校長室より

校長室より

食育のあれこれ

食育のあれこれ

 今から15年くらい前に「食育」という言葉が流行しました。生徒の皆さんは聞いたことがありますか。食育とは何の事なのでしょう。

 実は、食育という言葉を最初に用いた人は石塚左玄(いしづか さげん)で、明治時代に陸軍の医師・薬剤師として活躍しました。1896年「体育智育才育は即ち食育なり」という言葉を残しています。また明治の小説家である村井弦斎(むらい げんさい)も「食道楽」という著書で食育の大切さを説きました。

 こんな昔の言葉を探し出してきて、2005年「食育基本法」が制定され「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられました。ここまでの話でしたら、別に何の問題点(?)もないように思います。

 ここからは「カルビー」と「マクドナルド」の関係者の方々には誠に申し訳ない話になってしまいます。前もってすみませんと書いておきます。食育の推進の前提にあるのは「栄養の偏り」「不規則な食事」「肥満や生活習慣病の増加」「過度の痩身志向」「日本の食が失われる危機」等、これではダメだというものがあります。ところがカルビーやマクドナルド等の企業は、この食育運動を推進しているのです。いわゆるスナック菓子やファストフードと、食育活動は相容れないものだと思いますが、いかがでしょうか。もっと言うと、人が食べるものを国が決める、方向付ける、なんて事があっても良いのでしょうか。

 朝ご飯は食べた方が良いでしょう。夕食は一家団欒で、家族全員がそろうことが望ましいでしょう。でも分かっていても、できない家庭状況、経済状況にあるご家庭はたくさんあるはずです。大きなお世話という感じです。食育の今後の行き先は、どっち行く、こっち行くという感じです。

 

 

新年度のご挨拶

新年度のご挨拶

 2022年度、令和4年度が始まりました。昨年度に引き続き、木村篤志が兵庫県立香寺高等学校の校長を勤めさせていただくことになりました。

 今年度も「校長室より」を継続していきますので、ご期待(?)下さい。世の中は、新型コロナウイルスの感染者数が、わずかながら増加傾向にあり、ロシアとウクライナの戦争にも、大きな変化が見えない状況が続いています。円安や物価の上昇傾向も気になるところです。兵庫県の教育界でも、先日県立高等学校の統廃合の案が示され、旧の姫路福崎学区ではかなりの数の統廃合が実施されるようです。香寺高校でも、これまでご尽力いただいた何人かの先生方が退職、転勤されました。また新たに本校に採用、転勤された先生方をお迎えしました。新しい体制で、教育活動に取り組んで行きます。

 「1年の計は元旦にあり」といいます。高等学校では、4月1日が元旦ですから、私も目標を考えました。

「香寺高校で良かったね」

 高等学校の使命は、高校生を育てることです。学習に部活動に、学校行事に力一杯頑張らせたいと思います。生徒が「香寺高校で高校生活を送ることができて良かったね」。生徒を育てるのは先生方です。先生方が「香寺高校で教員として勤めることができて良かったね」。生徒を高校へ通わせているのは、保護者の皆様です。保護者の方々が「子供を香寺高校へ通わせて良かったね」。同窓会や地域の方々にも大変お世話になっています。「この地域に香寺高校という高等学校があってくれて良かったね」。

    関係する皆様方から「香寺高校で良かったね」と思ってもらえるように、私も頑張っていきます。高校は船が航行するように、野球が後攻でも、親孝行を忘れずに運営されていきます。

 

 

文化相対主義

文化相対主義

 今回は「人類学」の世界では有名な「文化相対主義」です。これは「全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想のこと」で、20世紀になってからアメリカの人類学者であるフランツ・ボアズが提唱し、ルース・ベネディクト(1946年に出版された、日本文化を記述した「菊と刀」の著者)によって確立されたと言われています。

 対義語は「自文化中心主義」で「自分たちの文化を基準として、他の文化を否定したり低く評価したりする考え方」のことです。産業革命以後、ヨーロッパの国々が「帝国主義」のもと、アジアやアフリカを植民地にしていきました。これは当時の西洋人たちが「正しい知識のもと、進んでいる文化」を持っており、遅れているアジアやアフリカに対して「助けてやっているんだ」という考え方をしていたということです。

 文化相対主義の具体的な例を見てみましょう。例えば「食文化」があげられます。日本には、ご飯、みそ汁、漬物といった日本食、和食の文化があります。欧米ではパンにステーキ、ワインといったメニューがあります。中華料理や、インド料理も1つの食文化です。また食べ方も、はしを使う、ナイフやフォークを使う、手づかみで食べる等の違いがあります。自国の人から見れば、他国の文化が異様に見える場合がありますが「文化相対主義」は個々の文化に対して固有の価値を認めます。そして、序列や順位をつけません。

 こうして世界には様々な文化が存在し、それぞれの文化を認めて、グローバルな社会を作っていきましょう、という風潮があったはずなのですが、コロナ渦と、戦争によって、再び「自文化中心主義」の考え方が出てきているような気がします。宇宙から見た地球は、青く美しく、国境の線は見えません。人間が勝手に国境を決めてしまいました。文化相対主義で、総体を早退してはいけません。

 

 

プーチンが目指すもの

プーチンが目指すもの

 ロシア軍がウクライナに侵攻して1ヶ月になります。世界中からの非難を受けながら、プーチンは何を、そして誰を目指しているのでしょうか。現在のロシアとその前のソ連、そのまた前の帝政ロシアを振り返ってみましょう。

 1人目はソビエト連邦を形作った「ヨシフ・スターリン」です。1917年のロシア革命でロマノフ王朝が倒され、ウラジミール・レーニン(プーチンと同じ「ウラジミール」というファーストネームです)率いるソビエト連邦が成立しました。1924年にレーニンが死去した後、ソ連共産党書記長として最高指導者となったのがスターリンです。スターリンはソ連という国家を作り、第二次世界大戦ではドイツ軍を撃退し、戦後は国連の常任理事国となり、多くの成果を上げたという一面もあります。しかし猜疑心が強く、数知れない多くの人々を粛清と称して処刑や投獄、追放処分を行った独裁者でもあります。現在でも否定的な存在だと思われるので、プーチンが目指す目標ではないと思われます。

 2人目は約300年続いたロマノフ王朝の皇帝「ピョートル1世」です。彼は1672年から、亡くなる1725年までツァーリの地位にあり、軍隊を整備し、他国との戦争の結果、ロシアの領土を増やすことに成功しました。当然、ロシア側からすれば「英雄」になるのでしょうが、侵略された側からすると憎き悪人ということになります。プーチンは大統領執務室にピョートル1世の肖像画を飾っていたと伝えられているので、彼が目標だと思われます。

 そうすると、軍隊を強化して「ロシアの安全のため」という理由をこじつけて、他国に攻め込む政治指導者、ピョートル1世とプーチンが重なる存在となります。本当にプーチンがピョートル1世を目指しているのなら、これはすぐに解決する戦争ではないような気がしてきます。ピョートルではなく、平和をトルにしたいものです。

 

 

自信と過信は紙一重

自信と過信は紙一重

 日本代表も務めた、プロサッカー選手の大久保嘉人(おおくぼ よしと)さんが現役を引退されました。彼は現役時代にフォワードとして活躍し、J1通算最多得点記録191得点をマークしましたが、J1通算最多イエローカード記録104枚をマークした、いわゆる「やんちゃ小僧、熱い男」です。

 大久保選手は長崎県国見高校の出身ですが、国見高校と言えば、小嶺忠敏(こみね ただとし)監督です。全国高校サッカー選手権で6回優勝した大監督ですが、長崎県の教員を定年退職した後も、長崎総合科学大学附属高等学校の監督として活躍されましたが、残念ながら2022年1月に亡くなられました。

 小嶺監督が大久保選手にかけた言葉で、大久保選手が今でも覚えているものが、冒頭の「自信と過信は紙一重」という言葉です。小嶺監督は、サッカー選手としての大久保さんのことを、非常に高く評価していたに違いありません。だからこそ、プロの世界へ飛び込む大久保選手にこの言葉を送ったのだと思います。

 プロの選手ですから、自信がなければやっていけません。またプロの選手で期待されながら、思うように活躍できずに姿を消してしまう選手たちも後を絶ちません。自信は必要ですが、過信になってはいけません。しかし、その境目は本当に微妙な差でしかありません。その事をよく自覚して練習に、生活に励みなさいということです。私がこの言葉を聞いたとき、これはプロの選手だけに当てはまるものではないと感じました。学生であったり、社会人全般に当てはまると思ったので、ここで紹介しています。生徒の皆さんも、自信をもって、過信せずに、都心で、ニシンでも食べて、ミシンを使って、苦心してください。

 

抵抗の新聞人 桐生悠々

抵抗の新聞人 桐生悠々

 桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)、本名桐生政次という人がいました。1873年に石川県金沢で生まれ、第四高等学校から帝国大学法学部に進学したと言いますから、当時の超エリートです。しかし卒業後は、短期間で職業を転々とします。そんな中、栃木県の下野(しもつけ)新聞を皮切りに、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞、東京朝日新聞で記者を勤め、1910年長野県の信濃毎日新聞の主筆(しゅひつ)に就任します。主筆という言葉は現在では馴染みがありませんが、新聞の社説を書いたり、コラムを書いたり、記事をチェックするという仕事をする人です。反権力、反軍的な言論を繰り広げ、表現の自由のためにペンの力で立ち向かいます。

 1914年に信濃毎日新聞から新愛知新聞に移りますが、1928年に再び信濃毎日新聞に戻ります。1933年、彼が書いた社説の中で最も有名になった「関東防空大演習を嗤う(わらう)」が発表されます。これは東京を中心として関東一帯で行われた防空演習を批判したもので、文章の中身は至極当然な内容で、12年後に現実となる東京大空襲を予言するものでした。しかし当時の陸軍は「嗤う(さげすみ、笑う)」という言葉に反応したようで、彼は信濃毎日新聞を追われてしまいます。

 以後は「他山の石」という個人雑誌を出版していきますが、変わらぬ政府や軍部に対する批判を書き続け、発禁処分を何回も受けることになります。1941年、太平洋戦争開戦の3ヶ月前に、喉頭ガンのため、68歳の生涯を閉じます。

 1980年、長野県出身のジャーナリストである、井出孫六(いで まごろく)による岩波新書「抵抗の新聞人 桐生悠々」が出版されました。私はこの本を読んだ覚えがあるのですが、2021年に岩波現代文庫として再版されました。井出孫六は2020年に亡くなられたのですが、今回の再版では、同じく長野県出身のフリージャーナリストである青木理(あおき おさむ)が解説を書いています。青木理は、現在も週刊誌、新聞、テレビなどで、活躍しています。桐生悠々、井出孫六、青木理と受け継がれてきた反権力のジャーナリスト魂を感じることができました。魂のこもった文章を読むことは楽しいですね。

 

文明の衝突

文明の衝突

 戦争状態になっています。21世紀になって、こんな前近代的な出来事が起こるとは、人間とはいかに愚かな生き物なのでしょうか。ロシアのプーチン大統領がいなければ、こんな事にはなっていないと思いますが、プーチンだけが悪者であるとも思えません。第2、第3のプーチンが出てこないとも限りません。一刻も早く、戦闘状態が終結することを祈るばかりです。

