校長室より

校長室より

戦争絶滅受合法案

戦争絶滅受合法案

 今から約100年前に、大正デモクラシーを代表するジャーナリストである「長谷川如是閑(はせがわ にょぜかん 1875~1969)が紹介した「戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけあいほうあん)」です。

 「開戦後10時間以内に次の者を最下級兵卒として最前線に送ること。①国家元首 ②その親族 ③首相・大臣・次官 ④戦争に反対しなかった代議士ら」

 この法案が可決されれば、間違いなく戦争はすぐに終結します。それほど、①~④の人たちは、戦争を他人事として考えているわけです。戦争というものはいつの時代でも、年寄りが考えて、若者が戦うものです。長谷川如是閑がこの法案を考えた時代は、ちょうど日本が戦争に向かっていた時代でした。ですからかなりの勇気を持って、この法案を発表したのでしょう。約100年後の現在のロシアに対しても、当てはまるところです。

 生徒の皆さんも、役に立ちそうな法案を、草庵にこもって、答案を考案してみて下さい。

 

周りがあきらめてくれる

周りがあきらめてくれる

 兵庫県神河町の出身である女優の「のん」さんです。2006年にオーディションでグランプリを獲得し、本名の「能年玲奈(のうねん れな)」としてテレビや映画で活躍していましたが、いろいろなトラブルがあったようです。2016年から現在の「のん」という名前で活動しています。現在も映画「さかなのこ」では「さかなクン」をモデルにした役を演じています。

 そののんさんが、あこがれの人だという「矢野顕子」さんと対談をしました。矢野顕子さんといえば、シンガーソングライターとして独創的な歌声で世界的に評価されています。坂本龍一さんの奥さんで、子どもさんはやはりミュージシャンの「坂本美雨」さんです。

 のんさんは「どうやったら、やりたいことを貫いている矢野さんのようになれるのですか」と尋ねました。矢野さんの答えは「やりたいことをやり続けたら、周りがあきらめてくれるのよ」というものでした。のんさんには、やりたいことをやるために、相手を説得する考えはあっても、あきらめてもらう発想はありませんでした。「こんな言葉は矢野さんからしかきいたことがない。かっこいいなと思いましたね。余計なことを考えずに、シンプルにやりたいことをやろうと思うようになりました」

 生徒の皆さんはどう思いますか。自分がやりたいと思うことがやれていますか。他人にどう思われるか、を気にしすぎて、最初から諦めていませんか。萎縮していませんか。自分がなにものであるのか、なにができるのか、なにがしたいのか、自己肯定感を持てていますか。周りがあきらめてくれるくらいに、突っ走ってみてはどうでしょうか。私は、周りがあきらめてくれるくらいの、親父ギャグラーを目指していますが、まだまだ道半ばです。あきら君が馬手(めて)をくれるかな。

 

むずかしいこと

むずかしいこと

 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」

 私がこの「校長室より」で目指していることなのですが、もちろん、私が考えた台詞ではありません。作家や劇作家として著名な「井上ひさし(1934~2010)」さんの言葉です。

 「私たちはとかく『やさしいことをむずかしく』「むずかしいことをあさく」『あさいことをつまらなく』語ってしまいがちです。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章を書くことは簡単だからです。深く考えないで、脊髄反射で、思い浮かんだことを書けばいいのですから。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章は、コンテンツを発信する側が受け取る相手のことより、自分の都合や思いを優先しているときに起きます。相手を雑に型にはめて単純化してしまうことで、思考停止になってしまっているのです」

 私がこの井上ひさしさんの言葉を知ったのは、朝日新聞夕刊の「素粒子」というコラムを読んだときです。新しくこのコラムを担当する方が、座右の銘として、この言葉を書いていました。私自身も目指していますが、なかなかたどり着けない目標として、素晴らしい言葉です。生徒の皆さんに話す機会の多い私としては、常に心がけたいと思っています。

 やさしく、ふかく、おもしろいこと、白い犬は、おもしろい(尾も白い)。

 

不思議なイギリス

不思議なイギリス

 2022年のサッカーワールドカップは、中東のカタールで開催されます。32の参加国の中には、イングランドとウェールズが入っています。同じイギリスという国の中に属するはずなのに、これはどういうことでしょうか。

 実はイギリスという国の正式な名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といいます。グレートブリテン島と呼ばれ、イギリスの本体である島の中にイングランド、ウェールズ、スコットランドという3つの地域「カントリー」があり、隣にあるアイルランド島のうち、北東部の「北アイルランド」を含め、4つの「カントリー」からできています。国家としてはイギリスとして1つの国ですが、サッカーやラグビー等のスポーツでは、カントリー毎にチームを作っているので、イングランドとウェールズは異なる2つのチームとして出場します。日本から「関東チーム」と「関西チーム」が出場するようなものです。

