校長室より

許したれよ

許したれよ

 年寄りあるある、の中には「昨日や一昨日の事は全く忘れているが、30年前の事は鮮明に覚えている」というものがあります。

 そう、あれは30年もっと前でしょうか。私が大学を卒業して、高等学校の教員として仕事を始めた頃、私の高校の同級生たちと集まったときの会話です。私の友人のF君は、私が高校生時代「あつしは、融通が利かない」ということを良く知っていました。「あつし、お前高校の先生するんやったら、たいがいのことは『許したれよ』。高校生なんか子供やねんから、間違えたり、失敗するもんやで」

 私はこのとき「何を言うてんねん。高校の教育現場はいろんな生徒がいて、大変やねんぞ」と反発したい気持ちになったことを覚えています。しかし、F君の言葉がずっと耳に残っていました。確かに高校生がすることで「いじめ」や「人のものを盗む」等、許されない出来事は、許されません。ただ「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もあります。何事にも寛容の心を持って接することの大切さを感じる日々があったことも事実です。また高校の先生が生徒を指導するという場面だけではなく、日常生活の中で、理不尽だと感じたり、憤りを感じたりすることがあります。そのときに怒りにまかせて発言したり、行動してしまうと、あまり良い結果にならないことが多いように思います。最近多発している社会的な事件についても、寛容の心がないものが多いです。

 多くの人々がもう少し「許したれよ」の気持ちを持てば、社会も変わっていくような気がします。観葉植物でも見ながら、寛容の心を持つことが肝要です。