 さて、1996年にサミュエル・ハンチントンが書いた「文明の衝突」という書籍が出版されました。日本語訳は1998年に出され、かなりな評判になりました。これは1991年に旧ソ連が崩壊して、「冷戦」と呼ばれた資本主義対共産主義の対決が終了して、平和な世界が訪れるかもしれないという期待があった時期に書かれたものです。そこには、冷戦が終了したとしても、異なる文明の国の間では、衝突が起こりうるということが予言されていました。例えば、アメリカとイスラム勢力との対立、アメリカと中国との対立等です。まさに、冷戦後の対立関係を予言して、的中しているところがあります。またこの本の中には「ロシアがウクライナを攻撃するかもしれない」という一節があります。もちろん歴史的にはウクライナもロシアもソビエト連邦を作っていた兄弟国ですから、私は戦争になることなどは予測できないと思っていました。しかし、ウクライナはロシアやヨーロッパから侵略された歴史を持ち、どちらかと言うとヨーロッパに親近感を持つ人々が多いように思われます。ハンチントン氏は、いわゆるヨーロッパとロシアの間には「文明の衝突」があるかもしれないと、20年以上前に予測をしていました。

 戦争を始めるのも人間ですから、戦争を止めるのも人間の力だと思います。私たちの力も微力ですが、無力ではないと思っています。

 

旧暦と二十四節気

旧暦と二十四節気

 現在の日本の暦(こよみ)は、1582年ローマ教皇グレゴリウス13世が改良した太陽暦である「グレゴリオ暦」を採用していますが、この暦を採用したのは1872年、明治5年からです。それまではいわゆる「旧暦」と称する「太陰太陽暦」を用いていました。太陽暦はその名の通り、太陽の運行に着目した暦ですが、太陰暦は月の満ち欠けに着目した暦で、古代中国で成立したものを日本も長く採用してきました。古文を勉強するときに、現在の暦とずれているのはこのためです。

 太陰暦では1ヶ月という期間を、満月から満月まで、または新月から新月までとします。そうすると1ヶ月は29日または30日になり、1ヶ月という単位は考えやすいものになります。しかし、1年12ヶ月は約354日になるため、太陽暦の365日に対して約11日短くなるため、3年に1回程度、閏月(うるうづき)を入れて季節の調整をしなければなりませんでした。

    旧正月というのは、太陰暦で元日にあたる日のことですが、通常は雨水(うすい)2月19日ごろの直前の朔日(さくび)すなわち新月の日を指します。具体的には1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動します。中国等では現在でもこの旧正月を春節(しゅんせつ)と呼んで、大きなお祭りをしています。

 旧暦の考え方だけでは、正月等の日程が毎年少しずつ変わってしまいます。そこで太陽暦の考え方を導入して、二十四節気(にじゅうしせっき)を考え出しました。これは太陽の動きを基に、夏至・冬至・春分・秋分の二至二分(にしにぶん)の日を決め、立春・立夏・立秋・立冬の四立(しりゅう)、その他の季節として全部で24の名称を定めました。2月4日ごろに、よくニュースでは「今日から暦の上では春を迎えますが・・・」と言われますが、この日が立春になり、その前の日2月3日が節分になります。二十四節気は太陽暦を基にしているので、日付けが変わったとしても1日程度になっています。旧暦と二十四節気は、全く別の暦なのです。

 暦は現在でも世界中で様々なものが使用されています。暦を学習することを強みにして、たくさんの本をお読み。

 

メタバース

メタバース

 最近の流行語である「メタバース」です。メタバース(metaverse)は英語の超(meta)と宇宙(universe)を組み合わせた造語です。コンピュータやネットワークの中に構築された、現実世界とは異なる三次元の仮想空間やそのサービスのことを指します。利用者はオンライン上に構築された三次元コンピュータグラフィクスの仮想空間に世界中から思い思いのアバターと呼ばれる自分の分身で参加し、相互にコミュニケートしながら買い物やサービス内での商品の制作・販売といった経済活動を行ったり、そこをもう一つの「現実」として新たな生活を送ったりすることが想定されています。もちろん、完全な実用化はもう少し先になりますが、現在でもネット上で買い物をしたり、一部のゲームでは自分のアバターを使って遊ぶものは、メタバースの先取りと言えるかもしれません。Facebookが会社名をMetaに変更したことでも有名になりました。将来的には莫大な量のお金が動くことが予想されていて、多くの企業の参入が見込まれています。

 この話の中で私が思い出すのは、2021年公開、細田守監督のアニメーション映画「竜とそばかすの姫」です。この映画では50億人以上が集うインターネット仮想空間「U」と出会ったそばかすのある女子高校生「すず」が、歌姫の「ベル」というアバターで「U」に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていきます。現実と仮想空間を行き来して物語が進みますが、映画やドラマになった「美女と野獣」をモチーフにしたところもあります。「竜とそばかすの姫」は細田守監督の長編オリジナル作品第6作になりますが、2009年公開の第1作「サマーウォーズ」も同じようなネット上の仮想空間でのお話しでした。今から13年前の作品でしたが、山下達郎さんの主題歌「僕らの夏の夢」とともに記憶に残る良い映画でした。

 今後のメタバースは、どのように発展していくのかはわかりません。メタバースといえば、昔阪神で活躍した外国人選手の・・・。それはランディ・バース。

 

ウエスト・サイド・ストーリー

ウエスト・サイド・ストーリー

 スティーブン・スピルバーグ監督が「ウエスト・サイド・ストーリー」を再び映画化しました。現在上映中です。元々は1957年に初演された、ブロードウェイ・ミュージカルで、シェークスピアの有名な戯曲「ロミオとジュリエット」に着想を得て、当時のニューヨークを舞台に、ポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との2つの異なる少年非行グループの抗争の犠牲となる若い男女の2日間の恋と死までを描いています。

 舞台で大評判となったため、まず1961年に映画化されました。映画も大ヒットし、この年のアカデミー賞では作品賞をはじめ、10部門を受賞しました。1961年といえば、私が生まれた年ですが、私はこの映画を映画館で見た記憶があります。多分中学生くらいの頃、リバイバル上映をしていたのだと思います。レナード・バーンスタイン作曲の歌は素晴らしく、登場人物のダンスも魅力的なのですが、結末はなかなか悲しいもので、涙を誘います。

 今回2021年版も見てきました。びっくりしたのは、1961年版でアニタ(プエルトリコ系のシャークス団のリーダー、ベルナルドの恋人)役を演じたリタ・モレノ(彼女は1961年版で、アカデミー助演女優賞に輝きました。現在は90歳を超えていますが、元気です)が、2021年版では、若者たちのたまり場となるドラッグストアの店主であるヴァレンティナ役で出演しています。しかし何といってもこの映画の主人公はロミオにあたるトニーと、ジュリエットにあたるマリアの2人です。今回トニー役はアンセル・エルゴート、マリア役はレイチェル・ゼグラーというあまり知られていない役者さんが演じていますが、マリアの役は約三万人の中からオーディションで選ばれただけあって、さすがの出来映えでした。2021年版もアカデミー賞には多くの部門でノミネートされていて、受賞が楽しみです。

 最後に難点を1つだけ。生徒の皆さんでしたら、全く問題ないと思いますが、私のような年寄りには、2時間37分という上映時間は長すぎます。予告編等を含むと3時間近くになってしまいます。映画鑑賞を執行するためには水分補給にご注意を。

 

世界史は暗記もの?

世界史は暗記もの?

 私が大学受験の時、社会科で共通一次試験を受けたのは、世界史と倫理社会の2科目でした。世界史は縦の年代と、横の各国同士の関係を座標のように捉えていく必要があるので、理科系の生徒向きといわれていました。日本史は小学校以来何度も学習したり、大河ドラマ等で見聞きする機会もありますが、世界史は普段はなかなか触れることが少ないです。昨年末から、岩波講座「世界歴史」の第3期が発刊されています。全24巻ということですが、とりあえず第1巻のうちのほんの一部を紹介します。

 世界史といえば「○○という国と○○という国の間で、○○年に○○戦争が起こった」というような事をひたすら暗記していくというイメージがありますが、第1巻冒頭の小川幸司さん(この人は長野県の高等学校の先生)の「私たちの世界史へ」を読み、ある意味感動しました。

 2011年3月11日は東日本大震災が起こった日ですが、この日、福島県の双葉消防本部の4人の消防士は、全国消防駅伝大会のために、東京都内に滞在しており、この日の夕食を「最後の晩餐」だと思った、と話しています。原発の事故が伝えられると、消火、救助活動に当たった消防士たちは、ソ連(当時)の「チェルノブイリ原子力発電所」の事故の際に消火活動に当たった消防士たちのその後の悲惨な運命を思い浮かべました。また福島第一原発に出発する消防士は「きっと特攻隊はこうだったのだろう」という思いでした。そしてこのような思いや発言が残されているのは、震災から9年後の2020年、吉田千亜さんによる「孤塁―双葉郡消防士たちの3・11」というルポルタージュが出版されたおかげです。

 このように、過去の人間たちの姿やイメージを引照しながら、自分の生きている位置を見定め、自分の進むべき道を決めようとするのであれば、それは世界史を考えていることになる。またその記憶を、記録として残していくことは「世界と向き合う世界史」であると、小川幸司さんは述べています。世界史は、偉い歴史家や学者の先生が出す論文の中だけにあるのではなく、私たちの「世界史実践」の中にもあるということです。

 私がこれまで考えていた「世界史」というものとは全く違う捉え方です。1つの出来事を、多面的に理解してまとめていく姿勢には驚きでした。「最後の晩餐(ばんさん)」は「最後の電算」でも「最後の換算」でも「最後の塩酸」でもありません。

 

紅白歌合戦

紅白歌合戦

 昔は、大晦日の夜はNHK紅白歌合戦を見るものと決まっていました。昨年の第二部の平均世帯視聴率は史上最低の34、3%でした。これでもかなり高いな、と思う人がいるかもしれませんが、1963年は81.4%だったということですから、時代の流れを感じます。年配の人はジャニーズ系や若い人の歌を知りません。若い人は演歌を聴きません。「二兎を追う者は一兎も得ず」という事で、年配の方にも、若者にも嫌われてしまったのかもしれません。紅白歌合戦の存在自体が問われているようです。

 昔は一家には一台のテレビしかなく、一家二世代、三世代にわたってテレビを見ていたものです。現在では、地上波のテレビは見ないという人も増えてきました。NetflixやYouTubeの方が面白いという訳です。テレビではなく、コンピュータのモニターやスマホを見ている人が多いです。不特定多数の大きな人口に対して、情報を発信していくことが時代遅れになりつつあるのでしょう。少数でもコアな人たちから賞賛される方を求めていく方が、時代に合っているのかもしれません。

 ところで、2022年のアカデミー賞のノミネート作品が発表されました。村上春樹さんの小説を原作にした、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、日本映画として初めて作品賞にノミネートされたということで、話題になっています。他の作品を見ると、もちろん映画として公開された作品が多数ではありますが、NetflixやAmazonで配信された作品も並んでいます。そんな時代になっていくのですね。紅白歌合戦も、紅白饅頭に席を譲って、引退していくのかもしれません。

 

 

独裁者

独裁者

 生徒の皆さんは「独裁者」と聞くと、誰を想像しますか。歴史を振り返ると、また現在の世界を見渡しても「独裁者」であろう人物を何人も指摘できそうです。しかし過去史上最大の独裁者と言えば、やはりドイツの「ヒトラー」だと思います。今回、芝健介さんが書いた岩波新書の「ヒトラー」を読んだので、彼について考えてみます。

