校長室より

猫の話

猫の話

 「我が輩は猫である。名前はまだない。」これは夏目漱石のデビュー作「我が輩は猫である」の書き出しです。今回は猫の話です。ちなみに我が家の飼い猫は「みーちゃん」と言います。

 大変忙しくて、人手不足のときには「猫の手も借りたい」と言います。「猫の手」では役に立たないと言うことが前提にあることを踏まえたことわざです。「猫に小判」は猫には小判の値打ちは分からない、と言うことを前提に「価値の分からない人に貴重なものを与えても、何の役にも立たないことのたとえです。他にも「猫をかぶる」「ネコババ」等、あまり良くないたとえに使われている例が多いような気がします。また、12の動物が出てくる干支には、戌年はありますが、猫年はありません。

 では外国を見てみましょう。フィンランドのことわざに

「『やり方はいくらでもある』と、おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った」

というものがあります。これは「意外なところに道がある、解決策は一つではない」という意味だそうです。実際に猫でテーブルを拭くことはないでしょうが、背景にはフィンランドに息づく「sisu(シス)」の精神があるようです。sisuは「勇敢で、粘り強く、忍耐強く、諦めない姿勢と態度」のことで、「フィンランド魂」と訳されることもあるようです。フィンランドは極寒の国ですから、このような言葉が生まれてきたのかもしれません。コロナ渦の今、見習いたい姿勢と態度でしょうか。

 「我が輩は猫である。名前はみーちゃんという。」という書き出しで、木村漱石も小説を書いてみましょうか。