校長室より

2022年10月の記事一覧

幸福とは

幸福とは

 人は誰しも「幸福」になりたいと思うものです。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。少子高齢化に歯止めはかかりませんし、気候変動問題によって、将来の経済発展に期待は持てません。地域間で、世代間で格差は広がり続けています。政治に対する不信感もあり、ロシアとウクライナの戦争の行方も読めません。「人生は本質的に苦しみだ」と考える人がいても不思議ではありません。苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきかを考えた哲学者がドイツのショーペンハウアー(1788~1860)です。

 彼は、生きる苦しみと向き合い、苦しみの源泉に他ならない欲望を否定し、エゴを超えていこうとしました。厳しい否定による悟りの境地である「意思の否定」を終着点とする「求道の哲学」を唱えました。なるほど、人間には欲望があるために、それが叶えられないとなると幸せにはなれません。最初から欲望を否定すれば、悲しみもなくなるというわけです。しかし、人間は本当に欲望をなくすることができるのでしょうか。ショーペンハウアーは晩年になり、その回答を示しました。

 「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」ためには「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきを目指す」ことが必要です。そして幸福の礎となる「3つの財宝」を規定します。第一に「その人は何者であるか」人柄や個性、人間性などの内面的性質の事で、健康や気質、知性等とそれらを磨いていくことも含まれます。第二に「その人は何を持っているか」金銭や土地といった財産、その人が外面的に所有するものです。第三に「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」他者からの評価であり、名誉や地位、名声等です。

 私たちはたいてい、第二、第三のものを追い求めてしまいます。これらは「~がほしい」「~されたい」という欲望の対象で、どれほど多くを手に入れても、決して満足できないものです。もちろん、この第二、第三の財宝が全く価値がないものであるというのではなく、優先順位を明らかにする必要があるということです。第一の財宝は「内面の富」であり、これが「幸福の源泉」であるとします。人間は、若い間はなかなかこのように思うことができないように思います。他者からどのように見られるかは、気になるものです。しかしある程度年齢を重ねていくと、なるほどと思うようになってくるのも事実です。幸福を求めるためには、降伏せずに、合服を着ましょう。

 

富士山に登る人

富士山に登る人

 日本大学というマンモス大学があります。前の理事長が大騒動を巻き起こして辞任してしまい、どうなるのかな、と思っていたら、卒業生で作家の林真理子さんが理事長に就任しました。林真理子さんと言えば、有名な作家で、小説やエッセイを大量に書いてきています。しかし、大学の理事長という職業は全く別の世界なので、大丈夫かな?と思っていました。その林真理子理事長のインタビューを読みました。そこには漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」に出てくる次のフレーズが登場していました。

 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人は1人もいませんよ」

 漫画「浮浪雲」は、ジョージ秋山さんが1973年から2017年にわたり長期連載した作品です。主人公の「雲」は普段ボーッとしていて、若い女性を見かけると「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と声をかける習慣があります。しかし剣の達人で、顔も広く、哲学的な台詞を多く残しています。大変人気があったので、渡哲也さんやビートたけしさん主演によるテレビドラマやアニメ作品にもなりました。「富士山~」のフレーズも浮浪雲の台詞です。

 富士山に登ろうと思えば、かなりの準備が必要です。道具もいりますし、体力も必要です。高山病の対策も考えねばなりません。準備をしても、当日の天候や風などで登頂できないこともあるでしょう。心に決めないとできないことです。散歩がてらでは不可能です。もちろんこれは、富士山登頂に限らず、あらゆる事に当てはまると思います。生徒の皆さんでは、○○大学に合格したい、次の部活動の大会で優勝したい、来年の体育大会や合唱コンクールではクラス優勝をしたい等、何でも当てはまると思います。

 「優勝しようと心に決めた人だけが優勝するんです。何の準備もしないで優勝するはずがありません」

 私も、小さくても何でも目標をもって、それに向かってしっかり努力をする生活を続けていきたいと思いました。優勝するためには、闘将が交渉をして、通商をして報奨が必要です。

 

 

斎藤隆夫

斎藤隆夫

 兵庫県但馬国出石郡(現在は豊岡市出石町)出身の斎藤隆夫(1870~1949)です。「さいとう・たかを」と平仮名で書くと、昨年亡くなられた「ゴルゴ13」の作者である漫画家になってしまいます。ちなみに「さいとう・たかを」の本名は斎藤隆夫といいます。斎藤隆夫は「勉強したい」という思いを胸に上京し、早稲田大学で学び、アメリカのイェール大学に留学し、帰国後は弁護士を経て、戦前ですので帝国議会の衆議院議員となります。彼は立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、軍部の政治介入に抵抗します。

