校長室より
二刀流
二刀流
今「二刀流」と言えば、アメリカメジャーリーグの大谷翔平選手の、ピッチャーとバッターの両方へのチャレンジが1番最初に出てくると思います。「二足のわらじ」という言葉もありますが、昔の日本ではあまり良いイメージではなかったように思います。一つの道を果てしなく究めることの方が、素晴らしいという感じでしょうか。
しかし昔にも非常に高いレベルで「二刀流」を極めた人もいました。1946年生まれのきたやまおさむ(本名 北山修)さんです。きたやまさんといえば、1967年にザ・フォーク・クルセイダーズというバンドに所属し「帰ってきたヨッバライ」が300万枚近い大ヒットになりました。当時としては全く新しい「何や、これ」みたいな音楽でした。その後も「戦争を知らない子どもたち」の作詞をするなど、作詞家、音楽家として活躍しました。その頃、彼は京都府立医科大学の学生でもありました。きたやまさんは音楽活動をする時は平仮名の「きたやまおさむ」を用い、心療内科、精神科の医師として活動するときは漢字の「北山修」を用いました。
「『裏』は大事です。『楽屋』と言ってもいいのですが、すべて表だと人はつらくなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が、誰しも必要です。私にとっては大学でした。私が、不特定多数とやりとりする表では平仮名の名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じです」
きたやまさんの現在の肩書きは作詞家、精神科医、白鴎大学長と「三刀流」になっています。
「人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、むなしさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリアムの時間も必要でしょう。学長としては授業に来なくていいとは言えませんが」
きたやまさんほど高いレベルで、複数の事をやり遂げることは難しいと思いますが、私も「おやじギャグラー」「理科の散歩道執筆者」「県立高校の教員」の三刀流(?)で頑張っています。
アンパンマン
アンパンマン
生徒の皆さんはアンパンマンを知っていますよね。超有名なキャラクターですから、知らない人はいないと思います。
「やなせたかし」さん(1919~2013)作・絵の「あんぱんまん」がフレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」に掲載されたのは1973年のことですから、来年で50周年ということになります。
「砂漠の真ん中で倒れていた旅人や、森で迷った子どもに、自分の顔を食べさせる。顔がなくなったあんぱんまんは、ぱんづくりのおじさん(最初は『ジャムおじさん』という名前がなかった)に新しい顔をつくってもらい、再び『おなかのすいたひと』を助けるために空へ飛び立つ」というお話しでした。
発表された当初は「顔を食べさせるなんて残酷だ」「図書館に置くべきではない」「こんな絵本はもう描かないでください」などと言われ、反響はあまり良くなかったようです。
それでも1988年にテレビアニメとして放送されると、全国的な大ヒットとなります。テーマ曲の「アンパンマンのマーチ」はみんな歌えると思います。フレーベル館から出版されたアンパンマンの絵本は、約580タイトルにのぼり、累計部数は8千万を超えるそうです。
アンパンマンには数多くのキャラクターが登場しますが、覚えやすいネーミングでもあります。悪者のはずの、ばいきんまんも憎めない存在です。アンパンマンは戦いもしますが「分け与える」ことが主になっていることが素晴らしいと思います。
アンパンマンも調べてみると、歴史があり、私が知らなかったことがたくさん出てきました。物事を探究すると、阪急電車が運休して緊急事態になり、サンキューと言われそうです。
シジュウカラの声
シジュウカラの声
言葉を用いて、他者と会話できるのは人間ホモ・サピエンスだけでしょうか。例えば、イルカやサルは会話をしていそうな感じはしますよね。京都大学白眉センター特定助教の鈴木俊貴さんは、シジュウカラという鳥は、鳴き声でお互いに会話ができることを約10年かけて確認しました。どうやったらそんなことが分かるのでしょうか。