 もっと不思議なことは、アイルランド島という地続きの島で、北東部の北アイルランドはイギリスであり、それ以外の南西部は「アイルランド」という違う国になっています。これには長い歴史と、宗教の違い、文化の違い等があり、戦争も行われたりして複雑に絡み合って、現在のようになっています。これも日本でいうと、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍と、豊臣秀頼の西軍が別々の国として独立したようなものです。

 イギリスというと、世界で最初に産業革命を行い「大英帝国」として(多くの地域を植民地として)発展した国ですが、最近ではEUから離脱したり、今年は70年に渡り在位してきたエリザベス女王が亡くなり、チャールズ皇太子が国王となったり、話題を提供しています。また政権党である保守党のゴタゴタがあり、ポリス・ジョンソン首相、リズ・トラス首相を経て、インド系のリシ・スナクが首相になります。これまでにマーガット・サッチャー、テリーザ・メイと2人の女性首相がいましたが、リズ・トラスは非常に短命の3人目の女性首相でした。日本では女性の総理大臣はこれまでにはいません。また外国にルーツを持つ人間が首相になることはなかなか考えにくいです。やはり英国は、えい国なのでしょうか。

 

幸福とは

幸福とは

 人は誰しも「幸福」になりたいと思うものです。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。少子高齢化に歯止めはかかりませんし、気候変動問題によって、将来の経済発展に期待は持てません。地域間で、世代間で格差は広がり続けています。政治に対する不信感もあり、ロシアとウクライナの戦争の行方も読めません。「人生は本質的に苦しみだ」と考える人がいても不思議ではありません。苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきかを考えた哲学者がドイツのショーペンハウアー(1788~1860)です。

 彼は、生きる苦しみと向き合い、苦しみの源泉に他ならない欲望を否定し、エゴを超えていこうとしました。厳しい否定による悟りの境地である「意思の否定」を終着点とする「求道の哲学」を唱えました。なるほど、人間には欲望があるために、それが叶えられないとなると幸せにはなれません。最初から欲望を否定すれば、悲しみもなくなるというわけです。しかし、人間は本当に欲望をなくすることができるのでしょうか。ショーペンハウアーは晩年になり、その回答を示しました。

 「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」ためには「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきを目指す」ことが必要です。そして幸福の礎となる「3つの財宝」を規定します。第一に「その人は何者であるか」人柄や個性、人間性などの内面的性質の事で、健康や気質、知性等とそれらを磨いていくことも含まれます。第二に「その人は何を持っているか」金銭や土地といった財産、その人が外面的に所有するものです。第三に「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」他者からの評価であり、名誉や地位、名声等です。

 私たちはたいてい、第二、第三のものを追い求めてしまいます。これらは「~がほしい」「~されたい」という欲望の対象で、どれほど多くを手に入れても、決して満足できないものです。もちろん、この第二、第三の財宝が全く価値がないものであるというのではなく、優先順位を明らかにする必要があるということです。第一の財宝は「内面の富」であり、これが「幸福の源泉」であるとします。人間は、若い間はなかなかこのように思うことができないように思います。他者からどのように見られるかは、気になるものです。しかしある程度年齢を重ねていくと、なるほどと思うようになってくるのも事実です。幸福を求めるためには、降伏せずに、合服を着ましょう。

 

富士山に登る人

富士山に登る人

 日本大学というマンモス大学があります。前の理事長が大騒動を巻き起こして辞任してしまい、どうなるのかな、と思っていたら、卒業生で作家の林真理子さんが理事長に就任しました。林真理子さんと言えば、有名な作家で、小説やエッセイを大量に書いてきています。しかし、大学の理事長という職業は全く別の世界なので、大丈夫かな?と思っていました。その林真理子理事長のインタビューを読みました。そこには漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」に出てくる次のフレーズが登場していました。

 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人は1人もいませんよ」

 漫画「浮浪雲」は、ジョージ秋山さんが1973年から2017年にわたり長期連載した作品です。主人公の「雲」は普段ボーッとしていて、若い女性を見かけると「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と声をかける習慣があります。しかし剣の達人で、顔も広く、哲学的な台詞を多く残しています。大変人気があったので、渡哲也さんやビートたけしさん主演によるテレビドラマやアニメ作品にもなりました。「富士山~」のフレーズも浮浪雲の台詞です。

