校長室より

校長室より

令和6年度 「新年度のご挨拶」

 兵庫県立香寺高等のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 令和5年4月に校長として本校に着任し、2年目を迎えます 森 美樹 と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。日頃より本校の教育活動に’ご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

 本校は、昭和24年に兵庫県立福崎高等学校神南分校として開校され、昭和49年に兵庫県立香寺高等学校として独立、そして平成9年に兵庫県下初めての総合学科高校に改編され、創立75年となる伝統ある学校です。

  本校では、総合学科の特性をふまえ、数多くの選択教科・科目が用意されており、将来の目標や興味関心を見据えて生徒が自分自身で学びたいものを学ぶシステムとなっています。選択するにあたっては、ミスマッチや選び損ないを防ぐため、教師の手厚いサポートが受けられます。夢、目標、志をかなえるために、長所や得意なことをさらに伸ばすことができる学校です。令和5年度の1年間、生徒の活動を見守る中で、他校にはない充実した教育環境と指導技術、また体験学習や特徴ある課外活動を通して、生徒の成長がいかに大きなものであるかに感じ入り、目を見張る思いがしました。

  香寺高校で2年目となる私にとりまして、本校の1番の自慢は生徒です。教職員に対してはもちろんのこと、校内でおみかけした初対面の方や校外で出会った地域の方々にも気持ちのよい挨拶と明るく素直な言動が相手に好感を与えるような存在です。ご家庭での養育や本校教員による指導の賜物であり、香寺高校を選んで入学してくる生徒の元々の良さが入学後大きく花を開かせているのだと確信しています。

  本校教育活動のさらなる充実と発展のため、ホームページをご覧いただいた皆様には、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

                                        令和6年4月1日

                                        兵庫県立香寺高等学校

                                        校長  森  美 樹

令和5年度 「新年度のご挨拶」

 兵庫県立香寺高等のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 令和5年4月3日に校長として本校に着任しました 森 美樹 と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

  本校は、昭和24年に兵庫県立福崎高等学校神南分校として開校され、昭和49年に兵庫県立香寺高等学校として独立、そして平成9年に兵庫県下初めての総合学科高校に改編され、今年創立74年目を迎える伝統ある学校です。姫路市北部に位置し、四季折々の豊かな自然に恵まれ、非常に落ち着いた学習環境を有しています。また、総合学科ならではの多彩な選択科目の中から「なりたい自分」を実現させるのに最適な科目を選ぶことができます。3年間で徐々に力をつけ、成長していく姿を見守りながら、私たち教職員は一丸となって全力でサポートしていく所存です。

 「個性伸ばせば、夢ひろがる ~君の夢が実現します~」のスローガンのもと、 生徒も教職員も学ぶことを最優先にしている学校を目指します。「この学校で学んで良かった」「この学校に子供を通わせてよかった」「地元にこの学校があってよかった」と言っていただけるよう、全身全霊を尽くして取り組んで参ります。

 日頃より本校の教育活動に’ご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。本校教育活動のさらなる充実と発展のため、ホームページをご覧いただいた皆様には、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

                                        兵庫県立香寺高等学校

                                           校長 森 美樹

 

 

ありがとうございました

ありがとうございました

 年度末を迎えました。2年間、兵庫県立香寺高等学校の校長として、大変お世話になりました。定年退職後の再任用校長としての2年間を、香寺高等学校で勤務できたことを本当に嬉しく思っています。

 思えば2年前の4月1日、井上新悟教頭先生の自家用車で香寺高等学校に着任しました。先生方から温かく迎えていただいたことを、昨日のことのように覚えています。

 2年間、本当に好きなようにやらせていただきました。始業式や終業式のパワポを用いたお話、文化祭や体育大会での親父ギャグ入りの挨拶、これでもかという程の回数の「校長室より」と「理科の散歩道」。多くの先生方に支えていただきました。特に井上教頭先生は、体育大会での「1、2、3、ダーッ」発言のように、芸風が変わってしまいました。申し訳ないことです。

 また、西播磨地区校長会、総合学科校長会等の会議では、たくさんの校長先生方に助けていただきました。また県の教育委員会事務局、特に高校教育課と教職員人事課の皆様には感謝しかありません。

 私事ですが、新年度からは東加古川にある、兵庫大学教職センター、というところに勤めることになりました。今度は大学生を相手に、教員採用試験や就職試験の合格へ向けてのお手伝いをすることになります。香寺高等学校からも、毎年兵庫大学に進学する生徒がいます。大学生になった皆さんとは、教職センターでお会いできることを楽しみにしています。