鈴木さんは1年の大半を軽井沢で過ごし、シジュウカラを観察するうちに、鳴き声から20以上の単語を持つことを見つけました。例えば「ヂヂヂヂッ」はエサ等を見つけたから「集まれ」という意味です。「ピーツピッ」と鳴くと、周囲をキョロキョロとし始めるので「警戒せよ」という意味です。これだけなら一つの鳴き声が一つの意味を持つ、でおしまいですが、私が感動したのはこの次の研究です。「ピーツピッ、ヂヂヂヂッ」と鳴くと「警戒せよ、集まれ」の意味ですから、シジュウカラは複数で群がり、モズを追い払いました。ところが語順を変えて「ヂヂヂヂッ、ピーツピッ」という声を聞かせても、何の反応も示しませんでした。シジュウカラは二つの単語の語順を認識しているわけです。
カラスを見た親鳥は「ピーツピッ」と鳴くと、「警戒せよ」ということですからヒナ達は鳴き声を静めてうずくまることが分かりました。アオダイショウというヘビが巣箱に迫ってきたとき、親鳥が「ジャージャーッ」と鳴くと、巣箱の中にいたヒナが一斉に飛び出してきました。これだけでは「ジャージャーッ」という鳴き声が「ヘビだ」なのか「巣から逃げろ」の意味なのかがわかりません。鈴木さんは親鳥達に「ジャージャーッ」という音を聞かせると、まず地面を見て、それで見当たらなければ、木の穴や茂みまで探しに行くことに気づきました。そして音と同時に、木を這うヘビのように木の枝を動かしてみました。「ヂヂヂヂッ」や「ピーツピッ、ヂヂヂヂッ」の時には木の枝には見向きもしなかったシジュウカラは「ジャージャーッ」の時だけ1メートル以内にまで近づいて、木の枝を確認しました。この実験の結果「ジャージャーッ」という鳴き声が「ヘビ」という単語であり、ヘビそのものをイメージしていることが分かりました。
鈴木さんはシジュウカラだけではなく、他の動物たちも言葉を用いて会話しているのではないか、と考え「動物言語学」という学問を立ち上げようとしています。人間ももう少し言葉を大事にしないと、波止場から海に落ちて始終カラになってしまいそうです。
新しい世界の資源地図
新しい世界の資源地図
さて、今回はダニエル・ヤーギンが書いた「新しい世界の資源地図」の紹介です。ヤーギンは、1947年ロサンゼルス生まれの経済アナリストで、特にエネルギー問題に詳しく、1992年に書いた「石油の世紀」でピューリッツアー賞を受賞していますが、この年に湾岸戦争が始まりました。今回新作の「新しい世界の資源地図」の日本語訳が2022年2月10日に出版されましたが、その2週間後にロシアがウクライナに侵攻しています。日本経済新聞の書評は「不吉な著者である」という言葉で始まっています。
500ページを超える書物なので、読了するのには骨が折れましたが、骨折はしていません。最近流行の地政学的視点から気候変動とエネルギー革命を鋭く分析した一冊になっています。全体は6部で構成されています。
1「米国の新しい地図」 アメリカはシェールオイルとシェールガスの「発見」によって、自国の燃料をまかなう以上に、エネルギー輸出国になった。石油の三大輸出国がサウジアラビア、ロシア、アメリカになったことの影響が大変大きい。
2「ロシアの地図」 石油と天然ガスを商品にして、プーチン大統領の野望がある。ウクライナに対する圧力をかけたい。(ヤーギンがこの本を書いた時点では、まだ戦争にはなっていないが、いつ開戦しても不思議ではないことが分かる)
3「中国の地図」 南シナ海を自国のものとし、一帯一路で市場とエネルギーを確保したい。
4「中東の地図」 石油と天然ガスの一大産地だが、イスラム教のシーア派イランと、スンニ派サウジアラビアの覇権争いの行方が見えない。
5「自動車の地図」 内燃機関の自動車の未来はない。電気自動車、自動運転車、ライドヘイリング(ウーバーなどが提供する、自動車による送迎サービス)の時代になる。
6「気候の地図」 化石燃料から再生可能エネルギーへの転換が進む。水素エネルギーの利用と、太陽光、風力発電がどれくらい進むか。
