校長室より

小津と芭蕉の共通項

小津と芭蕉の共通項

 「江東区が世界に文化的に誇れるのは、松尾芭蕉と小津安二郎だ」作家の高橋治さんが残した言葉です。

 今年で生誕120年を迎える日本映画界の巨匠、小津安二郎(1903~63)は東京都江東区深川で生まれ、小学生の頃に三重・松阪に引っ越し、約10年を過ごした後に深川に戻り、映画界に入りました。映画監督として「東京物語」「晩春」「麦秋」といった世界的にも著名な代表作の数々を、脚本家の野田高梧、俳優の原節子、笠智衆といった「小津組」と呼ばれるおなじみの顔ぶれで制作しました。

 日本を代表する江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~94)は伊賀上野の出身なので、忍者かもしれないという説があります。亡くなるまでの約14年間、深川の芭蕉庵を主な拠点とし、「野ざらし紀行」や「おくのほそ道」などの旅に出ました。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を詠んだ場所も深川の芭蕉庵でした。芭蕉には蕉門(しょうもん)という一門があり、俳諧連歌は弟子たちと一緒に作り上げるものでした。「古池や~」の句は、芭蕉庵に集まった弟子たちと行った句会で、芭蕉が詠んだ最初の一句(発句)でした。

 俳諧と映画監督という違いはありますが、世界的にも有名なこの2人が、東京深川と三重にゆかりがある人物だということは、私も知りませんでした。また、芭蕉の俳句と小津の映画はともに集団創作であり、蕉門と小津組は似ていると言えるかもしれません。

 小津は、オズの魔法使いを、芭蕉は場所をわきまえて、作品を作り続けたのかもしれません。