 私は香寺高等学校からは離れますが、4月からは新しく森美樹校長先生が着任されます。これからも香寺高等学校の発展を応援しています。生徒の皆さん、先生方、関係の皆様方のますますのご活躍を祈念してやみません。本当にありがとうございました。 

 木村 篤志

 

大塩平八郎の乱

大塩平八郎の乱

 藪田貫(やぶた ゆたか)さんが書いた、中公新書「大塩平八郎の乱」です。藪田さんは日本近世史を専門とする歴史学者で、現在兵庫県立歴史博物館の館長をされており、第二代の大塩事件研究会会長を務めています。

 大塩平八郎の乱は、日本史の教科書には必ず登場する事件ですが、私もこの本を読むまでは詳しい内容を知りませんでした。大塩平八郎の乱の研究としてまとめられたものとしては、幸田成友(こうだ しげとも)の「大塩平八郎」(1910)が最初です。ちなみに幸田成友は、文豪幸田露伴の実弟です。続いて石崎東国(いしざき とうごく)の「大塩平八郎伝」(1920)、戦後は相蘇一弘(あいそ かずひろ)の「大塩平八郎書簡の研究」(2003)が全三巻で発行されました。しかしこれらの研究では、書簡の分析等から大塩平八郎の人となりの研究が中心で、乱自体の分析が少ないものであった、と藪田さんは書いています。

 大塩は大坂町奉行所の元与力(町奉行を補佐する中間管理職で、行政を中心に、警察官と裁判官の役割を兼ねた)でした。大塩は文としては陽明学を研究し、私塾洗心洞(せんしんどう)を立ち上げ、弟子を数多く育てました。また武としては、槍の達人で、鉄砲や大砲などの砲術にも堪能でした。まさに文武両道で、徳川幕府の実績のある役人として活躍した人物であっただけに、大塩の乱は幕府を震撼させました。

 その大塩が天保8年(1837)2月19日に反乱を起こします。天保の大飢饉があり、餓死者が続出する中、奉行所に救済を嘆願したが容れられず、私塾の門弟たちと「救民」を掲げて決起しますが、わずか1日で鎮圧されます。大塩の乱の評価は二分しています。大塩贔屓(びいき)の意見は、決起当日に撒かれた「檄文」が「飢饉のため、餓死者が出ているような社会であるのに、幕府や奉行所は庶民を救おうとしない。また豪商たちと結託して、贅沢の限りを尽くしている。このような状況を救うために、我々は決起する」という内容であり、実際に所蔵していた書籍等を売却して窮民に施しを行ったので、大塩は素晴らしいというものです。反対に大塩嫌いの意見は、飢饉の最中に市街戦を決行し、罹災者を増加させてしまったのはけしからんというものです。

 そして反乱壊滅後、大塩は約40日あまり大坂市内に潜伏していました。他の同志たちは捕まったり、自害していたのですが、なぜ大塩だけは生き延びていたのか。その理由は乱の前日に幕府、特に老中あてに「国家のことについて掛け合う」という内容の密書を送り、その返答を待っていたようなのです。ここでも文武両道の大塩像が見られるようです。ともあれ、現在でも熱狂的な大塩ファンの人々がいるのは間違いないですし、今後また新たな書簡等が発見され、研究が進む可能性もあります。大塩の研究は親潮や黒潮に乗って、満ち潮のときに進むかもしれません。

 

小津と芭蕉の共通項

小津と芭蕉の共通項

 「江東区が世界に文化的に誇れるのは、松尾芭蕉と小津安二郎だ」作家の高橋治さんが残した言葉です。

 今年で生誕120年を迎える日本映画界の巨匠、小津安二郎(1903~63)は東京都江東区深川で生まれ、小学生の頃に三重・松阪に引っ越し、約10年を過ごした後に深川に戻り、映画界に入りました。映画監督として「東京物語」「晩春」「麦秋」といった世界的にも著名な代表作の数々を、脚本家の野田高梧、俳優の原節子、笠智衆といった「小津組」と呼ばれるおなじみの顔ぶれで制作しました。

 日本を代表する江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~94)は伊賀上野の出身なので、忍者かもしれないという説があります。亡くなるまでの約14年間、深川の芭蕉庵を主な拠点とし、「野ざらし紀行」や「おくのほそ道」などの旅に出ました。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を詠んだ場所も深川の芭蕉庵でした。芭蕉には蕉門(しょうもん)という一門があり、俳諧連歌は弟子たちと一緒に作り上げるものでした。「古池や~」の句は、芭蕉庵に集まった弟子たちと行った句会で、芭蕉が詠んだ最初の一句(発句)でした。

