2021年9月の記事一覧
いじめ、差別
いじめ、差別
今回は重たいテーマですが、いつも以上にしっかり書きますので、しっかり読んでみて下さい。
「あなたはいじめや差別を良いものだと思いますか」
こう問われて「はい」という人は、ほとんどいないと思います。では、
「いじめや差別はいけない、と思う人が大半なのに、いじめや差別がなくならないのはなぜですか」
この問いにきちんと答えられる人は、どれほどいるでしょうか。一つの回答として、
「いじめや差別はたいてい悪意のない人がする」
ということが考えられます。どういうことか、二つの例をあげてみます。
① 「もうすっかり日本人ですね」
国外から日本に移り住んでいる移住者にたいして、日本語も上手になったので、賞賛の意味でこう言うことはないでしょうか。しかしこれは聞き手にとっては「我々(多数である日本人)は、あなた(少数である移住者)のことを、いまだに完全なる日本人とは見ていない」という前提での発言だと捉え、侮辱的に感じられることがあるようです。
② 「希望をもってください」
障がいがある人に対して、励ましの言葉としてこう言うことはないでしょうか。しかしこれも聞き手にとっては「健常者から見ると、障がいがありながらの生活には、希望がないという前提での発言である」と聞こえることがあります。
これらは「意図的に差別をしようと思った」発言ではありませんが、実は多数派の価値観に根ざした言葉と捉えられ、結果として聞き手には不快な思いをさせてしまうものです。こう考えると、私も知らないうちに、人を傷つけるような発言や態度をしたことがあったのではないか、とても不安に思います。性別、障がい者、セクシャル・マイノリティ、移住者等に対して、自分が立つ位置によっては、ある意味「特権」を持っていることが見えにくくなってしまいます。
「差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心を持つことも、極めて容易なことだ。誰かを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない」ので、「私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を『差別されないための努力』から『差別しないための努力』に変える」必要があります。登別で判別できるようにキャベツを食べながら、差別を考えましょう。
猫の話
猫の話
「我が輩は猫である。名前はまだない。」これは夏目漱石のデビュー作「我が輩は猫である」の書き出しです。今回は猫の話です。ちなみに我が家の飼い猫は「みーちゃん」と言います。
大変忙しくて、人手不足のときには「猫の手も借りたい」と言います。「猫の手」では役に立たないと言うことが前提にあることを踏まえたことわざです。「猫に小判」は猫には小判の値打ちは分からない、と言うことを前提に「価値の分からない人に貴重なものを与えても、何の役にも立たないことのたとえです。他にも「猫をかぶる」「ネコババ」等、あまり良くないたとえに使われている例が多いような気がします。また、12の動物が出てくる干支には、戌年はありますが、猫年はありません。
では外国を見てみましょう。フィンランドのことわざに
「『やり方はいくらでもある』と、おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った」
というものがあります。これは「意外なところに道がある、解決策は一つではない」という意味だそうです。実際に猫でテーブルを拭くことはないでしょうが、背景にはフィンランドに息づく「sisu(シス)」の精神があるようです。sisuは「勇敢で、粘り強く、忍耐強く、諦めない姿勢と態度」のことで、「フィンランド魂」と訳されることもあるようです。フィンランドは極寒の国ですから、このような言葉が生まれてきたのかもしれません。コロナ渦の今、見習いたい姿勢と態度でしょうか。
「我が輩は猫である。名前はみーちゃんという。」という書き出しで、木村漱石も小説を書いてみましょうか。
悩み、不安、心配事
悩み、不安、心配事
生徒の皆さんは、悩みや不安、心配事がありますか。全くないという人はいないかもしれません。高校生の年代だと、勉強の事、進路についての事、友人関係や、自分の容姿についての悩みもあるかもしれません。最近だと「新型コロナに感染したらどうしよう」という不安もあります。年齢を重ねるにつれて、心配事は変化していく場合が多いです。私のような年齢になると、自分や親の健康問題等が気になってきます。
