校長室より

校長室より

学校9月入学制

学校9月入学制

 日本の学校制度では、1年は4月に始まり、3月で終了します。また、日本の国家予算の編成と執行も同様です。国の予算会計年度については、もともと稲の収穫が終わり、その米が換金される時期に合わせたことからくるとも言われています。江戸時代の話が現在まで残り続けているのでしょうか。

 さて、学校9月入学制度についてです。2020年春、コロナ渦による学校休校が続く中で、休校の遅れを取り戻すために、学事暦を半年後ろにずらす、この制度の導入についての議論が始まったかのように思われます。当時の萩生田文部科学大臣も導入に理解を示し、当時の安倍首相も「前広に判断する」と発言しました。しかし、全国の小中高校で実施するには多くの困難な点が指摘され、結局この制度の導入は見送られました。

 実は日本における9月入学制度の導入については、1980年代から議論がなされてきました。一番大きなメリットは世界中の学事暦は、ほとんどの国が9月に始まり、8月に終わることです。特に大学としては、留学等において諸外国と同じ学事暦にすることが望まれてきました。1987年の臨時教育審議会答申では「秋季入学制に移行すべく、関連する諸条件の整備に努める」と要請されました。しかし、入口と出口の問題を解消できる方策が難しく、実現はされません。2011年には東京大学で「秋入学構想」が盛り上がりました。これはグローバル化が進む中、東京大学としても危機感があったために議論がなされましたが、これまた実現はされませんでした。これらの歴史を振り返ると、今回の2020年春の議論はコロナ渦で大変だということだけで、これまで実施を拒んできた要因を解消しないままの議論であり、思いつきの案であったことがよく分かります。

 大学だけでも9月入学を実施したいと考えている人たちは数多くいると思います。しかし、高校を卒業して4月から8月までの期間をどうするのか、8月に卒業したら、就職はいつになるのか、就職活動の期間はどうするのか等、解決しなければならない課題は山積みです。「課題が多いから現状維持で行こう」これでは何も変わりません。コロナ渦で大学の「グローバル化」「オンライン化」が進む中、日本だけが取り残されていくのでしょうか。学校が秋に始まっても、飽きないと思いますが。

 

京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話

京アニ事件の容疑者が全身火傷から回復した際に治療に当たった医師の話

 2019年7月18日に起こった、京都アニメーション放火殺人事件は36人の死亡者と35人の負傷者を出した衝撃的な事件でした。放火に携わったと思われる容疑者自身も全身の93%に及ぶ大火傷を負い、生死の淵をさまよいましたが、一命をとりとめました。その際に治療に当たった医師が、当時近畿大学付属病院で救急医療を担当していたA医師です。

 火傷はその程度によって、Ⅰ度Ⅱ度Ⅲ度と分かれるようです。Ⅰ度は、日焼けしたときも該当します。Ⅲ度は一番表面の表皮だけではなく、その奥にある真皮まで到達した場合です。今回の容疑者は当然Ⅲ度でしたが、たまたまウェストポーチをつけていた部分で、8cm四方の皮膚だけが健常な状態で残っていました。その部分を切り取り、培養して何枚にも増やしてから火傷の部分に移植手術をしました。また、皮膚がない状態なので、感染症や敗血症になる可能性もあります。血液中の水分が身体の外へ出て行くことが続くと、血圧が下がったり、腎臓に血液が回らなくなると、腎不全を起こしたりもするようです。A医師も最初は「助からない」と思ったようですが、必死の治療が続き、命は救われました。

 最近のことですから、数多くの批判の声があったようです。「そんな凶悪犯人の命を救うことに値打ちがあるのか」「どうせ死刑になるだけだ」「高額の治療費は誰が払うのか」等です。A医師は「目の前にいる患者を助けるのが僕らの仕事だ」ということでした。彼は大学2年生の時に「阪神淡路大震災」を経験し、2005年にはJR福知山線脱線事故の負傷者の治療を担当し、京アニ事件を担当した後、2020年4月からは鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授として勤務をされています。彼の言葉です。

 「救急医療にスーパースターはいらない。味方が失敗したら仲間がカバーする組織が一番強い」

 「救急医療」の部分を入れ替えると、多くの組織運営に当てはまるフレーズだと思います。毎日目先の事だけにキュウキュウとしているようではダメですね。

 