 富士山に登ろうと思えば、かなりの準備が必要です。道具もいりますし、体力も必要です。高山病の対策も考えねばなりません。準備をしても、当日の天候や風などで登頂できないこともあるでしょう。心に決めないとできないことです。散歩がてらでは不可能です。もちろんこれは、富士山登頂に限らず、あらゆる事に当てはまると思います。生徒の皆さんでは、○○大学に合格したい、次の部活動の大会で優勝したい、来年の体育大会や合唱コンクールではクラス優勝をしたい等、何でも当てはまると思います。

 「優勝しようと心に決めた人だけが優勝するんです。何の準備もしないで優勝するはずがありません」

 私も、小さくても何でも目標をもって、それに向かってしっかり努力をする生活を続けていきたいと思いました。優勝するためには、闘将が交渉をして、通商をして報奨が必要です。

 

 

斎藤隆夫

斎藤隆夫

 兵庫県但馬国出石郡(現在は豊岡市出石町)出身の斎藤隆夫(1870~1949)です。「さいとう・たかを」と平仮名で書くと、昨年亡くなられた「ゴルゴ13」の作者である漫画家になってしまいます。ちなみに「さいとう・たかを」の本名は斎藤隆夫といいます。斎藤隆夫は「勉強したい」という思いを胸に上京し、早稲田大学で学び、アメリカのイェール大学に留学し、帰国後は弁護士を経て、戦前ですので帝国議会の衆議院議員となります。彼は立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、軍部の政治介入に抵抗します。

 彼の国会における演説には有名なものが多数ありますが、まず1936年の「粛軍演説」です。この年には2・26事件があり、また1932年に起こった5・15事件をうやむやに決着させたことが原因であると、軍部に対する批判と、軍部に寄り添う政治家に対する批判を述べました。次に1940年の「反軍演説」です。1937年から支那事変(本来は「日中戦争」と呼ぶべきだが、当時はこの名称が使われた。ロシアとウクライナの「戦争」もロシアは「特別軍事行動」と呼ぶのと似ている)が起こっていて、この戦争と引き起こした軍部を強烈に批判しました。その結果斎藤隆夫は懲罰委員会にかけられ、議員たちの圧倒的多数の賛成によって衆議院議員を除名されてしまいます。

 ところが、次の1942年の総選挙は有名な「大政翼賛会」選挙となります。ほとんど全ての議員が「大政翼賛会」の推薦者として立候補しますが、斎藤隆夫は「非推薦」ながらも但馬選挙区でトップ当選を果たして、衆議院議員に復活します。私が斎藤隆夫のことを取り上げようと思ったのは、当時の状況下における彼の勇気ある言動と、彼を支えた地元の多数の人々の勇気に感心したからです。地元の出石町には、斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられています。斎藤隆夫の思想につながる「大観静思(静かに思いを巡らせる空間)」に由来する名前です。静思は生死を制止して、製紙を静止することができます。

 

 

曾国藩

曾国藩

 近代の中国史の研究家である、京都府立大学教授の岡本隆司さんが岩波新書で「李鴻章」「袁世凱」と書いてきましたが、今回は「曾国藩(そう こくはん)」を出版しました。曾国藩てどんな人? という方も多いと思います。もちろん、私も知りませんでしたので、大変勉強になりました。

 最初の名前は曾子城(そう しじょう)、1811年湖南省に生まれました。当時は清朝にあたりますが、まだまだ科挙(かきょ 公務員試験の飛び切り難しいもの)が行われていて、立身出世のためには科挙に合格することが求められていました。もともと真面目で、コツコツ努力する人だったようで、1838年に合格して、北京での役人生活に入ります。ところが1843年洪秀全(こう しゅうぜん)がキリスト教の一種である上帝教を創立し、1851年太平天国の乱を起こします。当時の清朝の軍隊は腐敗しきっていたようで、全く役に立たず、当時の咸豊帝(かんぽうてい)は曾国藩に任せることにします。曾国藩は私兵である「湘軍(しょうぐん)」を組織して戦いますが、もともと戦いは下手くそで、勝ったり負けたり、軍費にも困りました。結局約10年の歳月と死者数千万人を出しながら、ようやく平定することができました。曾国藩は軍人としては失敗も多くありましたが、希代の名文家で、日記や手紙を多数残していたので、死後すぐに「曾文正公文集(そうぶんせいこうぶんしゅう 文正という、おくり名をもらった)」が編纂されたほどです。また太平天国の乱を戦う中で、弟子として李鴻章(り こうしょう)を重く用いました。李鴻章と言えば、その後清朝ではこれまた私兵の組織である「淮軍(わいぐん)」を率いて活躍し、日清戦争の後の下関講和条約では、清朝の代表として下関の春帆楼(しゅんぱんろう)で、日本側の伊藤博文と交渉しました。春帆楼は現在でもフグ料理で有名な店で、敷地内には下関講和条約で使われたテーブルや椅子が展示されています。私も一度訪れて、フグをいただいたことがあります。

