校長室より

二刀流

二刀流

 今「二刀流」と言えば、アメリカメジャーリーグの大谷翔平選手の、ピッチャーとバッターの両方へのチャレンジが1番最初に出てくると思います。「二足のわらじ」という言葉もありますが、昔の日本ではあまり良いイメージではなかったように思います。一つの道を果てしなく究めることの方が、素晴らしいという感じでしょうか。

 しかし昔にも非常に高いレベルで「二刀流」を極めた人もいました。1946年生まれのきたやまおさむ(本名 北山修)さんです。きたやまさんといえば、1967年にザ・フォーク・クルセイダーズというバンドに所属し「帰ってきたヨッバライ」が300万枚近い大ヒットになりました。当時としては全く新しい「何や、これ」みたいな音楽でした。その後も「戦争を知らない子どもたち」の作詞をするなど、作詞家、音楽家として活躍しました。その頃、彼は京都府立医科大学の学生でもありました。きたやまさんは音楽活動をする時は平仮名の「きたやまおさむ」を用い、心療内科、精神科の医師として活動するときは漢字の「北山修」を用いました。

 「『裏』は大事です。『楽屋』と言ってもいいのですが、すべて表だと人はつらくなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が、誰しも必要です。私にとっては大学でした。私が、不特定多数とやりとりする表では平仮名の名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じです」

 きたやまさんの現在の肩書きは作詞家、精神科医、白鴎大学長と「三刀流」になっています。

 「人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、むなしさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリアムの時間も必要でしょう。学長としては授業に来なくていいとは言えませんが」

 きたやまさんほど高いレベルで、複数の事をやり遂げることは難しいと思いますが、私も「おやじギャグラー」「理科の散歩道執筆者」「県立高校の教員」の三刀流(?)で頑張っています。