐものという視点には、はっとさせられました。使命を果たし、汚名をそそぎ、悲鳴をあげて、記名をして、未明に呼名をしましょう。

 

森林の再生

森林の再生

 日本は国土の面積のうち、森林が67%を占めている森林王国です。しかし、林業は必ずしもうまくいっていないようです。なぜでしょうか。

 日本は第二次世界大戦によって多くの家屋が失われ、戦後その再建のために、多くの木材を必要としました。たくさんの木を切ってしまったため、洪水や土砂崩れなどの自然災害が頻発したため、1964年に木材の輸入を自由化しました。そのため安価で大量の外材が供給され、国産材の自給率が下がってしまいました。林業が他の産業と大きく異なるのは、生産に長期間を要することで、少なくとも30年、長ければ100年かかります。また、それだけの期間をかけて育てた木を伐採した後、次の木を植えていかなければ森林はダメになってしまいます。

 現在は地球温暖化が進んでいると言われています。木材の用途としては「用材(原木を製材や合板類、チップにするもの)」と「燃材(薪や炭、ペレットなどの燃料)」がありますが、石炭、石油などの化石燃料の代わりに木材を用いたり、間伐材を用いたバイオマス発電に利用する等、温暖化をこれ以上進めないために木材が使用できそうです。また、地球上の炭素のかなりの部分が森林に蓄えられていて、光合成による空気中の二酸化炭素の取り込みも期待できます。長く森林の問題に取り組んできた、吉川賢さんが書かれた「森林に何が起きているのか」という中公新書には、世界の森林の現在の状況と、今後の展望が記されています。「世界中の森林が持続的に利用されて、地球環境の保全に欠かせない役割を果たしてくれることを望む」と結ばれています。

 森林を活用すると、近隣の山林の年輪が増えて、世界に君臨することができます。

 

モチベーション

モチベーション

 生徒の皆さんは、モチベーションを高くもって、勉強や部活動に頑張っていますか。モチベーションを高く保つには、どうしたらよいのでしょうか。

 昭和の時代の運動部は、体罰(今はダメです)当たり前(でもないですが)、先生に怒られるから頑張る、先生に怒られないように手を抜く、などということがよくありました。モチベーションは、自分自身から出てくることがあまりなかったのかもしれません。

 モチベーション論には有名な「3人のレンガ職人」という比喩があります。

・レンガを積む作業を、単なる義務だと思うAさん

・レンガで壁を作れば、ご褒美がもらえると思うBさん

・レンガの壁の教会ができれば、みんなが幸せになると思うCさん

この3人の中で最もモチベーションが高いのは誰でしょうか。

 また、運動が脳に効くメカニズムについて、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏の著書「運動脳」では、運動をすることで脳細胞間のつながりを強化し、細胞の生存や成長を促し、老化を遅らせることができるそうです。私のようなおじさんが、運動に対するモチベーションも同様です。

・運動しなければならない、という義務感のAさん

・運動で得られる健康というご褒美を目指すBさん

・運動の先にある大会出場などの体験を楽しむCさん

 Aさんは、長続きしそうにありません。Bさんは少しましでしょう。Cさんはモチベーション高く継続できそうです。感動が大きい人ほど人は行動しやすいようです。生徒の皆さんも、勉強や部活動の先にある感動を目指して、頑張ってみませんか。感動すると、神童と呼ばれた人も、剣道などの運動をして、面倒な問答をせずにすみます。

 

国際連盟

国際連盟

 国際連盟は1918年に第一次世界大戦が終了し、パリ講和会議の後、1920年に発足しました。提唱したのは当時アメリカの大統領だったウッドロウ・ウィルソンですが、よく知られているように、アメリカはモンロー主義によって議会で否決され、結局国際連盟には参加しませんでした。

 国際連盟の仕事としては、①戦争の防止 ②委任統治、少数民族の保護 ③社会・経済的な取り組み の3つがあげられました。このうち、結果としては第二次世界大戦が起こってしまいましたから、①戦争の防止 が達成できませんでした。ということで、現在では国際連盟の値打ち(?)はなかった、という感じになってしまっています。果たしてそれでよいのでしょうか。

 国際連盟の本部はスイスのジュネーブに置かれましたが、発足当時は人も物もお金もなく、文字通り手探りの立ち上がりだったようです。ゼロから1を作り出すことは大変です。当分の間はホテルの部屋を借りて、本部にしていたそうです。当時の国際連盟本部は、現在では国際連合ジュネーブ事務局として利用されています。②と③については、かなりの成果があったものもあります。そして第二次世界大戦終了後の国際連合の立ち上げについては、国際連盟でのノウハウがかなりの部分に生かされています。限界はありましたが、当時の多くの人々の苦労が積み重ねられた国際連盟でした。連盟のために、混迷の中で懸命に運命を感じて、鮮明に本命に任命されるように頑張りました。

 

ないものねだりより、あるもの探し

ないものねだりより、あるもの探し

 斎藤幸平さんという学者がいます。大阪市立大学から東京大学へ転勤しましたが、2021年に出版した『人新世の「資本論」』という集英社新書が有名になり、新書大賞2021を受賞しました。マルクスの資本論を読み直して、環境問題や社会的資本の大切さを重視すべきだという内容でした。その斎藤さんが、日本各地の現場を取材して、毎日新聞に連載していた文章をまとめて「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を出版しました。この本の中で、水俣を取材する中で出会った言葉が「ないものねだりより、あるもの探し」というものです。

 私たちは、日々の生活に追われて忙しくしていると、どうしても「ないものねだり」をしてしまう傾向があると思います。「もう少しお金があったら」「1日が25時間あったら」「私の成績が良くないのは先生のせいだ」等々。しかし、ないものねだりというのは、文字通り「ないもの」なのです。ないものをねだっても、あるものは生まれてきません。それよりも「あるもの」を探す方が、はるかに前向きだと言えます。あるいはもっと言うと、多くの人の力を借りながら、自分の力で「あるもの」を生み出していけば良いわけです。現在の世界には、閉塞感があるようにも思いますが、この本では多くの地域で、少しでも良い社会を作っていくために、努力している人たちの姿が描かれています。斎藤さんは学者であるからこそ、実際の現場から学び直しをしなければいけないと強調しています。

 学者が作者に代わって、役者として拍車をかけると、落車してしまうかもしれません。

 

詩人の言葉

詩人の言葉

 「朝、家を出てから、学校に着くまであったこと、見たことをきちんと言葉で伝えられればいい。詩を書くのはそのあとでいいでしょう」

 詩人の谷川俊太郎さんの言葉です。劇作家・演出家の平田オリザさんとの対談が済み、会場にいた若手教師が谷川さんに、今の子どもたちに最も大事な「国語の力」は何かと質問しました。自由な発想や想像力といった答えを誰もが想像しましたが、答えは冒頭の言葉でした。平田さんは「背筋が伸びる思いだった」と振り返ります。

 谷川俊太郎さんは、私たちが日常生活で用いるような平易な言葉を使って、鋭く奥行きのある詩を書かれる詩人です。その谷川さんの言葉ですから、余計に重みを感じます。何も特別難しい言葉を用いる必要はない、家から学校までにあったことや見たことを言葉で伝えられれば、そこから詩が生まれるまではほんのわずかだ、ということでしょうか。

 私はもちろん詩人ではなく、一人の高等学校の教員ですが、生徒や先生方に何かを伝えたいと思い、文章を書いたり、全校集会で話したり、歌ったり(!)しています。

 

キャット空中3回転

キャット空中3回転

 漫画ネタが続きますが「キャット空中3回転」と聞いて、これは「いなかっぺ大将」に出てくる「ニャンコ先生」の得意技だな、と分かる人はそんなに多くないと思います。漫画「いなかっぺ大将」は1967年から連載が始まった川崎のぼるさんの作品ですが、1970年からテレビアニメが放送され、小学生の私は熱心に見ていました。青森から上京してきた少年、大ちゃんこと風大左衛門(かぜ だいざえもん)は一流の柔道家を目指し、猫であるニャンコ先生と共に修行に励みますが、いつもずっこけてばかりです。私がテレビを見ていた当時には、気がつきませんでしたが、大ちゃんの声は「野沢雅子」、ニャンコ先生の声は「愛川欽也」、そして主題歌の「一つ人より力持ち~」を歌っていたのは「吉田よしみ」という名前になっていますが、実は「天童よしみ」でした。

 キャット空中3回転は、ニャンコ先生が柔道の技で投げられても、空中で3回転して足から着地するという技ですが、猫は空中に放り出されても必ず足から着地できるということは、よく知られています。今回この話を取り上げたのはノースカロライナ大学の「グレゴリー・J・グバー」という人が書いた「ネコひねり問題を超一流の科学者たちが全力で考えてみた」という本を読んだからです。猫が必ず足で着地するという現象をどのように理解するのかは、昔から研究されてきた出来事で、多くの著名な科学者たちが関わってきました。現在の高度な物理学を応用する必要もあるとのことです。この本を読んで(まず、読んだ人は大変少ない)、ニャンコ先生のキャット空中3回転を思い出した(この2つを結びつける人はもっと少ない)ので、これは希少価値にあふれていると思いました。この本でサイコーに面白かったのは、著者がこの本を読んで「どうか猫を高いところから落とさないでほしい」と訴えている所です。比較の対象としては、1975年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」の大ヒットによって、世界中のサメが大量に殺されてしまったという出来事です。自分の著書をジョーズと比較するとは、何と上手な宣伝でしょうか。

 

ゴルゴ13

ゴルゴ13

 ゴルゴ13は、小学館が発行する「ビッグコミック」誌で、1968年から連載が始まった「さいとう・たかを」さんによるアクション劇画です。日本人あるいは日系と思われる国籍不明のスナイパー・自称デューク東郷が、何物にも支配されず、ただ己の掟にのみ従って、依頼された仕事を完璧に遂行していくストーリーです。単行本の刊行が207巻を超え、2021年にはギネス世界記録にも認定されました。

 作者のさいとう・たかをさんは2021年9月に84歳の生涯を閉じられましたが、「さいとう・プロダクション」によって現在も連載が継続しています。これだけ長く連載が続いていますから、ストーリーの基本は時代とともに変化してきました。アメリカのCIA(中央情報局)とソ連のKGB(国家保安委員会)の暗躍が柱だった1970年代、産業スパイものが目立つ90年代、デジタル万能社会を使いこなし、かつ我が道を征くゴルゴが際立った2000年代以降、という具合です。この作品を読んで、国際情勢を学んだ読者も大勢いると思います。

 私には、主人公のデューク東郷は、イギリスの007シリーズのジェームズ・ボンドと重なって見えることもあります。昔は平気だったと思いますが、最近はコンプライアンス重視の傾向があるので、画期的な新しい作品を生み出していくことが困難になっていくのかもしれません。とりあえず連載は続いていくようなので、今後の活躍に期待しましょう。ゴルゴ13の話題を、大阪の十三に行ったつもりで、1月13日に掲載できることを嬉しく思います。

 

幸田文

幸田文

 「ただひとつ、去年どんないいことがあったか、を数えてみることにしている」

 幸田文(こうだ あや 1904~1990)さんの言葉です。幸田文さんといえば、文豪として著名な幸田露伴の娘さんですが、文さんの娘さんの青木玉さんも、その玉さんの娘さんの青木奈緒さんも作家、随筆家として有名です。露伴から4代続けて文芸の世界で知られる存在は、とても珍しいものだと思います。

 幸田文さんは繊細な感性と観察眼、江戸前の歯切れの良い文体が特徴で、折々の身辺雑記や動植物への親しみなどを綴った随筆の評価が高い人物です。伝わっている写真の姿は、和服姿のものが多く、明治時代の文化を感じることができます。

 冒頭の言葉は、嫌なことはずっと引きずるが、いいことはたいていその場限りで忘れてしまうことが多いので、年が改まったときこそ、去年あったいいことを思い出そう、という趣旨のものです。現代人の生活スピードはますます速くなっている気がして、次のこと、次のことで精一杯な毎日です。我が身を振り返る機会も大切だと教えてもらえた気がします。

 幸田露伴が、どうして文(あや)という名前を娘につけたのかは知りませんが、まさか孫やひ孫までもが文(ぶん)章で生きていくことになるとは、夢にも思わなかったと思います。

 

成熟スイッチ

成熟スイッチ

 皆様、明けましておめでとうございます。2023年が始まりました。今年こそ平和な世界の実現を望んでやみません。

 さて今回は、作家の林真理子さんの新著「成熟スイッチ」です。古希(70歳)に近づいている林真理子さんですが、日本大学の理事長を引き受け、雑誌の連載も続け、今回のエッセイの出版です。どれだけ元気でパワフルやねん、と感心するのですが、この本から引用します。

 「年をとって、後輩に成熟の素晴らしさを教えてくれる人と、老いの醜さ見せつける人がいます。若い頃には、それほど違いがなかったかもしれない人たちが、歳月を経ると、まるで別世界の住人のように振り分けられていきます。成熟にも格差が生じてくるのです」

 「成熟は一日にしてならず。しかし成熟への道は、成熟を目指したとたんに開けていきます。日常の小さな心がけの一つ一つ、世の中のいたるところに、成熟へと向かう小さなスイッチがちりばめられているのです」

 確かに年齢を重ねていくにつれ、「老害」「暴走老人」になってしまってはいけません。私も我が身を振り返り、スイッチを探そうという気になりました。成熟するためには、早熟のまま、原宿や新宿で遊ばなければなりません。

 

怒らない男

怒らない男

 作家の吉行淳之介さんは、温厚で「怒らない男」と呼ばれたそうですが、本人はそうでもないと書かれています。負の感情が爆発しそうになると、ある禅僧の次の言葉を思い出したそうです。

 「気に入らぬ風もあろうに柳かな」

 あの柳をごらん。気分のいい風ばかりではなかろうに素知らぬ顔で吹かれているじゃないか。と、そう考えれば少しは落ち着く。吉行さんによれば「だいたい効き目がある」そうです。

 本当に怒らなければならないこともたくさんあると思います。しかし、後になって冷静に考えてみると、そこまで腹を立てる必要もなかったことも数多いのではないでしょうか。腹立たしいことがあったときに、柳の木を思い出してみることも大切かもしれません。2022年も終わりを迎えますが、来年は腹立たしいことが少なくなるような年にしたいものです。腹立つことは、巨人の原辰徳監督に任せましょう。

 

トマ・ピケティ

トマ・ピケティ

 その筋では有名な人物であるトマ・ピケティです。1971年に生まれたフランスの経済学者です。彼を有名にしたのは、2013年の著書「21世紀の資本」です。当然フランス語で書かれた本ですが、世界10数カ国語に翻訳され、累計百万部を超えるベストセラーになりました。日本語版はみすず書房が2014年に出版しましたが、728ページもあり、定価5500円にもかかわらず、13万部売れています。

 「21世紀の資本」の内容を簡単に要約すると、次のようになります。「資本から得られる収益率が経済成長率を上回ると(実際にそうなっている)富は資本家へ蓄積される。そして富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすということを主題としている。この格差を是正するために、累進課税の富裕税を、それも世界的に導入することを提案している」この本が画期的だったのは、データが残っている範囲で、過去200年以上のデータを分析して、これまで収益率が経済成長率を上回ってきたことを実証したことにあります。

 今回、香寺高等学校の図書室にトマ・ピケティの新著「来たれ、新たな社会主義」を購入してもらいました。この本は学術書に近い「21世紀の資本」とは異なり、フランスの新聞「ル・モンド」に書いたコラムをまとめたもので、かなり読みやすくなっています。この本から引用します。

 「ハイパー資本主義はあまりにも行き過ぎてしまった。いまや私たちは、資本主義を超える新しい体制、すなわち、参加型かつ分散型、連邦主義的かつ民主主義的で、環境にやさしく、他民族共生かつ男女同権といった新しい形の社会主義について考える必要がある。私はそう確信している」

 「社会主義」という言葉にネガティブなイメージを持つ人もいると思いますが、現在の資本主義が絶対的に正しいとも言えないように思います。トマ・ピケティの言うことが100%正しいかどうかは分かりませんが、考えてみる余地は多分にあるように思います。ピケティよりキティちゃんの方が可愛いのは間違いありませんが。

 

杜撰

杜撰

 さて今回は杜撰(ずさん)です。物事が大雑把でいい加減、中途半端な様子を表す言葉ですが、私はこの言葉には語源があることを知りませんでした。

 中国の宋の時代(960~1279)に実在した詩人である杜默(ともく)にあるとされています。名前の「杜(と)」と詩文を作成するという意味の「撰(さん)」が組み合わさり生まれたものです。杜默が作る詩や文章は、定型詩の形式に当てはまらないものが多く、当時いい加減と批判されました。その故事から、詩や文章など著作物において誤りが多い、ひいては、いい加減な様子を著す四字熟語として「杜默詩撰(ともく しさん)」という言葉ができ、「杜撰」という言葉が生まれたと言われています。

 杜默にすれば迷惑な話ですが、それから千年も使われている言葉として残っているということは、逆にありがたい話なのかもしれません。計画性がなかったり、詰めが甘いということで、悪い意味で用いられてきました。私たちも杜撰な仕事をしないように心がけたいものですね。杜撰なことをすれば、悲惨な予算を組むことになり、遺産や資産をなくして破産してしまうかもしれません。