 俳諧と映画監督という違いはありますが、世界的にも有名なこの2人が、東京深川と三重にゆかりがある人物だということは、私も知りませんでした。また、芭蕉の俳句と小津の映画はともに集団創作であり、蕉門と小津組は似ていると言えるかもしれません。

 小津は、オズの魔法使いを、芭蕉は場所をわきまえて、作品を作り続けたのかもしれません。

 

言葉と人は、不思議に出会う

言葉と人は、不思議に出会う

 ミステリー作家の米澤穂信さんが、毎日新聞に書いていました。劇作家の寺山修司の作品に「ポケットに名言を」という角川文庫があり、その中にフランスの作家アルベール・カミュの「手帖」という作品からの言葉で、次のようなものが収められています。

「性格を持たないとき、人はたしかに方法を身につけなければならない」

「私(米澤さん)はこの言葉を、天才でないなら技を磨かねばならないと解釈した。書くべき内面がないならば、せめて上手くなれ。その技は、もしかしたら、ひょっとしたら、何かの「性格」に届くかもしれないと思った。言葉と人は、不思議に出会う」

 世の中には天才と呼ばれる人が、いるにはいるのでしょう。例えば将棋の藤井聡太さんは多分天才なのでしょう。しかし藤井聡太さんは自分を天才だとは思っていないのだと思います。そうすると世の中に存在する人は、私も含めて、ほぼ凡人だらけということになります。それならば、せめて「上手くなれ」「技を身につけよ」ということです。何かを求めて格闘していると、人は不思議と良い言葉に出会う、という訳です。

 3月、4月は、別れと出会いの時期です。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」1995年、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の冒頭の一節です。今回はいつものように(?)真面目に終了します。

 

赤いインク

赤いインク

 ある男が、東ドイツからシベリア送りとなりました。彼は、検閲官が自分の手紙を読むことを知っていました。だから、友人にこう言ったのです。「暗号を決めておこう。もし、俺の手紙が青いインクで書かれていたら、手紙の内容は真実だ。だが、もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」1ヶ月後、彼の友人が手紙を受け取ると、すべてが青いインクで書かれていました。そこには、こう書かれていたのです。「ここでの暮らしは大変素晴らしい。美味しい食べ物もたくさんある。映画館では西側の面白い映画をやっている。住まいは広々して豪華だ。ここで買えないものと言ったら、赤いインクだけだ」

 このジョークは、ドイツがまだ東ドイツと西ドイツに分かれていた時代に、ソ連の「社会主義」を皮肉ったものです。しかし、このジョークはひょっとしたら現在の私たち「資本主義」での暮らしにも当てはまるかもしれません。

 今私たちが享受している「自由」や「豊かさ」がこの青いインクで書かれた手紙の世界だとしたら。例えば、日本に暮らす私たちは、ウーバーイーツで美味しいものを注文したり、Netflixで好きな映画を見たり、ルンバの自動掃除機を買うこともできる。そんな世界では、私たちの望む自由がすべて実現されているように見えるかもしれません。でもそれはただ、この社会の不自由を描くための赤いインクがないからだとしたら。だって、実際には、給料は安いし、仕事もつまらない。家も車もローンを組まないと(あるいはローンを組んでも)買えない。定年まで必死に働いても年金はもらえないかもしれない。さらに、気候危機は悪化していく。そのうえ、インフレに悩まされる世界経済の先行きは不安で、日本には円安や人口減少という問題もある。ロシアとウクライナの戦争は終わる兆しがないし、台湾有事も心配だし、北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるか分からない。実際には、これからも資本主義が続く、と言われて未来に希望を持てる人は、どんどん減っているのではないでしょうか。これは単に、資本主義では赤いインクが手に入らなくて、世界が青いインクで塗りつぶされているだけなのかもしれません。

 ここまで長く引用した文章は、経済学者の斎藤幸平さんが書いた、NHK出版新書「ゼロからの『資本論』」の一節です。斎藤さんは現在に必要な赤いインクとして、マルクスの「資本論」を取り上げます。マルクス、資本論、社会主義などという言葉は、過去の遺物としてとらえられている気もします。斎藤さんは「資本論」とマルクスが書き残したメモ等を読み込み、これから必要とされる社会のあり方を考えていきます。もちろんそれは当時のソ連や現在の中国が行っている「社会主義」とはまったく異質な社会です。一読をお勧めします。社会を赤いインクで書くと、深い理解が得られ、愉快な機会が増えて、高い2階に登り、世界を見る視界が広がります。