例えば、アメリカでシェールオイルがなければ、アメリカはエネルギー確保のために、中東やロシアともっと友好関係を深めねばならなかったし、電気自動車の普及が進めば、ロシアの石油は売れなくなるし、気候変動を避けるためには、中国のエネルギー消費はこのままではありえないし、数多くの出来事が互いに密接に絡み合っている状態だ、ということです。
新しいマップ(地図)を作るには、モップを持って、ラップを歌ってタップを踊りながら、コップにホップを入れて、トップを目指さなくてはなりません。
超早期教育
超早期教育
「這えば立て、立てば歩めの親心」ということわざがあります。はいはいができるようになったら、次は立ち上がる。立ち上がることができるようになったら、次は歩く。親は子供の成長を楽しみにしているものです。
こういった親の願いが極端に出てしまうと「超早期教育」ということになってしまいます。例えば、子どもが母親の胎内にいるうちから「あいうえお」の読み聞かせをしたり、乳児期に数学や英語を教えたりするというようなことです。これには、親の不安をあおる教育産業が絡んでいることもあったようです。
先日亡くなられた俳優の柳生博さんが、今から20年以上前に、この超早期教育について、発言されていました。
「どうか弱い子どもたちをムチ打たないでほしい。幼い頃から『他人より少しでもいい大学・いい企業』という価値観を押し付けるのはおかしいよ。その結果、かりに他人より有利な地位についたとして、そこに人としての幸せがあるのだろうか。母親たちをそんな競争に駆り立てる企業の経済的な価値観に、僕らの宝物である小さな子どもたちを組み込むのは許せんのだよね」
早期教育は行き過ぎると、納期を守らず、ほうきで掃いて、空気のような陶器になってしまうかもしれません。
ウルトラマン
ウルトラマン
懐かしのウルトラマンです。最初の「ウルトラマン」は1966年から67年にテレビ放映されましたので、私が5歳~6歳の時で、今でもしっかりと覚えています。映画「シン・ウルトラマン」が封切られましたので、ウルトラマン推しの私としては、見に行かざるを得ません。
映画館には、私と同年代と思われるおじさんたちがたくさんいました。映画自体は、ツッコミ所満載です。なぜシン・ウルトラマンには「カラータイマー」がないのか。なぜシン・ウルトラマンが飛ぶときに「シュワッチ」と言わないのか。俳優Aの顔が、ウルトラマンに似てくる。俳優Bが巨大になって、ビルを壊す。俳優Cはメフィラス星人だが、居酒屋でお酒を飲む。ミサイルの請求書は防衛省に回しておけ。主題歌は米津玄師の歌。
不思議な出来事が満載ですが、クレジットに何回も登場する庵野秀明さんのウルトラマンへの深い愛情を感じました。特に最後の場面では、テレビ放映のウルトラマン最終回への深い思いが感じられました。ウルトラマン推しのおじさんには、感動の嵐でした。若い人が見たら、どのように感じるのか、聞いてみたいと思います。
「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」「シン・ウルトラマン」と続きましたが、次は「シン・仮面ライダー」の予告がありました。何でも「シン」をつければ、新しい映画になるのでしたら「シン・幹線」とか「シン・日本プロレス」とか「シン・型コロナウィルス」とかもどうでしょうか。最近のギャグは脚韻がほとんどでしたので、今回は頭韻でいってみました。
隗より始めよ
隗より始めよ
「まず隗(かい)より始めよ」
この言葉は、中国の戦国時代、燕(えん)の国の昭王が天下に人材を求めた時、郭隗(かくかい)という人が「賢者を招こうとするなら、まず私のようにあまり優秀でない者を優遇することから始めるのがよい。そうすれば、優れた賢人が王のもとに続々と集まってくる」と話し、実際にそのようになった、という故事から生まれたものです。転じて「大事をなすには、手近なことから着手せよ」という意味になりました。
先日、私が尊敬するA校長先生と話をする機会がありました。A校長は
「うちの高校の生徒は、あいさつをしない」
と言われました。私は
「香寺高校の生徒はよくあいさつをしますよ」
と言いました。
「木村校長、何か秘訣はありますか」
と尋ねて来られたので、