 

フリーのコーラ

フリーのコーラ

 「木村先生は、親父ギャグというか、ダジャレが好きですね」とよく言われます。「はい、その通りです」と答えています。日本語は同音異義語が多く、また、脚韻や頭韻を踏むと、文章にリズムが出てくるので、私が書く文章や、人前でお話をする場面で、数多く利用しています。

 しかし日本語以外の言語でも、このような例はたくさんあります。今でも私が鮮明に覚えているのが、1985年のアメリカ映画「バックトゥザフューチャー」の中の台詞です。主人公のマーティ(マイケルJフォックス)がタイムマシンに乗って、30年前の世界にタイムスリップしたときの話です。喫茶店だったか、ドラッグストアだったかで、マーティが好きな「ペプシコーラ」を注文するときに「FreeのCola」を頼みます。マーティが頼んだのはもちろん「Sugar Free」のコーラ、砂糖が入っていないコーラのつもりです。しかし、30年前の世界には「Sugar Free」のコーラは存在していませんから、店のおじさんは「Free(値段がタダ)のCola」なんかうちの店にはないと、怒ってしまいます。Freeという単語には、○○がない、という意味と、値段がタダ、という2つの意味があるから生じた、親父ギャグ、ダジャレだということです。当時の映画の日本語字幕では、Freeという単語の上に、マーティの台詞では○○がない、店のおじさんの台詞では値段がタダ、という風になっていたと思います。

 このように、ダジャレは世界中で愛好されています。皆さんも生活の中に潤いを求めて、使用してみて下さい。ダジャレは、オシャレなワインのボジョレーや、コジャレたすじゃれ(すだれ)にも使われます。

 

ボナエ・リテラエ

ボナエ・リテラエ

 私も初めて聞く言葉でした。ラテン語のようですが、直訳すると「良い書物たち」ですが、もう少し背景を広くとると「優れた・洗練された・品格のある」「文書・手紙・文芸・文学・教養・学問」という意味になります。「よい本を読めば、よい人間になる」かというと、そうでもないのが現実ですが、そう信じられていた時代もあったようです。

 「ボナエ・リテラエ」という言葉をよく使ったのはエラスムス(1466~1536)です。ネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる)出身の人文主義者、神学者、哲学者で「痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん 愚神礼讃ともいう)」で、カトリック聖職者の腐敗を批判しました。彼が言う「ボナエ・リテラエ」は、キケロ、プルタルコス等の古典的書物や、キリスト教的な徳を建て、信仰の奥義を探ろうとするものが含まれていました。

 また次に「ボナエ・リテラエ」の概念が登場するのは、17世紀のアメリカ、ニューイングランドです。ハーバード大学の初期カリキュラムは、中世以来の人文主義的な古典教育でできあがっていました。「リベラルアーツ」と「ボナエ・リテラエ」の2本立てです。古典的な人文主義教育の柱は、ギリシャ語やラテン語の学習で、それこそがプロテスタント聖職者の職業訓練にぴったりのものでした。多くのピューリタンがアメリカ渡航前に卒業したケンブリッジ大学、オックスフォード大学のカリキュラムと同じものです。

 現在の日本の大学教育はどうでしょうか。すぐに役に立ちそうな教育ばかりがなされているような気がします。すぐに役に立ちそうなものは、すぐに役に立たなくなるものですから、いかがなものかと思います。良い書物を読んで、きゃもつ列車で、にゅもつを運びましょう。

 

スラムダンク

スラムダンク

 劇場版アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」が公開されています。バスケットボールに携わる人間にとって、スラムダンクは避けて通ることができません。井上雄彦(いのうえ たけひこ)さんによって1990年から少年ジャンプで連載が始まり、その後テレビアニメが放送されました。スラムダンクを見て、バスケットボール部に入った中高生の数は、どれくらいになるのか見当もつきません。それくらい一世を風靡しました。

 映画の内容はネタバレになるので、詳しくは書けません。ただし、スラムダンクをよく知っている人にも、今回初めて見る人にも対応した中身だと思いました。画面の迫力は素晴らしいものがありますし、バスケットボールに対する愛情が感じられる作品に仕上がっています。安西先生の名台詞も健在です。

 一番気になるのが「ファースト」の意味です。セカンドやサードができるのか、という疑問です。できなくはなさそうですが、実際に作るのは大変そうです。今回も特に昔からの熱烈なファンに取っては「物足りない」という感想もあるようです。今後のお楽しみということでしょうか。

 ダンクシュートを決めるためには、画家のムンクがミンクのコートを着て、インクでリンクを張ることが必要です。

 

ロシア語を学ぶ

ロシア語を学ぶ

 今や世界中を敵に回している感があるロシアですが、歴史的にはロシア文学やロシア民謡には偉大な作品が数多くあります。また普通のロシアの人たちは、ある意味犠牲者と言えるかもしれません。ロシアの吟遊詩人「ブラート・オクジャワ」の「祈り」という歌があります。

 神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ

 賢い者には 頭を 臆病者には 馬を

 幸せな者には お金を そして私のことも お忘れなく・・・

 この歌の解釈は多様で、例えば「賢い者には頭」というのは、賢さとは心で悟るものだから頭脳とは別物だということを、「幸せな者にはお金」が必要なのは、幸福か否かはお金の問題ではないことをそれぞれ暗示しているという説があります。また、そうではなく全体として一般常識的な固定観念に対する皮肉であるという説もあります。そしてまた、それらの解釈とはまた別の層にある要素として、この詩には言語への希求のようなものがあるという説もあります。賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことにもなります。新しい語学を学ぶということは、新しい発見があるものです。

 この歌を紹介してくれたのは「奈倉有理(なくら ゆり)」さんですが、彼女は1982年生まれで、2002年にペテルブルグに留学し、2008年に日本人としては初めてロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業し、多くのロシア文学の翻訳書を出版し、ロシアの動向について発言をしています。ちなみに「ゆり」という名前は日本では主として女性の名前でしょうが、ロシアでは「ユーリー」は男性の名前だそうです。彼女の著書である「夕暮れに夜明けの歌を」では、彼女がロシア語に魅せられて、語学を学ぶ中での学生や先生、近所に住むロシアの人たちとのやりとりやエピソードを記したエッセイです。一人の日本人と普通のロシア人たちは、生活して交流して当たり前のように友情を築き上げていきます。当たり前の日常が、早く戻ってくることを願わざるを得ません。当たり前だのクラッカー(若い人には分からない?)。

 

予想と期待

予想と期待

 何回目かのラジオネタです。本来は歌手の「GACKT」さんですが、格付け番組等で有名になったり、病気で療養したりしています。彼は人を前向きにするような言葉を多く発言しています。

 「予想を裏切る 期待には応える」

 彼がライブを行うときは、観客が予想しているようなステージや、楽曲の構成を裏切るようにしているそうです。しかし結果として観客には感動を与え、大満足で帰宅の途につくように、期待には応えることを心がけているそうです。

 この言葉は、もちろんショービジネスには欠かせない視点だと思いますが、他の分野にも当てはまることが多いと思います。「○○という会社が、新製品の××を開発した」「○○先生の授業は、斬新な切り口で、勉強になる」「○○課長は、課員の背中を押すような業務の取り上げ方をしてくれる」「○○という作家の小説は、次々と新しい世界を見せてくれる」これまでに社会現象にまでなった製品、例えば「ウォークマン」や「ファミリーコンピューター」「iPhone」等は、予想を裏切り、期待に応えたものだったと思います。

 私も「木村校長の始業式・終業式での話は、毎回予想を裏切るが、期待には応えてくれる。最後のギャグだけはすべりまくりだが」と言われるように心がけています。期待に応えるためには、機体に気体を詰めて、帰隊しなければなりません。

 

山紫水明

山紫水明

 山紫水明(さんしすいめい)という言葉は「日に映じて、山は紫に、澄んだ水は清くはっきりと見えること。山水の景色の清らかで美しいこと」という意味で、風光明媚(ふうこうめいび)な景色を表すものです。しかし普通、山は春から夏にかけては緑色だし、秋からは紅葉で黄色か赤色のはずです。山が紫色とはどういうことでしょう。

 四字熟語の漢字ですから、語源は中国の歴史書からのものと思いがちですが、実はこの言葉は日本の江戸時代後期に、平安時代から江戸時代までの歴史書「日本外史」を書いたことで有名な「頼山陽(らい さんよう 1781~1832)」が作った言葉です。頼山陽は京都鴨川の西岸に「水西荘(すいせいそう)」と名付けた居を構え、敷地内の書斎に「山紫水明処」という号をつけました。夕方に水西荘から東側を見ると、日が傾いて東山の山肌はすでに紫色にかげっているが、鴨川の川面は夕日の照り返しでまだ明るい。昼から夜に移り変わる夕暮れの短い間にだけ見られる、はかなくも美しい特別な景色を山紫水明と名付けたのです。後の人々は、時間を限定せずにただ美しい山水の景色を山紫水明と呼ぶようになっていった訳です。

 このように江戸時代には、まだまだ漢文の文化が主流でした。揖斐高(いび たかし)さんが書いた岩波新書の「江戸漢詩の情景」には、山紫水明以外にも多くの江戸時代の日本における漢詩が紹介されています。当時の学問といえば「儒学」とりわけ「朱子学」ですから、漢字ばかりです。漢字を知らないと、いい感じの幹事にはなれません。

 

カタール

カタール

 サッカーのワールドカップが開かれる、中東の国カタールです。アラビア半島に突き出したカタール半島で、面積は日本の秋田県と同じくらいの1427km2で、人口は250万人くらいの小さな国家です。国土の全域が砂漠気候であり、年間降水量が100ミリといいますから、日本で少し強い雨が1日降るときの降水量が、1年分ということになります。もちろん豊富な石油と天然ガスの産地ですから、経済的には豊かで、カタールでも大人気のスポーツであるサッカーのワールドカップを招致することができました。

 世界中で人気のあるヨーロッパのリーグ戦が毎年秋から春にかけて行われるため、これまでのワールドカップは、それを避けて夏の時期に実施されてきました。ですから最初はカタールでも夏に行うことを考えましたが、カタールの夏は気温が50℃になるくらいのとんでもない暑さなので、スタジアム全体を冷却する案が検討されたりもしました。結局夏の開催は諦めて、そのかわりヨーロッパリーグ戦を一時中断する(! 非常に大きな金額のお金が動いた?)ということで、開催に至りました。

 カタールは、本来のカタール人は人口の1割強しかおらず、残りの9割弱は南アジアや東南アジアからの外国人労働者で、特に男性労働者が大量に流入しているため、住民の4分の3が男性です。今回、狭い国家にスタジアムを作るために、かなり無理をして工事を行ったようで、外国人労働者の人権を無視した可能性が高いようです。そのためワールドカップの実施自体、どうなんだ、という意見もあり、ヨーロッパの中には、通常であればパブリックビューイングを実施するはずが、抗議の意味を込めて実施しない国もあるようです。でもワールドカップ自体を中止するということにはなりません。

 日本代表は、初戦のドイツ戦を逆転勝利という素晴らしいスタートを切りましたが、大きなスポーツの大会がお金まみれという現状はいかがなものか、という感じもします。ワールドカップはコップの中でアップして、シップを貼って、トップを目指しましょう。

 

これからのリーダー

これからのリーダー

 厚生労働省で事務次官を務めた村木厚子さん(木村ではない)は、これからの時代のリーダーに求められるのは「メンバーそれぞれの強みを生かすチームづくりだ」と言っています。そして「どんな上司が望まれますか」という問いには「情報を上げたいと思われる上司になることが大切だ」と話しています。

 「重要な情報が耳に入らずに『自分は聞いていない』という上司がいます。私もそう言いたいときはありますが、自分が部下の立場だったら、本当に大事な人には相談しています。もっとはっきりいうと、役に立つ上司のところには情報を持っていきます。大事なことを聞かされないのはリーダーとして格好悪いことなのかもしれません」

 確かに「私は聞いていない」と言って怒る社長や校長たちがいると聞いたことがあります。それは部下に対して「ちゃんと報告しない部下が悪い」と怒っているのでしょうが、実は聞かされていない自分の責任である、と考えることもできるわけです。怒る前に、自分のやり方を反省した方がよいのかもしれません。

 村木厚子さんは、厚労省の課長時代に事件に巻き込まれ、逮捕されましたが、実は冤罪(えんざい 無実なのに罪をかぶせられること)で裁判では無罪判決となり、厚労省に復帰して官僚としては最高位である事務次官になった人です。普通ではできないような経験をしてきた人だからこその説得力があります。生徒の皆さんも、情報を上げたいと思われる上司を目指しましょう。上司がよければ、調子に乗って、よい表紙が書けそうです。

 

二兎を追う

二兎を追う

 「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざは、もともと英語で「If you run after two hares you will catch neither」ということわざを日本語に訳したもののようです。「同時に2つのことをしようとする者はどちらの成功も得られない。1つの事柄に集中するのがよろしい」という意味です。しかしこのことわざに対して「二兎を追うものだけが二兎を得る」という言葉もあります。生徒の皆さんはどう考えますか。

 「文武両道」という言葉があります。中国の歴史書である「史記」にも記述があるようですが、日本では鎌倉時代以降の武士の世界で、文事と武事の両方に秀でることとして使われた言葉です。現在の高等学校でも、勉強と部活動の両立を目指すこととして、多くの学校の目標として用いられています。確かに、高校生には勉強はもちろんですが、部活動に取り組むことも大切で「二兎を追う」ことにつながります。

 総合学科の高等学校では、以前から「探究活動」に重きを置いてきました。探究は自分の興味関心のある事柄について、色々な方法を駆使しながら深堀していくもので、現在では普通科の高等学校にも広く取り入れられています。通常の学習活動と探究活動を両立させていくことも「二兎を追う」ことになると思います。

 ビジネスの世界では「二兎を追っていると三兎めが出てくる」という話もあるようです。多角経営を奨励するときには、適切なのかもしれません。皆さんも二兎を追うと、古都を問う事ができるかもしれません。

 

自信を持つ

自信を持つ

 生徒の皆さんは自信がありますか。どうすれば自信が持てるようになるのでしょうか。クラブの大きな大会に臨むとき、大学の入学試験を受けるとき、就職試験の面接を受けるとき、どれも緊張しますよね。これまでに経験のない状況になったとき、緊張したり、自信を持てなくなったりします。どうすればいいのでしょうか。

 まず、準備をしっかり行うことが1番大切です。大会前に練習をしっかりやって、試合に臨む。その大学の過去の入試問題を10年分くらいやり遂げてから、入試を受ける。先生方を利用し倒して、面接の練習を繰り返し行った後で面接試験を受ける。どこまで準備すれば100%になるのかは分かりませんが、しっかりした準備は必ず自信につながります。

 次は、自分を客観視することです。自分を自分以外の人から見たときに、どのように見えているのだろうと、想像してみることをおすすめします。緊張して、手足や唇が震えているとしたら「他人から見ても、緊張しているように見えるだろうな。でも、自分でもそのように思えているということは、私は落ち着いている」「大丈夫。これまでの人生の中で、1番緊張した○○のときよりも、私は落ち着いている」少し難しく感じるかもしれませんが、こういう習慣を身につけてしまえば、案外使えるようになるものです。

 最後は楽観的になることです。失敗しても、ミスをしても、命がなくなる訳ではありません。自分ではうまくいかなかったと思ったとしても、他人からは評価される場合もあります。頑張って、ダメならまた次に頑張れば大丈夫だ、と信じて対応することです。

 この3つの考え方は、私が40年以上昔の、大学受験のときに思ったことです。今でも本当に大変だった思いがありますが、やり遂げたことが私の自信につながっています。皆さんも、自信を持って、地震に負けずに、自身を発揮して下さい。

 

戦争絶滅受合法案

戦争絶滅受合法案

 今から約100年前に、大正デモクラシーを代表するジャーナリストである「長谷川如是閑(はせがわ にょぜかん 1875~1969)が紹介した「戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけあいほうあん)」です。

 「開戦後10時間以内に次の者を最下級兵卒として最前線に送ること。①国家元首 ②その親族 ③首相・大臣・次官 ④戦争に反対しなかった代議士ら」

 この法案が可決されれば、間違いなく戦争はすぐに終結します。それほど、①~④の人たちは、戦争を他人事として考えているわけです。戦争というものはいつの時代でも、年寄りが考えて、若者が戦うものです。長谷川如是閑がこの法案を考えた時代は、ちょうど日本が戦争に向かっていた時代でした。ですからかなりの勇気を持って、この法案を発表したのでしょう。約100年後の現在のロシアに対しても、当てはまるところです。

 生徒の皆さんも、役に立ちそうな法案を、草庵にこもって、答案を考案してみて下さい。

 

周りがあきらめてくれる

周りがあきらめてくれる

 兵庫県神河町の出身である女優の「のん」さんです。2006年にオーディションでグランプリを獲得し、本名の「能年玲奈(のうねん れな)」としてテレビや映画で活躍していましたが、いろいろなトラブルがあったようです。2016年から現在の「のん」という名前で活動しています。現在も映画「さかなのこ」では「さかなクン」をモデルにした役を演じています。

 そののんさんが、あこがれの人だという「矢野顕子」さんと対談をしました。矢野顕子さんといえば、シンガーソングライターとして独創的な歌声で世界的に評価されています。坂本龍一さんの奥さんで、子どもさんはやはりミュージシャンの「坂本美雨」さんです。

