校長室より

ロシア語を学ぶ

ロシア語を学ぶ

 今や世界中を敵に回している感があるロシアですが、歴史的にはロシア文学やロシア民謡には偉大な作品が数多くあります。また普通のロシアの人たちは、ある意味犠牲者と言えるかもしれません。ロシアの吟遊詩人「ブラート・オクジャワ」の「祈り」という歌があります。

 神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ

 賢い者には 頭を 臆病者には 馬を

 幸せな者には お金を そして私のことも お忘れなく・・・

 この歌の解釈は多様で、例えば「賢い者には頭」というのは、賢さとは心で悟るものだから頭脳とは別物だということを、「幸せな者にはお金」が必要なのは、幸福か否かはお金の問題ではないことをそれぞれ暗示しているという説があります。また、そうではなく全体として一般常識的な固定観念に対する皮肉であるという説もあります。そしてまた、それらの解釈とはまた別の層にある要素として、この詩には言語への希求のようなものがあるという説もあります。賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことにもなります。新しい語学を学ぶということは、新しい発見があるものです。

 この歌を紹介してくれたのは「奈倉有理(なくら ゆり)」さんですが、彼女は1982年生まれで、2002年にペテルブルグに留学し、2008年に日本人としては初めてロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業し、多くのロシア文学の翻訳書を出版し、ロシアの動向について発言をしています。ちなみに「ゆり」という名前は日本では主として女性の名前でしょうが、ロシアでは「ユーリー」は男性の名前だそうです。彼女の著書である「夕暮れに夜明けの歌を」では、彼女がロシア語に魅せられて、語学を学ぶ中での学生や先生、近所に住むロシアの人たちとのやりとりやエピソードを記したエッセイです。一人の日本人と普通のロシア人たちは、生活して交流して当たり前のように友情を築き上げていきます。当たり前の日常が、早く戻ってくることを願わざるを得ません。当たり前だのクラッカー(若い人には分からない?)。