集合知の限界

集合知の限界

 多くの人が知恵を持ち合って構成する知を「集合知」と言い、往々にして一人一人の個人の判断よりよい結果をもたらすことが知られています。この集団的な合意形成の有効性を実体験するために、用いられるものの一つが「NASAゲーム」です。このゲームでは、月に不時着した宇宙飛行士が、320キロ離れた母船へ月面を移動しなければならないという設定で、そのとき宇宙船からどのアイテムを持って行くか、15の中から重要度を順位付けよ、というゲームです。アイテムとしては、マッチの入った箱、宇宙食、ナイロン製ロープ、落下傘の布、ソーラー発電の携帯用暖房器、ピストル二丁、粉ミルク、酸素ボンベ、月から見た星座表、救命いかだ、磁石コンパス、水、信号用照明弾、注射器入りの救急箱、ソーラー発電式FM送受信機の15個です。生徒の皆さんも、一度考えてみて下さいね。

    まず参加者各自が順位付けを行い、その後グループ(4人から8人くらい)で話し合って結論を導きます。そうすると、個人一人で考えていた結果よりも、集団で話し合って導き出した答えの方が有効であることが多いです。例えば、月面での行動ですから、酸素ボンベや、水の優先順位が高いことは明らかです。逆に、月面では酸素や、地磁気がないので、マッチや磁石は役に立ちません。

    さて、ここからが本題です。このゲームでは、模範解答が示されていて、ゲームにおいての勝ち負け、適切な結果を導き出せたかどうかが、よく分かる仕組みになっています。この集合知が有効なのは、「正解」がある場合に限られるということです。特に集合知の代表であるインターネットのウィキペディア等に頼ると、ほとんどの問いに対する解答が出てきます。しかし世の中にある問題は解答があるものばかりではありません。例えば「日本の首都はどこに移転すべきか」「原子力発電所は新たに建造すべきか」等、解のない問題では集合知が正解とは限りません。何でもネットに聞けば答えが出ると思っていると、大きな間違いを犯すことにもなりかねません。世の中には「正解」がない問題の方が多いですからね。正解を得るためには、政界に出て、コロナ渦の中でもパーティーを盛会にしなければいけません。

 

東京藝術大学

最後の秘境 東京藝大

 二宮敦人さんが書いた「最後の秘境 東京藝大」という本が、平成28年に出版されましたが、平成31年に新潮文庫として発売されました。今回はこの本から紹介します。

 皆さんの周りに「東京大学の卒業生」はいますか。なかなか珍しい存在かもしれませんが、ひょっとしているかもしれません。理由は東京大学の一学年の定員が三千人くらいいるからです。では「東京藝大の卒業生」はどうでしょうか。一学年の募集人数は美術学部が234人、音楽学部が237人ですから、合わせて五百人足らず。少ないはずです。

 もともとは東京美術学校、東京音楽学校と別の学校が一緒になって東京藝術大学ができました。ですので今でも上野駅を背にして、左側は美術学部「美校(びこう)」と呼ばれ、右側は音楽学部「音校(おんこう)」と呼ばれています。それぞれの学部で多くの特徴がありますが、その中の学科によっても、藝大の常識が世間の常識とはかけ離れていることがたくさんあって、非常に興味深いです。

①     藝大の生協(大学内にある生活協同組合)には、ガスマスクを売っている。

美校の彫刻科では、木や金属、粘土の他に、樹脂加工の授業があり、その際には有毒ガスが発生するので、学生は皆ガスマスクを購入する。

②     音校に合格した学生は、まず自分の写真を撮る。

自分が商品なので、ドレスを着て、楽器を抱え、にっこりと笑う宣材写真が必要である。

③     口笛を吹いて、藝大に合格した学生がいる。

二次試験の「自己表現」で、ヴィットーリオ・モンティ作曲の「チャルダッシュ」を口笛で吹いて合格した学生は、2014年の「国際口笛大会」成人男性部門のグランドチャンピオンであった。

④     工芸科漆芸(しつげい)専攻は、漆(うるし)塗りを学ぶため、かぶれて手が荒れている学生が多い。工芸科でバレーボール大会をすると、漆芸専攻の学生が触ったボールで、他の専攻の学生の手がかぶれてしまった。

⑤     声楽科の学生には、のどあめが必需品。プロポリス、ボイスケア、龍角散が多いが、最終兵器は漢方薬の「響声破笛丸(きょうせいはてきがん)」です。

藝術を極めるためには、お金も時間もかかり、何より根気と体力が必要なのがよく分かりました。「ローマは一日にしてならず」ということです。テーマを考え、キーマカレーでも食べながら、マンマ・ミーアを鑑賞しましょう。

 

