校長室より

ぼくの職業は寺山修司です

ぼくの職業は寺山修司です

 歌人・劇作家・その他多くの肩書を持っていた寺山修司さんが、あなたの職業は何ですか、と尋ねられたときの答えは「ぼくの職業は寺山修司です」というものでした。

 ある人の中学校の同窓会があり、当時の先生が91歳になっていましたが、担任をした生徒全員の名前を暗唱されたそうです。年をとっても、自分の職業についての記憶が染みついているということです。日本語の職業は、英語ではオキュペーションに当たりますが、もう一つ、コーリングという語があります。(それをするべく)呼ばれている、召喚されているという意味です。自分がここに居ることの意味を問うと、「居る」を「要る」と考えることになります。ただ居るのではなくて、必要とされて要るということです。

 そして、人の生涯は私が生まれることで始まり、死ぬことで終わるのではなく、同時に、何かを受け継ぎ、また引き継がれるものとしてもあるということです。それを全うできたと思えた時にはじめて人は、寺山修司さんの言葉「ぼくの職業は寺山修司です」を、その人なりに口にしうるのでしょう。

 以上の文章は、哲学者の鷲田清一さんが書かれたものを、私が勝手に要約しました。大袈裟ですが、職業を「使命(ミッション)」と捉えられるかもしれません。生涯は受け継ぎ引き継ぐものという視点には、はっとさせられました。使命を果たし、汚名をそそぎ、悲鳴をあげて、記名をして、未明に呼名をしましょう。