校長室より

2022年5月の記事一覧

ウルトラマン

ウルトラマン

 懐かしのウルトラマンです。最初の「ウルトラマン」は1966年から67年にテレビ放映されましたので、私が5歳~6歳の時で、今でもしっかりと覚えています。映画「シン・ウルトラマン」が封切られましたので、ウルトラマン推しの私としては、見に行かざるを得ません。

 映画館には、私と同年代と思われるおじさんたちがたくさんいました。映画自体は、ツッコミ所満載です。なぜシン・ウルトラマンには「カラータイマー」がないのか。なぜシン・ウルトラマンが飛ぶときに「シュワッチ」と言わないのか。俳優Aの顔が、ウルトラマンに似てくる。俳優Bが巨大になって、ビルを壊す。俳優Cはメフィラス星人だが、居酒屋でお酒を飲む。ミサイルの請求書は防衛省に回しておけ。主題歌は米津玄師の歌。

 不思議な出来事が満載ですが、クレジットに何回も登場する庵野秀明さんのウルトラマンへの深い愛情を感じました。特に最後の場面では、テレビ放映のウルトラマン最終回への深い思いが感じられました。ウルトラマン推しのおじさんには、感動の嵐でした。若い人が見たら、どのように感じるのか、聞いてみたいと思います。

 「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ウルトラマン」と続きましたが、次は「シン・仮面ライダー」の予告がありました。何でも「シン」をつければ、新しい映画になるのでしたら「シン・幹線」とか「シン・日本プロレス」とか「シン・型コロナウィルス」とかもどうでしょうか。最近のギャグは脚韻がほとんどでしたので、今回は頭韻でいってみました。

 

 

隗より始めよ

隗より始めよ

 「まず隗(かい)より始めよ」

 この言葉は、中国の戦国時代、燕(えん)の国の昭王が天下に人材を求めた時、郭隗(かくかい)という人が「賢者を招こうとするなら、まず私のようにあまり優秀でない者を優遇することから始めるのがよい。そうすれば、優れた賢人が王のもとに続々と集まってくる」と話し、実際にそのようになった、という故事から生まれたものです。転じて「大事をなすには、手近なことから着手せよ」という意味になりました。

 先日、私が尊敬するA校長先生と話をする機会がありました。A校長は

「うちの高校の生徒は、あいさつをしない」

と言われました。私は

「香寺高校の生徒はよくあいさつをしますよ」

と言いました。

「木村校長、何か秘訣はありますか」

と尋ねて来られたので、

「私はできるだけ毎朝、校門に立って、生徒に『おはようございます』とあいさつをしています。先日はある生徒から『校長先生、いつも大きな声であいさつをしてもらって、ありがとうございます』と声をかけられました。私はとてもうれしく思ったので、先生方にこの話を披露して『生徒指導部の先生方を中心に、先生方があいさつ指導をしてくださっているおかげです。ありがとうございます。これからも引き続きよろしくお願いいたします』と言いました」

 この話を聞いたA校長は、朝校門に立って、生徒にあいさつをするようになったと聞きました。さすがは私と仲良しのA校長先生です。「まず隗より始めよ」ということですね。私たち一人一人の力は「微力ですが、無力ではない」のですから。あいさつをしないと、改札で、警察に、偵察されてしまいますよ。

 

 

人間の安全保障

人間の安全保障

 5月12日の神戸新聞に、山極寿一(やまぎわ じゅいち)さんが記事を書いておられました。山極さんはゴリラの研究者として著名で、現在は総合地球環境学研究所長をされていますが、日本学術会議会長や京都大学学長もされた方です。

 記事は、20数年前に山極さんがゴリラの調査をされていたアフリカのザイール(現在はコンゴ民主共和国)に、当時国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが訪ねて来られた話から始まっていました。20数年前の話ですが、今のプーチン大統領に聞かせてやりたい。

 「もはや国の安全保障に頼るべき時代ではない。数々の戦争は国家元首が国の安全と政治経済的利益を確保するために決断する。犠牲になるのは民間人である。これからは国ではなく、人間の安全保障を目標にしなければならない」