クオータ制度

クオータ制度

 2021年3月末に世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数で、日本は120位と、前年の121位からほとんど変わりませんでした。このジェンダーギャップは、男女格差を表す指数で、とりわけ指導的立場に就く女性の割合が比較的大きく反映されるという特質を持ちます。

①     9.9%  衆議院に占める女性議員の率 2020年 世界166位

②     30.2%  町村議会の中で、女性議員がゼロである議会の率 2019年

③     26人 全国の市区町村1721自治体のうち、女性首長の数 2020年

このように、日本では依然として大きな男女格差が残っているのが現状です。そこで「クオータ制度」の出番です。実は私も「クオータ制度」というのは、「女性の割合をクオーター(四分の一)に増やすシステム」と誤解していました。クオータ(quota)は「割り当て」という意味で、クオーター(quarter) 四分の一のことではありません。クオータとは、属性による不均衡を是正するために、少数派に対して一定割合・数をあらかじめ設定する手法です。アメリカでは大学入試において、少数の人種であるとされてきた黒人やアジア系、ヒスパニック系に対してクオータ制度が導入されてきました。議員を選ぶ選挙において、一定割合を女性に割り当てるジェンダー・クオータ制度は、129カ国に導入されていて、世界中の約三分の二の数になります。

一方、クオータ制度の導入に反対する意見もあります。①クオータは女性に下駄をはかせる逆差別だ ②女性政治家が少ないのは、女性が望まないからだ ③クオータは民主主義的な選出と矛盾するものだ 等です。私はこれらの意見は男性からの一方的な考えに基づくもののように思います。実際に女性の議員の数は圧倒的に少ないのですから、一度クオータ制度の導入を考えてみるべきだと思っています。クオータの導入には、赤ちゃんをセオータまま、ウオータを飲みながら考えてみましょう。

 

赤米

赤米

 普通に精米したお米の色は白いです。ところが、大昔は赤色や黒色、緑色のお米がありました。赤米は縄文時代に古代中国から伝わったとされ、玄米の色が赤褐色で、果皮・種皮部にタンニン系の赤色色素を含んでいます。五分づき精米するとピンク色に、普通に精米すると白米と変わらない色になります。赤飯の元となったという説もあります。

 一般的には生命力が強いのですが、米の性質にばらつきがあったり、収量が少なかったりしたため、明治時代以降はほとんど生産されなくなりました。ところが最近、白米に比べてタンパク質やビタミン、ミネラル等を多く含んでいることが明らかになり、健康食として注目を集めています。食べるときは、赤米単独ではなく、普通の白米に少し混ぜて炊くのが良いようです。また、お酒や菓子、麺類等に加工されて販売もされています。

 赤米は「あかごめ」や「あかまい」と読むようですが、曖昧な商いをして、お見舞いに良いかもしれません。

 

YOASOBI

YOASOBI

 生徒の皆さんは、当然よく知っているYOASOBIです。Ayaseとikuraによる2人組の音楽ユニットですが、配信する(CDという形式ではほとんど発表されていない)楽曲がどれも大ヒットです。2019年に結成し、小説を音楽にするプロジェクトから誕生しました。「夜に駆ける」「ハルジオン」「たぶん」「群青」「もう少しだけ」「三原色」どの曲も個性的で、一度聞くと忘れられない感じがします。私のようなおじさん達がYOASOBIを知ったのは、2020年12月の紅白歌合戦で「夜に駆ける」を歌ってからでしょうか。現在ではユニクロがコラボしてTシャツを販売したりもしています。

    今回、Kiss FMで8月1日に放送された「日本郵便 SUNDAY’S POST」という番組を聴いていると、その番組内で「レターソングプロジェクト」という企画で、小学校6年生の「はつね」さんからの手紙をもとに、YOASOBIが「ラブレター」という楽曲を完成し、8月9日から配信が始まることが分かりました。この「はつね」さんが書いた手紙が非常に感動的で「私は苦しいときも楽しいときも音楽を聴いてきた。音楽さん、ありがとう」という内容なのですが、ほぼ忠実に内容を生かした「ラブレター」がまた大変素晴らしい曲にできあがっています。この曲も大ヒット間違いなしだと思います。合唱や、吹奏楽等の課題曲に採用されるかもしれません。皆さんも夜遊びをしながら、YOASOBIの「ラブレター」という楽曲を聴いてみて下さい。

 