 もともと地味で真面目な秀才であった曾国藩ですが、時代の波の中で慣れない軍人をやらされたという感じです。しかし結果として清朝のために働き、数多くの漢人を殺害したので、後の時代からは、賞賛されたり、批判されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい評価がついて回りました。曾国藩は天津飯が好きだったかもしれません。

 

 

人生は目撃

人生は目撃

 ラジオを聞いていると、作詞家の秋元康さんがこのように発言していました。

 「人生とは目撃である」

 そのときに、その場にいて、実際の現場や、テレビ中継であっても、目撃することが大切だ、という話です。1958年生まれの秋元康さんは、父親に連れられて、1964年の東京オリンピックを見に行き、2021年の東京オリンピックも見ることができたと言われていました。巨人の王、長島の現役時代を知っているとか、アントニオ猪木対モハメド・アリの対戦も見たよ、ということです。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」という曲の作詞を担当したのは、秋元康さんが30歳のときで、「あーあー、かわのながれのよーうーにー」と歌う美空ひばりさんを見たときには鳥肌が立ったそうです。それまでは自分の肩書きを「放送作家」と名乗っていましたが、それ以降は「作詞家」としたそうです。現在でも活躍している矢沢永吉さんですが、昔組んでいたバンド「キャロル」の解散ライブを見たとも話していました。

 「色々な目撃体験をみんな大切にした方がいい。今しか見られないものを見た方がいい。自分の中で最後に残るのは記憶しかないわけだから、それはすごく大事だと思うんですよね」

 私が目撃した中で、いまでも強烈に覚えているのは、1969年のアポロ11号が月に着陸して、アームストロング船長が月に降りたときのテレビ映像です。私が8歳のときで、多分日本時間では夜中で、私自身は眠たかったはずですが、両親に起きて見なさいと言われて見ていたと思います。当時の事ですから、当然白黒テレビで、解像度も良くなかったはずですが、画像は今でも覚えています。

 生徒の皆さんも、香寺高校で行われる文化祭や合唱コンクール、体育大会等は、その年次では高校生活で1回だけのものです。その現場で頑張って競技したこと、見聞きしたことは、かけがえのない自分の経験です。これからも大事にしていきましょう。演劇を目撃したら、激痛が走るかもしれません。

 

 

ドラえもん

ドラえもん

 生徒の皆さんには、9月30日と10月3日の2回に分けて、話をさせてもらいました。前期の最後には「ドラえもんのひみつ道具を使って、誰かに何かをしてあげるお話しを作りましょう」という宿題を出しました。宿題といっても、提出は自由としました。そして後期の始まりでは、種明かしをしました。

 「なぜこのような宿題を考えたのか。私はいつも皆さんにはパワポを使って話をしていますが、今回の終業式と始業式は、話す時間も短く、時期も重なっているので、どんな話をしようと考えながら、おやつに御座候を食べていました。御座候、どら焼き、ドラえもんと思いつきました。「思いつきを形にする」後は話を組み立てていくだけです。皆さんに何を考えてほしかったのか。ある程度の制限のある中で、正解のない問題に対して、自分の発想力で最適解を思いつき、言語化する体験をしてもらいたかったのです」

 生徒の皆さんがいくつか提出をしてくれましたので、その中から2つを紹介します。

 「地平線テープ」狭いところがイヤになったときに使うテープで、これを貼ると、どこまでも地平線が広がる空間になる。「地平線テープ」を体育館に貼ると、雨の日でも色々な競技ができたり、日光に当たらずに体育の授業ができる。

 「かるがる持ち運び用紙」この用紙の上に何かを置くと、吸い込まれて紙になり、紙の重さになるので、軽々と持ち運びができるようになる。「かるがる持ち運び用紙」を使うと、掃除や学校行事の際の大きな荷物運びを手早く終わることができる。

 このように、普段の学校生活の中で、不便に感じたり、こうすればうまくいくぞ、ということを考えてくれました。素晴らしい。このような発想力を大切にして、より良い社会を構築していく力を養ってください。

 確かにドラえもんは、どら息子がドライブしたり、ドラの音を出すわけではありません。 

 

教養とは

教養とは

 小泉信三(こいずみ しんぞう 1888~1966)は慶應義塾大学に学び、経済学者となり、後には塾長を勤めた人物です。1976年からは慶應義塾大学主催の全国高校生小論文コンテストに「小泉信三賞」があり、私が学年主任をしていた頃に、この賞を受賞した生徒が出た覚えがあります。小泉信三は多くの名言を残していますが、その一つがこれです。