 知っている人は知っている事実なのですが、アードルフ・ヒトラーは実はオーストリアの生まれで、後にドイツ国籍を取得しました。画家を目指していましたが、第一次世界大戦では「通信兵」としてドイツ軍に従軍しています。第一次世界大戦終了後、ドイツは敗戦国となりますが、当時最も民主的と呼ばれた「ワイマール憲法」を制定し、復興に取り組みます。その中からヒトラーが率いる「ナチス党」は「合法的」に選挙で多数派を形成し、首相になっていきます。当時のドイツ国民は、困難な生活状況を何とか変革してくれないか、という希望をヒトラーとナチス党に託したのでした。

 現在ではヒトラーを「評価」する意見もわずかにあるようですが、彼の所業はとんでもない事ばかりです。第二次世界大戦を引き起こしたこと、ユダヤ人や障がい者等を虐殺したこと、自分に反抗した人々を処刑しまくったこと、数え上げればきりがありません。そしてこれだけの悪行を行えたのは、ヒトラー一人の力ではありません。取り巻き、側近である多くの人物によるヒトラーへの「忖度」が大きな影響を及ぼしました。あまりにも非人道的な政治が続いたので、ヒトラーは反対勢力から二度、暗殺されかけました。不幸なことに、二度とも失敗に終わってしまい、その後はドイツ国内に「反ヒトラー」勢力は表面的にはなくなってしまいました。

 ヒトラーはさすがに極端な例だとは思いますが、過去を振り返っても、現在においても、どこの国家においてもある意味「独裁者」が存在しています。権力を持つものにおもねり、すり寄り「忖度」を繰り返す人間は後を絶ちません。人間は歴史に学ばねばなりません。絶対権力は絶対的に腐敗すると決まっているのですから。ヒトラーは無視して、マヨラーやキティラーを大切にしましょう。

 

許したれよ

許したれよ

 年寄りあるある、の中には「昨日や一昨日の事は全く忘れているが、30年前の事は鮮明に覚えている」というものがあります。

 そう、あれは30年もっと前でしょうか。私が大学を卒業して、高等学校の教員として仕事を始めた頃、私の高校の同級生たちと集まったときの会話です。私の友人のF君は、私が高校生時代「あつしは、融通が利かない」ということを良く知っていました。「あつし、お前高校の先生するんやったら、たいがいのことは『許したれよ』。高校生なんか子供やねんから、間違えたり、失敗するもんやで」

 私はこのとき「何を言うてんねん。高校の教育現場はいろんな生徒がいて、大変やねんぞ」と反発したい気持ちになったことを覚えています。しかし、F君の言葉がずっと耳に残っていました。確かに高校生がすることで「いじめ」や「人のものを盗む」等、許されない出来事は、許されません。ただ「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もあります。何事にも寛容の心を持って接することの大切さを感じる日々があったことも事実です。また高校の先生が生徒を指導するという場面だけではなく、日常生活の中で、理不尽だと感じたり、憤りを感じたりすることがあります。そのときに怒りにまかせて発言したり、行動してしまうと、あまり良い結果にならないことが多いように思います。最近多発している社会的な事件についても、寛容の心がないものが多いです。

 多くの人々がもう少し「許したれよ」の気持ちを持てば、社会も変わっていくような気がします。観葉植物でも見ながら、寛容の心を持つことが肝要です。

 

正当防衛

正当防衛

 とてもやりきれない、悲しい出来事です。もちろん、他人を傷つけて、他人を巻き込んで自殺するという事件も許されません。それよりも、もっと気の毒だと思われるのは1月23日正午ごろ、栃木県のJR宇都宮線の車内で、優先座席に寝っ転がって加熱式タバコを吸っていた容疑者に「タバコをやめてくれませんか」と注意した男子高校生のことです。この容疑者は「ケンカを売られた」「正当防衛だ」と言っていると報道されていますが、男子高校生に土下座をさせ、暴行をはたらき、顔面骨折などの重傷を負わせたとされています。

 先に言っておきますが、もし私がその場に出くわしていたならば、多分「見て見ぬふり」をしてしまうと思います。人間誰しも自分の身が1番かわいいという事実は変えられません。評論家のようなきれい事を言うつもりはありませんが、その上で考えるべきことがたくさんあります。

 報道されている内容が全て事実であるかどうかは分かりませんが、ほぼ正しい内容であると仮定すると、多くのことが許されないことだと思います。

1 世の中に、禁煙である電車内の、しかも優先座席に寝っ転がって電子タバコを吸う人がいるということ

2 電車内にいた多くの人は、そんな人は「変わった人」「こわい人」だから関わり合いにならずにおこうと、見て見ぬふりをしていたこと

3 見るに見かねて、勇気を出して注意した高校生に「ケンカを売られた」「正当防衛(これは正当防衛とは言いません。過剰防衛です)」という理屈をつけて暴行したこと

4 周りにいた人たち(高校生や大人たち)の多くが、そのまま見て見ぬふりを続けたこと

5 新聞やテレビで報道されると「こういう『違う世界の人』とは関わらないようにしましょう」という感想が出てきたこと

そしてこの事件の教訓が「触らぬ神にたたりなし」ということであるならば、この国は終わってしまいます。世の中の人たちを分断していくことが正当であるとは思えません。勇気ある行動を取った高校生が、早く心の傷を癒やし、萎縮することなく、人生を切り開いていって欲しいと願うばかりです。今回は最後のギャグはやめておきます。

 

音楽の方から迎えに来てくれる

音楽の方から迎えに来てくれる

 歌手で俳優の福山雅治さんが、ラジオ番組でこんな話をしていました。

「曲がうまく完成できなくて、悩んでいたときにスタッフの人からこう言われた。『福山さん、大丈夫。そのうちに音楽の方から迎えに来てくれるから』この言葉で行き詰まっていた気持ちが癒やされた」

 頑張って努力していても、うまくいかないことがあります。いや、うまく行かないことの方が多いかもしれません。それでも諦めないで頑張っていると、向こうの方から手を差し伸べてくれるような感覚になることがあるようです。いわゆる「ゾーンに入る」という感覚でしょうか。

古くは日本のプロ野球の巨人の監督をされた、川上哲治選手が現役時代の言葉で有名なものがあります。

「ボールが止まって見える」

    スポーツ選手の世界では、何回か聞いたことがある話です。では私の場合は・・・

 昔の話で恐縮ですが、12月の全校集会で生徒の皆さんには話をしたのですが、私の大学受験の時の話です。もともと私は数学の成績は良かったのです。しかし入試前の模擬試験で、数学の点数が200点満点で26点しか取れなくて「おいおい、どうするねん」と落ち込んでいました。入試当日、数学の試験では全部で大きな問題が6問ありました。ぱっと見て、これはできそうだな、と思った2番だったか、3番だったかから始めました。短時間で1問仕上げることができて「よし、いけるかも」と落ち着いた覚えがあります。その後は制限時間の120分ギリギリまで集中して、4問完答することができました。当時の感覚では、6問中2問完答では苦しい、最低3問解きたい、4問できれば万々歳という感じでした。自分でも「ゾーンに入ったな」と感じた瞬間でした。

 必死に努力し続けていれば、向こうの方から迎えに来てくれる感じになる。こんな経験はあまりないことだとは思いますが、それくらい頑張れ、ということだと思います。「ゾーンに入る」という経験をするためには、ガーンとショックを受けて、ゴーンという鐘の音を聞いて、ドーンと構えておくことが必要かもしれません。

 

足が重い

足が重い

 気が進まない、乗り気でない、やる気が出ない、腰が引けている、というような時に「足が重い」とか「足取りが重い」と言います。実は本当に「足は重い」ものなのです。

 例えば、体重が50㎏の人であれば、片足で約10㎏あります。全体で50㎏だとすると、それくらいあっても別に不思議ではないですが、でも片足で10㎏、両足だと20㎏というのは「重い」感じはします。しかし普段の生活で、私たちは自分の足の重さを感じることはほとんどありません。これはなぜでしょうか。実は地球上に生まれてから、ずっと重力がある状態で生活をしているため、自然に手足や頭、身体を動かす骨格や筋肉を使うことに慣れているためです。ですから、普段と異なる状況のときに限り「足って重いな、身体って重いな」と感じることになります。2つ例を挙げましょう。

 1 意識がない人や、病気の人を抱え上げたり、運ぶとき

 自分の身体は自分で動かすことに慣れていますが、人の身体を持つとき、運ぶときは、大変重たく感じるものです。体重50㎏の人を一人で抱え上げるのは大変です。もっと体重の重い人だと、数人がかりでないと運べません。それくらい人の身体は重いものなのです。

 2 宇宙飛行士の人は宇宙で筋力トレーニングをするが、地球に帰ってくると歩けない

 宇宙では重力がないので、人は立ったり、歩いたりという基本動作をする必要がありません。ですから筋肉がどんどん衰えていきます。それを防ぐために毎日一定時間筋力トレーニングをするのですが、追いつきません。地球へ戻ってきた当初は、重力に逆らって立ったり歩いたりすることができません。これは病気等で、長期間寝たきりの生活をした後にも起こることです。

 人間は普段は意識せずに、とても難しいことを何気なくやってのけています。その条件が変化したときに始めて「すごいことをしているのだな」と感じるわけです。私は重い思いを持って、heavyなthoughtを書き続けています。

 

 

守破離

守破離

 この年末年始に、高校生のスポーツの全国大会をテレビ等で見る機会がたくさんありました。バスケットボールでは女子は桜花学園、男子は福岡大大濠が優勝しました。ラグビーでは東海大大阪仰星、バレーボールは女子が就実、男子は日本航空、サッカーは男子が青森山田、女子は神村学園が勝ちました。日ノ本学園は決勝戦まで勝ち進みましたが、残念でした。

 どの競技を見ても「この選手たちは本当に高校生か?」というすごい選手たちがそろっており、指導者の先生たちも長年やっておられる有名な監督さんばかりで、多分練習する環境も恵まれているのだろうと想像できます。

 さて「守破離(しゅはり)」です。もとは千利休の言葉らしいのですが、茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方を示したものです。まずは師匠から教わった型を「守る」ところから修行が始まり、その後、自分に合ったより良いと思われる型を試すことで、既存の型を「破る」ことができるようになります。さらに修行を積むと、型から「離れて」自在となることができ、新たな流派が生まれることになります。

 昭和の時代の高等学校運動部の監督さんといえば、ものすごく恐ろしい人ばかりで、先生に怒られないようにプレーするのが最優先だったと思います。「守」ばかりだったのだと思います。今年の決勝戦を見る限り、選手たちが「守」ばかりでプレーしているチームはありませんでした。「破」の段階、あるいは「離」の段階で相手と戦っているチームばかりでした。何事にも基礎基本は大切なのですが、そこからいかにオリジナリティーを出していくことが求められる時代になっているようです。生徒の皆さんも、最初は素直な心で先生や監督さんの言うことを良く「守る」ことから始めて、「破」「離」の段階を目指していきましょう。「破」「離」にならないと、張り合いがありません。

 

年始のご挨拶

年始のご挨拶

 皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。年末、年始と冬らしい寒波がありましたが、皆様お変わりはありませんか。今年は2022年、令和4年寅年です。よい年になるように願っています。