さて、悩みや不安を感じたときはどうしたら良いのでしょうか。解消方法は人によって様々だと思いますが、やはり自分以外の人に相談してみることが一番ではないでしょうか。自分が信用できる相談相手がいるとすれば、それは大変ありがたいことです。自分の親や、友人はもちろん、高校の先生やキャンパスカウンセラーの先生等も相談に乗ってくれると思います。最近だとSNSを使って聞いてみるという方法もあるようです。
しかし、誰に相談したところで、自分の気持ちが変わらなければ、悩みは解消されません。他人には「何だ、それくらいのことでクヨクヨするな」と思われることでも、自分としては「夜も眠れないくらい悩んでいる」ことはよくあることです。ではどうすれば良いのか。まず一つ目は
「心配事の9割は、実際には起こらない」
こういうタイトルの本も出版されていますし、アメリカの科学者による研究結果もあるようです。二つ目は
「なんくるないさ」「ケ・セラ・セラ」
沖縄の方言である「なんくるないさ」と、スペイン語の「ケ・セラ・セラ」は同じような意味で「大丈夫、たいしたことはないよ、きっとうまくいく」という意味です。三つ目は
「先のことではなく、今できることに集中せよ」
禅宗に「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という言葉があります。「余計なことは考えず、お茶をいただくときには、お茶を飲むことだけに集中して、ご飯をいただくときにはご飯を食べることだけに集中しなさい」という意味です。
皆さんも悩み、不安、心配事があれば、人に相談して、自分の気持ちの持ちようを考えてみて下さい。相談するときは、階段を使って降壇しながら行いましょう。
宇宙人と出会う前に読む本
宇宙人と出会う前に読む本
生徒の皆さんは、宇宙人は存在すると思いますか。私は小さい頃から「宇宙人はどこかにはいる」と思ってきました。「宇宙はものすごく広いから、どこかの星には地球と同じような星があるに違いない」というのが理由です。
今回は、筑波大学研究員の高水裕一さんが書いた、講談社ブルーバックス「宇宙人と出会う前に読む本」から紹介します。この本では、「地球人」と「宇宙人」が交流するという架空の話を通して「地球での常識と宇宙での常識」を考えるという内容になっています。以下、いくつか紹介します。
① あなたはどこから来たのですか。
「地球という惑星から来ました」これでは全く通じません。正解は「天ノ川銀河の中心から約2.6万光年離れたG型恒星(緑色や黄色をした軽量型の恒星)である太陽を公転する惑星のうち、内側から3番目にある地球から来ました」
② あなたは何でできていますか。
「私は原子でできています。現在の地球の素粒子物理学では、物質の究極の最小単位は電子とクォークであると考えられていますが、あなたの惑星ではどうでしょうか」現在地球で用いられている元素の周期表は、宇宙でも通用します。
③ あなたたちの太陽と月は、いくつありますか。
「地球では太陽も月も一つです」そんな惑星は、宇宙では大変珍しいものです。すべての恒星のうち半分以上は「連星」で三重やそれ以上の連星もあります。太陽が二つ、三つある場合は、日の出や日の入りを定義したり、そもそもカレンダーをどのように作るのか、とても大変です。また月のような衛星の数も、太陽系ですら水星と金星にはありませんが、火星は二つ、木星は72個、土星は53個となっています。日食や月食が頻繁に起こることになります。
他にも、「あなたは左右対称ですか」「エネルギーは何を使っていますか」等、地球人の常識が、宇宙人の常識とは異なる事例が述べられています。自分たちの物事の見方を考え直す、とても面白い本でした。見方を考えるためには、味方を多くして、少なくとも三方から見つめ直すことが必要です。
学校9月入学制
学校9月入学制
日本の学校制度では、1年は4月に始まり、3月で終了します。また、日本の国家予算の編成と執行も同様です。国の予算会計年度については、もともと稲の収穫が終わり、その米が換金される時期に合わせたことからくるとも言われています。江戸時代の話が現在まで残り続けているのでしょうか。