ベルベル人

ベルベル人

 7世紀にアラブ人がやってくる前から、北アフリカ地域に住んでいた先住民族がベルベル人です。ベルベルという名前は、ギリシャ語で「わけのわからない言葉を話す者」を意味するバルバロイに由来するそうです。北アフリカ地域は、古代から多くの国家からの侵略を受け、イスラム化やフランスによる植民地化などの歴史を経て、ベルベル人たちは多くの苦難を乗り越えてきました。有名人では、サッカー元フランス代表のジダンやベンゼマもベルベル人です。良くない出来事があった女優の沢尻エリカさんですが、彼女の母親も国籍はフランスでしたがベルベル人だそうです。

 「アムドゥヤズ ン ドゥシャル ワル イスファルジュ シャ」

    ベルベル語のことわざで「村の歌い手は評価が低い」という意味です。これは聖書にある「預言者は自分の故郷では歓迎されない(身近なものはありがたくない)」という意味と同じです。「幸せの青い鳥を探しに出かけたが、実は自宅にいた鳥が青い鳥だった」という話にも通じるところがあります。自分の身近なところにあるものを、もう一度見直してみましょう。「帯に短し、襷に長し」では役に立ちませんが。

 

 

 

忙中閑あり

忙中閑あり

 「忙中閑あり」(ぼうちゅうかんあり)忙しい中にも、ちょっとゆっくりするヒマな時間もあるよね、ということわざです。8月になり、忙しい生徒の皆さんや先生方も「ちょっと一息」を感じているでしょうか。同じような言葉をいくつか考えてみましょう。毎日暑い日が続いていますが、「暑中涼あり」暑いけれども、ほっと涼しさを感じる時があります。エアコンの効いた建物に入ったとき、アイスクリームやかき氷を食べるとき、山に登って木陰で涼しい風が吹いてきたときなど。「夜寝苦しい中昼寝あり」これは言葉通りで、夜はなかなかぐっすりと眠れないのであれば、昼間短時間の「パワーナップ」で疲れを取ることも大切です。

 「壷中天あり」これは中国の後漢書に記載されている「世俗生活の中にある独自の別天地」のことです。「費長房という人は市場の役人だったが、ある日役所の窓から見える通りで店を出している薬売りの老人が、夕暮れに店をたたむと、店先の壷の中に入っていくのを目撃した。翌日、費長房が老人に昨日のことを尋ねると、老人は実は自分が仙人であることを明かし「見られたのなら、仕方ない」と壷の中に入れてくれた。壷の中には珍味を並べた別天地があり、酒を酌んで大いに楽しみを尽くしたという」壷の中は小さく狭いように見えますが、その中には天のように広い世界が存在する、ということで、「井の中の蛙、大海を知らず」の反対ですね。こんな壷があるのなら、私もボツにならずに、壷にはまりたい。

 

 

 

温室効果ガス削減、やる気あるの

温室効果ガス削減、やる気あるの

 地球温暖化対策計画の政府原案が発表されました。管首相が表明した2030年度の排出量を2013年度比で46%削減する目標を実現するための案です。この原案を見て「なんじゃ、これは」と思った人は私だけではないはずです。2013年の部門別二酸化炭素排出量は、産業部門が4億6300万トン、家庭部門が2億800万トンであるのに、削減率は産業部門が37%減で、家庭部門が66%減を目標にしています。二酸化炭素を排出する部門を5つに分けたときに、一番排出量が多い産業部門の削減率が少なくて、排出量の少ない家庭部門の削減率が大きいのです。全体を削減するときに、多い分野から削っていく方が効果が高いということは、小学生にも理解できる理屈です。産業界からの反発を恐れ、家庭部門では表だった反対の声は小さいだろうという忖度が働いた結果だと思います。これを見ると、政府は本気で排出量を減らす気がないと思えてしまいます。

 世界中で気候変動、自然災害が数多く報告され、温暖化対策は待ったなしの状況にありながら、この期に及んでも「日本の産業を守る」ことを優先しています。こんな忖度は、選択せずに、洗濯してしまわないといけません。

 

 

24時間の使い方

24時間の使い方

 どんな人にも平等に与えられているものが、時間です。大変忙しい人も、ボーッと生きていてチコちゃんに叱られる人も、一日は等しく24時間しかありません。

 先日、香寺高等学校の女子バスケットボール部が太子高等学校と練習試合を行いました。顧問の鍋田先生は、とても熱心に指導をしていただいています。

「試合に出ている選手だけではなくて、ベンチに座っている選手達も、試合の中で学ぶことはあるのだから、ボーッと見ているだけではだめだ」その通りです。試合が終わった後に、私はこんな話をしました。