 

失笑する人は笑っているか

失笑する人は笑っているか

 日本語、漢字は難しいシリーズが続きます。「失笑(しっしょう)」という言葉はどういう意味でしょうか。「失業(職業を失う)」「失念(うっかり忘れること)」「失格(資格を失う)」「失望(望みを失う)」などと同様に、「失笑」を「笑いを失う」つまり「(あきれるなどして)笑いも出ない」つまり「笑わない」と思う人が増えているそうです。

 二字熟語に「失」が含まれる場合、確かにそれを「なくす」「なくなす」「喪失する」という意味にとらえる場合が多いのは事実です。しかし「失」にはもう一つ「しそこなう」「落ち度」「誤る」という意味もあります。「失言(言葉を誤ること)」「失火(誤って火事を起こしてしまうこと)」「失禁(我慢できず大小便を漏らすこと)」「失政(政治の手法を誤ること)」などが例としてあげられます。「失笑」もこちらの意味で、「おかしさのあまり、吹き出してしまうこと。笑ってはいけない状況で、こらえきれずに笑いだしてしまうこと」という意味です。失笑する人は、当然笑ってしまった人になります。「失笑を禁じ得ない」という風に使います。

 またもう一つ、「失」には「行き過ぎ」「度を超す」という意味もあり「遅きに失する(遅すぎてタイミングをのがす。時機に遅れたため用をなさない)」という風に使います。同じ形で「長きに失する」「遠きに失する」「奇抜に失する」などが使われますが、それぞれ「長すぎる」「遠すぎる」「奇抜すぎる」という意味で、「失する」は「限度を超えている」「~であり過ぎる」という意味で使われます。

やはり日本語、漢字は難しいです。失笑すると、決勝で圧勝して、熱唱して、一生、発症や、抹消せずに、折衝ができるかもしれません。

 

音楽の構成

音楽の構成

 北海道函館市出身のロックバンド、GLAYです。1994年にメジャーデビューして、数多くのヒット曲があります。メンバーは、TERU(ボーカル)、TAKURO(ギター)、HISASHI(ギター)、JIRO(ベース)の4人で、活動の初期にはリーダーでもあるTAKUROが楽曲を作っていました。GLAYのヒット曲の中でも有名な曲は、97年8月に発表された「HOWEVER」です。この曲を作ったTAKUROが、先日こんな話をしていました。

 同じ97年2月に発表された小室哲哉さん作詞作曲で、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」を聞いたときに、これは当時のJ-POPの最高傑作だと思いました。新しい言葉づかいで歌詞の「永遠っていう」でいいんだと、その自由さが当時の安室さんの心情を出していて、あまりにも感動した僕は、一度でいいからこの曲のような「サビのような、いわゆる“つかみ”が来て、その後にちょっとしたイントロがある」という構成で書いてみたいと思って「HOWEVER」を作ったんです。

 「CAN YOU CELEBRATE?」は名曲で、現在でも結婚式ソングとして歌われています。「HOWEVER」も名曲ですが、こんな裏話があったとは知りませんでした。歌詞もメロディーも全然違う曲ですが、言われて見れば曲の「構成」はそっくりです。曲の発表当時にはこんな話はできなかったかもしれませんが、26年経ちましたから、もう時効ということでしょう。それにしても現在にも歌い継がれている名曲が、同じ年に発表され、先の曲を元ネタに使って、次の曲が誕生するというのは、面白すぎます。

 今のJ-POPは「Aメロ、Bメロ、サビ」という風に形式が決まっていたり、コンピュータミュージックのように、リズム重視の曲が多いように思いますが、97年にはこのように「音楽の構成」が模倣されていたのですね。構成を考えると、趨勢に押され、統制や養成する間もなく、優勢に創世されて、どうせいと言うのやら。

 

 

漢字の音読み

漢字の音読み

 皆さんは、漢字の読み方に音読みと訓読みがあることはご存じだと思います。このうち訓読みは、日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したもので、一般にひらがなで表記されます。そして多くの漢字の訓読みは、一種類です。

 それに対して、音読みの方は、漢字の中国語における発音に由来するものが多く、漢字によっては、複数の読み方があります。例えば「明」という漢字は訓読みだと「明るい(あかるい)」と読みますが、音読みだと「みょう」「めい」「みん」と三種類もあります。これはどういうことでしょうか。