 彼の国会における演説には有名なものが多数ありますが、まず1936年の「粛軍演説」です。この年には2・26事件があり、また1932年に起こった5・15事件をうやむやに決着させたことが原因であると、軍部に対する批判と、軍部に寄り添う政治家に対する批判を述べました。次に1940年の「反軍演説」です。1937年から支那事変(本来は「日中戦争」と呼ぶべきだが、当時はこの名称が使われた。ロシアとウクライナの「戦争」もロシアは「特別軍事行動」と呼ぶのと似ている)が起こっていて、この戦争と引き起こした軍部を強烈に批判しました。その結果斎藤隆夫は懲罰委員会にかけられ、議員たちの圧倒的多数の賛成によって衆議院議員を除名されてしまいます。

 ところが、次の1942年の総選挙は有名な「大政翼賛会」選挙となります。ほとんど全ての議員が「大政翼賛会」の推薦者として立候補しますが、斎藤隆夫は「非推薦」ながらも但馬選挙区でトップ当選を果たして、衆議院議員に復活します。私が斎藤隆夫のことを取り上げようと思ったのは、当時の状況下における彼の勇気ある言動と、彼を支えた地元の多数の人々の勇気に感心したからです。地元の出石町には、斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられています。斎藤隆夫の思想につながる「大観静思(静かに思いを巡らせる空間)」に由来する名前です。静思は生死を制止して、製紙を静止することができます。

 

 

曾国藩

曾国藩

 近代の中国史の研究家である、京都府立大学教授の岡本隆司さんが岩波新書で「李鴻章」「袁世凱」と書いてきましたが、今回は「曾国藩(そう こくはん)」を出版しました。曾国藩てどんな人? という方も多いと思います。もちろん、私も知りませんでしたので、大変勉強になりました。

 最初の名前は曾子城(そう しじょう)、1811年湖南省に生まれました。当時は清朝にあたりますが、まだまだ科挙(かきょ 公務員試験の飛び切り難しいもの)が行われていて、立身出世のためには科挙に合格することが求められていました。もともと真面目で、コツコツ努力する人だったようで、1838年に合格して、北京での役人生活に入ります。ところが1843年洪秀全(こう しゅうぜん)がキリスト教の一種である上帝教を創立し、1851年太平天国の乱を起こします。当時の清朝の軍隊は腐敗しきっていたようで、全く役に立たず、当時の咸豊帝(かんぽうてい)は曾国藩に任せることにします。曾国藩は私兵である「湘軍(しょうぐん)」を組織して戦いますが、もともと戦いは下手くそで、勝ったり負けたり、軍費にも困りました。結局約10年の歳月と死者数千万人を出しながら、ようやく平定することができました。曾国藩は軍人としては失敗も多くありましたが、希代の名文家で、日記や手紙を多数残していたので、死後すぐに「曾文正公文集(そうぶんせいこうぶんしゅう 文正という、おくり名をもらった)」が編纂されたほどです。また太平天国の乱を戦う中で、弟子として李鴻章(り こうしょう)を重く用いました。李鴻章と言えば、その後清朝ではこれまた私兵の組織である「淮軍(わいぐん)」を率いて活躍し、日清戦争の後の下関講和条約では、清朝の代表として下関の春帆楼(しゅんぱんろう)で、日本側の伊藤博文と交渉しました。春帆楼は現在でもフグ料理で有名な店で、敷地内には下関講和条約で使われたテーブルや椅子が展示されています。私も一度訪れて、フグをいただいたことがあります。

 もともと地味で真面目な秀才であった曾国藩ですが、時代の波の中で慣れない軍人をやらされたという感じです。しかし結果として清朝のために働き、数多くの漢人を殺害したので、後の時代からは、賞賛されたり、批判されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい評価がついて回りました。曾国藩は天津飯が好きだったかもしれません。

 

 

人生は目撃

人生は目撃

 ラジオを聞いていると、作詞家の秋元康さんがこのように発言していました。

 「人生とは目撃である」

 そのときに、その場にいて、実際の現場や、テレビ中継であっても、目撃することが大切だ、という話です。1958年生まれの秋元康さんは、父親に連れられて、1964年の東京オリンピックを見に行き、2021年の東京オリンピックも見ることができたと言われていました。巨人の王、長島の現役時代を知っているとか、アントニオ猪木対モハメド・アリの対戦も見たよ、ということです。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」という曲の作詞を担当したのは、秋元康さんが30歳のときで、「あーあー、かわのながれのよーうーにー」と歌う美空ひばりさんを見たときには鳥肌が立ったそうです。それまでは自分の肩書きを「放送作家」と名乗っていましたが、それ以降は「作詞家」としたそうです。現在でも活躍している矢沢永吉さんですが、昔組んでいたバンド「キャロル」の解散ライブを見たとも話していました。