 年始のご挨拶で何を書こうかと考えていました。箱根駅伝かオミクロン株か北京オリンピックか、結局アップルにします。アメリカの企業アップルの「時価総額」が3兆ドル(日本円で約346兆円)を超えたというニュースがありました。日本の1年間の国家予算が100兆円少しですから、アップルの3分の1程度ということになります。さて「時価総額」というのは何でしょうか。私もきちんとは知らなかったので、調べてみました。ある企業の株価に発行済株式数を掛けたものを時価総額と言います。つまり、株式の値段が高いほど、発行した株式の数か多いほど、時価総額は大きくなります。時価総額が大きいということは、その企業の現在の業績だけではなく、将来の成長に対する期待も大きいことを意味します。アップルといえば、生徒の皆さんも持っているスマホのiPhoneやコンピュータのMacで有名ですが、アプリ市場や音楽配信等が安定した収入をもたらしています。今後は仮想現実(VR)や自動運転車向けの新たな製品投入への期待も株価上昇の背景にあるようです。日本企業で時価総額トップはトヨタ自動車ですが、2470億ドルで世界第39位です。

 2022年は、アップルのように現在の業績もいい、将来への期待も大きいというような香寺高等学校にしていきませんか。生徒の皆さんも是非頑張って下さい。問い「アップルって何語?」 答え「リン語」

 

 

年末のご挨拶

年末のご挨拶

 令和3年、丑年が終わろうとしています。昨年に引き続き、今年も新型コロナウイルス感染症の影響が、多くの場面で見受けられました。高等学校の教育現場でも、学校行事や対外的な活動に制約があり、変更したり、縮小したりと、大変な運営が続きました。PTAの活動にも、ご迷惑をおかけしました。そんな中ですが、生徒の皆さんは制約のある中、元気よく教育活動に取り組んでくれたと思います。文化祭、体育大会、球技大会等、大きな成果を得ることができました。

    そして特に2年次の大きな行事である修学旅行です。本来なら沖縄へ三泊四日の予定でしたが、USJと京都への一泊二日の旅に変更して実施しました。天気予報では雨マークが並んでいましたが、二日間とも日中は雨も降らず、班別行動を楽しんでくれました。香寺高校らしい、自由度の高い行事ができたと思います。

    さて、来年は寅年です。来年こそは阪神タイガースも頑張ってくれるものと思っていますし、コロナ渦も落ち着いてくれることを願っています。固定観念にトラわれずに、多くの事にトラいしていきましょう。来年は修学旅行で沖縄に行きタイガー。

若い人

若い人

 南アメリカの南北に細長い国であるチリで、12月19日に新しい大統領が誕生しました。ガブリエル・ボリッチさん、なんと35歳です。得票率は56%で、対立候補であるホセ・アントニオ・カストさん、55歳は44%でした。

 ボリッチさんは学生の抗議運動の元指導者で、格差と汚職に抗議する大規模デモを支持しました。チリはかつて、南アメリカで最も安定した経済を維持していましたが、現在では貧富の差が世界最大レベルに広がっています。人口の1%が国内の富の25%を所有しています。こうした状況でボリッチさんは、格差是正のため、年金や健康保険の制度改革を進めると公約し、労働時間を週45時間から40時間に減らし、環境への投資を増やすと訴えました。

 これからの政治運営については、なかなか思い通りにはならないことも予想され、前途多難だと思いますが、ある意味羨ましい感じがします。日本ではこんなことが起こるでしょうか。学生運動上がりの35歳の政治家が、総理大臣になる。ありえない話です。日本の政治家と呼ばれる人たちは、世襲の人が多く、当選回数を積み重ねてポストを得て、総理大臣までたどり着く、という過程を通るので、男性の「年寄り」ばかりです。政治運営には、経験が必要だという意見もありますが、若い人の行動力や柔軟な発想力は絶対に大切なものだと思います。

 生徒の皆さんは、これから何をするにしても必ず「年寄り」に出会います。「年寄り」の経験や良いところがあれば、学んだり、真似をすることはかまいませんが、頭が古かったり、固かったりすることが多いものです。私のような「年寄り」の言うことには、注意が必要ですよ。未来を切り開いていくのは、若い人の力しかありません。赤い、近い、高い都会や世界を破壊せずに、理解していきましょう。

 

羊頭狗肉

羊頭狗肉

 ことわざシリーズ4回目は「羊頭狗肉(ようとうくにく)」です。羊(ひつじ)の頭をかかげて、狗肉(くにく 犬の肉のこと)を売る。ということで、看板は立派だが、中身がないという話です。「新しい資本主義」という立派な看板があるようですが、中身はどうなのでしょうか。羊頭狗肉にならないように、期待しつつ、よく見つめていきましょう。

 生徒の皆さんも、中身が伴わないのに、大きな風呂敷だけ広げて、それで満足しているような事はありませんか。誰しも、自分のことを大きく、価値ある存在であると見せかけたい、思ってもらいたい、と考えるかもしれませんが、自分の評価は自分が一番よく分かっています。毎日の積み重ね、地道な努力に勝るものはありません。自分でよく考えて、目の前のできることを、しっかりやり遂げていきましょう。

 このことわざを理解するためには「羊の肉は、上等で希少価値があり、犬の肉はたいしたことがない」という前提条件が、一般的で、常識であるということに基づいています。私も含めて、現代に生きる人々にそんな常識はないのではないか、と思います。

 このように、ことわざには現代にも通用する含蓄のある内容が多いのですが(そうでなければ、忘れられてしまうので)、羊頭狗肉のように一瞬戸惑いを覚えるようなものもあります。「海老で鯛を釣る」ということわざも「海老も鯛も貴重で値段の高い海産物であるが、鯛の方がより貴重である」という前提条件を知っていて、初めて理解できることわざです。

 現代であれば「スマホを掲げて、ガラケーを売る」と言えばわかりやすいでしょうか。もっとも、もう10年くらいたつと「ガラケーって何?」と言われそうですが。羊頭狗肉ということわざを、苦肉の策として使ってみましょう。

 

Climb Every Mountain

Climb Every Mountain

 日本の高等学校のスポーツを統括する団体としては、全国高等学校体育連盟(高体連)があります。ただし、野球だけは別組織で、日本高等学校野球連盟(高野連)になります。この度、高野連の新会長に宝馨(たから かおる)さんが選ばれました。宝さんは滋賀県の生まれで、兵庫県の西宮北高校から京都大学工学部に進学し、現在は京都大学教授で、地球上の水の循環を研究する水文学(すいもんがく)を専門とされています。高校、大学と野球部に所属し、京都大学の野球部監督や部長も務められ、現役時代も含め40年以上学生野球に携わってこられました。

 就任にあたってのインタビューで、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で歌われる「Climb Every Mountain」の一節に感銘を受けたと話されました。この映画は1965年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画で、私も映画館で見て感動した記憶があります。歌詞は「すべての山に登りなさい」という日本語になりますが、これは「あちこちにある山という山、すべて征服しろ」という意味ではありません。むしろ「夢に向かってずんずん前に進んでいく途中、山に出会ったら、その都度逃げないで、必ず登って乗り越えましょう」という意味のようです。ここでの「Every」の意味は「すべて」というよりは「その都度」ということです。

 宝さんは就任にあたり「大きな山だが、登ってみようと思った」「ずっと弱いチームにいた。だから敗者や弱者、未熟な学生の気持ちがわかる」と言われています。皆さんも困難に直面したとき、どのように対応するのがよいのか、自分でよく考え、家族や友達、先生など周りの人たちの意見をよく聞き、最後は自分で決定する、ということを心がけて下さい。

 高い山に登った方が、山頂での風景は美しいものです。養鶏の統計を取り、総計を後継に託しましょう。

 

ギリシャ文字

ギリシャ文字

 新型コロナウイルスの変異株の名前で有名になった、ギリシャ文字です。生徒の皆さんは、これまでにも主として数学や理科の勉強でギリシャ文字を使ってきたと思います。英語のアルファベットは26文字ありますが、ギリシャ文字は24文字です。ちなみに「アルファベット」という言葉はギリシャ文字の最初の2文字である、アルファとベータに由来するそうです。

 ギリシャ文字には大文字と小文字がありますが、小文字は次のように書きます。

αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

 最初の3文字はアルファ、ベータ、ガンマでなじみがあると思います。数学の二次方程式、解と係数の関係に出てきますし、放射線の三つの種類はα線、β線、γ線と呼びます。デルタには少しだけという意味があり、シータは角度として、ラムダは電磁波の波長に、パイは円周率に、シグマの大文字はΣで、数列などの総和に、オメガの大文字はΩで、電気抵抗の単位オームに使われています。

 新型コロナウイルスの変異株の名前に使われるようになったのは、約100年前の新型インフルエンザの大流行の際、スペインが発端ではなかったのに「スペイン風邪」と呼ばれ、スペインが迷惑したことの反省に立ったものです。アルファ株からスタートして、ミュー(μ)株まで使われていました。次はニュー(ν)の番でしたが、ニューはnewと間違えやすい、その次のクサイ(ξ)は英語表記だとxiとなり、人名によくある名前だということで、二つ飛ばしてオミクロン(ο)が採用されました。

 そうすると、あと残りの文字は9個しかありません。この先変異株がたくさん出てきたらどうするのでしょうか。と思っていたのですが、さすがに世界のWHO(World Health Organization 世界保健機関)はちゃんと考えているようで、ギリシャ文字を使い切ったあとは、星座の名前をつけるそうです。星占いの星座は全部で12個しかありませんが、現在認められている星座の名前は88個あるそうなので、しばらくは大丈夫のようです。

 それにしても、コロナが収まるのは、いつコロナのでしょうか。

 

好きこそものの上手なれ

好きこそものの上手なれ

 ことわざシリーズを続けます。生徒の皆さんは、何か好きなものやことはありますか。ゲームをすること、YouTubeやTicTocを見ること、野球をすること、絵を描くこと、友達とマクドに行くこと、人によってそれぞれ好きな事があると思います。嫌いなことをやらされることは苦痛に感じますが、好きなことなら頑張れると思いませんか。

    今年度のノーベル物理学賞を授与された、真鍋淑郎さんが言われた言葉です。

「好きこそものの上手なれ」

 なるほど、自分の好きなことに対しては、熱中できる、時間を忘れる、持続することができる、と思います。特に芸術の業界ではこのことがよく当てはまるのではないでしょうか。絵画を描くことが好きな人は、長時間集中して多くの絵画を制作することができます。楽器の演奏が好きな人は、何回も同じフレーズの練習を繰り返すことを苦にしません。それほど興味のない人から見ると、それは驚くべき集中力です。

 さて、私が20年程前に担任をした生徒の話です。彼は高校入学時から非常に優秀な成績で、特に苦手な教科もありませんでした。当時の私は当然のように彼に対して

「東京大学や京都大学を受験してみないか」と話しました。彼の答えは

「僕は小さい頃から虫が好きで、大学でも虫の研究をしたいと思っています。それには、○○大学の○○学部の○○教授の研究室が一番だと思っているので、そこへ進学するつもりです」私はぐうの音も出ませんでした。

「よくわかった。それがあなたにとって、最善の進路先ですね」

    その後彼は志望の大学に進学し、好きな虫の研究を続けています。研究のためという理由で、人が立ち入ってはいけないエリアで虫の採集活動もしているそうで、その話をしてくれたときの、彼のキラキラ光る目の輝きを今でもよく覚えています。