 実は音読みには「呉音(ごおん)」「漢音(かんおん)」「唐音(とうおん)」の三種類があります。最も古い時代に伝わり、定着した音読みが呉音です。現在では仏教の用語に多く残っています。漢音は7~8世紀、奈良時代後期から平安時代初頭にかけて、遣隋使、遣唐使や留学僧などによってもたらされた読み方で、現在一番よく使われている読み方です。唐音は平安末から江戸時代の終わりまでに、禅宗の留学僧や貿易商によってもたらされました。唐音で読む語数は少なく、例えば椅子(いす)、行灯(あんどん)、提灯(ちょうちん)、蒲団(ふとん)などがそれにあたります。先ほどの「明」でいうと、呉音が「みょう」、唐音が「めい」、唐音が「みん」になります。ですから、音読みには複数の読み方が生じるのです。

 このうち、呉音で読む例としては、「眼(げん)」「行(ぎょう)」「品(ほん)」「色(しき) 般若心経に出てくる、色即是空(しきそくぜくう)」「食(じき) 断食(だんしょく ではなくて、だんじき)「発(ほつ) 発起人(はつきにん ではなくて、ほっきにん)」「変化(へんげ) 七変化(しちへんか ではなくて、しちへんげ)」「男女(なんにょ) 老若男女(ろうじゃくだんじょ ではなくて、ろうにゃくなんにょ)」「金(こん) 金堂(きんどう ではなくて、こんどう)」などがあげられます。なるほど仏教の用語がとっつきにくいとされるのは、この呉音読みにも原因の一つがありそうです。

 いやー、小学生の時には、なぜ一つの漢字の読み方がたくさんあるのかが不思議でしたが、そういうことだったのですね。呉音の読み方で、御恩返しができそうです。

 

湯道

湯道

 茶道や華道があるように、お風呂の入り方について「湯道」を提案したのは、小山薫堂さんです。薫堂さんは元々は放送作家として「料理の鉄人」をはじめ、数多くのテレビ番組を担当してきましたが、熊本県の出身でもあり、人気キャラクターの「くまモン」を生み出した人でもあります。2008年には映画「おくりびと」の脚本も手掛け、今回は映画「湯道」の企画・脚本を手がけました。

 「まるきん温泉」という銭湯を中心にした物語ですが、生田斗真、濱田岳、橋本環奈の3人が主役級です。その他、結構有名な俳優さんたちが少しずつの場面で、強力に個性を発揮しています。私の好きなオヤジギャグも満載です。日曜日の15時からFMで放送されている「日本郵便SUNDAY‘S POST」という番組に、小山薫堂さんとアナウンサーの宇賀なつみさんが出演されていますが、この番組で映画「湯道」の出演者が宣伝のためにゲストに来ていました。2月19日は小日向文世さん、26日は厚切りジェイソンさんでした。

 小日向さんは定年退職を迎える郵便配達員の役で、全体の狂言回しを行います。ラストシーンでは、素晴らしいセリフが与えられていました。ラジオでも、そのセリフが一番良かったと話していました。厚切りジェイソンさんは、日本の女性を奥さんに迎えるため、その女性の父親と仲良くなるために、一緒にまるきん温泉に行きます。ところが、びっくりするようなありえない行動をとってしまいます。「それは実際にはないやろ」と思いましたが、ラジオを聞くと、薫堂さんは「この話はフランスで聞いた実話です」と言われていました。ネタバレを避けるため、こんな表現になりましたが、他にも見どころ満載です。劇中歌もシャレが効いてて、素晴らしい。是非一度鑑賞してみてください。お風呂に入って、湯道を極めて、湯豆腐を食べましょう。

 

高級語彙

高級語彙

 言語学者の鈴木孝夫さんによると、「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」としました。そして日本語に対して、英語の高級語彙は門外漢にはなかなか理解できないと言います。

 例えばagoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)という神経症の病名があります。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気の事です。この語はagora(アゴラ)という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ語由来のphobia(フォビア)という「恐怖症」を意味する接尾語が組み合わさってできたものです。専門家でない人がそうした古典語の知識や教養抜きにパッとagoraphobiaを示されてもまったく意味が取れません。しかし日本語ならば「広場恐怖症」という字面を見ただけで、大体の意味内容を推測することができます。

 鈴木孝夫さんはこのように述べています。「なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組み合わせで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである」

 なるほど、その通りなのかもしれません。ヨーロッパでは、大学で一般教養としてラテン語が必修科目だと聞いたことがあります。ただ日本でも漢字を見て、その意味が大体わかるというのは、ある程度の教養が必要になってきているように感じます。日本の小学校でも英語の学習が必修になりましたが、漢字の学習も疎かにしてはいけない気がします。漢字をしっかり学ばないと、園児が返事をせずに、臨時の惨事や珍事が起こり、民事の判事が汝に代わって、点字で印字してしまうかもしれません。