 また、コンゴの内戦が長引いた理由の一つに、コンゴに眠る世界有数の地下資源があります。海外の業者は戦時下の混乱を利用して、希少鉱物を密輸するそうです。ロシアとウクライナの間にも、石油と天然ガスというエネルギーの輸送の問題が横たわっています。復帰50年を迎える沖縄県でも、第二次世界大戦当時の「日本軍」は民間人を積極的には守らなかった経緯があります。

 山極さんの投稿は次のように締めくくられていました。

「今、世界は人間の安全保障を目指して連帯すべき時なのである」

 安全を保障しないと、和尚が、化粧をして、衣装を着て、故障して、苦笑してしまいます。

 

働くということ

働くということ

 高校生の皆さんは、まだ職業に就いて働くことをしていません。「勉強することが仕事だ」とか言われたことがありませんか。皆さんのお母さん、お父さんは、働いている人がほとんどだと思います。大人たちはなぜ働くのでしょうか。収入を得るため、社会に貢献するため、自己実現を図るため、その他多くの理由があると思います。今回は働くということを考えてみます。

 ドイツの政治経済学者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で次のように書いています。

 キリスト教には宗派があり、カトリックもあるし、プロテスタントもある。特にプロテスタントは、勤勉の精神や合理主義を重んじるので、資本主義と相性が良い。金儲けに正当性が与えられたのだが、そればかりを追求するようになってはいないか。「精神なき専門人、心情なき享楽人。この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類がいまだかつて到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう」

 女性の哲学者として有名なハンナ・アーレント(1906-1975)は「人間の条件」で労働(laber)と仕事(work)を区別しています。労働は生命活動と深く結びつく営みで、仕事は何かを作ることを意味しています。例えば、病気で入院をした人は、仕事はできなくなりますが、生きるという労働に従事することになります。ですから、仕事なしに労働は成立するのですが、労働なき仕事は成立しないはずです。ところが現代では、労働の意味が見失われたまま、仕事の評価によって、人の生き方や在り方を評価するようになってきたように感じられます。本末転倒ですね。

 皆さんも、今のうちから働くこと、どんな仕事をするのか、自分は何に向いているのか、多くの事を考え始めるようにしてください。仕事は小言を言われずに、寝言を言いながら、見事にやってのける必要があります。

 

 

二極分化

二極分化

 昔に比べて、スポーツ競技の成績や記録は一般的には向上していると思います。トレーニングの方法や、食事やサプリメントの補給、また道具の進歩などには著しいものがあるからです。ところが、陸上競技の男子400mの日本記録は、高野進さんが1991年に記録した44秒78が30年以上破られていません。どうしてでしょうか。

 もちろん、高野進さんが素晴らしいアスリートであり、オリンピック等でも活躍した選手ではありましたが、30年の間には、ウエア、靴、競技場のトラック等、物理的に多くの進歩があったはずです。また、トレーニングをとっても映像をコンピュータで解析する等、格段の進歩があったに違いありません。

 武井壮さんが次のように解説していました。

 道具やトレーニングの進歩で、昔に比べて練習の効率は著しく進歩した。その進歩をうまく利用できるアスリートはどんどん競技力が向上する。逆に、効率だけを求めて、自力の向上を図れないアスリートは記録が伸びない。科学の進歩により、アスリートにも二極分化が起こっているのではないか。

 ここまではアスリートの話でしたが、これは他の多くの出来事に応用できないでしょうか。勉強や仕事においても、二極分化が進んでいないでしょうか。多くの人にとって適切であろう勉強(仕事)を、先生(上司)に言われるがままにやらされている。これで勉強(仕事)ができるようになるでしょうか。自分にとって最適な方法を自分で考えて、目標と締め切りを設定して努力する人は、きちんと成長するに決まっています。皆さんも、快調に最長に体調に気を付けて、成長を続けてください。

 

 

のびしろ

のびしろ

 「俺らまだのびしろしかないわ」

 Creapy Nutsの「のびしろ」という楽曲があります。MCの「R―指定」さんは大阪出身、DJの「DJ松永」さんは新潟出身、2017年にメジャーデビューした2人組ヒップホップユニットです。2021年9月に発売された2枚目のフルアルバム「Case」に収録された楽曲が「のびしろ」です。