 「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」

 現代では「ファスト○○」がはやっているようです。ファストファッション、ファストフードは既に有名です。ファスト映画は、権利者に無断で映像や静止画を利用して字幕やナレーションをつけて作った、実際の映画よりも短い動画を指すとのことです。ファスト教養というのもあるそうです。教養とは、すぐに役に立たないが、身につけるためには時間がかかるけれども、長い目で見るとその人の人生を豊かにするものをいうはずです。ファスト教養とは自己矛盾のはずですが。

 テレビニュースなどで活躍している池上彰(いけがみ あきら)さんの本職は、東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授ですが、彼こそは「教養」「リベラルアーツ」の大切さを説いています。東京工業大学に入学してくる学生ですから、理科系バリバリの学生がほとんどです。その学生に向かって「教養」「リベラルアーツ」を学ばせる訳ですから、かなりの困難が予想されます。その池上彰さんも、小泉信三の名言「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」を取り上げています。逆に言うと「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずっと役に立つ」ということです。

 教養は、強要して身につくものではありません。今日用があることが大切です。

 

琵琶湖疎水

琵琶湖疎水

 先日、京都の蹴上(けあげ)にある琵琶湖疎水記念館を訪れる機会がありました。

 まず琵琶湖疎水についてですが、明治時代に琵琶湖の水を京都市へ流すために作られた水路です。明治維新の際、京都から東京へ都を移すことになり(東京奠都(とうきょう てんと))、それに伴って京都では人口の減少と、産業の衰退が見られるようになりました。このため第3代京都府知事の北垣国道(きたがき くにみち この人は兵庫県養父市出身)が灌漑(かんがい)、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疎水を計画しました。そして主任技術者として、工部大学校(のちの東京大学工学部)を卒業したばかりの当時21歳の田邊朔郎(たなべ さくろう)を起用しました。北垣知事に田邊を推薦したのは、当時工部大学校学長であった大鳥圭介(おおとり けいすけ)で彼は兵庫県上郡町の出身です。後に田邊は、北垣知事の娘と結婚することになります。また、欧米の測量術を学んで実績を積んでいた島田道生(しまだ どうせい 当時33歳)が精密な測量図を作成しました。琵琶湖疎水記念館には、この測量図が展示されています。

 現在の第一疎水は1885年に着工し、1890年に完成しましたが、特に難工事だったのは2436mに及ぶ第一トンネルでした。当時の事ですから、ダイナマイトと人力で掘り進めました。工期を短縮するために、両側からだけではなく、竪坑(たてこう シャフト)を利用して真ん中からも掘り進めました。工事費は125万円で、これは京都府の年間予算の約2倍に相当します。

 この疎水の完成により、灌漑や上水道、琵琶湖から大阪までの水運業、水車を使っての発電事業と、数多くの産業が生まれることになり、現在でも利用されています。蹴上周辺には、記念館以外にもたくさんの遺産があります。

・北垣国道と田邊朔郎の銅像 これはあっても不思議はありません。後に田邊朔郎は東京帝国大学教授を勤めることになります。

・疎水工事殉職者弔魂碑・殉職者の碑 弔魂碑には工事による殉職者17名の氏名が刻まれています。

・蹴上インクライン 水面の落差が大きくて、普通に船が運航できないとき、インクラインといって、ケーブルカーのように台車に船を乗せて、ワイヤーで引っ張り上げる(下げる)もので、レールの跡と台車が現在も残っています。

・ねじりまんぽ 「まんぽ」というのはトンネルのことで、蹴上インクラインの下を横断するトンネルです。強度を上げるために、らせん状にレンガが積まれていて、渦を巻いているように見えます。

・扁額(へんがく) 疎水のトンネルなどに設置されている先人たちの揮毫(きごう)です。その人たちは、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、松方正義、そして北垣国道と田邊朔郎など、当時の偉人ばかりです。

 もっと時間があれば詳しく見たいものがありましたが、駆け足での訪問でした。琵琶湖疎水は今でも治水や保水のために、安い麻酔の代わりに薄い汚水は運んでいません。

 

賢い不服従

賢い不服従

 今回は「盲導犬」の話です。視覚に障がいがある方々に対して、盲導犬が役立つことがあります。この盲導犬は、どんな犬でもできるものではなく、長い期間の訓練が必要ですし、ユーザー(障がい者)の方との相性もあるようです。盲導犬は、ユーザーの命令に従って行動するようにしつけられています。そんな中「賢い(「利口な」という場合もある)不服従」というものがあります。これはユーザーの安全を守るために、あえてその命令に逆らう事です。賢い不服従ができることは盲導犬がその役割をうまく果たすために重要な能力の一つであるため、この訓練は重要な訓練の一つです。