 のんさんは「どうやったら、やりたいことを貫いている矢野さんのようになれるのですか」と尋ねました。矢野さんの答えは「やりたいことをやり続けたら、周りがあきらめてくれるのよ」というものでした。のんさんには、やりたいことをやるために、相手を説得する考えはあっても、あきらめてもらう発想はありませんでした。「こんな言葉は矢野さんからしかきいたことがない。かっこいいなと思いましたね。余計なことを考えずに、シンプルにやりたいことをやろうと思うようになりました」

 生徒の皆さんはどう思いますか。自分がやりたいと思うことがやれていますか。他人にどう思われるか、を気にしすぎて、最初から諦めていませんか。萎縮していませんか。自分がなにものであるのか、なにができるのか、なにがしたいのか、自己肯定感を持てていますか。周りがあきらめてくれるくらいに、突っ走ってみてはどうでしょうか。私は、周りがあきらめてくれるくらいの、親父ギャグラーを目指していますが、まだまだ道半ばです。あきら君が馬手(めて)をくれるかな。

 

むずかしいこと

むずかしいこと

 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」

 私がこの「校長室より」で目指していることなのですが、もちろん、私が考えた台詞ではありません。作家や劇作家として著名な「井上ひさし(1934~2010)」さんの言葉です。

 「私たちはとかく『やさしいことをむずかしく』「むずかしいことをあさく」『あさいことをつまらなく』語ってしまいがちです。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章を書くことは簡単だからです。深く考えないで、脊髄反射で、思い浮かんだことを書けばいいのですから。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章は、コンテンツを発信する側が受け取る相手のことより、自分の都合や思いを優先しているときに起きます。相手を雑に型にはめて単純化してしまうことで、思考停止になってしまっているのです」

 私がこの井上ひさしさんの言葉を知ったのは、朝日新聞夕刊の「素粒子」というコラムを読んだときです。新しくこのコラムを担当する方が、座右の銘として、この言葉を書いていました。私自身も目指していますが、なかなかたどり着けない目標として、素晴らしい言葉です。生徒の皆さんに話す機会の多い私としては、常に心がけたいと思っています。

 やさしく、ふかく、おもしろいこと、白い犬は、おもしろい(尾も白い)。

 

不思議なイギリス

不思議なイギリス

 2022年のサッカーワールドカップは、中東のカタールで開催されます。32の参加国の中には、イングランドとウェールズが入っています。同じイギリスという国の中に属するはずなのに、これはどういうことでしょうか。

 実はイギリスという国の正式な名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といいます。グレートブリテン島と呼ばれ、イギリスの本体である島の中にイングランド、ウェールズ、スコットランドという3つの地域「カントリー」があり、隣にあるアイルランド島のうち、北東部の「北アイルランド」を含め、4つの「カントリー」からできています。国家としてはイギリスとして1つの国ですが、サッカーやラグビー等のスポーツでは、カントリー毎にチームを作っているので、イングランドとウェールズは異なる2つのチームとして出場します。日本から「関東チーム」と「関西チーム」が出場するようなものです。

 もっと不思議なことは、アイルランド島という地続きの島で、北東部の北アイルランドはイギリスであり、それ以外の南西部は「アイルランド」という違う国になっています。これには長い歴史と、宗教の違い、文化の違い等があり、戦争も行われたりして複雑に絡み合って、現在のようになっています。これも日本でいうと、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍と、豊臣秀頼の西軍が別々の国として独立したようなものです。

 イギリスというと、世界で最初に産業革命を行い「大英帝国」として(多くの地域を植民地として)発展した国ですが、最近ではEUから離脱したり、今年は70年に渡り在位してきたエリザベス女王が亡くなり、チャールズ皇太子が国王となったり、話題を提供しています。また政権党である保守党のゴタゴタがあり、ポリス・ジョンソン首相、リズ・トラス首相を経て、インド系のリシ・スナクが首相になります。これまでにマーガット・サッチャー、テリーザ・メイと2人の女性首相がいましたが、リズ・トラスは非常に短命の3人目の女性首相でした。日本では女性の総理大臣はこれまでにはいません。また外国にルーツを持つ人間が首相になることはなかなか考えにくいです。やはり英国は、えい国なのでしょうか。

 

幸福とは

幸福とは

 人は誰しも「幸福」になりたいと思うものです。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。少子高齢化に歯止めはかかりませんし、気候変動問題によって、将来の経済発展に期待は持てません。地域間で、世代間で格差は広がり続けています。政治に対する不信感もあり、ロシアとウクライナの戦争の行方も読めません。「人生は本質的に苦しみだ」と考える人がいても不思議ではありません。苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきかを考えた哲学者がドイツのショーペンハウアー(1788~1860)です。

 彼は、生きる苦しみと向き合い、苦しみの源泉に他ならない欲望を否定し、エゴを超えていこうとしました。厳しい否定による悟りの境地である「意思の否定」を終着点とする「求道の哲学」を唱えました。なるほど、人間には欲望があるために、それが叶えられないとなると幸せにはなれません。最初から欲望を否定すれば、悲しみもなくなるというわけです。しかし、人間は本当に欲望をなくすることができるのでしょうか。ショーペンハウアーは晩年になり、その回答を示しました。

 「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」ためには「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきを目指す」ことが必要です。そして幸福の礎となる「3つの財宝」を規定します。第一に「その人は何者であるか」人柄や個性、人間性などの内面的性質の事で、健康や気質、知性等とそれらを磨いていくことも含まれます。第二に「その人は何を持っているか」金銭や土地といった財産、その人が外面的に所有するものです。第三に「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」他者からの評価であり、名誉や地位、名声等です。

 私たちはたいてい、第二、第三のものを追い求めてしまいます。これらは「~がほしい」「~されたい」という欲望の対象で、どれほど多くを手に入れても、決して満足できないものです。もちろん、この第二、第三の財宝が全く価値がないものであるというのではなく、優先順位を明らかにする必要があるということです。第一の財宝は「内面の富」であり、これが「幸福の源泉」であるとします。人間は、若い間はなかなかこのように思うことができないように思います。他者からどのように見られるかは、気になるものです。しかしある程度年齢を重ねていくと、なるほどと思うようになってくるのも事実です。幸福を求めるためには、降伏せずに、合服を着ましょう。

 

富士山に登る人

富士山に登る人

 日本大学というマンモス大学があります。前の理事長が大騒動を巻き起こして辞任してしまい、どうなるのかな、と思っていたら、卒業生で作家の林真理子さんが理事長に就任しました。林真理子さんと言えば、有名な作家で、小説やエッセイを大量に書いてきています。しかし、大学の理事長という職業は全く別の世界なので、大丈夫かな?と思っていました。その林真理子理事長のインタビューを読みました。そこには漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」に出てくる次のフレーズが登場していました。

 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人は1人もいませんよ」

 漫画「浮浪雲」は、ジョージ秋山さんが1973年から2017年にわたり長期連載した作品です。主人公の「雲」は普段ボーッとしていて、若い女性を見かけると「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と声をかける習慣があります。しかし剣の達人で、顔も広く、哲学的な台詞を多く残しています。大変人気があったので、渡哲也さんやビートたけしさん主演によるテレビドラマやアニメ作品にもなりました。「富士山~」のフレーズも浮浪雲の台詞です。

 富士山に登ろうと思えば、かなりの準備が必要です。道具もいりますし、体力も必要です。高山病の対策も考えねばなりません。準備をしても、当日の天候や風などで登頂できないこともあるでしょう。心に決めないとできないことです。散歩がてらでは不可能です。もちろんこれは、富士山登頂に限らず、あらゆる事に当てはまると思います。生徒の皆さんでは、○○大学に合格したい、次の部活動の大会で優勝したい、来年の体育大会や合唱コンクールではクラス優勝をしたい等、何でも当てはまると思います。

 「優勝しようと心に決めた人だけが優勝するんです。何の準備もしないで優勝するはずがありません」

 私も、小さくても何でも目標をもって、それに向かってしっかり努力をする生活を続けていきたいと思いました。優勝するためには、闘将が交渉をして、通商をして報奨が必要です。

 

 

斎藤隆夫

斎藤隆夫

 兵庫県但馬国出石郡(現在は豊岡市出石町)出身の斎藤隆夫(1870~1949)です。「さいとう・たかを」と平仮名で書くと、昨年亡くなられた「ゴルゴ13」の作者である漫画家になってしまいます。ちなみに「さいとう・たかを」の本名は斎藤隆夫といいます。斎藤隆夫は「勉強したい」という思いを胸に上京し、早稲田大学で学び、アメリカのイェール大学に留学し、帰国後は弁護士を経て、戦前ですので帝国議会の衆議院議員となります。彼は立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、軍部の政治介入に抵抗します。

 彼の国会における演説には有名なものが多数ありますが、まず1936年の「粛軍演説」です。この年には2・26事件があり、また1932年に起こった5・15事件をうやむやに決着させたことが原因であると、軍部に対する批判と、軍部に寄り添う政治家に対する批判を述べました。次に1940年の「反軍演説」です。1937年から支那事変(本来は「日中戦争」と呼ぶべきだが、当時はこの名称が使われた。ロシアとウクライナの「戦争」もロシアは「特別軍事行動」と呼ぶのと似ている)が起こっていて、この戦争と引き起こした軍部を強烈に批判しました。その結果斎藤隆夫は懲罰委員会にかけられ、議員たちの圧倒的多数の賛成によって衆議院議員を除名されてしまいます。

 ところが、次の1942年の総選挙は有名な「大政翼賛会」選挙となります。ほとんど全ての議員が「大政翼賛会」の推薦者として立候補しますが、斎藤隆夫は「非推薦」ながらも但馬選挙区でトップ当選を果たして、衆議院議員に復活します。私が斎藤隆夫のことを取り上げようと思ったのは、当時の状況下における彼の勇気ある言動と、彼を支えた地元の多数の人々の勇気に感心したからです。地元の出石町には、斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられています。斎藤隆夫の思想につながる「大観静思(静かに思いを巡らせる空間)」に由来する名前です。静思は生死を制止して、製紙を静止することができます。

 

 

曾国藩

曾国藩

 近代の中国史の研究家である、京都府立大学教授の岡本隆司さんが岩波新書で「李鴻章」「袁世凱」と書いてきましたが、今回は「曾国藩(そう こくはん)」を出版しました。曾国藩てどんな人? という方も多いと思います。もちろん、私も知りませんでしたので、大変勉強になりました。

 最初の名前は曾子城(そう しじょう)、1811年湖南省に生まれました。当時は清朝にあたりますが、まだまだ科挙(かきょ 公務員試験の飛び切り難しいもの)が行われていて、立身出世のためには科挙に合格することが求められていました。もともと真面目で、コツコツ努力する人だったようで、1838年に合格して、北京での役人生活に入ります。ところが1843年洪秀全(こう しゅうぜん)がキリスト教の一種である上帝教を創立し、1851年太平天国の乱を起こします。当時の清朝の軍隊は腐敗しきっていたようで、全く役に立たず、当時の咸豊帝(かんぽうてい)は曾国藩に任せることにします。曾国藩は私兵である「湘軍(しょうぐん)」を組織して戦いますが、もともと戦いは下手くそで、勝ったり負けたり、軍費にも困りました。結局約10年の歳月と死者数千万人を出しながら、ようやく平定することができました。曾国藩は軍人としては失敗も多くありましたが、希代の名文家で、日記や手紙を多数残していたので、死後すぐに「曾文正公文集(そうぶんせいこうぶんしゅう 文正という、おくり名をもらった)」が編纂されたほどです。また太平天国の乱を戦う中で、弟子として李鴻章(り こうしょう)を重く用いました。李鴻章と言えば、その後清朝ではこれまた私兵の組織である「淮軍(わいぐん)」を率いて活躍し、日清戦争の後の下関講和条約では、清朝の代表として下関の春帆楼(しゅんぱんろう)で、日本側の伊藤博文と交渉しました。春帆楼は現在でもフグ料理で有名な店で、敷地内には下関講和条約で使われたテーブルや椅子が展示されています。私も一度訪れて、フグをいただいたことがあります。

 もともと地味で真面目な秀才であった曾国藩ですが、時代の波の中で慣れない軍人をやらされたという感じです。しかし結果として清朝のために働き、数多くの漢人を殺害したので、後の時代からは、賞賛されたり、批判されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい評価がついて回りました。曾国藩は天津飯が好きだったかもしれません。

 

 

人生は目撃

人生は目撃

 ラジオを聞いていると、作詞家の秋元康さんがこのように発言していました。

 「人生とは目撃である」

 そのときに、その場にいて、実際の現場や、テレビ中継であっても、目撃することが大切だ、という話です。1958年生まれの秋元康さんは、父親に連れられて、1964年の東京オリンピックを見に行き、2021年の東京オリンピックも見ることができたと言われていました。巨人の王、長島の現役時代を知っているとか、アントニオ猪木対モハメド・アリの対戦も見たよ、ということです。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」という曲の作詞を担当したのは、秋元康さんが30歳のときで、「あーあー、かわのながれのよーうーにー」と歌う美空ひばりさんを見たときには鳥肌が立ったそうです。それまでは自分の肩書きを「放送作家」と名乗っていましたが、それ以降は「作詞家」としたそうです。現在でも活躍している矢沢永吉さんですが、昔組んでいたバンド「キャロル」の解散ライブを見たとも話していました。

 「色々な目撃体験をみんな大切にした方がいい。今しか見られないものを見た方がいい。自分の中で最後に残るのは記憶しかないわけだから、それはすごく大事だと思うんですよね」

 私が目撃した中で、いまでも強烈に覚えているのは、1969年のアポロ11号が月に着陸して、アームストロング船長が月に降りたときのテレビ映像です。私が8歳のときで、多分日本時間では夜中で、私自身は眠たかったはずですが、両親に起きて見なさいと言われて見ていたと思います。当時の事ですから、当然白黒テレビで、解像度も良くなかったはずですが、画像は今でも覚えています。

 生徒の皆さんも、香寺高校で行われる文化祭や合唱コンクール、体育大会等は、その年次では高校生活で1回だけのものです。その現場で頑張って競技したこと、見聞きしたことは、かけがえのない自分の経験です。これからも大事にしていきましょう。演劇を目撃したら、激痛が走るかもしれません。

 

 

ドラえもん

ドラえもん

 生徒の皆さんには、9月30日と10月3日の2回に分けて、話をさせてもらいました。前期の最後には「ドラえもんのひみつ道具を使って、誰かに何かをしてあげるお話しを作りましょう」という宿題を出しました。宿題といっても、提出は自由としました。そして後期の始まりでは、種明かしをしました。

 「なぜこのような宿題を考えたのか。私はいつも皆さんにはパワポを使って話をしていますが、今回の終業式と始業式は、話す時間も短く、時期も重なっているので、どんな話をしようと考えながら、おやつに御座候を食べていました。御座候、どら焼き、ドラえもんと思いつきました。「思いつきを形にする」後は話を組み立てていくだけです。皆さんに何を考えてほしかったのか。ある程度の制限のある中で、正解のない問題に対して、自分の発想力で最適解を思いつき、言語化する体験をしてもらいたかったのです」

 生徒の皆さんがいくつか提出をしてくれましたので、その中から2つを紹介します。

 「地平線テープ」狭いところがイヤになったときに使うテープで、これを貼ると、どこまでも地平線が広がる空間になる。「地平線テープ」を体育館に貼ると、雨の日でも色々な競技ができたり、日光に当たらずに体育の授業ができる。

 「かるがる持ち運び用紙」この用紙の上に何かを置くと、吸い込まれて紙になり、紙の重さになるので、軽々と持ち運びができるようになる。「かるがる持ち運び用紙」を使うと、掃除や学校行事の際の大きな荷物運びを手早く終わることができる。

 このように、普段の学校生活の中で、不便に感じたり、こうすればうまくいくぞ、ということを考えてくれました。素晴らしい。このような発想力を大切にして、より良い社会を構築していく力を養ってください。

 確かにドラえもんは、どら息子がドライブしたり、ドラの音を出すわけではありません。 

 

教養とは

教養とは

 小泉信三(こいずみ しんぞう 1888~1966)は慶應義塾大学に学び、経済学者となり、後には塾長を勤めた人物です。1976年からは慶應義塾大学主催の全国高校生小論文コンテストに「小泉信三賞」があり、私が学年主任をしていた頃に、この賞を受賞した生徒が出た覚えがあります。小泉信三は多くの名言を残していますが、その一つがこれです。

 「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」

 現代では「ファスト○○」がはやっているようです。ファストファッション、ファストフードは既に有名です。ファスト映画は、権利者に無断で映像や静止画を利用して字幕やナレーションをつけて作った、実際の映画よりも短い動画を指すとのことです。ファスト教養というのもあるそうです。教養とは、すぐに役に立たないが、身につけるためには時間がかかるけれども、長い目で見るとその人の人生を豊かにするものをいうはずです。ファスト教養とは自己矛盾のはずですが。

 テレビニュースなどで活躍している池上彰(いけがみ あきら)さんの本職は、東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授ですが、彼こそは「教養」「リベラルアーツ」の大切さを説いています。東京工業大学に入学してくる学生ですから、理科系バリバリの学生がほとんどです。その学生に向かって「教養」「リベラルアーツ」を学ばせる訳ですから、かなりの困難が予想されます。その池上彰さんも、小泉信三の名言「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」を取り上げています。逆に言うと「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずっと役に立つ」ということです。