「私はできるだけ毎朝、校門に立って、生徒に『おはようございます』とあいさつをしています。先日はある生徒から『校長先生、いつも大きな声であいさつをしてもらって、ありがとうございます』と声をかけられました。私はとてもうれしく思ったので、先生方にこの話を披露して『生徒指導部の先生方を中心に、先生方があいさつ指導をしてくださっているおかげです。ありがとうございます。これからも引き続きよろしくお願いいたします』と言いました」
この話を聞いたA校長は、朝校門に立って、生徒にあいさつをするようになったと聞きました。さすがは私と仲良しのA校長先生です。「まず隗より始めよ」ということですね。私たち一人一人の力は「微力ですが、無力ではない」のですから。あいさつをしないと、改札で、警察に、偵察されてしまいますよ。
人間の安全保障
人間の安全保障
5月12日の神戸新聞に、山極寿一(やまぎわ じゅいち)さんが記事を書いておられました。山極さんはゴリラの研究者として著名で、現在は総合地球環境学研究所長をされていますが、日本学術会議会長や京都大学学長もされた方です。
記事は、20数年前に山極さんがゴリラの調査をされていたアフリカのザイール(現在はコンゴ民主共和国)に、当時国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが訪ねて来られた話から始まっていました。20数年前の話ですが、今のプーチン大統領に聞かせてやりたい。
「もはや国の安全保障に頼るべき時代ではない。数々の戦争は国家元首が国の安全と政治経済的利益を確保するために決断する。犠牲になるのは民間人である。これからは国ではなく、人間の安全保障を目標にしなければならない」
また、コンゴの内戦が長引いた理由の一つに、コンゴに眠る世界有数の地下資源があります。海外の業者は戦時下の混乱を利用して、希少鉱物を密輸するそうです。ロシアとウクライナの間にも、石油と天然ガスというエネルギーの輸送の問題が横たわっています。復帰50年を迎える沖縄県でも、第二次世界大戦当時の「日本軍」は民間人を積極的には守らなかった経緯があります。
山極さんの投稿は次のように締めくくられていました。
「今、世界は人間の安全保障を目指して連帯すべき時なのである」
安全を保障しないと、和尚が、化粧をして、衣装を着て、故障して、苦笑してしまいます。
働くということ
働くということ
高校生の皆さんは、まだ職業に就いて働くことをしていません。「勉強することが仕事だ」とか言われたことがありませんか。皆さんのお母さん、お父さんは、働いている人がほとんどだと思います。大人たちはなぜ働くのでしょうか。収入を得るため、社会に貢献するため、自己実現を図るため、その他多くの理由があると思います。今回は働くということを考えてみます。
ドイツの政治経済学者のマックス・ヴェーバー(1864-1920)が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で次のように書いています。
キリスト教には宗派があり、カトリックもあるし、プロテスタントもある。特にプロテスタントは、勤勉の精神や合理主義を重んじるので、資本主義と相性が良い。金儲けに正当性が与えられたのだが、そればかりを追求するようになってはいないか。「精神なき専門人、心情なき享楽人。この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類がいまだかつて到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう」
女性の哲学者として有名なハンナ・アーレント(1906-1975)は「人間の条件」で労働(laber)と仕事(work)を区別しています。労働は生命活動と深く結びつく営みで、仕事は何かを作ることを意味しています。例えば、病気で入院をした人は、仕事はできなくなりますが、生きるという労働に従事することになります。ですから、仕事なしに労働は成立するのですが、労働なき仕事は成立しないはずです。ところが現代では、労働の意味が見失われたまま、仕事の評価によって、人の生き方や在り方を評価するようになってきたように感じられます。本末転倒ですね。
