校長室より

ないものねだりより、あるもの探し

ないものねだりより、あるもの探し

 斎藤幸平さんという学者がいます。大阪市立大学から東京大学へ転勤しましたが、2021年に出版した『人新世の「資本論」』という集英社新書が有名になり、新書大賞2021を受賞しました。マルクスの資本論を読み直して、環境問題や社会的資本の大切さを重視すべきだという内容でした。その斎藤さんが、日本各地の現場を取材して、毎日新聞に連載していた文章をまとめて「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を出版しました。この本の中で、水俣を取材する中で出会った言葉が「ないものねだりより、あるもの探し」というものです。

 私たちは、日々の生活に追われて忙しくしていると、どうしても「ないものねだり」をしてしまう傾向があると思います。「もう少しお金があったら」「1日が25時間あったら」「私の成績が良くないのは先生のせいだ」等々。しかし、ないものねだりというのは、文字通り「ないもの」なのです。ないものをねだっても、あるものは生まれてきません。それよりも「あるもの」を探す方が、はるかに前向きだと言えます。あるいはもっと言うと、多くの人の力を借りながら、自分の力で「あるもの」を生み出していけば良いわけです。現在の世界には、閉塞感があるようにも思いますが、この本では多くの地域で、少しでも良い社会を作っていくために、努力している人たちの姿が描かれています。斎藤さんは学者であるからこそ、実際の現場から学び直しをしなければいけないと強調しています。

 学者が作者に代わって、役者として拍車をかけると、落車してしまうかもしれません。