 教養は、強要して身につくものではありません。今日用があることが大切です。

 

琵琶湖疎水

琵琶湖疎水

 先日、京都の蹴上(けあげ)にある琵琶湖疎水記念館を訪れる機会がありました。

 まず琵琶湖疎水についてですが、明治時代に琵琶湖の水を京都市へ流すために作られた水路です。明治維新の際、京都から東京へ都を移すことになり(東京奠都(とうきょう てんと))、それに伴って京都では人口の減少と、産業の衰退が見られるようになりました。このため第3代京都府知事の北垣国道(きたがき くにみち この人は兵庫県養父市出身)が灌漑(かんがい)、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疎水を計画しました。そして主任技術者として、工部大学校(のちの東京大学工学部)を卒業したばかりの当時21歳の田邊朔郎(たなべ さくろう)を起用しました。北垣知事に田邊を推薦したのは、当時工部大学校学長であった大鳥圭介(おおとり けいすけ)で彼は兵庫県上郡町の出身です。後に田邊は、北垣知事の娘と結婚することになります。また、欧米の測量術を学んで実績を積んでいた島田道生(しまだ どうせい 当時33歳)が精密な測量図を作成しました。琵琶湖疎水記念館には、この測量図が展示されています。

 現在の第一疎水は1885年に着工し、1890年に完成しましたが、特に難工事だったのは2436mに及ぶ第一トンネルでした。当時の事ですから、ダイナマイトと人力で掘り進めました。工期を短縮するために、両側からだけではなく、竪坑(たてこう シャフト)を利用して真ん中からも掘り進めました。工事費は125万円で、これは京都府の年間予算の約2倍に相当します。

 この疎水の完成により、灌漑や上水道、琵琶湖から大阪までの水運業、水車を使っての発電事業と、数多くの産業が生まれることになり、現在でも利用されています。蹴上周辺には、記念館以外にもたくさんの遺産があります。

・北垣国道と田邊朔郎の銅像 これはあっても不思議はありません。後に田邊朔郎は東京帝国大学教授を勤めることになります。

・疎水工事殉職者弔魂碑・殉職者の碑 弔魂碑には工事による殉職者17名の氏名が刻まれています。

・蹴上インクライン 水面の落差が大きくて、普通に船が運航できないとき、インクラインといって、ケーブルカーのように台車に船を乗せて、ワイヤーで引っ張り上げる(下げる)もので、レールの跡と台車が現在も残っています。

・ねじりまんぽ 「まんぽ」というのはトンネルのことで、蹴上インクラインの下を横断するトンネルです。強度を上げるために、らせん状にレンガが積まれていて、渦を巻いているように見えます。

・扁額(へんがく) 疎水のトンネルなどに設置されている先人たちの揮毫(きごう)です。その人たちは、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、松方正義、そして北垣国道と田邊朔郎など、当時の偉人ばかりです。

 もっと時間があれば詳しく見たいものがありましたが、駆け足での訪問でした。琵琶湖疎水は今でも治水や保水のために、安い麻酔の代わりに薄い汚水は運んでいません。

 

賢い不服従

賢い不服従

 今回は「盲導犬」の話です。視覚に障がいがある方々に対して、盲導犬が役立つことがあります。この盲導犬は、どんな犬でもできるものではなく、長い期間の訓練が必要ですし、ユーザー(障がい者)の方との相性もあるようです。盲導犬は、ユーザーの命令に従って行動するようにしつけられています。そんな中「賢い(「利口な」という場合もある)不服従」というものがあります。これはユーザーの安全を守るために、あえてその命令に逆らう事です。賢い不服従ができることは盲導犬がその役割をうまく果たすために重要な能力の一つであるため、この訓練は重要な訓練の一つです。

 例えば、ユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、その方向の地面に深い溝があってユーザーが転落するなどの危険が考えられる場合は、盲導犬はその命令を拒否します。また同じようにユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、盲導犬自身は何の問題もなくその場所を通れたとしても、比較的低い位置に木の枝などがあって、ユーザーが頭をぶつける可能性がある場合は、やはり盲導犬はその命令を拒否します。

 さて、賢い不服従は盲導犬だけに当てはまることでしょうか。例えば「良心的兵役拒否」というものがあります。アメリカの南北戦争の時、あるキリスト教のグループが良心的兵役拒否を行ったことがあります。第二次世界大戦の時も、アメリカでは6000人ほどの人が兵役拒否しています。ドイツでは1999年に17万四千人の若者が兵役を拒否して、市民的奉仕活動に従事しています。そういうシステムが認められている訳です。第二次世界大戦の時、日本では可能だったでしょうか。また兵役に限らず、このような例は絶対にないと言えるでしょうか。

 作家の落合恵子さんは次のように書いておられました。「何かを強制されそうになったとき、私たちも自分の頭で考えて『賢い不服従』を貫くことを学びたい」不服従は、服従しないという意味で、復習をしないという意味ではありません。学習には復習が大切です。

 

アフラシア

アフラシア

 「アフラシア」聞いたことがない言葉ですね。これはアフリカとアジアの両方の地域を足して、アフラシアと呼ぶことにしたそうです。アフラシアという言葉を最初に用いたのは、歴史家のアーノルド・トインビーのようですが、実際に「アフラシア」というタイトルの書物を出したのは、2013年ケニアの平和研究家であるアリ・マズルイでした。

 なぜアフラシアという地域を考えるのかというと、21世紀の終わりである2100年には、アフリカとアジアの人口が世界の人口の8割を占めることが予測されているからです。国際連合経済社会局人口部の人口予測(中位推計)によると、2001年には世界の人口は62.2億人だったものが、2100年には111.8億人になり、そのうちアジアの人口が47.8億人、アフリカの人口が44.7億人になるようです。

 アジアではもちろん中国とインドの人口の多さが突出していますが、何年かのうちに、中国よりインドの人口の方が多くなることは確実視されています。同様にアフリカではナイジェリア、コンゴ、タンザニア等の人口が高い割合で増加する予測です。未来を予測するのは難しいわけですが、人口の変化の予測はかなり精度が高くなります。人口の変化を左右する変数は三つに限られるからです。出生率、死亡率、移民の数の三つです。

 世界は長く欧米中心に動いてきた歴史がありますが、特に15歳から64歳までの「生産人口年齢」の大小は、その国のGDPと密接な相関関係があると言われています。これからの世界を動かしていくのは、欧米ではなく、アフラシアになっていくのではないかと考えられています。もちろん、この話は予測のレベルですし、他にも食料や宗教、国家間の関係等、数多くの要素がありますから、一概に必ずそうなるかどうかは分かりません。しかし、人間が連帯して平和で、美しい地球を守っていくために、知恵を出し合うことが必要であることには間違いがないと思います。人間が知恵を出し合い、前を向いて声を上げ、笛を吹いて杖を使えば、見栄を張ることができます。

 

 

実るほど

実るほど

 春に植えた稲が、秋になり、収穫の時期を迎えています。毎年この時期になると「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざを思い出します。有名なことわざなので、皆さんよくご存じだと思います。この「よく知っている」というのは、結構落とし穴になることが多いものです。

 このことわざの意味は「稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢である」というものです。

「立派な人ほど謙虚な姿勢である」「虚勢を張って威張るだけの人は、人格者とはほど遠い」

 なるほどその通りなのでしょうが、このことわざを「若いときから謙虚が大切」と読んでしまうとどうでしょうか。ある程度の年齢を重ね、それなりの成功をしている人たちはほとんど皆さん、謙虚な方ばかりです。しかし、若いうちから謙虚であったか、というと、決してそんなことはなかったようです。謙虚の反対は傲慢(ごうまん)ですが、ほとんどの人はその傲慢な生き方をしていたのではないでしょうか。しかし、その傲慢さによって、手痛い失敗や、ひどい経験をしてしまいます。その経験からいろいろと学んでいくうちに、だんだん望む結果を手に入れられるようになり、現在の成功をつかんだのだと思います。ですから、若いうちから頭を垂れて謙虚になど生きていく必要はなく、むしろ傲慢なくらい頭を上げて生きていった方が、将来的には立派な実りを得られるのではないかと思います。

 またもう一つ「稲穂は、自らの意思を持って頭を下げているのではない」ということです。つまり自分が意識して謙虚になっているのではなく、ごく自然に当たり前に謙虚な生き方になっているということです。「謙虚にする」のではなく、「謙虚になる」ということです。皆さん、どうでしょうか。私も「謙虚になる」ように、新居に転居して、根拠を持って選挙に投票して免許を得たいと思います。

 

 

これからの指導者

これからの指導者

 アメリカの経営学者である「トマス・マローン」は、その著書「フューチャー・オブ・ワーク」で次のように述べています。

 人類世界は孤立、分散、自由に特徴づけられる狩猟採集民の世界から、中央集権的な階層社会へと向かい、いま分散的なネットワーク社会へと移行しつつある。「命令と管理」にもとづく厳格な階層制度は軍隊には向いているかもしれないが、情報ネットワーク社会には適合しない。

 これからの指導者に求められるのは「命令と管理」から「調整と育成」へと組織原理をシフトさせることである。成員に命令するのではなく、独立して動く自由で小規模なユニットをつなげ、人々の問題解決能力を育てていくのである。軍隊やインフラが消滅するわけではないから「命令と管理」のシステムが完全に消えることはない。しかし、先端産業の重心は移動していくだろう。「調整と育成」が無政府状態を意味するわけではない。指導者が紛争をおさめ、個人の才能と創造力を生かし、価値観を提示できる組織には、多様な人間が集まり、自主的な秩序が生まれるだろう。小人口世界において優れた指導者がいる首長国に臣民が集まるのと同じロジックである。

 ここまで読んでくれた皆さんの中には「これは先日亡くなられた稲盛和夫さんの『アメーバ経営』と同じなのでは?」と思った人もいると思います。私もそう思いましたから。稲盛和夫さんは、京セラやKDDIを創業し、日本航空を再生させた偉大な経営者ですが、「アメーバ経営」は6~7人の小集団(アメーバ)を組織して、目標達成を目指す経営方法です。長所も短所もあるようですが、組織が大きくなればなるほど当事者意識がなくなったり、大企業病になることが多いので、うまくはまったようです。

 もちろん私はこれらの話を、校長が学校をどのように方向付けていくのが良いのか、という話として活用しようと考えました。昭和の時代は「命令と管理」で良かったのかもしれませんが、やはりこれからは「調整と育成」の方向だと思います。方向を決めるためには、空港で孝行をしなければなりません。

 

フランス革命

フランス革命

 「自由・平等・友愛」を合言葉に、近代史に最大の劇的転換をもたらしたフランス革命です。この事件は人間精神の偉大な達成である一方で、数知れぬ尊い命を断頭台へと葬った暗い影を持ちます。日本では池田理代子さんの漫画と、それを原作に上演された宝塚歌劇団のミュージカル「ベルサイユのばら」でよく知られています。

 さて今回は遅塚忠躬(ちづか ただみ)さんの「フランス革命 歴史における劇薬」から考えてみましょう。遅塚忠躬(1932~2010)さんは西洋史学者で、特にフランス革命の研究家ですが、この本は1997年に出版された「岩波ジュニア新書」の仲間です。岩波ジュニア新書は特に中学生、高校生を読者として想定されたものですが、大人が読んでも十分な内容です。

 遅塚さんは、歴史を学ぶ意義として「歴史の中に生きた人間たちの、悩みと、過ちと、苦しみと、そしてその苦悩あればこその偉大さとを知って、それに共感し、感動すること」を挙げています。まず、フランス革命を歴史における劇薬ととらえ、それをいろいろと検証していきます。違った形でのフランス革命はできなかったのか、またフランス革命をイギリスのピューリタン革命・名誉革命や、日本の明治維新と比較し、相違点を明確にしていきます。フランスを変えた劇薬の正体は、偉大でもあり悲惨でもある人間たちがあげた魂の叫びであり、巨大な熱情の噴出であったと説きます。革命の中で犠牲となっていった指導者たちの、それぞれの理想が列挙され、彼らの理想が、現在の国連の世界人権宣言や、日本国憲法にも生かされていることを述べています。

 遅塚さんは、中学生、高校生の若者の時代をロダンの彫刻である「青銅時代」とし、自分の信じるところに従って生きよ、それには勇気が必要だ。歴史における劇薬であるフランス革命が、あなたに勇気を与える、と結んでいます。平易な文章の200ページの新書ですが、熱い思いが伝わる、素晴らしい内容でした。内容はないようではなくて、あるよう。

 

 

大人からくる意見は聞くな

大人からくる意見は聞くな

 絵本作家の五味太郎さんが、10代の若者に対して発言をしています。

 「大人には大雑把に分けて2種類の人間がいるということ。充足した人間と、そうでない人間。それで、どうも若い人に何かと指導したり、いろいろ言ってきたりする人は『何か自分に不足があって言ってくるんだ』というのを、敏感に感じてた」

 「充足している大人は、自分からは何も言わない。穏やかに若者を見ている。俺は中学では体操部で、そこでも、すぐに何か言ってくる大人と、じっと見ている大人がいた。いろいろ言ってくる人は『根性が足りないんだ』とか言うけど、それを聞いても混乱しちゃう」

 「だから、あえて今の若者に何か言うなら『大人からくる意見は聞くな。必要だったら、自分から質問しなよ』参考になるのは、自分からは言ってこない穏やかな大人だから」

 「だから、心ある大人はガキに何も言わないでやってくれ。『その一線を越えるとダメだ』ということ以外は、ぐっとこらえてほしい。問題をつくっているのは、いつも大人。そのことに気づかない限り、社会は是正できないよ」

 学校という場所は、子どもを育てる所ですから、先生が生徒に何も言わないということはありえません。しかし最近では、どうも先生が小さな事まで言い過ぎではないかと感じることがあります。見て見ぬふりをするというのではなく、穏やかに見守っているということも必要ではないかと思います。自分から、設問に質問できるくまモンが良いですね。

 

暴君

暴君

 さもなければ 

 完璧だったのに。大理石の堅固さ、盤石(ばんじゃく)のゆるぎなさ

 万物を蔽(おお)う大気の自由さを手にできたはずだ。

 ところが今や、疑惑と恐怖に押し込められ、

 閉じ込められ、苦しめられる。

 

 野望と被害妄想に取り憑かれた男のこの言葉は、ロシアのプーチン大統領のものではありません。今から400年以上前に「ウィリアム・シェイクスピア」によって書かれた戯曲「マクベス」第3幕第4場からのものです。「マクベス」は、勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが、妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復習に倒れるという物語です。

 シェイクスピア研究の大家である「スティーブン・グリーンブラッド」が書いた「暴君」では、マクベスの台詞を引用しつつ、次のように書いています。

 「シェイクスピア作品を通してずっとそうであるように、暴君の態度は病的なナルシシズムに傾く。ほかの連中の命などどうでもよいのだ。重要なのは、自分が『完全』で『揺るぎない』と感じられることだ。宇宙など粉々になるがいいのだ。そうマクベスは妻に語っていた。天地がひっくり返ればいいのだ」

 「暴君とは、際限のない自意識、法を破り、人に痛みを与えることに喜びを感じ、強烈な支配欲を持つ人物。病的にナルシシストであり、この上なく傲慢だ。何だってやれると思い込み、自分には資格があるとグロテスクに信じている」

 歴史上に名前を残した「暴君」の例として、ヒトラーやスターリンが挙げられますが、プーチンも彼らの仲間入りをするのでしょうか。また、日本も含めいろいろな国家の「指導者」たちにも、どこか当てはまることはないでしょうか。もっと言うと、企業の社長や官庁の事務次官、権力を行使できる立場にある人たちは、いつの間にかこのような傾向を持ってしまわないでしょうか。暴君は校訓をもとにして、王君の真似をすべきです。

 

スライスようかん

スライスようかん

 創業200年以上の京都の老舗和菓子店「亀屋良長」が食パン用「スライスようかん」を考案し、ヒット商品になったそうです。

 「ようかんを食パンのトースト用にアレンジした商品です。小倉ようかんを2、5ミリにスライスし、真ん中に塩入りのバターようかんをのせ、けしの実をトッピングしたものです。トーストするとあつあつの小倉バタートーストができます。2018年の秋から販売しています」

 発案した女将の吉村由依子さんは、発案のきっかけを語りました。

 「二人の子どもの朝食を作る中でひらめきました。長男はスライスチーズをのせたトーストが好き。一方、次男はあんこが好きで、トーストしたパンにあんこをぬっていました。でも、あんこは冷えると硬く、ぬりにくくて面倒で。『チーズみたいに簡単にできたらいいのに』と思ったのです」

 原因はいろいろあるのでしょうが、和菓子離れは深刻な状況のようです。ヒット商品はどうしても洋菓子の方が多く、また若者はあまり和菓子を食べない傾向があるようです。

 私は朝食にはお米を食べることが多いですが、このスライスようかんがあれば食パンも良いかなと思います。ようかんは、ようかんで食べないといけません。

県庁インターンシップ

県庁インターンシップ

 毎年夏休みの期間に、2005年から兵庫県内の高校生を対象にして、公務員の仕事を体験する「県庁インターンシップ」が実施されています。高校生に目標を持って進路を選択できるようになってもらおうという趣旨で、2022年度は県内39の高校から70人が参加しました。8月22日の開講式では藤原俊平教育長が配置通知書を手渡し、生徒の代表は「実際に働く体験を通して兵庫県を担う一員としての心構えを学びたい」と述べたそうです。