 皆さんも、好きなことにとことん熱中してみてはいかがですか。また、まだそれだけ熱中する好きなことがないという皆さんは、是非高校生活の中で、見つけていってください。農園に登園して、講演を聞きながら、応援しています。

 

 

募金活動ありがとう

募金活動ありがとう

 香寺高校は例年沖縄へ修学旅行に行ってきました。2019年に沖縄を代表する建築物である首里城が火災のために焼失しました。現在再建中と聞いています。そこで首里城の再建の役に立ちたいということで、3年前から毎年首里城火災復旧支援募金活動を行っています。今年は11月18、19日に校内で、20日には姫路駅前で街頭募金活動を実施しました。生徒たちは最初は引っ込み思案な様子でしたが、次第に呼びかけの声も大きくなり、通路の中央へ少し踏み出しながら2時間の活動を終えることができました。

 多くの市民の方々にご協力をいただき、大変ありがとうございました。その中でありがたいお言葉をちょうだいしました。

「私も香寺高校の卒業生です。高校生たちが頑張っている姿を見て、うれしいです」

「高校生たちが頑張っているので、これでもどうぞ」とお菓子の差し入れをいただきました。

 わずかな時間でしたが、生徒たちはやりきった充実感にあふれていました。高校生は日々成長していくものだなと改めて感じ取れた1日になりました。結果として昨年度を上回る140009円もの募金が集まりました。集まった募金は全額沖縄県に寄付させていただきます。

    今年の2年生の修学旅行は、コロナ渦に配慮して、USJと京都観光の一泊二日になりましたが、来年は集まった募金とともに、是非沖縄を訪れたいと思っています。

 

 

人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬

 ことわざシリーズ第2回は「人間万事塞翁が馬」です。これは有名なことわざですので、聞いたことがある人も多いと思います。中国前漢時代に書かれた「淮南子(えなんじ)」が出典で「塞翁(さいおう)」とは、北方の「砦・寨(とりで)」に住むとされた老人(翁)のことです。

 昔、塞翁が飼っていた馬がある日、逃げてしまいました。人々が慰めに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言いました。数ヶ月後、逃げた馬は立派な駿馬(しゅんめ 足の速い優れた馬)を連れて帰ってきたので、人々がお祝いに行くと、今度は「これは災いになるだろう」と言いました。塞翁の息子が駿馬に乗っていると、落馬して足の骨を折ってしまいました。人々がお見舞いに行くと「これは幸いになるだろう」と言いました。1年後、隣国との戦乱が起こり、若者たちはほとんど戦死しましたが、塞翁の息子は足を骨折していたため、兵役を逃れることができ、無事にすみました。この故事から「幸福」と思えることが、後に「不幸」となることもあり、またその逆もあることのたとえとして「塞翁が馬」と言うようになりました。

 生徒の皆さんは「ムダなことはしたくない」と思ってはいませんか。例えば、数学の勉強が嫌いな人は「なんで数学なんか、勉強せんとあかんのか」と思ったことがあるでしょう。運動が苦手な人は体育が嫌いかもしれません。古文漢文の勉強が何の役にたつのかと思う人もいるでしょう。行きたい大学がある人は、その大学の入試科目以外の勉強はムダだと思うかもしれません。しかし私は職業柄かもしれませんが、高校で習ったことは全て私の役に立っていると感じています。若い間に思い切りムダなことをすることが、人生を豊かにすると信じています。自分の視野を広く持つことは、これからのグローバルな社会にとって本当に大切な事だと思います。人間万事塞翁が馬ですから、とりあえず目の前にあることに集中していきましょう。塞翁が馬、なすがまま、茄子がママ、キュウリがパパ、と活用は、しませんね。

 

汗牛充棟

汗牛充棟

 それでは、ことわざシリーズの始まりです。栄えある第1回は「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」です。少し難しく、知らなければ読めない言葉だと思います。私も7年前に、当時勤務していた高校の国語(漢文の大家)の先生に教えてもらうまでは知りませんでした。

 出典は中国の唐の時代「柳宗元(りゅうそうげん)」という人の書いた「陸文通先生墓表(りくぶんつうせんせいぼひょう)」です。「所有している書物がとても多いことのたとえ」です。車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重く、家の中で積み上げれば天井の棟木(むなぎ)に届くほど書物が多いという意味です。「牛に汗し棟に充つ(うしにあせしむなぎにみつ)」とも訓読するようです。唐の時代にはまだ印刷の技術はありませんから、当然書物は紙に墨で手書きしたものでしょう。その貴重な書物が汗牛充棟ということは、かなりな財産ということになります。

 もちろん世の中には私より読書家の方は、星の数ほどおられると思いますが、私の住まいにも「充棟」まではいきませんが、かなりの数の本がありました。整理することと、若い高校生に読んでもらいたいということで、前任の高校の図書室に「木村文庫」を作ってもらい、ある程度の量の本を寄贈させてもらいました。現在の私は文字通り汗牛充棟である、姫路や加古川の図書館と、本屋さんを利用させてもらっている日々です。今はインターネットで何でも調べられる時代ですが、ネット情報は浮かんでは消えるものもあり、詳しく調べるためには書籍の利用は大切です。生徒の皆さんは、身近なところである香寺高校の図書室も、新刊の本もそろっており、是非利用してみてください。充棟させるためには、ある程度の本を充当させて、野球の試合では重盗はよろしいが、銃刀はいりません。

 

言語化する

言語化する

 日本の女子体操界を引っ張ってきた、村上茉愛(むらかみ まい)選手が現役引退を表明しました。村上選手は東京オリンピックの体操種目別床の演技で銅メダル、秋に行われた世界選手権でも床で金メダルを獲得しました。彼女は引退後、指導者の道を歩むそうですが、こんなことを言われていました。

「これまでは体操競技を、演技で表現してきた。これからは、体操の素晴らしさを言語化して表現しなければいけない」

    この「言語化する」ということは、大変難しいことですが、とても大切な事だと思います。例えば、絵画が美しい、音楽が魅力的だ、ご飯が美味しい、という事実があったとします。絵画を見る、音楽を聴く、ご飯を食べるという実際の体験ができるのであれば、それが一番です。しかし、みんなが体験できることばかりではありません。ですから、絵画の美しさを、音楽の魅力を、ご飯の美味しさを言葉で表現して、伝える必要があります。

    香寺高校では12月に3年次、2年次それぞれ「総合的な探究の時間」の発表会があります。また2月には「総合学科発表会」も予定されています。この会は、探究してきた内容を言語化して、皆さんに伝えるものです。大変な作業だと思いますが、自分の力を発揮する良い機会だと思います。また、3年次の皆さんは就職、進学するにあたって、しっかり練習をして、面接試験に臨んだ、またはこれから臨んでいくと思います。このときも、自分の考えや経験を言語化することが必要です。「3年間○○部で頑張りました」で終わるのではなく、どんな苦労があって、どんな経験をしたので、自分がどれくらい成長することができたのか、やはり体験を言語化することが必要です。この力は大学へ進学した後も、就職試験等で必ずまた必要になります。

    もちろん私は日頃から親父ギャグを考え、言語化することを実践していますから、言語化はめっちゃ得意です。特異な話も得意です。

 

 

こども食堂

こども食堂

 生徒の皆さんは「こども食堂」をご存じですか。子供やその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団欒を提供するための日本の社会活動で、2010年代頃よりマスコミで多く報じられたことで動きが活発化し、孤食の解決、子供と大人たちの繋がりや地域のコミュニティの連携の有効な手段として、日本各地で同様の運動が急増しています。そして現在では全国で約5000団体が活動しているようです。

 例えば姫路市のHPを見ると、14の団体が紹介されています。そのうちの一つに、的形町にある善正寺の横山正仁住職さんが、白浜町の灘市民センターを会場に運営されている「白浜こども食堂」があります。毎月第4日曜日に開かれていますが、このこども食堂に香寺高校の授業の一つである「保育技術」を選択した生徒たちが、地域のボランティアの方々と共に継続的に参加しています。その様子が写真入りで、11月3日神戸新聞の地方版、広域Bわがまち「灘新聞」で紹介されました。7月のメニューは「ガパオライスとサバ缶のコロッケ」ということで、大変美味しそうに出来上がっていました。

 様々な理由により、子供の貧困が取り上げられています。本来は国や地方自治体の福祉行政が対応すべき問題だと思いますが、現実として「こども食堂」の活動に支えられている面は多く、一層の充実が望まれています。運営の主体はNPO法人や民間団体、住民による融資、個人など、ボランティアによるものが大部分です。運営に要する費用や食材の調達、会場の問題、継続的なボランティアスタッフの確保など、課題は多いようです。どんな形であれ、協力することができれば素晴らしいなと思います。こども食堂の運営に、柔道、剣道、弓道、茶道、華道の生徒が参加したらドウでしょうか。

 

 

夢に手足を。

夢に手足を。

 生徒の皆さんには「夢」がありますか。「甲子園で野球がしたい」「次の大会で一部に上がりたい」「○○大学に進学したい」「美容師さんになりたい」「早く家を出て、一人暮らしがしたい」「○○くんと仲良しになりたい」大きな夢、些細な夢、いろいろあるかと思います。

 では皆さんはその夢の実現のために、何か工夫を凝らしているでしょうか。もちろん夢は実現させたいですが、なかなか現実にならないのが夢というものです。夢を叶えるためには、努力や工夫や情報収集や運などが必要になることが多いものです。

 コピーライターで有名な糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」というネット通信をやっています。ある日のコラムに「夢に手足を。」というものを書いていました。夢を夢のまま終わらせるのではなくて、夢を実現させるために、手足をつけていこうという考え方です。例えば「将来は看護師になりたい」という夢があるとします。看護師さんになるためには、

① 大学に行く  どこの大学に看護学部があるのか、通学や学費はどうか、入試科目や難易度はどうか

② 専門学校に行く  どこにどんな専門学校があるのか、通学や学費はどうか、入試科目や難易度はどうか

③ 進学のためには、どのような教科科目をどれくらい勉強しなければいけないのか

④ 香寺高校では「看護基礎」という科目があるので、これを選択すれば、高校生の間に大学の先生方から看護師へ向けての学習や実習をすることができる

 というように、具体的に「夢に手足をつけていく」ことを考えていきましょう。もちろん自分一人の力だけではなくて、親兄弟、高校の先生方、先輩や友人の力を借りることも大切です。

 えっ、木村篤志校長先生の夢ですか。「より一層、生徒の皆さんが通って楽しい、保護者の方が通わせて良かった、先生方が働きがいのある、地域にお住まいの方々にも評判が良い、という香寺高校をつくっていく」ことです。そのために、これからも「夢に手足を。」と考えています。皆さんも夢を実現して、有名になってください。

 

幸福とは

幸福とは

 旧制龍野中学校、現在の県立龍野高校の卒業生には、有名な方がたくさんおられます。今回はその中のお一人である、三木清(みき きよし)さんです。1897年に現在のたつの市に生まれ、旧制龍野中学から第一高等学校、京都帝国大学に進み、西田幾多郎に師事します。ドイツに留学し、ハイデガーにも教わりました。帰国後法政大学の哲学科の教授となり、膨大な著作を残します。戦時中に治安維持法違反ということで逮捕拘禁され、1945年に獄死してしまいました。死後刊行された「人生論ノート」は終戦直後のベストセラーでした。この「人生論ノート」は全部で23個のテーマについて、哲学的にエッセイ風に語られています。かなり難しい表現があったり、時代背景から政治批判を避けるような表現があったりします。この中から「幸福について」という章を取り上げます。