皆さんも、今のうちから働くこと、どんな仕事をするのか、自分は何に向いているのか、多くの事を考え始めるようにしてください。仕事は小言を言われずに、寝言を言いながら、見事にやってのける必要があります。
二極分化
二極分化
昔に比べて、スポーツ競技の成績や記録は一般的には向上していると思います。トレーニングの方法や、食事やサプリメントの補給、また道具の進歩などには著しいものがあるからです。ところが、陸上競技の男子400mの日本記録は、高野進さんが1991年に記録した44秒78が30年以上破られていません。どうしてでしょうか。
もちろん、高野進さんが素晴らしいアスリートであり、オリンピック等でも活躍した選手ではありましたが、30年の間には、ウエア、靴、競技場のトラック等、物理的に多くの進歩があったはずです。また、トレーニングをとっても映像をコンピュータで解析する等、格段の進歩があったに違いありません。
武井壮さんが次のように解説していました。
道具やトレーニングの進歩で、昔に比べて練習の効率は著しく進歩した。その進歩をうまく利用できるアスリートはどんどん競技力が向上する。逆に、効率だけを求めて、自力の向上を図れないアスリートは記録が伸びない。科学の進歩により、アスリートにも二極分化が起こっているのではないか。
ここまではアスリートの話でしたが、これは他の多くの出来事に応用できないでしょうか。勉強や仕事においても、二極分化が進んでいないでしょうか。多くの人にとって適切であろう勉強(仕事)を、先生(上司)に言われるがままにやらされている。これで勉強(仕事)ができるようになるでしょうか。自分にとって最適な方法を自分で考えて、目標と締め切りを設定して努力する人は、きちんと成長するに決まっています。皆さんも、快調に最長に体調に気を付けて、成長を続けてください。
のびしろ
のびしろ
「俺らまだのびしろしかないわ」
Creapy Nutsの「のびしろ」という楽曲があります。MCの「R―指定」さんは大阪出身、DJの「DJ松永」さんは新潟出身、2017年にメジャーデビューした2人組ヒップホップユニットです。2021年9月に発売された2枚目のフルアルバム「Case」に収録された楽曲が「のびしろ」です。
軽快なリズムのラップに乗っているので、おじさんの耳にはすべての言葉がきちんと聞き取れません。仕方ないので、最初の部分を書きだします。
サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか
やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭
カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良い年のこき方
脂乗りに乗った 濁った目した だらしない身体
嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ
俺らまだのびしろしかないわ
リリック(「歌詞」をこう呼ぶようです)を書いたR―指定さんは、30歳を前にして、20歳の頃と比較して、前半にあるような、やや否定的な事を身につけてきたが、逆説的に自分にはこれからものびしろしかない、と歌っています。
生徒の皆さんは高校生ですから、まさしく「のびしろ」のかたまりです。1日、1週間、1か月の時間でも見違えるように変化していきます。また我々教員もその速度は遅いかもしれませんが「のびしろ」にあふれています。人間は何歳になっても、新しいことに挑戦する限り「のびしろ」があるのだと思います。
もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ
俺らまだのびしろしかないわ
のびしろのために、カビはしろくないですが、タビはしろい方が良いです。
一汁一菜
一汁一菜
一汁一菜(いちじゅういっさい)というのは、主食(白米や玄米や雑穀米)に汁物(味噌汁等)一品と菜(おかず、総菜)一品を添えた、日本における献立の構成の一つです。菜(おかず)としては、香の物(漬物類)も含まれます。つまり、唐揚げもハンバーグもなくて、ご飯と味噌汁と漬物だけということですから、若い高校生の皆さんは「えー、それだけー」と思うでしょうね。