 今年度本校からも2年次のA君が県庁インターンシップを希望し、採用されました。もともとA君は進路先として公務員を希望していることもあり、やる気満々で臨んだようです。配置先は県庁の教育委員会事務局のB課になりました。教育委員会事務局の仕事は多岐に渡りますが、個人情報等も扱っているため、高校生にやってもらえる仕事には限度があります。今回、A君は差し支えのない範囲でのデータの確認等の仕事を与えられたようで、期間中毎日黙々と取り組んでくれたようです。

 22日から26日までのインターンシップが終わった後、B課で働く私の知り合いのCさんからメールをもらいました。「香寺高校のA君の仕事ぶりが素晴らしかった。できたらB課で勤めて欲しいくらいです」というものでした。更に、私の知り合いのB課のD課長からもメールが届きました。「決裁板に挟んだ伝票状の資料と認定証などを一つ一つ確認している姿は、まるでずっと以前から、当課に座っている課員のように見えました」素晴らしいお褒めの言葉をいただきました。

 A君のように、周りの大人たちを感心させるような体験ができたことは大変素晴らしいことですし、今後の高校生活にも生かされるものと思います。またこの夏休みの期間中、香寺高校の生徒たちは色々な場所で多くの経験をしてくれたと思います。高校での補習への参加、クラブ活動での大会や発表会への参加、オープンハイスクールでの中学生への案内等、普段の授業ではあまり経験できないような体験ができた人も多かったのではないでしょうか。9月からも「チーム香寺」で頑張っていきましょう。

 

島守の塔

島守の塔

 島田叡(しまだ あきら)さんを描いた映画「島守の塔」が公開されています。島田さんは1901年神戸市に生まれ、旧制神戸二中(現県立兵庫高等学校)から第三高等学校、東京大学に進み、旧内務省の官僚として活躍し、1945年1月、沖縄最後の官選知事として戦争末期の沖縄に赴任し、6月に行方不明となりました。知事としての在職期間はわずかでしたが、台湾から米を確保するなど、沖縄の人々のために尽力されました。

 島田さんは学生時代から野球に打ち込み、優秀な選手だったようです。沖縄県では奥武山公園内の多目的グラウンドが「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と命名されています。また、秋に開催される沖縄県高等学校野球新人中央大会の優勝校には「島田杯」が授与されることになっています。映画の中で、俳優萩原聖人さんが演じる島田叡は、俳人である正岡子規(彼も野球好きで有名だった)の「筆まかせ」の一節を披露します。

「実際の戦争は危険多くして損失夥(おびただ)し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」

 野球も含め、スポーツや文化活動等は、平和な世の中でないとやっていくことができません。この映画では島田知事に仕える「比嘉凜(ひが りん)」役を、戦争当時は吉岡里帆が演じていますが、戦争を生き延びた凜は、映画の最後で島守の塔に手を合わせに来ますが、その役を香川京子が演じています。吉岡里帆と香川京子が同一人物であるという証明も見事な映像でした。

 ベースボールを野球と訳したのは島田さんではないようですが、普通なら「塁球」ですよね。さて、問題です。次の日本語は何の球技のことでしょうか。

1 排球(はいきゅう) 2 籠球(ろうきゅう) 3 撞球(どうきゅう) 4 羽球(はねきゅう) 5 門球(もんきゅう) 6 蹴球(しゅうきゅう) 7 送球(そうきゅう) 8 闘球(とうきゅう) 

では答えです。1 バレーボール 2 バスケットボール 3 ビリヤード 4 バドミントン 5 ゲートボール 6 サッカー 7 ハンドボール 8 ラグビー

昔の人は偉かった。

 

 

鴎外森林太郎(おうがい もり りんたろう)

鴎外森林太郎(おうがい もり りんたろう)

 2022年は森鴎外の生誕160年、没後100年の年に当たります。明治時代の文豪としては、夏目漱石と森鴎外の2人が有名ですが、ご承知の通り、森鴎外は陸軍の軍医という職業も持っていて、その活動量には素晴らしいものがあります。多彩な小説はもちろん、翻訳や論争や雑誌活動に精魂傾け、学問と芸術の世界を自由に歩き回りました。1971年に出版された岩波書店「鴎外全集」は、全38巻もあります。

 森林太郎は1862年、石見国(いわみのくに)今の島根県津和野に生まれ、1872年一家で東京に出ます。東京医学校(後の東京大学医学部)に学び、陸軍の軍医となります。1884年ドイツ留学の命を受け、4年間ドイツに滞在します。そのときの体験をもとに、ドイツ三部作が執筆されますが、そのうちの一つが、高等学校の国語の教科書に取り上げられている「舞姫」です。鴎外がモデルと思われる主人公の「太田豊太郎」が舞姫である「エリス」と恋に落ちますが、豊太郎は自分の将来を考えてしまいエリスを残して帰国してしまうというストーリーです。事実とは異なった部分も大きいようです。

 初期の鴎外は、海外文学の翻訳を多数出版しました。また俳句や短歌も数多く作り、歴史小説も書き始め、「山椒大夫」や「高瀬舟」などの作品を出します。史伝としての「渋江抽斎」も有名です。

 1922年、体調を崩した鴎外は遺書を口述します。「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」(原文では平仮名部分はカタカナになっている)墓石にも森林太郎とだけ彫るように伝えます。江戸、明治、大正を駆け抜けた60年の人生でした。最後に1911年に「文芸断片」として次のように書いています。

「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」

 現在のどこかの国の政治家に聞かせてやりたい文章を、今から100年以上前に書いていました。鴎外の人生は、法外で郊外で風害で当該なものでした。

 

亜鉛の少年たち

亜鉛の少年たち

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんが書いた「亜鉛の少年たち」です。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんは1948年、ウクライナに生まれた作家、ジャーナリストです。「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」「アフガン帰還兵の証言」「チェルノブイリの祈り」等の作品で知られ、2015年にジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞しました。

 今回の作品「亜鉛の少年たち」ですが、1979年から1989年の10年間も続いたアフガニスタン戦争で、ロシア人の若者たちが「国際友好の義務を果たす」という政府の方針で送り出され、「亜鉛の棺」に納められて帰国してきた様子を聞き取り、書き留めた戦争の記録であり、91年に出版され、95年に日本語版が出版されました。ところが93年ベラルーシで、「亜鉛の少年たち」に登場していた証言者たちが、アレクシエーヴィチさんを相手どり、次々に裁判を起こします。この裁判は支離滅裂なもので、「黒幕」としてベラルーシ政府関係者による「政権に不都合なことをいう輩は裁判にかけるなり圧力をかけるなりして黙らせろ」という力がはたらいたものと思われます。アレクシエーヴィチさんはこの裁判の記録等も含めた新しい「亜鉛の少年たち」を2016年に出版し、2022年日本語訳の刊行となりました。

 一人一人の若者である兵士や、その母親に対する丁寧な聞き取りを続け、戦争の悲惨さを表現する。そして、敵対する勢力からの裁判闘争にも、記録をもって対抗する。すごいことをやってのける人物です。そして今、アレクシエーヴィチさんが生まれたウクライナが戦争状態になっています。早く平和な毎日が取り戻せるようにしたいものです。戦争で死んでしまって、亜鉛の棺に入れられると、もう二度と会えんのですから。

 

中国の故事と名言500選

中国の故事と名言500選

 私の本棚から一冊を紹介します。「中国の故事と名言500選」平凡社 奥付を見ると1980年7月1日初版第5刷発行とありますから、もう40年以上前のものです。当時大学生だった私には、上下二巻組で2800円という金額はかなり高い買い物だったと思われますが、すっかり忘れていました。

 この本で取り上げられている約500の語句は、古来わが国で使い慣わされている語句の中でその典拠を中国の古典に持つもの、になります。昔の書籍はこんな風に小さい活字で700ページもありますから、全体を読み通すことは大変です。一つだけ例を挙げます。

 折檻(せっかん)という言葉は現在では「厳しく意見を加える」「責めさいなむ」という意味でよく使われます。子どもを虐待するときにも、折檻という言葉が使われたりします。しかし、もともとは「強く諫(いさ)める」という意味です。出典は「漢書」という前漢の歴史を録した正史の中の「朱雲伝」。朱雲(しゅうん)という人の話です。漢の成帝(せいてい)の時代に、当時丞相(じょうそう 今の総理大臣にあたる)だった張禹(ちょうう)という人物が勢力を持っていました。しかし勇気と腕力があり、人柄も学問にも優れた朱雲は、張禹は卑しい人物で、斬ってしまおうと考え、そのことを帝に進言しました。帝は怒って、朱雲を捕まえようとしますが、朱雲は宮殿の檻(手すり)にしがみついて動こうとしません。朱雲と帝の家来は「檻が折れて」地上に落ちました。それでも帝を戒めようと朱雲は叫び続けたため、成帝も機嫌を直して、朱雲を罰することを思いとどまりました。その後、折れた檻(手すり)を修繕することになりましたが、帝は「取り替えなくともよい。そのままつなぎ合わせておいて、直言の士を顕彰することにしよう」と言ったと伝わっています。

 折檻は、この話の「檻が折れた」ことから出た言葉で、もともとは手すりが折れるくらいに「強く諫める」という意味です。このように、もともとの意味から転じて違う意味になっている言葉はたくさんあります。言葉は、波止場で蹴とばして出来上がっていきます。

 

 

目薬・日薬・口薬

目薬・日薬・口薬

 ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)という言葉があります。どうにも答えの出ない事態に直面した時に性急に解決を求めず、不確実さや不思議さの中で宙づり状態でいることに耐えられる能力、を意味する言葉です。もとは19世紀の英国の詩人キーツが、詩人が対象に深く入り込むのに必要な能力として使った言葉でした。

 このネガティブ・ケイパビリティという言葉を紹介してくれたのは、作家で精神科医の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんです。彼のこのペンネームは源氏物語五十四帖の第二帖帚木(ははきぎ)と第十五帖蓬生(よもぎう)からとられたものだそうです。

 病気と長く付き合わなければならない患者さんと向かい合う時「病気を治そう」という考えだけではどうにもならない場合があります。そんなとき、ネガティブ・ケイパビリティによると、三つの薬が考えられます。

 一つ目は「目薬」。「あなたの苦しみは私が見ています」という目薬。

 二つ目は「日薬」。「何とかしているうち、何とかなる」という日薬。

 三つ目は「口薬」。「めげないで」と声をかけ続ける口薬。

 患者さんは難しい状態にあっても、何とかこれでやり過ごすことができます。人間の復元力は、早さとは異次元の所で発揮されますから、早さばかりが頭にあると、つまずきやすいものです。

 社会の問題に向き合う時も、ネガティブ・ケイパビリティは役立ちます。「みんなが言うから自分も」という付和雷同を慎み、待てよ、と踏みとどまる。極論に走らず、真ん中を見通すための、知性と歴史観を持つことが大切だと思います。

目薬・日薬・口薬、近代医学からすれば、とても薬とは呼べないものばかりのような気もしますが、人間は機械ではないので、それぞれの人に合った治療法があってもかまわないと思います。薬は、なすりあいや、こすりあいや、かすりあいにせず、ヤスリでユスリあいにすると大丈夫です。

 

 

桜桃忌

桜桃忌

 6月19日は、作家太宰治の命日で「桜桃忌(おうとうき)」と呼ばれています。この名前は、同郷の作家「今官一(こん かんいち)」によって命名されました。ご存じのように、太宰治は38年の生涯を心中自殺で終えましたが、国語の教科書にも掲載されている「走れメロス」や「斜陽」「人間失格」等の小説で、よく知られた存在です。

 これまで私は、桜桃忌という名前のもとになった「桜桃」という小説を読んだことがありませんでした。他にも有名な作品は多いのに、なぜ桜桃なのだろう、と思っていました。さて、「桜桃」は太宰の死の一月前の5月に執筆された、文庫本で10ページ余りの短編小説です。太宰と思われる小説家の主人公と、3人の小さな子供を抱えた奥さんとの「夫婦喧嘩」の小説です。冒頭は「子供より親が大事、と思いたい」で始まります。晩年の太宰はこうした本来あるべき言葉を「逆に」使用することが多かったそうです。一般的には「親より子供が大事」というべきところです。そして、夫婦喧嘩に耐え切れずに家を出て、酒を飲みに入った店で「桜桃が出た」。そこまでのシーンは、苦しい生活や子供のことが述べられていて、色彩的には、暗い、グレーな感覚が続いていたのです。残り7行となった、最終盤に、桜桃です。そこでパッと鮮やかな色彩が目に浮かびます。ミカンやリンゴではダメだったでしょう。ここはサクランボが相応しい。桜桃によって、キリリと引き締まった感じがする作品になっていると思いました。

 サクランボも応答しないと、高騰して、封筒に入ってしまいます。

 

 

みんなちがって、みんないい

みんなちがって、みんないい 

 毎年8月後半には、中学生向けのオープンハイスクールが実施されます。今年の中播磨地区は8月23日、24日に予定されています。香寺高校学校ではこの日に向けて、中学生向けのパンフレットを作成するのですが、その中に「みんなちがって、みんないい」というフレーズが取り上げられています。ご存じの方も多いと思いますが、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩の一節です。

 私が両手をひろげても

 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥は私のやうに、

 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、

 きれいな音は出ないけど、

 あの鳴る鈴は私のやうに

 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、

 みんなちがって、みんないい。

 金子みすゞさんは1903年に山口県で生まれ、約500編の詩を遺しましたが、26歳の若さで亡くなります。没後半世紀はほぼ忘却されていましたが、1980年代に脚光を浴び、再評価が進みました。

 現代は多様化の時代ですから「みんなちがって、みんないい」というフレーズには説得力があります。多様化については、さようか、という寛容の心が大切です。

 

 

給料はあなたの価値なのか

給料はあなたの価値なのか 

 アメリカの社会学者であるジェイク・ローゼンフェルドさんが書いた「給料はあなたの価値なのか(みすず書房)」という本を紹介します。

    私たちが労働の対価として受け取る給料ですが、その額はあなたの市場価値の反映なのでしょうか。この本の著者による大規模なアンケート調査によると、給料をもらう人も、給料を払う人も、給料額を決定する要因として最も大切なものは「個人の成果」だと考えていました。それが事実だとすると、高い給料をもらう人は、個人の成果が優れているということになりますが、著者はその考え方を全否定します。その考え方は「神話(昔から伝えられてきているが、事実とは異なる)」であるとしました。

   給料を決定する要因は「権力、慣性、模倣、公平性」の4つだとします。そうすると、コロナ渦の中で注目された「エッセッシャルワーカー」医療・福祉、保育、運輸・物流、小売業、公共機関等に従事する人たちの給料が、安すぎることになります。アメリカでは(日本でも)巨大企業の経営者の給料は異常に高くなっています。これは行き過ぎた「株主資本主義」のためであり、株主の利益と経営者の利益が一致し、企業に留保された資本が株主と経営者に向かい、従業員の給料上昇に結びついていません。

 では、どうすれば改善されるのか。最低賃金を大幅に引き上げる、経営者等の多額の給料には大きな税金をかける。Amazonやスターバックスでも始まった、労働者の組合を結成する。年功序列の給与体系を導入する。色々な提案がなされています。

 改めて「給料はあなたの価値ではない」ということが分かりました。あなたの価値を決めるものは、土地の土を耕し、町を支え、道を守り、口を出す余地を作り、素晴らしい落ちを考えることです。

 

晴れの日は枝が伸びる

晴れの日は枝が伸びる 雨の日は根が伸びる 

 実業家の福島正伸さんの言葉です。私も初めて聞いた言葉なのですが、含蓄があるな、と思ったので紹介します。

 日によって天気は異なります。晴れの日も雨の日もあります。一般的には、晴れの日が良くて、雨の日は悪いという感覚ですが、植物にとって、またため池やダムにとっては、雨はなくてはならないものです。1人の人の人生にも、晴れの日も雨の日もやってきます。天気がどうであれ、植物は生長していきます。人間も同じで、成長を続けるのですが、伸びる部分が異なるというわけです。

 例えば物事がうまく行っているときは「これは晴れの日だから、枝が伸びている」と思えます。逆に困難に直面したときは「これは雨の日だから、苦しいけれども、今は根が伸びている時期であると考えて、何とか頑張ってみよう」と思うようにしましょう。

 どちらかというと、うまく行くことの方が少なくて、しんどい思いや、つらい思いをする方が多いのですが、気持ちの持ちようでかなり異なることも事実です。苦しい時こそ、自分のこれまでの経験や、昔の人たちの考え方を参考にすることが大切です。

 伸びるのは、身長や体重は結構なのですが、麺類は伸びると美味しくありません。

 

 