 軽快なリズムのラップに乗っているので、おじさんの耳にはすべての言葉がきちんと聞き取れません。仕方ないので、最初の部分を書きだします。

  サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか

  やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭

  カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良い年のこき方

  脂乗りに乗った 濁った目した だらしない身体

  嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方

  もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ

  俺らまだのびしろしかないわ

 リリック(「歌詞」をこう呼ぶようです)を書いたR―指定さんは、30歳を前にして、20歳の頃と比較して、前半にあるような、やや否定的な事を身につけてきたが、逆説的に自分にはこれからものびしろしかない、と歌っています。

 生徒の皆さんは高校生ですから、まさしく「のびしろ」のかたまりです。1日、1週間、1か月の時間でも見違えるように変化していきます。また我々教員もその速度は遅いかもしれませんが「のびしろ」にあふれています。人間は何歳になっても、新しいことに挑戦する限り「のびしろ」があるのだと思います。

  もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ

  俺らまだのびしろしかないわ

 のびしろのために、カビはしろくないですが、タビはしろい方が良いです。

 

一汁一菜

一汁一菜

 一汁一菜(いちじゅういっさい)というのは、主食(白米や玄米や雑穀米)に汁物(味噌汁等)一品と菜(おかず、総菜)一品を添えた、日本における献立の構成の一つです。菜(おかず)としては、香の物(漬物類)も含まれます。つまり、唐揚げもハンバーグもなくて、ご飯と味噌汁と漬物だけということですから、若い高校生の皆さんは「えー、それだけー」と思うでしょうね。

 土井善晴(どい よしはる)さんという人がいます。この人の父親は土井勝(どい まさる)さんといって関西の家庭料理研究家で「土井勝料理学校」を作った人です。勝さんの次男の善晴さんは、大学卒業後、スイスとフランスでフランス料理を学び、帰国して日本料理を学び、料理研究家として料理番組に多数出演しています。善晴さんが書いた本のタイトルが「一汁一菜でよいという提案」です。この本は次の文で始まります。「この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んでほしいのです」そして「一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います」と続きます。

 ご飯の炊き方、味噌汁の作り方から始まり、旬のものを食べる、器を吟味する等、当たり前と言えば当たり前のことを、一つずつ丁寧に解説していきます。ファストフードやコンビニ弁当が流行る時代ですが、カロリーの取りすぎ、肥満や生活習慣病等は「飽食」が原因の一つだと考えられています。江戸時代から続く一汁一菜を、もう一度見直してみる必要があるかもしれません。一汁一菜なんて、一歳になっても、一切知らなかったと言わないように。

 

 

クルド問題

クルド問題

 私たち島国である日本で暮らしている人たちには、なぜロシアとウクライナが戦わなければならないのかが、もう一つぴんと来ないところがあります。ロシアもウクライナも、昔はソ連という一つの国であったわけですから。そして、私たちは無意識のうちに一つの国家には一つの民族が住み、一つの言語を話すものだと錯覚しています。

 生徒の皆さんは、クルド人という人々のことを聞いたことがありますか。「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれています。国でいうと、イラク、シリア、トルコ、イランの4カ国にまたがって暮らしていて、難民としてヨーロッパ各地やその他の地域に避難した人々もいます。もともと中東地域は、宗教や民族の違いによる対立と、独裁政権とそれに反対する民主化勢力との戦い、外部から介入する大国間の代理戦争に近いものと、不安定な国情が続いています。クルドの人々も、本当は自前の国家を持ちたいという気持ちはあるのかもしれませんが、それぞれの国で微妙なバランスの上で、現状を追認しているところもあるようです。特にシリアでは、2011年からシリア内戦が始まり、多くの難民がヨーロッパへ逃れるということがありました。昔の日本の時代劇のように、一方が悪者で、もう一方の善人が悪をやっつけるというような構図にはなっていないので、なかなか解決は困難です。戦争になると、弱い立場の人々が苦しむという図式は世界共通です。特に子供たちに、食料や安心して住むところ、教育を保証しないとダメです。

  クルド人が来るど、などとふざけた事を書いている場合ではありません。