 「バスケットボール部の練習や試合の時間は、1時間とか2時間くらいしかありません。その短い時間に集中して練習を頑張ることは大事です。でももっと大事なのは、それ以外の時間の使い方です。夜はしっかり睡眠を取る。ちゃんとご飯を食べる。甘いジュース等を飲み過ぎない。生活のあらゆるところで時間を大切に使うことができれば、バスケットボールはもっとうまくなります」

 もちろんこの話は、バスケットボール部に限ったことではありません。どんな部活動にも当てはまりますし、勉強にも当てはまります。これから暑い夏休みに向かいます。生徒の皆さんは、しっかりした時間の過ごし方を心がけて下さい。時間の使い方を、オカンに任せてはあかんですし、土管に保管してもいけません。

 

 

小さな目標

小さな目標

 今やアメリカで最も有名な日本人は、メジャーリーグエンゼルスの大谷翔平選手でしょうか。30年前だと、多分オノ・ヨーコさん(元ビートルズのジョン・レノンの奥さん)だったと思います。

 大谷選手は岩手県の花巻東高校の出身ですが、3学年先輩に菊池雄星選手がいます。同じ高校から二人のメジャーリーガーを輩出したというのはすごいことです。湯川秀樹さんと朝永振一郎さんという、京都一中(現在の京都府立洛北中学校・高校)から二人のノーベル賞受賞者を出したのと同じくらいの値打ちがあると思います。

 大谷選手は高校1年生の頃、目標を立てています。曼荼羅(まんだら)チャートとして有名なので、見たことがある人もいるかもしれません。目標の真ん中には「ドラ1、8球団」とあります。日本のプロ野球で8球団からドラフト一位指名を受けると言うことです。その周りに下位の目標8個が書かれています。「体づくり」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード160km/h」「キレ」「コントロール」。当時の彼の考え方では、「体づくり」と「運」は並列関係にあったということが見て取れます。そして、その8個の目標に対して、またそれぞれ下位の目標8個が書かれています。例えば「運」の項目では「あいさつ」「道具を大切に使う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」「審判さんへの態度」「部屋そうじ」「ゴミ拾い」とあります。

 一つの大きな目標を掲げ、それを実現するために小さな目標をいくつか立てて努力を続ける。誰もが大谷選手のようになれるわけではありませんが、その姿勢を見習うことはできるかもしれません。姿勢は良いのに越したことはありません。知性を磨き、個性を生かし、既成の概念を打ち壊し、野生の勘で余生を送りましょう。

 

明るく、自ら考え、へこたれない

明るく、自ら考え、へこたれない

 このフレーズは今から14年前に、私がそのとき勤務していた県立高校で、学年主任を務めたときのキャッチフレーズです。生徒の皆さんにも、学年の先生方にもこのフレーズを多用していました。

 「明るく」というのはそのままで、明るい挨拶、明るい返事、明るい対応、明るい学年集会等を含んでいます。思えば私の親父ギャグもこの頃から一層磨き(?)がかかったように思います。

 「自ら考え」というのは、親、先生や友人からの意見や考えをよく聞く必要はあるけれども、最後に取り入れるかどうかはその人の判断であり、何事も自分でよく考えてから行動するのが望ましいということです。そのためにも、多くの人と意見交換をしたり、読書をしたりして(スマホをいじるだけではない)、自分が考えられる材料を多く持つことが大切です。

 「へこたれない」というのは、やはり何事かを成し遂げようと頑張っても、失敗することの方が多いです。そのときに「自分はもうだめだ」と思うのか、「次はもう少し工夫してチャレンジしてみよう」と思うのかは決定的です。うまく行かないときに「へこたれない」、最近の流行の言葉で言うと「レジリエンス」でしょうか。竹のように、重みがかかってもしなる力で持ちこたえて、もとへ復元するという力です。

 そのときに高校生だった皆さんや、同僚の先生方は、跡形もなく忘れておられると思いますが、私はなぜか気に入っていて、覚えています。あれから14年たちましたが、改めて皆さんに紹介する「木村オリジナル」です。「オリジナル」という言葉は「独創的」「独自のもの」という意味で、ナショナルに、パーソナルに、プロフェッショナルに、インターナショナルなものではありません。

 

世界のおすもうさん

世界のおすもうさん

 相撲は皆さんの身近にありますか。日本の伝統ある格闘技、興行ではあるのですが、若い世代にとっては少しとっつきにくいですよね。特に最近の大相撲を見ていると、日本人力士よりモンゴル出身力士の方が活躍しているイメージがあります。