道半ば 

道半ば 

 もう20年くらい前の話です。私より5歳くらい年配で、大変お世話になったある中学のバスケットボール部顧問の先生がいました。当時は高校生はハーフ20分の前後半、中学生はハーフ15分の前後半で試合をしていましたから、高校の先生が中学の大会で審判をすると「短いな、もう終わり」と感じたし、中学の先生が高校の大会で審判をすると「いつまで続く、長いな」と感じたはずです。その先生がその年の3月で日本公認審判(現在のシステムでは、B級公認審判 当時中学の先生で日本公認審判の資格を持っている人は少なかった)をリタイアすることになり、お疲れ様の宴会をしたときの話です。

 「私は公認審判はリタイアしますが、バスケットボール部顧問としてはこれからも頑張っていきます。まだまだ道半ば(みち なかば)です」

 この言葉はもともとは「どこかへ行く途中」という意味ですが、多くは「何かを成し遂げる途上」という意味で、まだ達成できていない事を表します。この先生の「道半ば」という発言を今でも覚えています。それまでもチーム作りに尽力し、多分普通の中学の先生の仕事も、求められる以上のことをやってきたと思います。それでも「道半ば」ということは、私なんて「鼻くそ」みたいな物だなと思いました。

 私も60歳を過ぎ、世間ではリタイアの年齢に入りつつあります。本来でしたら「これまで良くやってきたな」と振り返って自分を褒めたいところですが、まだまだ「道半ば」だと思っています。もうしばらくは、香寺高校をより良い学校にするために、頑張っていきたいと思っています。

 道半ばでは、若葉の季節に、近場の酒場で飲み過ぎて、墓場へ行ってしまってはいけません。

 

世阿弥 最後の花

世阿弥 最後の花 

 室町時代の有名な猿楽師である世阿弥です。観世流の能として現代にも受け継がれていますし、著書である「風姿花伝」は能の理論書としても、また芸道書とも読め、昔から多数の読者を獲得してきました。

 三代将軍の足利義満に気に入られ、名声を得ますが、六代将軍足利義教からは弾圧を受け、罪のないまま72歳にして佐渡島へ流刑されてしまいます。世阿弥の佐渡での様子を著した小説が藤沢周さんによる「世阿弥 最後の花」です。

 実は世阿弥についてはよく分かっていないことが多くあり、佐渡へ流されたのは間違いないようですが、その後許されて京に戻ったという説と、佐渡で生涯を閉じたという説があります。

 藤沢周さんは、史実を踏まえながらも、佐渡で出会う魅力的な人間を多数配置し、老いた世阿弥が「最後の花」を咲かせる舞台を創造していきます。この小説を書くにあたり、彼自身も観世梅若流(かんぜうめわかりゅう)の謡(うたい)と仕舞(しまい)を稽古するようになり、文章に説得力が増すことになります。昔から罪人が流されてきた佐渡島ですが、その地にあって、世阿弥が亡き父親や息子を思い、ほぼ命がけで雨乞立願能(あまごいりつがんのう)を舞い、佐渡の仲間たちと「西行桜」を完成させる。私も読みながら佐渡島で能舞台を見ているような気分になりました。

 能は、Noと言わずに、Know(知っておく)べきものですね。

 

 

老化は進化

老化は進化 

 「老化」は「進化」です。すごいフレーズですが、小泉今日子さんの発言です。小泉今日子といえば、1982年にデビューした「アイドル」で、この年は堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優、中森明菜、シブがき隊と「花の82年組」がデビューした、キラキラの年です。KYON2(キョンキョン)の愛称でも知られますが、彼女も芸能活動40周年を迎え、56歳になりました。

 「老化は進化です。40代ぐらいからちょっとずつ自分の変化を・・・心も体も感じながら生きているんですけど。56歳になった今、感じるのは、自分が思っているより世界はずっと広くて、その広さが反比例みたいな感じで、年を重ねるごとに広くなっていくっていうイメージですね」

 「物はとらえようで、老眼になったりしたら『ここまでやっときた』『みんなが言っていたのはこれなんだ』みたいな。そういうのを楽しんでいる」

 「今度は老人のイメージとか価値観を変えていきたい。新しい価値観を何か見つけて、みんなに提示したかったりする。例えば、朝クラブに集まるとか、そういうのを考えるのが楽しい」

 当時の若者たちに大人気だったKYON2です。私が大学生の時に、学園祭にKYON2が歌いにやってくることが決まり、大騒ぎになって、大騒ぎになりすぎて、結局中止になったことを思い出します。「なんてったってアイドル」ですから、AドルやBドルではなくて、Iドルですね。

 

 

非家の人

非家の人 

 読書をしていると、それまで自分が知らなかった言葉を発見することがあります。私にとっては「非家(ひか)」という言葉もそうでした。この言葉は「専門家ではない、素人(しろうと)である」という意味だと知りましたが、この言葉の使用例として、兼好法師の「徒然草」第187段が挙げられていました。

 万(よろず)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛み(ゆるみ)なく慎しみて軽々しくせぬと、偏へ(ひとえ)に自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作のみにあらず、大方の振舞・心遣いも、愚かにして慎めるは、得の本なり。巧みにして欲しきままなるは、失の本なり。

 それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で上手な人と並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが自分の生きる道(天職)であると思い、その技芸・知識を慎んで訓練して軽々しく扱わないことと、素人が自由気ままに練習して上達を目指すことの違いである。

 芸能や儀礼の所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。技術が優れているからといって好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。

 「万の道の人」は「非家の人」に負けるはずがない。なるほど、プロゴルファーとアマチュアゴルファー、プロ将棋棋士とアマチュア将棋棋士、これは勝てそうにないですね。ではベテランの先生と初任の先生、ではどうでしょうか。ちょっと怪しい気持ちもしてしまいます。「愚かにして慎める」ことが大事です。非家の人に負けないように、イカをヌカ漬けして食べながら、丘を散歩して、坂を登り、墓参りをしましょう。

 

 

サイエンス コミュニケーション

サイエンス コミュニケーション 

 サイエンス コミュニケーション。あまり聞いたことがない言葉です。「科学に関する意思疎通」とも言うようですが、ますます良く分かりません。

 桝 太一(ます たいち)さんは、日本テレビのアナウンサーで、いろいろな報道番組の司会等をやっていましたが、2022年3月に退職して(これまで通り、いくつかのテレビ番組には出演している)同志社大学ハリス理化学研究所の専任研究所員に転出しました。その動機は「サイエンス コミュニケーションについてもっと深く考えて実践したいから」というものでした。

 桝さんは、東京大学農学部でアサリの研究を行い、修士課程を終了したバリバリの理系人間です。アナウンサーとして就職して、科学番組にも携わりましたが、テレビ局の持つ「サイエンスリテラシー」の欠如に違和感を持ったようです。

 京都大学iPS細胞研究所名誉所長の山中伸弥さんも、感染症については専門外としながらも、今回のコロナ渦について、多くの発言をしてきました。その上で、次のように述べています。「科学を進歩させることも大切ですが、難しく感じる科学を一般の方にわかりやすく、かつできるだけ正確に伝える科学コミュニケーションも非常に重要です。それも研究者にとって大事な仕事の一つだと私は考えています」

 「社会の役に立つ研究や学問をするべきだ」という意見もあります。しかし例えばプロのスポーツ競技について「社会の役に立つプロのスポーツ競技をすべきだ」という意見は聞いたことがありません。サッカーでも野球でも好きな人は純粋に好きだから、面白い・感動する・成長できるから競技をしたり、応援をしたりするわけで、そういった意味で、科学も文化の一つとして広まって欲しいと思います。

 手前味噌ですが、香寺高等学校美術工芸部の皆さんと、私による「理科の散歩道」も、科学の普及に少しでも貢献できたらなと思っています。科学や医学は、苦学しながら、長く、磨くことが望まれます。

 

新しい資本主義

新しい資本主義 

 どこかの国の総理大臣が「新しい資本主義」などと言っています。資本主義をどのようにとらえるかは難しいと思いますが、「大量生産、大量消費」「貧富の格差の拡大」「環境に優しくない」等、問題点はたくさんあるように思います。だからといって、資本主義に代わる夢のようなシステムがあるかと言われると、これもまた難しいのが現実です。

 ヤニス・バルファキスという人が書いた、原題「ANOTHER NOW(日本語では「もう一つの現在」くらいが適切)」という本の日本語訳が「クソッたれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」というかなりぶっ飛んだタイトルで出版されました。著者のヤニス・バルファキスという人は、ギリシャ出身で経済学の学者ですが、2015年ギリシャが全国的な経済危機に陥ったときに、チプラス政権の財務大臣に就任し、財政緊縮策(国の予算を小さくする策で、良い面もなくはないが、庶民は困ることが多い)を迫るEUに対して大幅な債務減免(国の借金を、なかったことにしてくれという無茶な話)を主張し、注目を集めた人物です。

 この本の内容を紹介するのは至難の業なのですが、やってみましょう。一言で言えばSFです。現在の資本主義の世界と、それを劇的に改善してできた架空の世界を比較し、個性的な登場人物5人に自由に語らせたという形式です。1980年代、イギリスのサッチャー首相が「There is No Alternative」「(資本主義、市場主義のほかに)選択肢はない」の頭文字を取って「TINA(ティナ)」と言ったのに反対して「That Astonishingly There is An Alternative」「驚くことに選択肢は存在する」の頭文字を取って「TATIANA(タティアナ)」を主張しました。一つの想像上の理想的な社会を考案するのですが、その実現のためには名もなき庶民1人1人の努力と貢献と行動が欠かせないと書かれています。この架空の世界では、商業銀行、株式市場、上司と部下の関係、その他「当然のように存在すると思われるもの」が全く存在しません。まさにSFなのですが、私は絵空事だと笑い飛ばす気にはなれませんでした。

 資本主義の代わりはないことはない。日本にも手本となる見本を作り、絵本になるような基本を大切にしましょう。

 

「正常」が狭められていく 

「正常」が狭められていく 

 私たちは体調が悪いとき、病院へ行って検査を受けますよね。検査の結果「どこも悪いところはないです」と言われることはよくあることです。でも何か病名をつけてもらいたかったり、薬を出して欲しかったりします。これは「正常」な事なのでしょうか。

 人類学者の磯野真穂さんが新聞に書いていました。彼女は大学院生の時に摂食障害の研究を始めました。当時、摂食障害は「拒食症」と「過食症」の大きく二つに分けられていました。ところが「摂食障害の種類がどんどん増えていく」事に気づき、大学院の教授にその理由を尋ねてみました。答えは次のような、びっくりするものでした。

 「新しい疾患を確立すると、それが学者の業績となるから」

 学者の業績のために、新しい疾患が生み出され、その病名をつけられた「患者」からは「自分の状態に病名が与えられ、ようやく肩の荷が下りた」と歓迎される。これは不幸になる人を誰もつくらない、八方良しの状態なのでしょうか。しかし磯野さんは「これはまずい」と考えました。

 「あるべき状態」から外れている人たちを発見し、その人たちに病名を与え、治療の枠組みを確立することは、「正常」の範囲を狭められていく作業に他ならない。そのよい例が、注意欠陥多動性障害(ADHD)である。アメリカの子どもたちの15%がADHDと診断され、その大半が投薬を受けている。この背後には、製薬会社の多額の投資、子どもを薬物で鎮め、願わくば学力向上を図りたい大人の思惑、不明瞭な診断基準があるのではないか。「落ち着きがないのが子ども、という考えはもう古い」としてしまって本当に良いのか。

 人間をどんどん分類していって「障害」が増え続けていくのは、本当に正しいことなのでしょうか。あらゆる事に対して「正常」な人は、本当にいるのでしょうか。色々なことを考えさせられました。正常は、水上で愛情を持って、形状に注意して、退場しないように、平常で最上の結果を求めましょう。

 

 

キーウから遠く離れて

キーウから遠く離れて 

 歌シリーズが続きます。それくらい「私もこの戦争をやめさせることに、何か貢献できないだろうか」と感じているミュージシャンがたくさんいるということです。さだまさしさんの「キーウから遠く離れて」という曲です。歌詞の一部を紹介します。

 わたしは君を撃たないけれど

 戦車の前に立ち塞がるでしょう

 ポケット一杯に花の種を詰めて

 大きく両手を広げて

 わたしが撃たれても

 その後にわたしが続くでしょう

 そしてその場所には

 きっと花が咲くでしょう

 色とりどりに

 さださんがテレビ番組に出演され、この曲を披露するときの話です。

 今度の戦争ってライブで中継があるじゃないですか。ウクライナの老婦人がロシア兵に向かって「帰りなさい!」って抗議しているシーンが流れたんですよ。その人が「あんた、ポケットにひまわりの種、入れておきなさい。あんたが死んだ後、私がその花を眺めてやるから」っておっしゃった。それが胸にこたえましてね。命の捉え方っていろいろあるな、と思って。

 僕は音楽家なので、銃は撃たない、と決めているんですね。じゃ、銃を撃たない僕がどうやって大切な人を守れるんだろうって随分考えたんです。方法は一つしか思い浮かばなかったですね。それは「戦争を始めさせない」っていうことしかないと思うんです。そのためにやっぱり音楽があり、人の心があり、言葉があると思います。きっと言葉は届くと信じてます。音楽っていうのはきっとそういうものだと思うんですよ。痛みだとか悲しみだとか喜びだとか、そういうものを声を出して共感する、元気に変えていく、音楽にはそういう力があると信じています。

 さださんは今年70歳(!)、現役のシンガーソングライターとして活躍中です。70歳は「古希」と言います。「古来希なり(こらいまれなり これだけ長生きをするのは珍しいことだ)」私も古希に向かって、飽きの来ないように、息長く、先を見据えて、好きなように、時を重ねたいと思います。

 

数字のマジック

数字のマジック 

 健康ドリンクか、栄養ドリンクかは忘れましたが、昔こんな宣伝文句がありました。

 「有効成分○○○、1000ミリグラム配合」

これは実は「有効成分○○○、1グラム配合」と同じことですよね。ではなぜ1グラムではなくて、1000ミリグラムを使ったのでしょうか。人間の耳には、1より1000の方が多いように聞こえるからに他なりません。私はこの数字のマジックは、限りなく詐欺に近いものがあるように思います。

 これは、ロシアがウクライナに攻めてきたから、日本を守るために「防衛費を引き上げて、GDPの2%にしよう」という話と似たところがあると思っています。これまで日本という国は、防衛費はだいたいGDPの1%程度を保ってきました。人間の耳には、1%を2%に引き上げることは、小さな金額に聞こえてしまいがちです。しかし、お金の数え方は金額と予算に対する割合で行うことが正しいと思います。

 そこで財務省のホームページより、金額と割合を見てみましょう。22年度一般会計歳出総額107兆6000億円、防衛費5兆4000億円、予算に対する割合は5.0%となります。この金額を2倍にするということは、10兆8000億円、予算に対する割合では10%になります。当然、小さな金額ではありません。

 世界では、軍事費の大きさを対GDP比で数えていることは事実です。また、日本の防衛費の数え方と、NATOの軍事費の数え方は一致していません。NATOの予算では、退役軍人年金や沿岸警備隊の経費、国連平和維持活動(PKO)拠出金等を軍事費にカウントしていますが、日本の防衛費では除外されています。これも見かけ上、防衛費を小さく見せようという忖度があるからなのかもしれません。

 ドリンクの有効成分は大きく見せよう、日本の防衛費は小さく見せよう、数字のマジックに引っかかってはいけません。数字は、冬至の日に、掃除をしながら、工事をして、法事の用事を済ませてしまいます。

 

大河への道

大河への道 

 「シン・ウルトラマン」に続き、今回も映画「大河への道」の紹介です。落語家の立川志の輔さんが、千葉県香取市にある「伊能忠敬(いのう ただたか)記念館」を訪れて、伊能忠敬が製作した「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず 輿地というのは地球もしくは世界のことです)」を見て感動して作った創作落語「伊能忠敬物語 大河への道」を原作として製作された、コメディタッチの現代劇でもあり時代劇の映画です。

 生徒の皆さんもそうだと思いますが、私も「大日本沿海輿地全図」は伊能忠敬が製作したとばかり思っていました。しかし伊能忠敬は1818年に74歳で亡くなっており、地図の完成は伊能組の多くの人たちの努力により、その3年後の1921年になりました。伊能忠敬は村の名主を務めた後、隠居していましたが、50歳(その当時の平均寿命を超えている?)から測量や天体観測を学び、地図の製作を始めました。まさに福澤諭吉の言葉にあるような「一身にして二生を経る」という人生です。この地図は現在の宇宙からの人工衛星写真と比べても、ほとんど一致するほどの正確さです。幕末に開国後の1861年にイギリス海軍が、日本沿岸の測量を強行しようとした際、伊能忠敬の地図を見て、その優秀さに驚いて測量を中止したという程の出来映えでした。

 さて、映画の方は中井貴一、松山ケンイチ、北川景子その他の俳優達が、令和の今の時代と、江戸時代に伊能忠敬が亡くなってから地図を完成する時代との一人二役で物語が進みます。笑いあり、涙ありの素晴らしい作品になっています。チョイ役(と言うと怒られそうですが)で出てくる俳優さん達も、素晴らしい活躍でした。いやー、映画って本当に絵画のようで、大河ドラマになるような名画が多いですね。

 

時代遅れのRock'n'Roll Band

時代遅れのRock'n'Roll Band 

 私のようなおじさん達には、夢のような豪華メンバー達による楽曲「時代遅れのRock'n'Roll Band」が配信されました。桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎の66歳、同級生の5人組です。

 2022年2月に桑田、世良が顔を合わせ、新型コロナウイルスの脅威、全国各地で起きている自然災害、ロシアによるウクライナ侵攻などの話題が出る中で「同級生で協調して、今の時代に向けた発信ができないか」というアイデアをもとに、桑田作詞作曲、5人でボーカル、ギターのこの楽曲ができました。5月21日にラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で初オンエアされ、6月6日にYouTubeで公開されました。少し長くなりますが、歌詞を載せます。

 

この頃「平和」という文字が

朧げに霞んで見えるんだ

意味さえ虚ろに響く

世の中を嘆くその前に

知らないそぶりをする前に

素直に声を上げたらいい

旅路の果ては空遠く

まだ夢叶わずに

回り道を繰り返して

One Day Someday

いつの間にか

ドラマみたいに時代は変わったよ

目の前の出来事を

共に受け止めて

歌え Rock’n’Roll Band!!