 

薫陶と陶冶

薫陶と陶冶

 薫陶(くんとう)を受ける、薫陶よろしきを得る、という言葉があります。薫陶という言葉はもともと「香を焚きしめて、粘土を焼き陶器を作ること」ということから、自分の徳で人を感化すること。すぐれた人格で教え育てあげること。という意味です。

 芥川龍之介の「手巾(ハンケチ)」という作品に「何故と云えば、先生の薫陶を受けている学生の中には、イプセンとか、ストリントベルクとか、乃至(ないし)メエテルリンクとかの評論を書く学生が、いるばかりではなく・・・」という文章があります。先輩や先生から良い影響を受けて、自分が成長するときに用いられます。

 もう一つ陶冶(とうや)という言葉もあります。これももともと「陶器や鋳物をつくる」という語でしたが、「人の生まれ持った資質や才能を円満完全に発達させること。人材を養成すること」という意味で使われます。「人格を陶冶する」「情操陶冶の教育を行う」という風に用いられます。少し難しい言葉たちですが、語源を知ると、また使いたくなりますね。

 このように、人格形成、人材育成はしばしば作陶(さくとう)、陶器をつくることに喩(たと)えられます。良い陶磁器を焼くためには、材料の粘土や釉薬、そして窯の温度や時間等、多くの手間がかかることから、このような表現が生まれたのだと思います。陶器を焼くためには、早期に冬季に勇気を持って、納期に間に合うように、早期に放棄してはいけません。

 

3.5パーセント・ルール

3.5パーセント・ルール

 アメリカのハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院教授のエリカ・チェノウスさんが書いた「市民的抵抗 非暴力が社会を変える」を読み終わり、社会を見る目が少し変わりました。

 この本は、人々は政治的な暴力―テロ、宗派間暴力、内戦、反乱―を追求することがあるが、これは革命を起こすためには暴力を用いる方がうまくいくからだ、という思いこみがあるからである、というふうに始まります。しかし著者は社会を変革するためには暴力を用いるのではなく、非暴力の市民的抵抗の方が効果が高いことを実証していきます。その例として、1945年から2014年までの間に、世界中で実施された政府機関等に対する389回の市民的抵抗運動を題材に取り上げています。そして運動の観察可能な出来事の絶頂期に、全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説を唱えます。389回の市民的抵抗運動のうち、3.5パーセントのハードルを越えたのは、たった18回しかありません。しかしその18回のうち、明らかに失敗した例は2回だけで、あとの16回はいずれも体制を変革することに成功しています。

 この非暴力の市民的抵抗が成功するためには、大規模な参加、忠誠心のシフト、戦術的イノベーション、抑圧に直面した時に持ちこたえる力、の4つの特徴が必要です。現在でも、軍事力を背景にした独裁者が政権運営を行っている国家が見受けられます。民主的で、人間と環境に優しい国づくりが望まれるところです。革命を起こすためには、悪名を高くして、匿名のふりをして、克明に復命をすることが必要です。

 

 

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

 ウィリアム・シェイクスピアはイングランドで1564年に生まれ、1616年に亡くなりましたから、16世紀末から17世紀に活躍した劇作家です。四大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など、数多くの傑作を残し、現在でもその戯曲は上演されています。当時のロンドンでは多くの演劇が上演されていましたが、シェイクスピア以外の作品は、今ではほとんど上演されません。なぜでしょうか。

 この疑問に答えているのが、劇作家、演出家で、兵庫県立・芸術文化観光専門職大学の学長である、平田オリザさんが書いた朝日新書の「名著入門 日本近代文学50選」です。この本によると、シェイクスピアの時代は、身分が固定され、自由な恋愛ができない封建社会からイギリスでは、エリザベス朝ルネッサンスと呼ばれる時代への過渡期である。ルネッサンス以降、人々は自らの努力によって、恋愛や冨や権力を獲得できるようになった。いや、なったというのは正確ではない。その可能性が生まれた。シェイクスピア劇は近代の黎明の時代に書かれた。人々は「もしかしたら、俺達って、とっても自由なんじゃない?」と考え始めた。新しい文学、新しい芸術は、こうした新しい秩序とともに生まれる。あるいは新しい秩序の完成途上に、その矛盾と向き合う形で生まれていく。その意味でシェイクスピアの戯曲は、新しさを失わない。このような内容です。