    大相撲の世界に外国出身力士が登場しはじめたのは、ハワイ出身の高見山からだと思います。以後曙や武蔵丸、小錦とハワイ出身力士が活躍しますが、これは第二次世界大戦以前から、日本からハワイに移民する人たちが増えて、相撲が普及していったという経緯があります。

    実は1992年から「世界相撲選手権」が始まっています。世界中からアマチュアの力士が集まり、日本の相撲のルールで戦うのです。2019年には大阪で第23回世界相撲選手権大会が世界31の国と地域から選手が集まり開催されました。2020年は当然のように新型コロナウイルスの影響で中止になったそうです。

 世界中には、相撲のようにいわゆる武器を手にせずに、肉体のぶつかり合いだけで勝敗を決する格闘技が数多く存在しています。沖縄相撲シマトゥイ、韓国のシルム、中国のシュアイジャオ、そして「モンゴル相撲」等です。大相撲にモンゴル出身力士が多いのも、「モンゴル相撲」の存在があるからです。

 「モンゴル相撲」正しくは「ブフ」といいます。ブフのルールは、日本の大相撲とはかなり異なります。まず土俵がありません。ですから寄り切りとか押し出しという決まり手はありません。勝負は両足の裏側以外の部分が地面についたら負けです。だからモンゴル出身力士は、外掛けやけたぐり等の足技や、投げ技が得意な人が多いわけです。

 おすもうさん達は、身体を大きくするのが仕事です。朝起きて、稽古をして、ちゃんこ(いわゆる「ちゃんこ鍋」以外でもおすもうさんの食事は「ちゃんこ」と言うらしい)をたくさん食べて、昼寝をする。また起きて、稽古をして、ちゃんこをたくさん食べて寝る。一日2食で、食べたら寝る。これが太るのに適しているようです。ちゃんこはおすもうさんが食べるもので、にゃんこのエサにはなりません。

Beatles

Beatles

 もちろん「カブトムシ」ではなくて、バンドとしての「ビートルズ」です。世界の音楽業界に燦然とした実績を残し、現在でも多くのアーティスト達からリスペクトされている伝説のバンドでした。

 イギリスのリバプールという港町で結成された「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージ・ハリスン」「リンゴ・スター」の4人組ですが、ジョンは1980年にニューヨークで撃たれて、ジョージは2001年に亡くなっており、ポールとリンゴも80歳くらいになっています。

 1960年にThe Beatlesという名前になり、1962年に「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビュー(CDでも、配信でもない)し、1970年には解散しましたから、実質8年間ほどの活動でしかありませんでした。ミュージシャンとして素晴らしい才能を発揮したビートルズでしたが、絶大なる人気のため、世間を賑わせることでも超一流でした。いくつかの例を挙げます

1 1965年にイギリス帝国五等勲章をもらうとき、元軍人たちが「ビートルズのような胡散臭い芸人などと一緒にされるのは屈辱である」として勲章を返納した。そのときにジョン・レノンは次のように言った。「人を殺したことによってではなく、人を楽しませたことによって勲章をもらうのを誇りに思う」

2 1966年に来日し、日本武道館でコンサート(ライブという言葉はなかった)を行った。今でこそ武道館は多目的に使用していて、たくさんのアーティストがライブ会場に使っているが、もともとは1964年の東京オリンピックの柔道会場に使用するために建てられた、武道の大会に用いる施設で、音楽のしかも外人のコンサート会場に使用するなどとは想像もできなかった。いわゆる右翼団体がコンサート使用反対行動を行ったため、約1万人の観客に対して3千人の警察官が配備された。

 60年代のイギリスという混沌とした社会が生んだという側面もある、偉大なロックバンドでした。皆さんも、今度バンドを組んで、温度の高いインド本土で、何度も限度までライブをやりませんか。

 

芸術文化観光専門職大学

芸術文化観光専門職大学

 先日、総合学科を持つ高等学校の校長先生方の会議で、県立豊岡総合高等学校へ行ってきました。その日には、豊岡にこの4月に開学した「芸術文化観光専門職大学」にも見学に行くことができました。

 この大学は兵庫県立の公立大学で、日本で初めて芸術文化と観光が学べる専門職大学で、学長が平田オリザさんという、有名な劇作家、演出家の方です。この日はたまたま平田学長がおられたので、少しだけ話を伺うこともできました。