 「色々な目撃体験をみんな大切にした方がいい。今しか見られないものを見た方がいい。自分の中で最後に残るのは記憶しかないわけだから、それはすごく大事だと思うんですよね」

 私が目撃した中で、いまでも強烈に覚えているのは、1969年のアポロ11号が月に着陸して、アームストロング船長が月に降りたときのテレビ映像です。私が8歳のときで、多分日本時間では夜中で、私自身は眠たかったはずですが、両親に起きて見なさいと言われて見ていたと思います。当時の事ですから、当然白黒テレビで、解像度も良くなかったはずですが、画像は今でも覚えています。

 生徒の皆さんも、香寺高校で行われる文化祭や合唱コンクール、体育大会等は、その年次では高校生活で1回だけのものです。その現場で頑張って競技したこと、見聞きしたことは、かけがえのない自分の経験です。これからも大事にしていきましょう。演劇を目撃したら、激痛が走るかもしれません。

 

 

ドラえもん

ドラえもん

 生徒の皆さんには、9月30日と10月3日の2回に分けて、話をさせてもらいました。前期の最後には「ドラえもんのひみつ道具を使って、誰かに何かをしてあげるお話しを作りましょう」という宿題を出しました。宿題といっても、提出は自由としました。そして後期の始まりでは、種明かしをしました。

 「なぜこのような宿題を考えたのか。私はいつも皆さんにはパワポを使って話をしていますが、今回の終業式と始業式は、話す時間も短く、時期も重なっているので、どんな話をしようと考えながら、おやつに御座候を食べていました。御座候、どら焼き、ドラえもんと思いつきました。「思いつきを形にする」後は話を組み立てていくだけです。皆さんに何を考えてほしかったのか。ある程度の制限のある中で、正解のない問題に対して、自分の発想力で最適解を思いつき、言語化する体験をしてもらいたかったのです」

 生徒の皆さんがいくつか提出をしてくれましたので、その中から2つを紹介します。

 「地平線テープ」狭いところがイヤになったときに使うテープで、これを貼ると、どこまでも地平線が広がる空間になる。「地平線テープ」を体育館に貼ると、雨の日でも色々な競技ができたり、日光に当たらずに体育の授業ができる。

 「かるがる持ち運び用紙」この用紙の上に何かを置くと、吸い込まれて紙になり、紙の重さになるので、軽々と持ち運びができるようになる。「かるがる持ち運び用紙」を使うと、掃除や学校行事の際の大きな荷物運びを手早く終わることができる。

 このように、普段の学校生活の中で、不便に感じたり、こうすればうまくいくぞ、ということを考えてくれました。素晴らしい。このような発想力を大切にして、より良い社会を構築していく力を養ってください。

 確かにドラえもんは、どら息子がドライブしたり、ドラの音を出すわけではありません。 

 

教養とは

教養とは

 小泉信三(こいずみ しんぞう 1888~1966)は慶應義塾大学に学び、経済学者となり、後には塾長を勤めた人物です。1976年からは慶應義塾大学主催の全国高校生小論文コンテストに「小泉信三賞」があり、私が学年主任をしていた頃に、この賞を受賞した生徒が出た覚えがあります。小泉信三は多くの名言を残していますが、その一つがこれです。

 「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」

 現代では「ファスト○○」がはやっているようです。ファストファッション、ファストフードは既に有名です。ファスト映画は、権利者に無断で映像や静止画を利用して字幕やナレーションをつけて作った、実際の映画よりも短い動画を指すとのことです。ファスト教養というのもあるそうです。教養とは、すぐに役に立たないが、身につけるためには時間がかかるけれども、長い目で見るとその人の人生を豊かにするものをいうはずです。ファスト教養とは自己矛盾のはずですが。

 テレビニュースなどで活躍している池上彰(いけがみ あきら)さんの本職は、東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授ですが、彼こそは「教養」「リベラルアーツ」の大切さを説いています。東京工業大学に入学してくる学生ですから、理科系バリバリの学生がほとんどです。その学生に向かって「教養」「リベラルアーツ」を学ばせる訳ですから、かなりの困難が予想されます。その池上彰さんも、小泉信三の名言「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」を取り上げています。逆に言うと「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずっと役に立つ」ということです。

 教養は、強要して身につくものではありません。今日用があることが大切です。