さて、学校9月入学制度についてです。2020年春、コロナ渦による学校休校が続く中で、休校の遅れを取り戻すために、学事暦を半年後ろにずらす、この制度の導入についての議論が始まったかのように思われます。当時の萩生田文部科学大臣も導入に理解を示し、当時の安倍首相も「前広に判断する」と発言しました。しかし、全国の小中高校で実施するには多くの困難な点が指摘され、結局この制度の導入は見送られました。
実は日本における9月入学制度の導入については、1980年代から議論がなされてきました。一番大きなメリットは世界中の学事暦は、ほとんどの国が9月に始まり、8月に終わることです。特に大学としては、留学等において諸外国と同じ学事暦にすることが望まれてきました。1987年の臨時教育審議会答申では「秋季入学制に移行すべく、関連する諸条件の整備に努める」と要請されました。しかし、入口と出口の問題を解消できる方策が難しく、実現はされません。2011年には東京大学で「秋入学構想」が盛り上がりました。これはグローバル化が進む中、東京大学としても危機感があったために議論がなされましたが、これまた実現はされませんでした。これらの歴史を振り返ると、今回の2020年春の議論はコロナ渦で大変だということだけで、これまで実施を拒んできた要因を解消しないままの議論であり、思いつきの案であったことがよく分かります。
大学だけでも9月入学を実施したいと考えている人たちは数多くいると思います。しかし、高校を卒業して4月から8月までの期間をどうするのか、8月に卒業したら、就職はいつになるのか、就職活動の期間はどうするのか等、解決しなければならない課題は山積みです。「課題が多いから現状維持で行こう」これでは何も変わりません。コロナ渦で大学の「グローバル化」「オンライン化」が進む中、日本だけが取り残されていくのでしょうか。学校が秋に始まっても、飽きないと思いますが。
京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話
京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話
2019年7月18日に起こった、京都アニメーション放火殺人事件は36人の死亡者と35人の負傷者を出した衝撃的な事件でした。放火に携わったと思われる容疑者自身も全身の93%に及ぶ大火傷を負い、生死の淵をさまよいましたが、一命をとりとめました。その際に治療に当たった医師が、当時近畿大学付属病院で救急医療を担当していたA医師です。
火傷はその程度によって、Ⅰ度Ⅱ度Ⅲ度と分かれるようです。Ⅰ度は、日焼けしたときも該当します。Ⅲ度は一番表面の表皮だけではなく、その奥にある真皮まで到達した場合です。今回の容疑者は当然Ⅲ度でしたが、たまたまウェストポーチをつけていた部分で、8cm四方の皮膚だけが健常な状態で残っていました。その部分を切り取り、培養して何枚にも増やしてから火傷の部分に移植手術をしました。また、皮膚がない状態なので、感染症や敗血症になる可能性もあります。血液中の水分が身体の外へ出て行くことが続くと、血圧が下がったり、腎臓に血液が回らなくなると、腎不全を起こしたりもするようです。A医師も最初は「助からない」と思ったようですが、必死の治療が続き、命は救われました。
最近のことですから、数多くの批判の声があったようです。「そんな凶悪犯人の命を救うことに値打ちがあるのか」「どうせ死刑になるだけだ」「高額の治療費は誰が払うのか」等です。A医師は「目の前にいる患者を助けるのが僕らの仕事だ」ということでした。彼は大学2年生の時に「阪神淡路大震災」を経験し、2005年にはJR福知山線脱線事故の負傷者の治療を担当し、京アニ事件を担当した後、2020年4月からは鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授として勤務をされています。彼の言葉です。
「救急医療にスーパースターはいらない。味方が失敗したら仲間がカバーする組織が一番強い」
「救急医療」の部分を入れ替えると、多くの組織運営に当てはまるフレーズだと思います。毎日目先の事だけにキュウキュウとしているようではダメですね。
学校紹介・美術工芸部紹介
サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
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