 見学させてもらうと、建物はできたばかりですし、施設設備も大変充実していました。劇場に使える部屋が大小2カ所あり、照明や音響の勉強もできるようになっています。大学のスタッフも、世界的にも有名な方々を招いており、少人数での教育活動があるようです。今年の入試では全国から出願があり、人気を集めました。地域に根ざした大学を目指しているようで、豊岡や但馬地区にある多くの事業所ともコラボしています。

    私も若ければ、このような大学で学んでみたいな、と思いました。受験して合格するためには、かなり難しそうではありますが、生徒の皆さんの進路先の選択肢に加えてみてはどうでしょうか。芸術文化観光専門職大学は、「芸術」と「文化」と「観光」の三つが学べるのではなくて、「芸術文化」と「観光」の二つが学べる大学です。文化を分化してはいけません。

 

あなたも英語がペラペラに

あなたも英語がペラペラに

 生徒の皆さんは、英語が好きですか、得意ですか。実は日本という国は明治時代以降、英語には苦しんできています。大学で英語を教えていた、明治時代の文豪である夏目漱石も、留学したイギリスのロンドンでは、会話で苦労してノイローゼ気味になっています。なぜそんなに英語の習得に苦労するのでしょうか。今回は少し長い文章になりますが、頑張って読んでみて下さい。

 2020年12月に出版された岩波新書「英語独習法」をもとに、考えてみましょう。著者の今井むつみさんは、英語の先生ではなくて、認知科学が専門の先生です。認知科学というのは、人の知覚、記憶、思考や学習の仕組みを心と脳のさまざまなレベルで理解しようとする学問で、英語に限らず、他の分野の学習についても応用できます。

 「わかりやすく教えれば、教えた内容が学び手の脳に移植されて定着する」という考えは幻想であることは認知心理学の常識である。なぜかというと、先生がいくらわかりやすく教えたとしても、それが生徒の期待と一致しないもので、生徒が別の情報を期待していれば、教えられた情報に気づかずに受け流してしまう可能性が高いからである。

 英語の学習に必要な概念は「スキーマ」である。スキーマというのは、氷山の水面下にある、非常に複雑で豊かな知識のシステムである。スキーマは、ほとんど言語化できず、無意識にアクセスされる。英語母国語話者は小さい頃からこの英語のスキーマを無意識のまま身につけている。この例として、可算名詞と不可算名詞を取り上げよう。

 英和辞典で名詞をみると、数えられる名詞(可算名詞)と、数えられない名詞(不可算名詞)の区別が書いてある。例えばwater(水)やmilk(牛乳)は液体なので、数えられない名詞であることはすぐにわかる。しかしfurniture(家具)やjewelry(宝飾品)が数えられない名詞である(a furnitureとかfurnituresとは言わない)と聞くと「えっ、なんで」と思ってしまう。これはfurnitureという言葉が「家具」という概念を表す言葉なので不可算名詞であり、家具の範疇に入る具体的な「机」「椅子」「ソファ」などは当然可算名詞になる。このように英語が母国語の人たちは、furnitureという単語が不可算名詞であることを、スキーマとして理解している。日本語が母国語の者は、日本語のスキーマを持っているので、そのスキーマでは、なぜ英語では家具が不可算名詞であるのか理解できない。おまけに、高校の英語教育の現場では「furnitureやjewelryなどは例外的に不可算名詞だから、とにかく暗記して」と言われることが多い。そうすると生徒は、例外だから暗記して、は右から左にスルーしてしまい、思い込みは直らないのである。

 ということで、日本語母国語話者があまり努力もせずに、簡単には「英語がペラペラ」にはならない。他の学習と同じように、どれくらい英語が使えるようになるのか、その目標を立てることが大切である。普段の生活での会話で意思疎通ができるレベルを目指すのか、英語で論文が書けるようになるレベルを目指すのかで、当然学習内容やかける時間も変わってくる。ただ、やはり基本的な語彙や発音、文法の知識は必要である。その上に英語のスキーマを身につける必要がある。これはなかなか大変であるが、方法がないわけではない。

 これ以上書くと、著者の今井むつみさんに叱られそうなので、この後は書籍を購入して読んでみて下さい。「あなたも○○で英語がペラペラに」とか「あなたも○○で痩せました」などは、眉唾ものです。そんなに簡単なものではありません。物事を簡単にしようとするなら、元旦に播但線に乗らず、ガソリンを満タンにして、淡々と先端の分担にチャレンジしましょう。

 

 

 