 皆さんはどのような時や場面で「幸福」を感じるでしょうか。美味しいものを食べた時、好きなゲームをクリアした時、夜眠りにつく前、愛する人と時間を過ごす時、人はそれぞれ「幸福」を感じることがあると思います。しかし、三木清はまず幸福についての問題提起をします。

「幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか」

    戦前の1938年に書かれたものですが、現在にも通じるのではないでしょうか。

「幸福は人格である。ひとが外套(がいとう オーバーコートのこと)を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである」

「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でないが如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」

    合服を着て、往復しながら回復を待つことで、幸福に近づけるかもしれません。

 

アンガーマネジメント

アンガーマネジメント 

 「アンガーマネジメント」最近流行っている言葉のようです。日本語では「怒りの管理方法」ということです。これは「怒らないようにする」のではなくて、「適切に怒りの感情と上手に付き合う」ことを目標にします。

 なぜ人は怒るのでしょうか。「○○すべき」という強いこだわりと、マイナスの感情、状態の二つがそろうことで怒りが発生します。逆に言うと、どちらかを減らすだけでも、怒りを小さくすることができます。

 例えば「時間を守る」ということを考えてみます。時間を守ることに価値観を置かない人はいないと思いますが、その程度は人によってまちまちです。「5分遅れる」ということを、「絶対許せない」と思う人もいれば、「5分くらい、どうってことない」と思う人もいます。また、普段は5分遅刻することを許せる人が、その時の精神状態や、疲労度によっては、怒ってしまうということもあります。また「怒り=よくない感情」ということばかりでもありません。例えば、スポーツの試合で負けた時に悔しさや自分に対する怒りをバネにして練習に励むように、怒りは人を動かすモチベーションとしても有効活用できます。

 さあそれでは、実際に日常生活で怒りを感じた時、どのように対処したらいいのかを紹介します。

1 怒りを静める「6秒ルール」

 怒りの対処術に共通するのは「怒りに反応しないこと」です。怒りを感じたら、まず6秒待って怒りを静めましょう。

2 怒りを点数化する

 平穏な状態を0、人生最大の怒りを10として、怒りに点数をつけます。過去の怒りと比較して、現在の怒りを相対評価すると、今怒るべきか怒らないべきか、感情を選択できるようになります。

3 「○○すべき」という価値観を捨てる

 人によって価値観は異なるものです。「○○すべき」はあくまで個人の理想やこだわりであって、すべての人に通用するものではありません。

 皆さんの周りに、あるいはあなた自身も含めて「切れやすい人」がいませんか。学校や、家庭や、職場等で「怒る」という感情を見つめなおしてみてはいかがでしょうか。戦場で謙譲の心をもって、根性を出して感情をコントロールすると、人情がわかる新たな自分が誕生するかな。

 

法の下の平等

法の下の平等 

 今回は法律の話です。最初から何か難しい話になりそうなので、読むのをやめてしまう人が多くなりそうですが、法律のことをほとんど知らない私でも、「それはおかしい」と思っていることを二つ取り上げます。

 一つ目は、政治家に対するお金の問題です。職務権限(いきなり難しいですが、ある出来事に対して判断を下す力をもつことです)を持つ政治家に対して、便宜を図ってもらうつもりで、ワイロを渡し、実際に便宜が図られたときに、贈収賄(ぞうしゅうわい)という罪が発生します。江戸時代の「越後屋、お前もワルよのう」から始まり、権限を持つ人にワイロを渡し、便宜を図ってもらうことは明らかに犯罪です。しかし「職務権限の有無」や「このお金はワイロではなく、政治献金である」とかいって、政治家たちは贈収賄事件から逃れてきた歴史があります。私たちから見ると、不公平感が満載です。

 もう一つは「刑法犯罪(刑法に触れる犯罪で、殺人や強盗から傷害や窃盗等を含む)」を犯したのに、逮捕されて身柄を拘束されなかったり、裁判を受けなくてすむ場合があることです。「えっ、今の日本で、そんなことがあるのか」と思う人が多いと思いますが、日本にいる外国人(もちろんほとんどがアメリカ人)で、軍隊に属している人たちがそれに当たります。日米安保条約のもとに、日米地位協定が結ばれており、アメリカ軍兵士が日本で犯罪を犯したときに、身柄を拘束して、裁判を行う権利は、基本的にはアメリカ側にあります。そしてアメリカ兵の犯罪件数が一番多いのは、日本で一番アメリカ軍の基地が集中している沖縄県です。特に1995年9月4日に起こった、アメリカ兵3人による少女暴行事件は、計画的かつ卑劣な犯行であり、さすがにこのときばかりは日本の裁判所が実刑判決を出すことで決着し、これをきっかけに地位協定の「運用の改善」は行われました。

    本来は日米地位協定を改訂して、明治時代の「治外法権」のような仕組みを正していくべきだと思われますが、これは実は大変難しい事なのです。日本とアメリカだけの問題ではないからです。アメリカは世界中に軍隊を派遣しており、その派遣国毎に地位協定を結んでいて、国によって突出した協定はありません。それはアメリカが、アメリカ兵を守ろうとしていることから出発しているからです。

 「日本は法治国家である」という言葉が、正しいとは思えない事例二つでした。法治国家を長年カウチに寝そべって放置してきたのが、アウチでした。

 

おいあくま

おいあくま 

 色々なことが、うまくいかないことがあります。いやむしろ、うまくいくことの方が珍しいのかもしれません。うまくいかないと、自分の気持ちの持ちようまで、悪くなってしまうことがあります。さて、そんなときにどうすれば良いのでしょうか。

 「おいあくま」で考えてみましょう。この言葉の出所は、旧住友銀行の元頭取であった堀田庄三さんであると言われていますが、プロ野球の元阪急ブレーブスで、世界の盗塁王と言われ、現在は野球解説者の福本豊さんが、先輩に教わったとも言われています。

お おこるな 怒るな

い いばるな 威張るな

あ あせるな 焦るな

く くさるな 腐るな

ま まような 迷うな  ま は まけるな 負けるな という説もあります。

 どうですか。確かに「おこらず、いばらず、あせらず、くさらず、まよわず」物事に対応できれば、うまくいくような気がします。しかしそういう精神状態を保ち続けることは、とても大変だと思います。逆に「おこり、いばり、あせり、くさり、まよう」ばかり行っている先生(校長、上司)がいたら、その生徒(先生、部下)は、とても大変で「こんなんで、やってられるかい」とちゃぶ台をひっくり返したい気分になると思います。

 関連があると思うので、夏目漱石の「草枕」の冒頭を書いてみます。「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい」

 「よく頭を使ってうまく立ち回ろうとすると、『せこい』『ずるい』『要領が良いだけ』と言われてしまうし、感情に流されてしまうと反対にだまされたり、関わるべきでないことに関わってしまったりして損をしてしまう。じゃあ自分は自分らしく生きようと、好きなことを主張すると、人からひんしゅくを買うばかりになってしまう。私たちの住む人の世は窮屈で住みにくい」

 明治時代の文豪、夏目漱石でも悩んでいました。現代に生きる私たちが悩むのも無理はありません。悩んだときは「おいあくま」を思い出しましょう。実際には、昼間の幕間には、悪魔にもヒグマにも会いたくはありません。

 

アニマルウェルフェア

アニマルウェルフェア 

 「アニマルウェルフェア」あまり聞いたことがない言葉かもしれません。日本語では「動物福祉」や「家畜福祉」と訳されています。動物を「感受性のある存在」と捉え、家畜にとってストレスや苦痛の少ない飼育環境を目指す考え方のことです。家畜やペット、実験動物などが満たされて生きる状態を確立するために、次の「5つの自由」が定められました。1 空腹と渇きからの自由 2 不快からの自由 3 痛みや傷、病気からの自由 4 正常な行動を発現する自由 5 恐怖や苦悩からの自由

 確かに動物たちにも、人間と同じように福祉や自由の権利があるとの認識は必要なことなのかもしれません。しかし・・・

 例えば卵を産むために育てられている採卵鶏には4つの飼い方があります。アニマルウェルフェアの実現度の高い順に「放牧」「平飼い」「エンリッチドケージ」「バタリーケージ」です。日本の主流は「バタリーケージ」よく見る鶏の飼い方で、狭いケージの中に閉じ込められている感じがしますが、92%の採卵養鶏場が採用しています。先日農業科のある高等学校の先生と話をする機会がありました。その学校でも採卵鶏を飼っているのですが、普通のケージ飼いと、平飼いの両方を試されていました。

「アニマルウェルフェアのことを考えると、平飼いの方が良いのですか」

「いや実は平飼いをすると、鶏同士がくちばしで互いをつつきあい、怪我をすることが多いのです。それを避けるためには、かなり広い敷地の中で飼育することが必要で、人手がかなりかかってしまいます。一般の農家さんではなかなか難しいと思います」

    アニマルウェルフェアの考え方で、平飼いや放牧で鶏を育てたとすると、費用がかなりかかってしまうため、卵の値段がかなり上がってしまうことが予測されます。それでも消費者として、高い値段の卵を買うでしょうか。なかなか難しい問題です。

    先日名古屋入国管理局の施設で、スリランカ人の女性が亡くなるという事件がありました。日本では「アニマルウェルフェア」よりも、「人間ウェルフェア」の方が優先順位が高いのかもしれません。

 

いじめ、差別

いじめ、差別 

 今回は重たいテーマですが、いつも以上にしっかり書きますので、しっかり読んでみて下さい。

「あなたはいじめや差別を良いものだと思いますか」

こう問われて「はい」という人は、ほとんどいないと思います。では、

「いじめや差別はいけない、と思う人が大半なのに、いじめや差別がなくならないのはなぜですか」

この問いにきちんと答えられる人は、どれほどいるでしょうか。一つの回答として、

「いじめや差別はたいてい悪意のない人がする」

ということが考えられます。どういうことか、二つの例をあげてみます。

①    「もうすっかり日本人ですね」

    国外から日本に移り住んでいる移住者にたいして、日本語も上手になったので、賞賛の意味でこう言うことはないでしょうか。しかしこれは聞き手にとっては「我々(多数である日本人)は、あなた(少数である移住者)のことを、いまだに完全なる日本人とは見ていない」という前提での発言だと捉え、侮辱的に感じられることがあるようです。

②    「希望をもってください」

    障がいがある人に対して、励ましの言葉としてこう言うことはないでしょうか。しかしこれも聞き手にとっては「健常者から見ると、障がいがありながらの生活には、希望がないという前提での発言である」と聞こえることがあります。

 これらは「意図的に差別をしようと思った」発言ではありませんが、実は多数派の価値観に根ざした言葉と捉えられ、結果として聞き手には不快な思いをさせてしまうものです。こう考えると、私も知らないうちに、人を傷つけるような発言や態度をしたことがあったのではないか、とても不安に思います。性別、障がい者、セクシャル・マイノリティ、移住者等に対して、自分が立つ位置によっては、ある意味「特権」を持っていることが見えにくくなってしまいます。