 またこの本の主題は、明治以降の日本の近代文学の歴史なのですが、明治、大正、昭和と時代が進む中で、やはり戦争の影響はとても大きいものがあったと書かれています。早く戦争のない世界を作らないと、運送や演奏ができないし、真相や人相もわからないし、連想や論争ができるように、奔走したいと思います。

 

西山太吉

西山太吉

 西山太吉さんという、元毎日新聞社の記者だった人がいます。第二次世界大戦の終了から、沖縄の施政権はアメリカ合衆国のものとなり、アメリカ軍の基地が多数置かれ、特にベトナム戦争では沖縄の基地から爆撃機等がベトナムに向かっていました。このままではいつまでたっても、沖縄はアメリカの統治下のままです。そのころ沖縄出身の歌手、南沙織さんはパスポートを持って、日本本土に来ていました。

 当時の佐藤栄作首相は、アメリカのリチャード・ニクソン大統領と1971年に沖縄返還協定を結び、72年5月15日に沖縄が日本に返還されました。その功績から、佐藤栄作首相にはノーベル平和賞が授与されました。しかし、この交渉の中では、功を焦る日本政府は

①アメリカが沖縄の基地を、これまで通り自由に使い続けること 

②沖縄返還にかかる費用は日本が負担すること

③その代わり、アメリカ軍が沖縄に保管していた核兵器はすべて撤去すること

という交渉をしていました。「していました」というのは、後になってアメリカの公文書が公開されて明らかになったことで、「アメリカが沖縄の地権者に支払う土地原状復帰費用400万ドルを、日本政府がアメリカ政府に秘密裏に支払う」という密約が存在していました。ここで「西山事件」が起こります。西山太吉記者が外務省事務官からこの機密情報を聞き出し、それを当時の日本社会党国会議員に漏洩したのでした。

 事務官と西山さんは逮捕され、裁判で有罪判決を受けますが、この時政府は「密約は存在しない」の1点張りでした。日本政府がウソをついていたわけですが、問題は西山さんの国家公務員法違反という罪に置き換えられてしまいました。また、アメリカの公文書公開からこの密約の存在が確認された後、西山さんは国家賠償請求訴訟を起こしますが、これも敗訴してしまいます。形としては国家に楯突いた西山さんが、嵌められたという構図です。

 この時も「公文書は存在しない」と言われました。最近にも同じような事件がありましたね。また、①のように、現在でも沖縄にはアメリカ軍基地が存在し、辺野古に新しい基地を作りつつあります。②のように、費用負担で言えば「思いやり予算」という名前で継続しています。

 西山さんは1931年生まれですから、現在92歳です。2022年に出版された「西山太吉 最後の告白」という集英社新書では、西山太吉さんと評論家の佐高信さんが対談をしながら、多くの出来事を振り返っています。私も大変勉強になりました。密約の存在を許すと、お金を節約して、活躍することができません。

 

紙芝居・イン・フランス

紙芝居・イン・フランス

 小さい頃に、紙芝居を見たことのある人は多いと思います。保育園や幼稚園、小学校で、あるいは街中でお菓子を買うと、おじさんが紙芝居をやってくれていました。

 そんな紙芝居ですが、発祥の地は日本ということです。その紙芝居をフランスで広めた人がいます。紙芝居作家の「つのゆいこ」さんです。もともと絵を描くことが好きで、美術大学に進学したつのさんですが、舞台美術や演劇にも興味があり、それなら両方ができる紙芝居をやってみようと思い立ったそうです。つのさんは父親の仕事の関係で、0~3歳までの幼少期をフランスで過ごしたということで、子供向けの紙芝居をフランスでやってみたいと思い、行ってきたということです。

 現地では大好評で、2018年にはフランスのラルースフランス語辞典にKamishibai(紙芝居)という言葉が掲載されたほどです。フランスでは紙芝居を通して友人もでき、紙芝居の舞台を作ってくれた人もいたそうです。もちろんフランスではフランス語で紙芝居を行いますが、現在つのさんは日本に帰ってきていて、日本でも紙芝居の普及に取り組んでいます。代表作は「めんどりさんときつねさん」。絵と、つのさんの語りによって、素晴らしい作品に仕上がっています。子供はもちろん、大人にも十分鑑賞に耐える作品です。ユーチューブでも見ることができるので、是非一度見てみてください。

 紙芝居には、ケバい姉ちゃんは出てきませんが、ヤバい話をかばい、ネバい結果が得られるかもしれません。

 