我々が居なくなったって

この世の日常は何ひとつ

変わりはしないだろう

そんなちっぽけな者同士

お互いのイイとこ持ち寄って

明日に向かって

Twist and Shout, C’mon!!

…Shake It Up, Baby!!

子供の命を全力で

大人が守ること

それが自由という名の誇りさ

No More No War

悲しみの

黒い雲が地球を覆うけど

力の弱い者が

夢見ることさえ

拒むと言うのか?

One Day Someday

いつになれば

矛盾だらけの競争(レース)は終わるんだろう?

この世に大切な

ひとりひとりが居て

歌え Rock’n’Roll Band!!

闇を照らす

ダサい Rock’n’Roll Band!!

 

 歌詞だけ見ると、いわゆる反戦歌、プロテストソングのようですが、桑田さん特有の音楽にのせると、普通(?)に聞こえます。皆さんも是非YouTube等で聞いてみてください。ロックのおじさん達は、キックして、クックして、コックして、ノックして永遠に不滅です。

 

二刀流

二刀流

 今「二刀流」と言えば、アメリカメジャーリーグの大谷翔平選手の、ピッチャーとバッターの両方へのチャレンジが1番最初に出てくると思います。「二足のわらじ」という言葉もありますが、昔の日本ではあまり良いイメージではなかったように思います。一つの道を果てしなく究めることの方が、素晴らしいという感じでしょうか。

 しかし昔にも非常に高いレベルで「二刀流」を極めた人もいました。1946年生まれのきたやまおさむ(本名 北山修)さんです。きたやまさんといえば、1967年にザ・フォーク・クルセイダーズというバンドに所属し「帰ってきたヨッバライ」が300万枚近い大ヒットになりました。当時としては全く新しい「何や、これ」みたいな音楽でした。その後も「戦争を知らない子どもたち」の作詞をするなど、作詞家、音楽家として活躍しました。その頃、彼は京都府立医科大学の学生でもありました。きたやまさんは音楽活動をする時は平仮名の「きたやまおさむ」を用い、心療内科、精神科の医師として活動するときは漢字の「北山修」を用いました。

 「『裏』は大事です。『楽屋』と言ってもいいのですが、すべて表だと人はつらくなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が、誰しも必要です。私にとっては大学でした。私が、不特定多数とやりとりする表では平仮名の名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じです」

 きたやまさんの現在の肩書きは作詞家、精神科医、白鴎大学長と「三刀流」になっています。

 「人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、むなしさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリアムの時間も必要でしょう。学長としては授業に来なくていいとは言えませんが」

 きたやまさんほど高いレベルで、複数の事をやり遂げることは難しいと思いますが、私も「おやじギャグラー」「理科の散歩道執筆者」「県立高校の教員」の三刀流(?)で頑張っています。

 

アンパンマン

アンパンマン

 生徒の皆さんはアンパンマンを知っていますよね。超有名なキャラクターですから、知らない人はいないと思います。

 「やなせたかし」さん(1919~2013)作・絵の「あんぱんまん」がフレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」に掲載されたのは1973年のことですから、来年で50周年ということになります。

 「砂漠の真ん中で倒れていた旅人や、森で迷った子どもに、自分の顔を食べさせる。顔がなくなったあんぱんまんは、ぱんづくりのおじさん(最初は『ジャムおじさん』という名前がなかった)に新しい顔をつくってもらい、再び『おなかのすいたひと』を助けるために空へ飛び立つ」というお話しでした。

 発表された当初は「顔を食べさせるなんて残酷だ」「図書館に置くべきではない」「こんな絵本はもう描かないでください」などと言われ、反響はあまり良くなかったようです。

 それでも1988年にテレビアニメとして放送されると、全国的な大ヒットとなります。テーマ曲の「アンパンマンのマーチ」はみんな歌えると思います。フレーベル館から出版されたアンパンマンの絵本は、約580タイトルにのぼり、累計部数は8千万を超えるそうです。

 アンパンマンには数多くのキャラクターが登場しますが、覚えやすいネーミングでもあります。悪者のはずの、ばいきんまんも憎めない存在です。アンパンマンは戦いもしますが「分け与える」ことが主になっていることが素晴らしいと思います。

 アンパンマンも調べてみると、歴史があり、私が知らなかったことがたくさん出てきました。物事を探究すると、阪急電車が運休して緊急事態になり、サンキューと言われそうです。

 

シジュウカラの声

シジュウカラの声

 言葉を用いて、他者と会話できるのは人間ホモ・サピエンスだけでしょうか。例えば、イルカやサルは会話をしていそうな感じはしますよね。京都大学白眉センター特定助教の鈴木俊貴さんは、シジュウカラという鳥は、鳴き声でお互いに会話ができることを約10年かけて確認しました。どうやったらそんなことが分かるのでしょうか。

 鈴木さんは1年の大半を軽井沢で過ごし、シジュウカラを観察するうちに、鳴き声から20以上の単語を持つことを見つけました。例えば「ヂヂヂヂッ」はエサ等を見つけたから「集まれ」という意味です。「ピーツピッ」と鳴くと、周囲をキョロキョロとし始めるので「警戒せよ」という意味です。これだけなら一つの鳴き声が一つの意味を持つ、でおしまいですが、私が感動したのはこの次の研究です。「ピーツピッ、ヂヂヂヂッ」と鳴くと「警戒せよ、集まれ」の意味ですから、シジュウカラは複数で群がり、モズを追い払いました。ところが語順を変えて「ヂヂヂヂッ、ピーツピッ」という声を聞かせても、何の反応も示しませんでした。シジュウカラは二つの単語の語順を認識しているわけです。

 カラスを見た親鳥は「ピーツピッ」と鳴くと、「警戒せよ」ということですからヒナ達は鳴き声を静めてうずくまることが分かりました。アオダイショウというヘビが巣箱に迫ってきたとき、親鳥が「ジャージャーッ」と鳴くと、巣箱の中にいたヒナが一斉に飛び出してきました。これだけでは「ジャージャーッ」という鳴き声が「ヘビだ」なのか「巣から逃げろ」の意味なのかがわかりません。鈴木さんは親鳥達に「ジャージャーッ」という音を聞かせると、まず地面を見て、それで見当たらなければ、木の穴や茂みまで探しに行くことに気づきました。そして音と同時に、木を這うヘビのように木の枝を動かしてみました。「ヂヂヂヂッ」や「ピーツピッ、ヂヂヂヂッ」の時には木の枝には見向きもしなかったシジュウカラは「ジャージャーッ」の時だけ1メートル以内にまで近づいて、木の枝を確認しました。この実験の結果「ジャージャーッ」という鳴き声が「ヘビ」という単語であり、ヘビそのものをイメージしていることが分かりました。

 鈴木さんはシジュウカラだけではなく、他の動物たちも言葉を用いて会話しているのではないか、と考え「動物言語学」という学問を立ち上げようとしています。人間ももう少し言葉を大事にしないと、波止場から海に落ちて始終カラになってしまいそうです。

 

新しい世界の資源地図

新しい世界の資源地図

 さて、今回はダニエル・ヤーギンが書いた「新しい世界の資源地図」の紹介です。ヤーギンは、1947年ロサンゼルス生まれの経済アナリストで、特にエネルギー問題に詳しく、1992年に書いた「石油の世紀」でピューリッツアー賞を受賞していますが、この年に湾岸戦争が始まりました。今回新作の「新しい世界の資源地図」の日本語訳が2022年2月10日に出版されましたが、その2週間後にロシアがウクライナに侵攻しています。日本経済新聞の書評は「不吉な著者である」という言葉で始まっています。

 500ページを超える書物なので、読了するのには骨が折れましたが、骨折はしていません。最近流行の地政学的視点から気候変動とエネルギー革命を鋭く分析した一冊になっています。全体は6部で構成されています。

1「米国の新しい地図」 アメリカはシェールオイルとシェールガスの「発見」によって、自国の燃料をまかなう以上に、エネルギー輸出国になった。石油の三大輸出国がサウジアラビア、ロシア、アメリカになったことの影響が大変大きい。

2「ロシアの地図」 石油と天然ガスを商品にして、プーチン大統領の野望がある。ウクライナに対する圧力をかけたい。(ヤーギンがこの本を書いた時点では、まだ戦争にはなっていないが、いつ開戦しても不思議ではないことが分かる)

3「中国の地図」 南シナ海を自国のものとし、一帯一路で市場とエネルギーを確保したい。

4「中東の地図」 石油と天然ガスの一大産地だが、イスラム教のシーア派イランと、スンニ派サウジアラビアの覇権争いの行方が見えない。

5「自動車の地図」 内燃機関の自動車の未来はない。電気自動車、自動運転車、ライドヘイリング(ウーバーなどが提供する、自動車による送迎サービス)の時代になる。

6「気候の地図」 化石燃料から再生可能エネルギーへの転換が進む。水素エネルギーの利用と、太陽光、風力発電がどれくらい進むか。

 例えば、アメリカでシェールオイルがなければ、アメリカはエネルギー確保のために、中東やロシアともっと友好関係を深めねばならなかったし、電気自動車の普及が進めば、ロシアの石油は売れなくなるし、気候変動を避けるためには、中国のエネルギー消費はこのままではありえないし、数多くの出来事が互いに密接に絡み合っている状態だ、ということです。

 新しいマップ(地図)を作るには、モップを持って、ラップを歌ってタップを踊りながら、コップにホップを入れて、トップを目指さなくてはなりません。

 

超早期教育

超早期教育

 「這えば立て、立てば歩めの親心」ということわざがあります。はいはいができるようになったら、次は立ち上がる。立ち上がることができるようになったら、次は歩く。親は子供の成長を楽しみにしているものです。

 こういった親の願いが極端に出てしまうと「超早期教育」ということになってしまいます。例えば、子どもが母親の胎内にいるうちから「あいうえお」の読み聞かせをしたり、乳児期に数学や英語を教えたりするというようなことです。これには、親の不安をあおる教育産業が絡んでいることもあったようです。

 先日亡くなられた俳優の柳生博さんが、今から20年以上前に、この超早期教育について、発言されていました。

 「どうか弱い子どもたちをムチ打たないでほしい。幼い頃から『他人より少しでもいい大学・いい企業』という価値観を押し付けるのはおかしいよ。その結果、かりに他人より有利な地位についたとして、そこに人としての幸せがあるのだろうか。母親たちをそんな競争に駆り立てる企業の経済的な価値観に、僕らの宝物である小さな子どもたちを組み込むのは許せんのだよね」

 早期教育は行き過ぎると、納期を守らず、ほうきで掃いて、空気のような陶器になってしまうかもしれません。

 

ウルトラマン

ウルトラマン

 懐かしのウルトラマンです。最初の「ウルトラマン」は1966年から67年にテレビ放映されましたので、私が5歳~6歳の時で、今でもしっかりと覚えています。映画「シン・ウルトラマン」が封切られましたので、ウルトラマン推しの私としては、見に行かざるを得ません。

 映画館には、私と同年代と思われるおじさんたちがたくさんいました。映画自体は、ツッコミ所満載です。なぜシン・ウルトラマンには「カラータイマー」がないのか。なぜシン・ウルトラマンが飛ぶときに「シュワッチ」と言わないのか。俳優Aの顔が、ウルトラマンに似てくる。俳優Bが巨大になって、ビルを壊す。俳優Cはメフィラス星人だが、居酒屋でお酒を飲む。ミサイルの請求書は防衛省に回しておけ。主題歌は米津玄師の歌。

 不思議な出来事が満載ですが、クレジットに何回も登場する庵野秀明さんのウルトラマンへの深い愛情を感じました。特に最後の場面では、テレビ放映のウルトラマン最終回への深い思いが感じられました。ウルトラマン推しのおじさんには、感動の嵐でした。若い人が見たら、どのように感じるのか、聞いてみたいと思います。

 「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ウルトラマン」と続きましたが、次は「シン・仮面ライダー」の予告がありました。何でも「シン」をつければ、新しい映画になるのでしたら「シン・幹線」とか「シン・日本プロレス」とか「シン・型コロナウィルス」とかもどうでしょうか。最近のギャグは脚韻がほとんどでしたので、今回は頭韻でいってみました。

 

 

隗より始めよ

隗より始めよ

 「まず隗(かい)より始めよ」

 この言葉は、中国の戦国時代、燕(えん)の国の昭王が天下に人材を求めた時、郭隗(かくかい)という人が「賢者を招こうとするなら、まず私のようにあまり優秀でない者を優遇することから始めるのがよい。そうすれば、優れた賢人が王のもとに続々と集まってくる」と話し、実際にそのようになった、という故事から生まれたものです。転じて「大事をなすには、手近なことから着手せよ」という意味になりました。

 先日、私が尊敬するA校長先生と話をする機会がありました。A校長は

「うちの高校の生徒は、あいさつをしない」

と言われました。私は

「香寺高校の生徒はよくあいさつをしますよ」

と言いました。

「木村校長、何か秘訣はありますか」

と尋ねて来られたので、

「私はできるだけ毎朝、校門に立って、生徒に『おはようございます』とあいさつをしています。先日はある生徒から『校長先生、いつも大きな声であいさつをしてもらって、ありがとうございます』と声をかけられました。私はとてもうれしく思ったので、先生方にこの話を披露して『生徒指導部の先生方を中心に、先生方があいさつ指導をしてくださっているおかげです。ありがとうございます。これからも引き続きよろしくお願いいたします』と言いました」

 この話を聞いたA校長は、朝校門に立って、生徒にあいさつをするようになったと聞きました。さすがは私と仲良しのA校長先生です。「まず隗より始めよ」ということですね。私たち一人一人の力は「微力ですが、無力ではない」のですから。あいさつをしないと、改札で、警察に、偵察されてしまいますよ。

 

 

人間の安全保障

人間の安全保障

 5月12日の神戸新聞に、山極寿一(やまぎわ じゅいち)さんが記事を書いておられました。山極さんはゴリラの研究者として著名で、現在は総合地球環境学研究所長をされていますが、日本学術会議会長や京都大学学長もされた方です。

 記事は、20数年前に山極さんがゴリラの調査をされていたアフリカのザイール(現在はコンゴ民主共和国)に、当時国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが訪ねて来られた話から始まっていました。20数年前の話ですが、今のプーチン大統領に聞かせてやりたい。

 「もはや国の安全保障に頼るべき時代ではない。数々の戦争は国家元首が国の安全と政治経済的利益を確保するために決断する。犠牲になるのは民間人である。これからは国ではなく、人間の安全保障を目標にしなければならない」

 また、コンゴの内戦が長引いた理由の一つに、コンゴに眠る世界有数の地下資源があります。海外の業者は戦時下の混乱を利用して、希少鉱物を密輸するそうです。ロシアとウクライナの間にも、石油と天然ガスというエネルギーの輸送の問題が横たわっています。復帰50年を迎える沖縄県でも、第二次世界大戦当時の「日本軍」は民間人を積極的には守らなかった経緯があります。

 山極さんの投稿は次のように締めくくられていました。

「今、世界は人間の安全保障を目指して連帯すべき時なのである」

 安全を保障しないと、和尚が、化粧をして、衣装を着て、故障して、苦笑してしまいます。

 

働くということ

働くということ

 高校生の皆さんは、まだ職業に就いて働くことをしていません。「勉強することが仕事だ」とか言われたことがありませんか。皆さんのお母さん、お父さんは、働いている人がほとんどだと思います。大人たちはなぜ働くのでしょうか。収入を得るため、社会に貢献するため、自己実現を図るため、その他多くの理由があると思います。今回は働くということを考えてみます。

 ドイツの政治経済学者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で次のように書いています。

 キリスト教には宗派があり、カトリックもあるし、プロテスタントもある。特にプロテスタントは、勤勉の精神や合理主義を重んじるので、資本主義と相性が良い。金儲けに正当性が与えられたのだが、そればかりを追求するようになってはいないか。「精神なき専門人、心情なき享楽人。この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類がいまだかつて到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう」

 女性の哲学者として有名なハンナ・アーレント(1906-1975)は「人間の条件」で労働(laber)と仕事(work)を区別しています。労働は生命活動と深く結びつく営みで、仕事は何かを作ることを意味しています。例えば、病気で入院をした人は、仕事はできなくなりますが、生きるという労働に従事することになります。ですから、仕事なしに労働は成立するのですが、労働なき仕事は成立しないはずです。ところが現代では、労働の意味が見失われたまま、仕事の評価によって、人の生き方や在り方を評価するようになってきたように感じられます。本末転倒ですね。