忘れるが勝ち

忘れるが勝ち

 生徒の皆さんは、物覚えが良い方ですか。私は年齢のせいか、物忘れがひどく、特に人の名前が出てこないことがよくあります。その人の顔や特徴や所属先などは忘れていないのですが、名前だけ思い出せないことがよくあります。そしてこれはどうやら私だけではなく、世の中のおばさん、おじさん達に多く見られる現象のようです。

 「思考の整理学」という著書で有名な外山滋比古さんは、残念ながら2020年に96歳で亡くなられてしまいましたが、「忘れるが勝ち」という著書もお持ちでした。この本から紹介します。

 「人間は忘れるようにできており、それが自然です。しかし学校は問題を出して答えを書かせ、それが合っているかどうかだけを評価します。教師が教えたことを生徒に忘れてもらっては困るのです。そのため多くの人が「忘れてはいけない」と思うようになりました。でもそれは大間違いです。だいたい人間は忘れるようにできており、それが自然です。世の中の人は、忘れることは困ると思っていますが、どんどん忘れて頭が空っぽになっても、病気にはなりません。頭を空っぽにしたら、優秀な頭になって新しいことをどんどん覚えられるでしょう。頭はとかくゴミが溜まりやすいのです」

 何だか、忘れるということに罪悪感を持たなくても良いのだ、という気持ちになりました。それでも、知識や語彙は多く覚えている方が役に立つことが多いですよね。ですから、どんどん忘れて、どんどん覚えていくようにしましょう。記憶を保つためには、遠くの家屋で多くの経験が必要です。

 

 

播但線

播但線

 生徒の皆さんは、どのようにして香寺高校に通学していますか。多分徒歩、自転車、JR播但線利用のどれかだと思います。今回は播但線について考えてみましょう。

 まず播但線という名前ですが、これは旧の国名で、播磨の国と但馬の国をつなぐ線路ということで、播但線という名前になりました。もともとは、生野銀山で取れる銀を、飾磨の港に運ぶために1878年に「銀の馬車道」という馬車が走る道路ができました。その道路をもとにして、1895年に飾磨―生野間に播但鉄道という私鉄(当時はもちろん蒸気機関車)が走るようになりました。現在のJR播但線は姫路と和田山を結んでいますが、もとは生野と飾磨港を結んでいたのですね。

 皆さんもご存じの通り、線路の播但線は市川という川沿いを走っています。また国道312号線や、播但連絡有料道路も同じように並んでいるところがあります。これは大きな河川が流れている場所は、川の浸食作用にために平坦な地形が多く、線路や道路を通すためには適した土地になっているからです。兵庫県には他にも加古川沿いに線路の加古川線と県道18号線、揖保川水系の栗栖川沿いに線路の姫新線と国道179号線という例があります。播但線は、加古川線、姫新線とともに、単線のローカル線とはいえ、高校生の通学の足としてなくてはならない線路です。

 線路を保つためには、遠路はるばる遍路に行く人たちを、暖炉で温め、コンロで料理をしてもてなす必要があります。

 

私を野球に連れてって

私を野球に連れてって

 生徒の皆さんは、野球が好きですか。私は大好きで、もちろん昔から阪神タイガースの大ファンです。今シーズンは、ルーキーの佐藤選手の活躍もあり、首位を独走しているので、2005年以来の優勝を期待しています。

 アメリカのプロ野球メジャーリーグの試合では、どこの球場でも7回表の攻撃が終わると、観客が立ち上がり、「Take Me Out to the Ball Game」という曲をみんなで歌います。この曲は1908年に作られたもので、ある調査によると、アメリカで1番よく演奏される曲は「Happy Birthday」、2番目は「アメリカ国歌」、3番目がこの「Take Me Out to the Ball Game」だそうです。アメリカではこの曲がそれほど有名だということです。皆さんも一度YouTube等で聞いてみてください。

    この曲の日本語でのタイトルは「私を野球に連れてって」となります。1987年に公開された、原田知世さんの主演で「私をスキーに連れてって」という映画がありました(私も映画館で観ました)が、この映画のタイトルはこの曲にちなんだものと思われます(これは私だけが思っているのかもしれません)。

    超満員の観客であふれかえった甲子園球場で、矢野監督の胴上げを見る日を楽しみにしています。ちなみに甲子園という名前は、球場が完成した1924年が、十干十二支(じっかんじゅうにし)では、一番初めの甲子(きのえね こうし)の年に当たることから命名されました。西宮市には甲陽園、苦楽園という地名もあります。動物がいるのが動物園、6歳までの子供がいるのが幼稚園、水戸の偕楽園と金沢の兼六園と岡山の後楽園は、日本三名園。