校長室より

世界史は暗記もの?

世界史は暗記もの?

 私が大学受験の時、社会科で共通一次試験を受けたのは、世界史と倫理社会の2科目でした。世界史は縦の年代と、横の各国同士の関係を座標のように捉えていく必要があるので、理科系の生徒向きといわれていました。日本史は小学校以来何度も学習したり、大河ドラマ等で見聞きする機会もありますが、世界史は普段はなかなか触れることが少ないです。昨年末から、岩波講座「世界歴史」の第3期が発刊されています。全24巻ということですが、とりあえず第1巻のうちのほんの一部を紹介します。

 世界史といえば「○○という国と○○という国の間で、○○年に○○戦争が起こった」というような事をひたすら暗記していくというイメージがありますが、第1巻冒頭の小川幸司さん(この人は長野県の高等学校の先生)の「私たちの世界史へ」を読み、ある意味感動しました。

 2011年3月11日は東日本大震災が起こった日ですが、この日、福島県の双葉消防本部の4人の消防士は、全国消防駅伝大会のために、東京都内に滞在しており、この日の夕食を「最後の晩餐」だと思った、と話しています。原発の事故が伝えられると、消火、救助活動に当たった消防士たちは、ソ連(当時)の「チェルノブイリ原子力発電所」の事故の際に消火活動に当たった消防士たちのその後の悲惨な運命を思い浮かべました。また福島第一原発に出発する消防士は「きっと特攻隊はこうだったのだろう」という思いでした。そしてこのような思いや発言が残されているのは、震災から9年後の2020年、吉田千亜さんによる「孤塁―双葉郡消防士たちの3・11」というルポルタージュが出版されたおかげです。

 このように、過去の人間たちの姿やイメージを引照しながら、自分の生きている位置を見定め、自分の進むべき道を決めようとするのであれば、それは世界史を考えていることになる。またその記憶を、記録として残していくことは「世界と向き合う世界史」であると、小川幸司さんは述べています。世界史は、偉い歴史家や学者の先生が出す論文の中だけにあるのではなく、私たちの「世界史実践」の中にもあるということです。

 私がこれまで考えていた「世界史」というものとは全く違う捉え方です。1つの出来事を、多面的に理解してまとめていく姿勢には驚きでした。「最後の晩餐(ばんさん)」は「最後の電算」でも「最後の換算」でも「最後の塩酸」でもありません。