 例えば、ユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、その方向の地面に深い溝があってユーザーが転落するなどの危険が考えられる場合は、盲導犬はその命令を拒否します。また同じようにユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、盲導犬自身は何の問題もなくその場所を通れたとしても、比較的低い位置に木の枝などがあって、ユーザーが頭をぶつける可能性がある場合は、やはり盲導犬はその命令を拒否します。

 さて、賢い不服従は盲導犬だけに当てはまることでしょうか。例えば「良心的兵役拒否」というものがあります。アメリカの南北戦争の時、あるキリスト教のグループが良心的兵役拒否を行ったことがあります。第二次世界大戦の時も、アメリカでは6000人ほどの人が兵役拒否しています。ドイツでは1999年に17万四千人の若者が兵役を拒否して、市民的奉仕活動に従事しています。そういうシステムが認められている訳です。第二次世界大戦の時、日本では可能だったでしょうか。また兵役に限らず、このような例は絶対にないと言えるでしょうか。

 作家の落合恵子さんは次のように書いておられました。「何かを強制されそうになったとき、私たちも自分の頭で考えて『賢い不服従』を貫くことを学びたい」不服従は、服従しないという意味で、復習をしないという意味ではありません。学習には復習が大切です。

 

アフラシア

アフラシア

 「アフラシア」聞いたことがない言葉ですね。これはアフリカとアジアの両方の地域を足して、アフラシアと呼ぶことにしたそうです。アフラシアという言葉を最初に用いたのは、歴史家のアーノルド・トインビーのようですが、実際に「アフラシア」というタイトルの書物を出したのは、2013年ケニアの平和研究家であるアリ・マズルイでした。

 なぜアフラシアという地域を考えるのかというと、21世紀の終わりである2100年には、アフリカとアジアの人口が世界の人口の8割を占めることが予測されているからです。国際連合経済社会局人口部の人口予測(中位推計)によると、2001年には世界の人口は62.2億人だったものが、2100年には111.8億人になり、そのうちアジアの人口が47.8億人、アフリカの人口が44.7億人になるようです。

 アジアではもちろん中国とインドの人口の多さが突出していますが、何年かのうちに、中国よりインドの人口の方が多くなることは確実視されています。同様にアフリカではナイジェリア、コンゴ、タンザニア等の人口が高い割合で増加する予測です。未来を予測するのは難しいわけですが、人口の変化の予測はかなり精度が高くなります。人口の変化を左右する変数は三つに限られるからです。出生率、死亡率、移民の数の三つです。

 世界は長く欧米中心に動いてきた歴史がありますが、特に15歳から64歳までの「生産人口年齢」の大小は、その国のGDPと密接な相関関係があると言われています。これからの世界を動かしていくのは、欧米ではなく、アフラシアになっていくのではないかと考えられています。もちろん、この話は予測のレベルですし、他にも食料や宗教、国家間の関係等、数多くの要素がありますから、一概に必ずそうなるかどうかは分かりません。しかし、人間が連帯して平和で、美しい地球を守っていくために、知恵を出し合うことが必要であることには間違いがないと思います。人間が知恵を出し合い、前を向いて声を上げ、笛を吹いて杖を使えば、見栄を張ることができます。

 

 

実るほど

実るほど

 春に植えた稲が、秋になり、収穫の時期を迎えています。毎年この時期になると「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざを思い出します。有名なことわざなので、皆さんよくご存じだと思います。この「よく知っている」というのは、結構落とし穴になることが多いものです。

 このことわざの意味は「稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢である」というものです。

「立派な人ほど謙虚な姿勢である」「虚勢を張って威張るだけの人は、人格者とはほど遠い」

 なるほどその通りなのでしょうが、このことわざを「若いときから謙虚が大切」と読んでしまうとどうでしょうか。ある程度の年齢を重ね、それなりの成功をしている人たちはほとんど皆さん、謙虚な方ばかりです。しかし、若いうちから謙虚であったか、というと、決してそんなことはなかったようです。謙虚の反対は傲慢(ごうまん)ですが、ほとんどの人はその傲慢な生き方をしていたのではないでしょうか。しかし、その傲慢さによって、手痛い失敗や、ひどい経験をしてしまいます。その経験からいろいろと学んでいくうちに、だんだん望む結果を手に入れられるようになり、現在の成功をつかんだのだと思います。ですから、若いうちから頭を垂れて謙虚になど生きていく必要はなく、むしろ傲慢なくらい頭を上げて生きていった方が、将来的には立派な実りを得られるのではないかと思います。