ぼくの職業は寺山修司です

ぼくの職業は寺山修司です

 歌人・劇作家・その他多くの肩書を持っていた寺山修司さんが、あなたの職業は何ですか、と尋ねられたときの答えは「ぼくの職業は寺山修司です」というものでした。

 ある人の中学校の同窓会があり、当時の先生が91歳になっていましたが、担任をした生徒全員の名前を暗唱されたそうです。年をとっても、自分の職業についての記憶が染みついているということです。日本語の職業は、英語ではオキュペーションに当たりますが、もう一つ、コーリングという語があります。(それをするべく)呼ばれている、召喚されているという意味です。自分がここに居ることの意味を問うと、「居る」を「要る」と考えることになります。ただ居るのではなくて、必要とされて要るということです。

 そして、人の生涯は私が生まれることで始まり、死ぬことで終わるのではなく、同時に、何かを受け継ぎ、また引き継がれるものとしてもあるということです。それを全うできたと思えた時にはじめて人は、寺山修司さんの言葉「ぼくの職業は寺山修司です」を、その人なりに口にしうるのでしょう。

 以上の文章は、哲学者の鷲田清一さんが書かれたものを、私が勝手に要約しました。大袈裟ですが、職業を「使命(ミッション)」と捉えられるかもしれません。生涯は受け継ぎ引き継ぐものという視点には、はっとさせられました。使命を果たし、汚名をそそぎ、悲鳴をあげて、記名をして、未明に呼名をしましょう。

 

森林の再生

森林の再生

 日本は国土の面積のうち、森林が67%を占めている森林王国です。しかし、林業は必ずしもうまくいっていないようです。なぜでしょうか。

 日本は第二次世界大戦によって多くの家屋が失われ、戦後その再建のために、多くの木材を必要としました。たくさんの木を切ってしまったため、洪水や土砂崩れなどの自然災害が頻発したため、1964年に木材の輸入を自由化しました。そのため安価で大量の外材が供給され、国産材の自給率が下がってしまいました。林業が他の産業と大きく異なるのは、生産に長期間を要することで、少なくとも30年、長ければ100年かかります。また、それだけの期間をかけて育てた木を伐採した後、次の木を植えていかなければ森林はダメになってしまいます。

 現在は地球温暖化が進んでいると言われています。木材の用途としては「用材(原木を製材や合板類、チップにするもの)」と「燃材(薪や炭、ペレットなどの燃料)」がありますが、石炭、石油などの化石燃料の代わりに木材を用いたり、間伐材を用いたバイオマス発電に利用する等、温暖化をこれ以上進めないために木材が使用できそうです。また、地球上の炭素のかなりの部分が森林に蓄えられていて、光合成による空気中の二酸化炭素の取り込みも期待できます。長く森林の問題に取り組んできた、吉川賢さんが書かれた「森林に何が起きているのか」という中公新書には、世界の森林の現在の状況と、今後の展望が記されています。「世界中の森林が持続的に利用されて、地球環境の保全に欠かせない役割を果たしてくれることを望む」と結ばれています。

 森林を活用すると、近隣の山林の年輪が増えて、世界に君臨することができます。

 

モチベーション

モチベーション

 生徒の皆さんは、モチベーションを高くもって、勉強や部活動に頑張っていますか。モチベーションを高く保つには、どうしたらよいのでしょうか。

 昭和の時代の運動部は、体罰(今はダメです)当たり前(でもないですが)、先生に怒られるから頑張る、先生に怒られないように手を抜く、などということがよくありました。モチベーションは、自分自身から出てくることがあまりなかったのかもしれません。

 モチベーション論には有名な「3人のレンガ職人」という比喩があります。

・レンガを積む作業を、単なる義務だと思うAさん

・レンガで壁を作れば、ご褒美がもらえると思うBさん

・レンガの壁の教会ができれば、みんなが幸せになると思うCさん

この3人の中で最もモチベーションが高いのは誰でしょうか。

 また、運動が脳に効くメカニズムについて、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏の著書「運動脳」では、運動をすることで脳細胞間のつながりを強化し、細胞の生存や成長を促し、老化を遅らせることができるそうです。私のようなおじさんが、運動に対するモチベーションも同様です。

・運動しなければならない、という義務感のAさん

・運動で得られる健康というご褒美を目指すBさん

・運動の先にある大会出場などの体験を楽しむCさん

 Aさんは、長続きしそうにありません。Bさんは少しましでしょう。Cさんはモチベーション高く継続できそうです。感動が大きい人ほど人は行動しやすいようです。生徒の皆さんも、勉強や部活動の先にある感動を目指して、頑張ってみませんか。感動すると、神童と呼ばれた人も、剣道などの運動をして、面倒な問答をせずにすみます。