斎藤隆夫
斎藤隆夫
兵庫県但馬国出石郡(現在は豊岡市出石町)出身の斎藤隆夫(1870~1949)です。「さいとう・たかを」と平仮名で書くと、昨年亡くなられた「ゴルゴ13」の作者である漫画家になってしまいます。ちなみに「さいとう・たかを」の本名は斎藤隆夫といいます。斎藤隆夫は「勉強したい」という思いを胸に上京し、早稲田大学で学び、アメリカのイェール大学に留学し、帰国後は弁護士を経て、戦前ですので帝国議会の衆議院議員となります。彼は立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、軍部の政治介入に抵抗します。
彼の国会における演説には有名なものが多数ありますが、まず1936年の「粛軍演説」です。この年には2・26事件があり、また1932年に起こった5・15事件をうやむやに決着させたことが原因であると、軍部に対する批判と、軍部に寄り添う政治家に対する批判を述べました。次に1940年の「反軍演説」です。1937年から支那事変(本来は「日中戦争」と呼ぶべきだが、当時はこの名称が使われた。ロシアとウクライナの「戦争」もロシアは「特別軍事行動」と呼ぶのと似ている)が起こっていて、この戦争と引き起こした軍部を強烈に批判しました。その結果斎藤隆夫は懲罰委員会にかけられ、議員たちの圧倒的多数の賛成によって衆議院議員を除名されてしまいます。
ところが、次の1942年の総選挙は有名な「大政翼賛会」選挙となります。ほとんど全ての議員が「大政翼賛会」の推薦者として立候補しますが、斎藤隆夫は「非推薦」ながらも但馬選挙区でトップ当選を果たして、衆議院議員に復活します。私が斎藤隆夫のことを取り上げようと思ったのは、当時の状況下における彼の勇気ある言動と、彼を支えた地元の多数の人々の勇気に感心したからです。地元の出石町には、斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられています。斎藤隆夫の思想につながる「大観静思(静かに思いを巡らせる空間)」に由来する名前です。静思は生死を制止して、製紙を静止することができます。
学校紹介・美術工芸部紹介
サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
Copyright(C)2019-
Kodera High School of Hyogo
All rights reserved.
このサイトの著作権はすべて
兵庫県立香寺高等学校にあ
ります。画像・PDFなど、
サイト内にある全てのコンテ
ンツの流用を禁じます。