 またもう一つ「稲穂は、自らの意思を持って頭を下げているのではない」ということです。つまり自分が意識して謙虚になっているのではなく、ごく自然に当たり前に謙虚な生き方になっているということです。「謙虚にする」のではなく、「謙虚になる」ということです。皆さん、どうでしょうか。私も「謙虚になる」ように、新居に転居して、根拠を持って選挙に投票して免許を得たいと思います。

 

 

これからの指導者

これからの指導者

 アメリカの経営学者である「トマス・マローン」は、その著書「フューチャー・オブ・ワーク」で次のように述べています。

 人類世界は孤立、分散、自由に特徴づけられる狩猟採集民の世界から、中央集権的な階層社会へと向かい、いま分散的なネットワーク社会へと移行しつつある。「命令と管理」にもとづく厳格な階層制度は軍隊には向いているかもしれないが、情報ネットワーク社会には適合しない。

 これからの指導者に求められるのは「命令と管理」から「調整と育成」へと組織原理をシフトさせることである。成員に命令するのではなく、独立して動く自由で小規模なユニットをつなげ、人々の問題解決能力を育てていくのである。軍隊やインフラが消滅するわけではないから「命令と管理」のシステムが完全に消えることはない。しかし、先端産業の重心は移動していくだろう。「調整と育成」が無政府状態を意味するわけではない。指導者が紛争をおさめ、個人の才能と創造力を生かし、価値観を提示できる組織には、多様な人間が集まり、自主的な秩序が生まれるだろう。小人口世界において優れた指導者がいる首長国に臣民が集まるのと同じロジックである。

 ここまで読んでくれた皆さんの中には「これは先日亡くなられた稲盛和夫さんの『アメーバ経営』と同じなのでは?」と思った人もいると思います。私もそう思いましたから。稲盛和夫さんは、京セラやKDDIを創業し、日本航空を再生させた偉大な経営者ですが、「アメーバ経営」は6~7人の小集団(アメーバ)を組織して、目標達成を目指す経営方法です。長所も短所もあるようですが、組織が大きくなればなるほど当事者意識がなくなったり、大企業病になることが多いので、うまくはまったようです。

 もちろん私はこれらの話を、校長が学校をどのように方向付けていくのが良いのか、という話として活用しようと考えました。昭和の時代は「命令と管理」で良かったのかもしれませんが、やはりこれからは「調整と育成」の方向だと思います。方向を決めるためには、空港で孝行をしなければなりません。

 

フランス革命

フランス革命

 「自由・平等・友愛」を合言葉に、近代史に最大の劇的転換をもたらしたフランス革命です。この事件は人間精神の偉大な達成である一方で、数知れぬ尊い命を断頭台へと葬った暗い影を持ちます。日本では池田理代子さんの漫画と、それを原作に上演された宝塚歌劇団のミュージカル「ベルサイユのばら」でよく知られています。

 さて今回は遅塚忠躬(ちづか ただみ)さんの「フランス革命 歴史における劇薬」から考えてみましょう。遅塚忠躬(1932~2010)さんは西洋史学者で、特にフランス革命の研究家ですが、この本は1997年に出版された「岩波ジュニア新書」の仲間です。岩波ジュニア新書は特に中学生、高校生を読者として想定されたものですが、大人が読んでも十分な内容です。

 遅塚さんは、歴史を学ぶ意義として「歴史の中に生きた人間たちの、悩みと、過ちと、苦しみと、そしてその苦悩あればこその偉大さとを知って、それに共感し、感動すること」を挙げています。まず、フランス革命を歴史における劇薬ととらえ、それをいろいろと検証していきます。違った形でのフランス革命はできなかったのか、またフランス革命をイギリスのピューリタン革命・名誉革命や、日本の明治維新と比較し、相違点を明確にしていきます。フランスを変えた劇薬の正体は、偉大でもあり悲惨でもある人間たちがあげた魂の叫びであり、巨大な熱情の噴出であったと説きます。革命の中で犠牲となっていった指導者たちの、それぞれの理想が列挙され、彼らの理想が、現在の国連の世界人権宣言や、日本国憲法にも生かされていることを述べています。

 遅塚さんは、中学生、高校生の若者の時代をロダンの彫刻である「青銅時代」とし、自分の信じるところに従って生きよ、それには勇気が必要だ。歴史における劇薬であるフランス革命が、あなたに勇気を与える、と結んでいます。平易な文章の200ページの新書ですが、熱い思いが伝わる、素晴らしい内容でした。内容はないようではなくて、あるよう。

 

 