「差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心を持つことも、極めて容易なことだ。誰かを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない」ので、「私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を『差別されないための努力』から『差別しないための努力』に変える」必要があります。登別で判別できるようにキャベツを食べながら、差別を考えましょう。

 

猫の話

猫の話

 「我が輩は猫である。名前はまだない。」これは夏目漱石のデビュー作「我が輩は猫である」の書き出しです。今回は猫の話です。ちなみに我が家の飼い猫は「みーちゃん」と言います。

 大変忙しくて、人手不足のときには「猫の手も借りたい」と言います。「猫の手」では役に立たないと言うことが前提にあることを踏まえたことわざです。「猫に小判」は猫には小判の値打ちは分からない、と言うことを前提に「価値の分からない人に貴重なものを与えても、何の役にも立たないことのたとえです。他にも「猫をかぶる」「ネコババ」等、あまり良くないたとえに使われている例が多いような気がします。また、12の動物が出てくる干支には、戌年はありますが、猫年はありません。

 では外国を見てみましょう。フィンランドのことわざに

「『やり方はいくらでもある』と、おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った」

というものがあります。これは「意外なところに道がある、解決策は一つではない」という意味だそうです。実際に猫でテーブルを拭くことはないでしょうが、背景にはフィンランドに息づく「sisu(シス)」の精神があるようです。sisuは「勇敢で、粘り強く、忍耐強く、諦めない姿勢と態度」のことで、「フィンランド魂」と訳されることもあるようです。フィンランドは極寒の国ですから、このような言葉が生まれてきたのかもしれません。コロナ渦の今、見習いたい姿勢と態度でしょうか。

 「我が輩は猫である。名前はみーちゃんという。」という書き出しで、木村漱石も小説を書いてみましょうか。

 

悩み、不安、心配事

悩み、不安、心配事

 生徒の皆さんは、悩みや不安、心配事がありますか。全くないという人はいないかもしれません。高校生の年代だと、勉強の事、進路についての事、友人関係や、自分の容姿についての悩みもあるかもしれません。最近だと「新型コロナに感染したらどうしよう」という不安もあります。年齢を重ねるにつれて、心配事は変化していく場合が多いです。私のような年齢になると、自分や親の健康問題等が気になってきます。

 さて、悩みや不安を感じたときはどうしたら良いのでしょうか。解消方法は人によって様々だと思いますが、やはり自分以外の人に相談してみることが一番ではないでしょうか。自分が信用できる相談相手がいるとすれば、それは大変ありがたいことです。自分の親や、友人はもちろん、高校の先生やキャンパスカウンセラーの先生等も相談に乗ってくれると思います。最近だとSNSを使って聞いてみるという方法もあるようです。

 しかし、誰に相談したところで、自分の気持ちが変わらなければ、悩みは解消されません。他人には「何だ、それくらいのことでクヨクヨするな」と思われることでも、自分としては「夜も眠れないくらい悩んでいる」ことはよくあることです。ではどうすれば良いのか。まず一つ目は

「心配事の9割は、実際には起こらない」

    こういうタイトルの本も出版されていますし、アメリカの科学者による研究結果もあるようです。二つ目は

「なんくるないさ」「ケ・セラ・セラ」

    沖縄の方言である「なんくるないさ」と、スペイン語の「ケ・セラ・セラ」は同じような意味で「大丈夫、たいしたことはないよ、きっとうまくいく」という意味です。三つ目は

「先のことではなく、今できることに集中せよ」

    禅宗に「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という言葉があります。「余計なことは考えず、お茶をいただくときには、お茶を飲むことだけに集中して、ご飯をいただくときにはご飯を食べることだけに集中しなさい」という意味です。

 皆さんも悩み、不安、心配事があれば、人に相談して、自分の気持ちの持ちようを考えてみて下さい。相談するときは、階段を使って降壇しながら行いましょう。

 

宇宙人と出会う前に読む本

宇宙人と出会う前に読む本

 生徒の皆さんは、宇宙人は存在すると思いますか。私は小さい頃から「宇宙人はどこかにはいる」と思ってきました。「宇宙はものすごく広いから、どこかの星には地球と同じような星があるに違いない」というのが理由です。

 今回は、筑波大学研究員の高水裕一さんが書いた、講談社ブルーバックス「宇宙人と出会う前に読む本」から紹介します。この本では、「地球人」と「宇宙人」が交流するという架空の話を通して「地球での常識と宇宙での常識」を考えるという内容になっています。以下、いくつか紹介します。

①    あなたはどこから来たのですか。

 「地球という惑星から来ました」これでは全く通じません。正解は「天ノ川銀河の中心から約2.6万光年離れたG型恒星(緑色や黄色をした軽量型の恒星)である太陽を公転する惑星のうち、内側から3番目にある地球から来ました」

②    あなたは何でできていますか。

「私は原子でできています。現在の地球の素粒子物理学では、物質の究極の最小単位は電子とクォークであると考えられていますが、あなたの惑星ではどうでしょうか」現在地球で用いられている元素の周期表は、宇宙でも通用します。

③    あなたたちの太陽と月は、いくつありますか。

「地球では太陽も月も一つです」そんな惑星は、宇宙では大変珍しいものです。すべての恒星のうち半分以上は「連星」で三重やそれ以上の連星もあります。太陽が二つ、三つある場合は、日の出や日の入りを定義したり、そもそもカレンダーをどのように作るのか、とても大変です。また月のような衛星の数も、太陽系ですら水星と金星にはありませんが、火星は二つ、木星は72個、土星は53個となっています。日食や月食が頻繁に起こることになります。

    他にも、「あなたは左右対称ですか」「エネルギーは何を使っていますか」等、地球人の常識が、宇宙人の常識とは異なる事例が述べられています。自分たちの物事の見方を考え直す、とても面白い本でした。見方を考えるためには、味方を多くして、少なくとも三方から見つめ直すことが必要です。

 

 

学校9月入学制

学校9月入学制

 日本の学校制度では、1年は4月に始まり、3月で終了します。また、日本の国家予算の編成と執行も同様です。国の予算会計年度については、もともと稲の収穫が終わり、その米が換金される時期に合わせたことからくるとも言われています。江戸時代の話が現在まで残り続けているのでしょうか。

 さて、学校9月入学制度についてです。2020年春、コロナ渦による学校休校が続く中で、休校の遅れを取り戻すために、学事暦を半年後ろにずらす、この制度の導入についての議論が始まったかのように思われます。当時の萩生田文部科学大臣も導入に理解を示し、当時の安倍首相も「前広に判断する」と発言しました。しかし、全国の小中高校で実施するには多くの困難な点が指摘され、結局この制度の導入は見送られました。

 実は日本における9月入学制度の導入については、1980年代から議論がなされてきました。一番大きなメリットは世界中の学事暦は、ほとんどの国が9月に始まり、8月に終わることです。特に大学としては、留学等において諸外国と同じ学事暦にすることが望まれてきました。1987年の臨時教育審議会答申では「秋季入学制に移行すべく、関連する諸条件の整備に努める」と要請されました。しかし、入口と出口の問題を解消できる方策が難しく、実現はされません。2011年には東京大学で「秋入学構想」が盛り上がりました。これはグローバル化が進む中、東京大学としても危機感があったために議論がなされましたが、これまた実現はされませんでした。これらの歴史を振り返ると、今回の2020年春の議論はコロナ渦で大変だということだけで、これまで実施を拒んできた要因を解消しないままの議論であり、思いつきの案であったことがよく分かります。

 大学だけでも9月入学を実施したいと考えている人たちは数多くいると思います。しかし、高校を卒業して4月から8月までの期間をどうするのか、8月に卒業したら、就職はいつになるのか、就職活動の期間はどうするのか等、解決しなければならない課題は山積みです。「課題が多いから現状維持で行こう」これでは何も変わりません。コロナ渦で大学の「グローバル化」「オンライン化」が進む中、日本だけが取り残されていくのでしょうか。学校が秋に始まっても、飽きないと思いますが。

 

京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話

京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話

 2019年7月18日に起こった、京都アニメーション放火殺人事件は36人の死亡者と35人の負傷者を出した衝撃的な事件でした。放火に携わったと思われる容疑者自身も全身の93%に及ぶ大火傷を負い、生死の淵をさまよいましたが、一命をとりとめました。その際に治療に当たった医師が、当時近畿大学付属病院で救急医療を担当していたA医師です。

 火傷はその程度によって、Ⅰ度Ⅱ度Ⅲ度と分かれるようです。Ⅰ度は、日焼けしたときも該当します。Ⅲ度は一番表面の表皮だけではなく、その奥にある真皮まで到達した場合です。今回の容疑者は当然Ⅲ度でしたが、たまたまウェストポーチをつけていた部分で、8cm四方の皮膚だけが健常な状態で残っていました。その部分を切り取り、培養して何枚にも増やしてから火傷の部分に移植手術をしました。また、皮膚がない状態なので、感染症や敗血症になる可能性もあります。血液中の水分が身体の外へ出て行くことが続くと、血圧が下がったり、腎臓に血液が回らなくなると、腎不全を起こしたりもするようです。A医師も最初は「助からない」と思ったようですが、必死の治療が続き、命は救われました。

 最近のことですから、数多くの批判の声があったようです。「そんな凶悪犯人の命を救うことに値打ちがあるのか」「どうせ死刑になるだけだ」「高額の治療費は誰が払うのか」等です。A医師は「目の前にいる患者を助けるのが僕らの仕事だ」ということでした。彼は大学2年生の時に「阪神淡路大震災」を経験し、2005年にはJR福知山線脱線事故の負傷者の治療を担当し、京アニ事件を担当した後、2020年4月からは鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授として勤務をされています。彼の言葉です。

 「救急医療にスーパースターはいらない。味方が失敗したら仲間がカバーする組織が一番強い」

 「救急医療」の部分を入れ替えると、多くの組織運営に当てはまるフレーズだと思います。毎日目先の事だけにキュウキュウとしているようではダメですね。

 

集合知の限界

集合知の限界

 多くの人が知恵を持ち合って構成する知を「集合知」と言い、往々にして一人一人の個人の判断よりよい結果をもたらすことが知られています。この集団的な合意形成の有効性を実体験するために、用いられるものの一つが「NASAゲーム」です。このゲームでは、月に不時着した宇宙飛行士が、320キロ離れた母船へ月面を移動しなければならないという設定で、そのとき宇宙船からどのアイテムを持って行くか、15の中から重要度を順位付けよ、というゲームです。アイテムとしては、マッチの入った箱、宇宙食、ナイロン製ロープ、落下傘の布、ソーラー発電の携帯用暖房器、ピストル二丁、粉ミルク、酸素ボンベ、月から見た星座表、救命いかだ、磁石コンパス、水、信号用照明弾、注射器入りの救急箱、ソーラー発電式FM送受信機の15個です。生徒の皆さんも、一度考えてみて下さいね。

    まず参加者各自が順位付けを行い、その後グループ(4人から8人くらい)で話し合って結論を導きます。そうすると、個人一人で考えていた結果よりも、集団で話し合って導き出した答えの方が有効であることが多いです。例えば、月面での行動ですから、酸素ボンベや、水の優先順位が高いことは明らかです。逆に、月面では酸素や、地磁気がないので、マッチや磁石は役に立ちません。