土井善晴(どい よしはる)さんという人がいます。この人の父親は土井勝(どい まさる)さんといって関西の家庭料理研究家で「土井勝料理学校」を作った人です。勝さんの次男の善晴さんは、大学卒業後、スイスとフランスでフランス料理を学び、帰国して日本料理を学び、料理研究家として料理番組に多数出演しています。善晴さんが書いた本のタイトルが「一汁一菜でよいという提案」です。この本は次の文で始まります。「この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んでほしいのです」そして「一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います」と続きます。
ご飯の炊き方、味噌汁の作り方から始まり、旬のものを食べる、器を吟味する等、当たり前と言えば当たり前のことを、一つずつ丁寧に解説していきます。ファストフードやコンビニ弁当が流行る時代ですが、カロリーの取りすぎ、肥満や生活習慣病等は「飽食」が原因の一つだと考えられています。江戸時代から続く一汁一菜を、もう一度見直してみる必要があるかもしれません。一汁一菜なんて、一歳になっても、一切知らなかったと言わないように。
クルド問題
クルド問題
私たち島国である日本で暮らしている人たちには、なぜロシアとウクライナが戦わなければならないのかが、もう一つぴんと来ないところがあります。ロシアもウクライナも、昔はソ連という一つの国であったわけですから。そして、私たちは無意識のうちに一つの国家には一つの民族が住み、一つの言語を話すものだと錯覚しています。
生徒の皆さんは、クルド人という人々のことを聞いたことがありますか。「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれています。国でいうと、イラク、シリア、トルコ、イランの4カ国にまたがって暮らしていて、難民としてヨーロッパ各地やその他の地域に避難した人々もいます。もともと中東地域は、宗教や民族の違いによる対立と、独裁政権とそれに反対する民主化勢力との戦い、外部から介入する大国間の代理戦争に近いものと、不安定な国情が続いています。クルドの人々も、本当は自前の国家を持ちたいという気持ちはあるのかもしれませんが、それぞれの国で微妙なバランスの上で、現状を追認しているところもあるようです。特にシリアでは、2011年からシリア内戦が始まり、多くの難民がヨーロッパへ逃れるということがありました。昔の日本の時代劇のように、一方が悪者で、もう一方の善人が悪をやっつけるというような構図にはなっていないので、なかなか解決は困難です。戦争になると、弱い立場の人々が苦しむという図式は世界共通です。特に子供たちに、食料や安心して住むところ、教育を保証しないとダメです。
クルド人が来るど、などとふざけた事を書いている場合ではありません。
いまを生きる
いまを生きる
生徒の皆さん、入学して、進級してしばらく経ちますが、元気で頑張っていますか。1年次の皆さんは、部活動紹介も終わり、少しずつ香寺高校になれてきていると思います。2、3年次の皆さんは、部活動の大会が迫ってきたり、文化祭の準備等で忙しく過ごしている人も多いと思います。毎日が淡々と、バタバタと過ぎているかもしれません。
「いまを生きる」という映画がありました。1989年のアメリカ映画で、有名な俳優であるロビン・ウィリアムスが、キーティング先生という高校の教員の役で主演しました。原題は「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」。キーティング先生の台詞の中に「Carpe Diem(ラテン語で「いまを生きろ」という意味)」というものがあり、そこから邦題をつけました。物語は、キーティング先生のある意味型破りの指導から始まります。規則や常識に縛られず、自由な生き方を目指していきます。教室でキーティング先生が机の上に立ち「ここからは世界がまったく違って見える」と言い、生徒にも机に立たせるシーンを覚えています。