大人からくる意見は聞くな

大人からくる意見は聞くな

 絵本作家の五味太郎さんが、10代の若者に対して発言をしています。

 「大人には大雑把に分けて2種類の人間がいるということ。充足した人間と、そうでない人間。それで、どうも若い人に何かと指導したり、いろいろ言ってきたりする人は『何か自分に不足があって言ってくるんだ』というのを、敏感に感じてた」

 「充足している大人は、自分からは何も言わない。穏やかに若者を見ている。俺は中学では体操部で、そこでも、すぐに何か言ってくる大人と、じっと見ている大人がいた。いろいろ言ってくる人は『根性が足りないんだ』とか言うけど、それを聞いても混乱しちゃう」

 「だから、あえて今の若者に何か言うなら『大人からくる意見は聞くな。必要だったら、自分から質問しなよ』参考になるのは、自分からは言ってこない穏やかな大人だから」

 「だから、心ある大人はガキに何も言わないでやってくれ。『その一線を越えるとダメだ』ということ以外は、ぐっとこらえてほしい。問題をつくっているのは、いつも大人。そのことに気づかない限り、社会は是正できないよ」

 学校という場所は、子どもを育てる所ですから、先生が生徒に何も言わないということはありえません。しかし最近では、どうも先生が小さな事まで言い過ぎではないかと感じることがあります。見て見ぬふりをするというのではなく、穏やかに見守っているということも必要ではないかと思います。自分から、設問に質問できるくまモンが良いですね。

 

暴君

暴君

 さもなければ 

 完璧だったのに。大理石の堅固さ、盤石(ばんじゃく)のゆるぎなさ

 万物を蔽(おお)う大気の自由さを手にできたはずだ。

 ところが今や、疑惑と恐怖に押し込められ、

 閉じ込められ、苦しめられる。

 

 野望と被害妄想に取り憑かれた男のこの言葉は、ロシアのプーチン大統領のものではありません。今から400年以上前に「ウィリアム・シェイクスピア」によって書かれた戯曲「マクベス」第3幕第4場からのものです。「マクベス」は、勇猛果敢だが小心な一面もある将軍マクベスが、妻と謀って主君を暗殺し王位に就くが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政を行い、貴族や王子らの復習に倒れるという物語です。

 シェイクスピア研究の大家である「スティーブン・グリーンブラッド」が書いた「暴君」では、マクベスの台詞を引用しつつ、次のように書いています。

 「シェイクスピア作品を通してずっとそうであるように、暴君の態度は病的なナルシシズムに傾く。ほかの連中の命などどうでもよいのだ。重要なのは、自分が『完全』で『揺るぎない』と感じられることだ。宇宙など粉々になるがいいのだ。そうマクベスは妻に語っていた。天地がひっくり返ればいいのだ」

 「暴君とは、際限のない自意識、法を破り、人に痛みを与えることに喜びを感じ、強烈な支配欲を持つ人物。病的にナルシシストであり、この上なく傲慢だ。何だってやれると思い込み、自分には資格があるとグロテスクに信じている」

 歴史上に名前を残した「暴君」の例として、ヒトラーやスターリンが挙げられますが、プーチンも彼らの仲間入りをするのでしょうか。また、日本も含めいろいろな国家の「指導者」たちにも、どこか当てはまることはないでしょうか。もっと言うと、企業の社長や官庁の事務次官、権力を行使できる立場にある人たちは、いつの間にかこのような傾向を持ってしまわないでしょうか。暴君は校訓をもとにして、王君の真似をすべきです。

 

スライスようかん

スライスようかん

 創業200年以上の京都の老舗和菓子店「亀屋良長」が食パン用「スライスようかん」を考案し、ヒット商品になったそうです。

 「ようかんを食パンのトースト用にアレンジした商品です。小倉ようかんを2、5ミリにスライスし、真ん中に塩入りのバターようかんをのせ、けしの実をトッピングしたものです。トーストするとあつあつの小倉バタートーストができます。2018年の秋から販売しています」

 発案した女将の吉村由依子さんは、発案のきっかけを語りました。

 「二人の子どもの朝食を作る中でひらめきました。長男はスライスチーズをのせたトーストが好き。一方、次男はあんこが好きで、トーストしたパンにあんこをぬっていました。でも、あんこは冷えると硬く、ぬりにくくて面倒で。『チーズみたいに簡単にできたらいいのに』と思ったのです」

 原因はいろいろあるのでしょうが、和菓子離れは深刻な状況のようです。ヒット商品はどうしても洋菓子の方が多く、また若者はあまり和菓子を食べない傾向があるようです。

 私は朝食にはお米を食べることが多いですが、このスライスようかんがあれば食パンも良いかなと思います。ようかんは、ようかんで食べないといけません。