 皆さんも、今のうちから働くこと、どんな仕事をするのか、自分は何に向いているのか、多くの事を考え始めるようにしてください。仕事は小言を言われずに、寝言を言いながら、見事にやってのける必要があります。

 

 

二極分化

二極分化

 昔に比べて、スポーツ競技の成績や記録は一般的には向上していると思います。トレーニングの方法や、食事やサプリメントの補給、また道具の進歩などには著しいものがあるからです。ところが、陸上競技の男子400mの日本記録は、高野進さんが1991年に記録した44秒78が30年以上破られていません。どうしてでしょうか。

 もちろん、高野進さんが素晴らしいアスリートであり、オリンピック等でも活躍した選手ではありましたが、30年の間には、ウエア、靴、競技場のトラック等、物理的に多くの進歩があったはずです。また、トレーニングをとっても映像をコンピュータで解析する等、格段の進歩があったに違いありません。

 武井壮さんが次のように解説していました。

 道具やトレーニングの進歩で、昔に比べて練習の効率は著しく進歩した。その進歩をうまく利用できるアスリートはどんどん競技力が向上する。逆に、効率だけを求めて、自力の向上を図れないアスリートは記録が伸びない。科学の進歩により、アスリートにも二極分化が起こっているのではないか。

 ここまではアスリートの話でしたが、これは他の多くの出来事に応用できないでしょうか。勉強や仕事においても、二極分化が進んでいないでしょうか。多くの人にとって適切であろう勉強(仕事)を、先生(上司)に言われるがままにやらされている。これで勉強(仕事)ができるようになるでしょうか。自分にとって最適な方法を自分で考えて、目標と締め切りを設定して努力する人は、きちんと成長するに決まっています。皆さんも、快調に最長に体調に気を付けて、成長を続けてください。

 

 

のびしろ

のびしろ

 「俺らまだのびしろしかないわ」

 Creapy Nutsの「のびしろ」という楽曲があります。MCの「R―指定」さんは大阪出身、DJの「DJ松永」さんは新潟出身、2017年にメジャーデビューした2人組ヒップホップユニットです。2021年9月に発売された2枚目のフルアルバム「Case」に収録された楽曲が「のびしろ」です。

 軽快なリズムのラップに乗っているので、おじさんの耳にはすべての言葉がきちんと聞き取れません。仕方ないので、最初の部分を書きだします。

  サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか

  やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭

  カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良い年のこき方

  脂乗りに乗った 濁った目した だらしない身体

  嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方

  もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ

  俺らまだのびしろしかないわ

 リリック(「歌詞」をこう呼ぶようです)を書いたR―指定さんは、30歳を前にして、20歳の頃と比較して、前半にあるような、やや否定的な事を身につけてきたが、逆説的に自分にはこれからものびしろしかない、と歌っています。

 生徒の皆さんは高校生ですから、まさしく「のびしろ」のかたまりです。1日、1週間、1か月の時間でも見違えるように変化していきます。また我々教員もその速度は遅いかもしれませんが「のびしろ」にあふれています。人間は何歳になっても、新しいことに挑戦する限り「のびしろ」があるのだと思います。

  もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ

  俺らまだのびしろしかないわ

 のびしろのために、カビはしろくないですが、タビはしろい方が良いです。

 

一汁一菜

一汁一菜

 一汁一菜(いちじゅういっさい)というのは、主食(白米や玄米や雑穀米)に汁物(味噌汁等)一品と菜(おかず、総菜)一品を添えた、日本における献立の構成の一つです。菜(おかず)としては、香の物(漬物類)も含まれます。つまり、唐揚げもハンバーグもなくて、ご飯と味噌汁と漬物だけということですから、若い高校生の皆さんは「えー、それだけー」と思うでしょうね。

 土井善晴(どい よしはる)さんという人がいます。この人の父親は土井勝(どい まさる)さんといって関西の家庭料理研究家で「土井勝料理学校」を作った人です。勝さんの次男の善晴さんは、大学卒業後、スイスとフランスでフランス料理を学び、帰国して日本料理を学び、料理研究家として料理番組に多数出演しています。善晴さんが書いた本のタイトルが「一汁一菜でよいという提案」です。この本は次の文で始まります。「この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んでほしいのです」そして「一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います」と続きます。

 ご飯の炊き方、味噌汁の作り方から始まり、旬のものを食べる、器を吟味する等、当たり前と言えば当たり前のことを、一つずつ丁寧に解説していきます。ファストフードやコンビニ弁当が流行る時代ですが、カロリーの取りすぎ、肥満や生活習慣病等は「飽食」が原因の一つだと考えられています。江戸時代から続く一汁一菜を、もう一度見直してみる必要があるかもしれません。一汁一菜なんて、一歳になっても、一切知らなかったと言わないように。

 

 

クルド問題

クルド問題

 私たち島国である日本で暮らしている人たちには、なぜロシアとウクライナが戦わなければならないのかが、もう一つぴんと来ないところがあります。ロシアもウクライナも、昔はソ連という一つの国であったわけですから。そして、私たちは無意識のうちに一つの国家には一つの民族が住み、一つの言語を話すものだと錯覚しています。

 生徒の皆さんは、クルド人という人々のことを聞いたことがありますか。「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれています。国でいうと、イラク、シリア、トルコ、イランの4カ国にまたがって暮らしていて、難民としてヨーロッパ各地やその他の地域に避難した人々もいます。もともと中東地域は、宗教や民族の違いによる対立と、独裁政権とそれに反対する民主化勢力との戦い、外部から介入する大国間の代理戦争に近いものと、不安定な国情が続いています。クルドの人々も、本当は自前の国家を持ちたいという気持ちはあるのかもしれませんが、それぞれの国で微妙なバランスの上で、現状を追認しているところもあるようです。特にシリアでは、2011年からシリア内戦が始まり、多くの難民がヨーロッパへ逃れるということがありました。昔の日本の時代劇のように、一方が悪者で、もう一方の善人が悪をやっつけるというような構図にはなっていないので、なかなか解決は困難です。戦争になると、弱い立場の人々が苦しむという図式は世界共通です。特に子供たちに、食料や安心して住むところ、教育を保証しないとダメです。

  クルド人が来るど、などとふざけた事を書いている場合ではありません。

 

いまを生きる

いまを生きる

 生徒の皆さん、入学して、進級してしばらく経ちますが、元気で頑張っていますか。1年次の皆さんは、部活動紹介も終わり、少しずつ香寺高校になれてきていると思います。2、3年次の皆さんは、部活動の大会が迫ってきたり、文化祭の準備等で忙しく過ごしている人も多いと思います。毎日が淡々と、バタバタと過ぎているかもしれません。

 「いまを生きる」という映画がありました。1989年のアメリカ映画で、有名な俳優であるロビン・ウィリアムスが、キーティング先生という高校の教員の役で主演しました。原題は「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」。キーティング先生の台詞の中に「Carpe Diem(ラテン語で「いまを生きろ」という意味)」というものがあり、そこから邦題をつけました。物語は、キーティング先生のある意味型破りの指導から始まります。規則や常識に縛られず、自由な生き方を目指していきます。教室でキーティング先生が机の上に立ち「ここからは世界がまったく違って見える」と言い、生徒にも机に立たせるシーンを覚えています。

 高校生の時期というのは、子供から大人へのステップの段階だと思います。いろいろな悩みを抱えることも多くあるはずです。そんなとき、このキーティング先生は「いまを生きる」ということを生徒に訴えかけました。昨日でも明日でもなく「いま」です。過去は変えられませんが、未来は変えられます。しかし、先の事ばかりを見据えて、いまが充実しないのもよくありません。今日という日は二度とありません。毎日朝起きたときに「今日も充実した1日にする」と自分で思い込んで、いまを生きることを目指していきましょう。もちろんこのことは生徒の皆さんだけに提案しているのではなくて、私自身も心がけようとしています。心がけがないと、すごい崖で卵かけご飯を食べることになるかもしれません。

 

 

じゃんけんの強い人

じゃんけんの強い人

 先日、ラジオを聞いていると興味深い話をしていましたので、紹介します。若い女性キャスターが、年配の男性キャスターに質問をしました。「私の彼氏にするのには、どんなひとがいいですか」年配の男性の返事は

「じゃんけんの強い人が良い」

 何のことかなと思いましたが、その説明は次のようなものでした。

 「じゃんけんに必勝法はない。つまりじゃんけんに強い、弱いはない。だから『私はじゃんけんが強い』と言える人は自分に自信がある人だろう。例えば5回勝負(5回勝ったら勝ち)でじゃんけんをするとする。2対4になってしまった時『あと1回負けたら負けだから、もう負けだ』と思う人はダメで、『必ずこれから3連勝する』と思いこめる人が強い。自分で道を切り開いていける人、諦めずに粘り強く頑張る人は、こんなタイプの人だ。だからあなたの彼氏としては、じゃんけんの強い人が良いだろう」

 この説明で大いに納得した女性は「じゃあ、どうしたらその人がじゃんけんが強いかどうか、分かるんですか」と聞くと「それは、その男性に聞いてみるしかない。『あなたはじゃんけんが強いですか』と」

 賛否両論あるかもしれませんが、私は、誰かに「あなたはじゃんけんが強いですか」と聞かれたら、間髪おかずに「はい、めっちゃ強いです」と答えることにしようと思いました。じゃんけんぽん、あいこでしょー、まんじゅーの中は、あんこでしょー。

 

その他の外国文学

その他の外国文学

 前回は新聞の書評欄について書きましたが、その中で「先に私が読んで、後で新聞の書評欄に取り上げられた」ことがある話をしました。今回はそれに該当した書籍「『その他の外国文学』の翻訳者」という本を取り上げます。私が図書館で借りて読んでいて、4月9日の毎日新聞の書評欄で紹介されました。

 この本は2022年2月末に「白水社」から発行されました。白水社のwebマガジン「webフランス」に連載された原稿を加筆修正して書籍にしたものです。

 「その他の外国文学」とは何の事でしょうか。外国語で書かれた文学作品を日本語に翻訳して出版するときは「英文学」「フランス文学」「ロシア文学」という風に分類されます。いわゆるマイナー言語による文学作品を「その他の外国文学」と一括りにしている訳です。この本では、9つの言語を取り上げていますが、例えば「ベンガル語」はどこの国で用いられている言語でしょうか。正解はバングラデシュとインドの西ベンガル州です。私たち日本で暮らす人々は、1つの国に1つの言語があると思いがちですが、世界を見渡すとそうではありません。ポルトガル語はもちろんポルトガルで用いられますが、話者分布で言うと8割の人数がブラジルです。アフリカのアンゴラでも公用語になっています。

 「バスク語」の話者はスペインとフランスにまたがっていますが、この言語はスペイン語ともフランス語とも全く異なる言語です。ほとんどのヨーロッパ言語は「主語+動詞+目的語」の順番ですが、バスク語は日本語と同じ「主語+目的語+動詞」の順番です。またマイナー言語を学ぶときの苦労話も満載です。辞書がない、文法書がない、その国に留学して学ぼうとしても講座がない、国民の中でどの人がその言語の話者なのかが分からない等、本当に大変なのですが、その言語と文学に魅せられて、何とか日本の人に紹介したいという熱い情熱を感じ取ることができました。

 外国語というと、まず英語ということになってしまいますが、世界には数多くの言語が存在します。リンゴを食べながら、タンゴを踊りながら、サンゴを愛でながら、今後のことを考えましょう。

 

書評のすすめ

書評のすすめ

 「木村校長はたくさん本を読んでいるようですが、どうやって探しているのですか」と聞かれることがあります。私が書籍を探すのは、まず姫路駅のビオレにある「ジュンク堂書店」です。しょっちゅう徘徊していますので、見かけたら声をかけて下さい。もう一つは姫路と加古川の市立図書館です。買ったり、借りたりするのは主にこの2つです。

 では、新刊の図書で読むべき本をどうやって見つけているのか。これは新聞の「書評」から探すことが多いです。各新聞には、週一回書評が掲載されます。以前は日曜日が多かった(今は読売だけ日曜日)のですが、最近では土曜日が多くなっています。土曜か日曜に図書館へ行き、朝日、毎日、読売、神戸、日経の各紙の書評欄をチェックします。個人的には、朝日と日経の書評欄が充実しているように思います。書評はある程度の専門家がその書籍の紹介、特に「良い本だ」と紹介している場合がほとんどなので、それを見て書店や図書館で探すことにしています。

 何回か経験があるのですが、先に買ったり借りたりして読んだ本が、後で書評欄に紹介されるケースがあります。このときは「やったった」とガッツポーズをします。私の方に先見の明があった、ということです。皆さんも新聞の書評欄を読んでみると、意表をつかれた、不評な批評に出会えるかもしれません。

 

 

なぜ嘘をついてはいけないのか

なぜ嘘をついてはいけないのか

 皆さんは小さいときに両親や先生から「嘘をついてはいけません」と言われたことはありませんか。私はあります。でも、なぜ嘘をついてはいけないのかを考えたことはありますか。「嘘も方便」という言葉もありますから、一概に嘘は全部ダメとは言えないのではないでしょうか。

 ドイツの哲学者でカントという人がいました。カントは「実践理性批判」という著書で次のように書いています。

「君の意思の採用する行動原理が、常に同時に普遍的な法則を定める原理としても妥当しうるように行動せよ」

 自分の行為が道徳的に正しいのか、疑問に思ったときは、もし皆が自分と同じ事をした場合、社会がどうなるかを想像してみれば良い。皆が自分に都合の良い嘘をついていたら、この社会は成立するだろうか。無理だろう。だから嘘をついてはいけないのだ。良き行為をしたければ、じっくり考えれば良い。

 死んだら無になると思うと、自分勝手な思いを抑えられなくなるかもしれない。だが、自分の中には永遠に生きる可能性が秘められていると思えるのなら、もしくは、自分は無限に向上していけるのだと思えるのなら、今からでも利己心に打ち勝ち、道徳的行動しようと思える。

 どこかの国の大統領や、どこかの国の世襲の政治家たち、大企業経営者たちに聞かせてやりたい話です。もちろん、私も含めて皆さんにも考えてもらいたいと思います。カントは、ホントにマントを着て散歩して、良く生きるヒントをタント考え出しました。

 

 

勇気とは

勇気とは

 生徒の皆さんには勇気がありますか。勇気とは何なのでしょうか。

 古代ギリシャの哲学者で、アリストテレスという人がいました。アリストテレスは、ソクラテスの弟子のプラトンの弟子にあたる人です。そのアリストテレスはこんな風に考えました。

「最善は常に2つの悪例の中間に存在する。つまり中庸こそが美徳である」

 この考え方は現代に生きる私たちから見ると「中庸というのは中途半端な考え方」「足して2で割るということは、どっちつかずではないか」と思えてしまいます。しかしアリストテレスは「勇気」について次のように考えました。

「勇気とは、無鉄砲と臆病のちょうど中間のことである。両極端の悪い例と等しく距離をおくことを最善とする」

 臆病すぎると、勇敢な行動は取れない。かといって無謀なのも勇気とは違う。何も怖くない、心配したことなど一度もない人がいたとしたら、その人は勇敢ではなく、ただ無謀なだけだ。真の勇気とは、少なくともどこかで不安を感じつつ、それを克服して行動することだ。無謀であることと、臆病であることから等しく距離を置くというさじ加減は決して簡単なものではない。人間はその難しい調整を肝に銘じなければならない。ということです。

 現代では、極端な考え方がもてはやされている感じがあります。それだけではなくて、ソクラテスの中庸が美徳という考え方も大切だと思います。勇気とホウキを持って、早期に納期を守ってくれと、言う気はありません。

 

 

食育のあれこれ

食育のあれこれ

 今から15年くらい前に「食育」という言葉が流行しました。生徒の皆さんは聞いたことがありますか。食育とは何の事なのでしょう。

 実は、食育という言葉を最初に用いた人は石塚左玄(いしづか さげん)で、明治時代に陸軍の医師・薬剤師として活躍しました。1896年「体育智育才育は即ち食育なり」という言葉を残しています。また明治の小説家である村井弦斎(むらい げんさい)も「食道楽」という著書で食育の大切さを説きました。

 こんな昔の言葉を探し出してきて、2005年「食育基本法」が制定され「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられました。ここまでの話でしたら、別に何の問題点(?)もないように思います。

 ここからは「カルビー」と「マクドナルド」の関係者の方々には誠に申し訳ない話になってしまいます。前もってすみませんと書いておきます。食育の推進の前提にあるのは「栄養の偏り」「不規則な食事」「肥満や生活習慣病の増加」「過度の痩身志向」「日本の食が失われる危機」等、これではダメだというものがあります。ところがカルビーやマクドナルド等の企業は、この食育運動を推進しているのです。いわゆるスナック菓子やファストフードと、食育活動は相容れないものだと思いますが、いかがでしょうか。もっと言うと、人が食べるものを国が決める、方向付ける、なんて事があっても良いのでしょうか。

 朝ご飯は食べた方が良いでしょう。夕食は一家団欒で、家族全員がそろうことが望ましいでしょう。でも分かっていても、できない家庭状況、経済状況にあるご家庭はたくさんあるはずです。大きなお世話という感じです。食育の今後の行き先は、どっち行く、こっち行くという感じです。