    さて、ここからが本題です。このゲームでは、模範解答が示されていて、ゲームにおいての勝ち負け、適切な結果を導き出せたかどうかが、よく分かる仕組みになっています。この集合知が有効なのは、「正解」がある場合に限られるということです。特に集合知の代表であるインターネットのウィキペディア等に頼ると、ほとんどの問いに対する解答が出てきます。しかし世の中にある問題は解答があるものばかりではありません。例えば「日本の首都はどこに移転すべきか」「原子力発電所は新たに建造すべきか」等、解のない問題では集合知が正解とは限りません。何でもネットに聞けば答えが出ると思っていると、大きな間違いを犯すことにもなりかねません。世の中には「正解」がない問題の方が多いですからね。正解を得るためには、政界に出て、コロナ渦の中でもパーティーを盛会にしなければいけません。

 

東京藝術大学

最後の秘境 東京藝大

 二宮敦人さんが書いた「最後の秘境 東京藝大」という本が、平成28年に出版されましたが、平成31年に新潮文庫として発売されました。今回はこの本から紹介します。

 皆さんの周りに「東京大学の卒業生」はいますか。なかなか珍しい存在かもしれませんが、ひょっとしているかもしれません。理由は東京大学の一学年の定員が三千人くらいいるからです。では「東京藝大の卒業生」はどうでしょうか。一学年の募集人数は美術学部が234人、音楽学部が237人ですから、合わせて五百人足らず。少ないはずです。

 もともとは東京美術学校、東京音楽学校と別の学校が一緒になって東京藝術大学ができました。ですので今でも上野駅を背にして、左側は美術学部「美校(びこう)」と呼ばれ、右側は音楽学部「音校(おんこう)」と呼ばれています。それぞれの学部で多くの特徴がありますが、その中の学科によっても、藝大の常識が世間の常識とはかけ離れていることがたくさんあって、非常に興味深いです。

①     藝大の生協(大学内にある生活協同組合)には、ガスマスクを売っている。

美校の彫刻科では、木や金属、粘土の他に、樹脂加工の授業があり、その際には有毒ガスが発生するので、学生は皆ガスマスクを購入する。

②     音校に合格した学生は、まず自分の写真を撮る。

自分が商品なので、ドレスを着て、楽器を抱え、にっこりと笑う宣材写真が必要である。

③     口笛を吹いて、藝大に合格した学生がいる。

二次試験の「自己表現」で、ヴィットーリオ・モンティ作曲の「チャルダッシュ」を口笛で吹いて合格した学生は、2014年の「国際口笛大会」成人男性部門のグランドチャンピオンであった。

④     工芸科漆芸(しつげい)専攻は、漆(うるし)塗りを学ぶため、かぶれて手が荒れている学生が多い。工芸科でバレーボール大会をすると、漆芸専攻の学生が触ったボールで、他の専攻の学生の手がかぶれてしまった。

⑤     声楽科の学生には、のどあめが必需品。プロポリス、ボイスケア、龍角散が多いが、最終兵器は漢方薬の「響声破笛丸(きょうせいはてきがん)」です。

藝術を極めるためには、お金も時間もかかり、何より根気と体力が必要なのがよく分かりました。「ローマは一日にしてならず」ということです。テーマを考え、キーマカレーでも食べながら、マンマ・ミーアを鑑賞しましょう。

 

クオータ制度

クオータ制度

 2021年3月末に世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数で、日本は120位と、前年の121位からほとんど変わりませんでした。このジェンダーギャップは、男女格差を表す指数で、とりわけ指導的立場に就く女性の割合が比較的大きく反映されるという特質を持ちます。

①     9.9%  衆議院に占める女性議員の率 2020年 世界166位

②     30.2%  町村議会の中で、女性議員がゼロである議会の率 2019年

③     26人 全国の市区町村1721自治体のうち、女性首長の数 2020年

このように、日本では依然として大きな男女格差が残っているのが現状です。そこで「クオータ制度」の出番です。実は私も「クオータ制度」というのは、「女性の割合をクオーター(四分の一)に増やすシステム」と誤解していました。クオータ(quota)は「割り当て」という意味で、クオーター(quarter) 四分の一のことではありません。クオータとは、属性による不均衡を是正するために、少数派に対して一定割合・数をあらかじめ設定する手法です。アメリカでは大学入試において、少数の人種であるとされてきた黒人やアジア系、ヒスパニック系に対してクオータ制度が導入されてきました。議員を選ぶ選挙において、一定割合を女性に割り当てるジェンダー・クオータ制度は、129カ国に導入されていて、世界中の約三分の二の数になります。

一方、クオータ制度の導入に反対する意見もあります。①クオータは女性に下駄をはかせる逆差別だ ②女性政治家が少ないのは、女性が望まないからだ ③クオータは民主主義的な選出と矛盾するものだ 等です。私はこれらの意見は男性からの一方的な考えに基づくもののように思います。実際に女性の議員の数は圧倒的に少ないのですから、一度クオータ制度の導入を考えてみるべきだと思っています。クオータの導入には、赤ちゃんをセオータまま、ウオータを飲みながら考えてみましょう。

 

赤米

赤米

 普通に精米したお米の色は白いです。ところが、大昔は赤色や黒色、緑色のお米がありました。赤米は縄文時代に古代中国から伝わったとされ、玄米の色が赤褐色で、果皮・種皮部にタンニン系の赤色色素を含んでいます。五分づき精米するとピンク色に、普通に精米すると白米と変わらない色になります。赤飯の元となったという説もあります。

 一般的には生命力が強いのですが、米の性質にばらつきがあったり、収量が少なかったりしたため、明治時代以降はほとんど生産されなくなりました。ところが最近、白米に比べてタンパク質やビタミン、ミネラル等を多く含んでいることが明らかになり、健康食として注目を集めています。食べるときは、赤米単独ではなく、普通の白米に少し混ぜて炊くのが良いようです。また、お酒や菓子、麺類等に加工されて販売もされています。

 赤米は「あかごめ」や「あかまい」と読むようですが、曖昧な商いをして、お見舞いに良いかもしれません。

 

YOASOBI

YOASOBI

 生徒の皆さんは、当然よく知っているYOASOBIです。Ayaseとikuraによる2人組の音楽ユニットですが、配信する(CDという形式ではほとんど発表されていない)楽曲がどれも大ヒットです。2019年に結成し、小説を音楽にするプロジェクトから誕生しました。「夜に駆ける」「ハルジオン」「たぶん」「群青」「もう少しだけ」「三原色」どの曲も個性的で、一度聞くと忘れられない感じがします。私のようなおじさん達がYOASOBIを知ったのは、2020年12月の紅白歌合戦で「夜に駆ける」を歌ってからでしょうか。現在ではユニクロがコラボしてTシャツを販売したりもしています。

    今回、Kiss FMで8月1日に放送された「日本郵便 SUNDAY’S POST」という番組を聴いていると、その番組内で「レターソングプロジェクト」という企画で、小学校6年生の「はつね」さんからの手紙をもとに、YOASOBIが「ラブレター」という楽曲を完成し、8月9日から配信が始まることが分かりました。この「はつね」さんが書いた手紙が非常に感動的で「私は苦しいときも楽しいときも音楽を聴いてきた。音楽さん、ありがとう」という内容なのですが、ほぼ忠実に内容を生かした「ラブレター」がまた大変素晴らしい曲にできあがっています。この曲も大ヒット間違いなしだと思います。合唱や、吹奏楽等の課題曲に採用されるかもしれません。皆さんも夜遊びをしながら、YOASOBIの「ラブレター」という楽曲を聴いてみて下さい。

 

ベルベル人

ベルベル人

 7世紀にアラブ人がやってくる前から、北アフリカ地域に住んでいた先住民族がベルベル人です。ベルベルという名前は、ギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来するそうです。北アフリカ地域は、古代から多くの国家からの侵略を受け、イスラム化やフランスによる植民地化などの歴史を経て、ベルベル人たちは多くの苦難を乗り越えてきました。有名人では、サッカー元フランス代表のジダンやベンゼマもベルベル人です。良くない出来事があった女優の沢尻エリカさんですが、彼女の母親も国籍はフランスでしたがベルベル人だそうです。

 「アムドゥヤズ ン ドゥシャル ワル イスファルジュ シャ」

    ベルベル語のことわざで「村の歌い手は評価が低い」という意味です。これは聖書にある「預言者は自分の故郷では歓迎されない(身近なものはありがたくない)」という意味と同じです。「幸せの青い鳥を探しに出かけたが、実は自宅にいた鳥が青い鳥だった」という話にも通じるところがあります。自分の身近なところにあるものを、もう一度見直してみましょう。「帯に短し、襷に長し」では役に立ちませんが。

 

 

 

忙中閑あり

忙中閑あり

 「忙中閑あり」(ぼうちゅうかんあり)忙しい中にも、ちょっとゆっくりするヒマな時間もあるよね、ということわざです。8月になり、忙しい生徒の皆さんや先生方も「ちょっと一息」を感じているでしょうか。同じような言葉をいくつか考えてみましょう。毎日暑い日が続いていますが、「暑中涼あり」暑いけれども、ほっと涼しさを感じる時があります。エアコンの効いた建物に入ったとき、アイスクリームやかき氷を食べるとき、山に登って木陰で涼しい風が吹いてきたときなど。「夜寝苦しい中昼寝あり」これは言葉通りで、夜はなかなかぐっすりと眠れないのであれば、昼間短時間の「パワーナップ」で疲れを取ることも大切です。

 「壷中天あり」これは中国の後漢書に記載されている「世俗生活の中にある独自の別天地」のことです。「費長房という人は市場の役人だったが、ある日役所の窓から見える通りで店を出している薬売りの老人が、夕暮れに店をたたむと、店先の壷の中に入っていくのを目撃した。翌日、費長房が老人に昨日のことを尋ねると、老人は実は自分が仙人であることを明かし「見られたのなら、仕方ない」と壷の中に入れてくれた。壷の中には珍味を並べた別天地があり、酒を酌んで大いに楽しみを尽くしたという」壷の中は小さく狭いように見えますが、その中には天のように広い世界が存在する、ということで、「井の中の蛙、大海を知らず」の反対ですね。こんな壷があるのなら、私もボツにならずに、壷にはまりたい。

 

 

 

温室効果ガス削減、やる気あるの

温室効果ガス削減、やる気あるの

 地球温暖化対策計画の政府原案が発表されました。管首相が表明した2030年度の排出量を2013年度比で46%削減する目標を実現するための案です。この原案を見て「なんじゃ、これは」と思った人は私だけではないはずです。2013年の部門別二酸化炭素排出量は、産業部門が4億6300万トン、家庭部門が2億800万トンであるのに、削減率は産業部門が37%減で、家庭部門が66%減を目標にしています。二酸化炭素を排出する部門を5つに分けたときに、一番排出量が多い産業部門の削減率が少なくて、排出量の少ない家庭部門の削減率が大きいのです。全体を削減するときに、多い分野から削っていく方が効果が高いということは、小学生にも理解できる理屈です。産業界からの反発を恐れ、家庭部門では表だった反対の声は小さいだろうという忖度が働いた結果だと思います。これを見ると、政府は本気で排出量を減らす気がないと思えてしまいます。

 世界中で気候変動、自然災害が数多く報告され、温暖化対策は待ったなしの状況にありながら、この期に及んでも「日本の産業を守る」ことを優先しています。こんな忖度は、選択せずに、洗濯してしまわないといけません。