高校生の時期というのは、子供から大人へのステップの段階だと思います。いろいろな悩みを抱えることも多くあるはずです。そんなとき、このキーティング先生は「いまを生きる」ということを生徒に訴えかけました。昨日でも明日でもなく「いま」です。過去は変えられませんが、未来は変えられます。しかし、先の事ばかりを見据えて、いまが充実しないのもよくありません。今日という日は二度とありません。毎日朝起きたときに「今日も充実した1日にする」と自分で思い込んで、いまを生きることを目指していきましょう。もちろんこのことは生徒の皆さんだけに提案しているのではなくて、私自身も心がけようとしています。心がけがないと、すごい崖で卵かけご飯を食べることになるかもしれません。
じゃんけんの強い人
じゃんけんの強い人
先日、ラジオを聞いていると興味深い話をしていましたので、紹介します。若い女性キャスターが、年配の男性キャスターに質問をしました。「私の彼氏にするのには、どんなひとがいいですか」年配の男性の返事は
「じゃんけんの強い人が良い」
何のことかなと思いましたが、その説明は次のようなものでした。
「じゃんけんに必勝法はない。つまりじゃんけんに強い、弱いはない。だから『私はじゃんけんが強い』と言える人は自分に自信がある人だろう。例えば5回勝負(5回勝ったら勝ち)でじゃんけんをするとする。2対4になってしまった時『あと1回負けたら負けだから、もう負けだ』と思う人はダメで、『必ずこれから3連勝する』と思いこめる人が強い。自分で道を切り開いていける人、諦めずに粘り強く頑張る人は、こんなタイプの人だ。だからあなたの彼氏としては、じゃんけんの強い人が良いだろう」
この説明で大いに納得した女性は「じゃあ、どうしたらその人がじゃんけんが強いかどうか、分かるんですか」と聞くと「それは、その男性に聞いてみるしかない。『あなたはじゃんけんが強いですか』と」
賛否両論あるかもしれませんが、私は、誰かに「あなたはじゃんけんが強いですか」と聞かれたら、間髪おかずに「はい、めっちゃ強いです」と答えることにしようと思いました。じゃんけんぽん、あいこでしょー、まんじゅーの中は、あんこでしょー。
その他の外国文学
その他の外国文学
前回は新聞の書評欄について書きましたが、その中で「先に私が読んで、後で新聞の書評欄に取り上げられた」ことがある話をしました。今回はそれに該当した書籍「『その他の外国文学』の翻訳者」という本を取り上げます。私が図書館で借りて読んでいて、4月9日の毎日新聞の書評欄で紹介されました。
この本は2022年2月末に「白水社」から発行されました。白水社のwebマガジン「webフランス」に連載された原稿を加筆修正して書籍にしたものです。
「その他の外国文学」とは何の事でしょうか。外国語で書かれた文学作品を日本語に翻訳して出版するときは「英文学」「フランス文学」「ロシア文学」という風に分類されます。いわゆるマイナー言語による文学作品を「その他の外国文学」と一括りにしている訳です。この本では、9つの言語を取り上げていますが、例えば「ベンガル語」はどこの国で用いられている言語でしょうか。正解はバングラデシュとインドの西ベンガル州です。私たち日本で暮らす人々は、1つの国に1つの言語があると思いがちですが、世界を見渡すとそうではありません。ポルトガル語はもちろんポルトガルで用いられますが、話者分布で言うと8割の人数がブラジルです。アフリカのアンゴラでも公用語になっています。
「バスク語」の話者はスペインとフランスにまたがっていますが、この言語はスペイン語ともフランス語とも全く異なる言語です。ほとんどのヨーロッパ言語は「主語+動詞+目的語」の順番ですが、バスク語は日本語と同じ「主語+目的語+動詞」の順番です。またマイナー言語を学ぶときの苦労話も満載です。辞書がない、文法書がない、その国に留学して学ぼうとしても講座がない、国民の中でどの人がその言語の話者なのかが分からない等、本当に大変なのですが、その言語と文学に魅せられて、何とか日本の人に紹介したいという熱い情熱を感じ取ることができました。
外国語というと、まず英語ということになってしまいますが、世界には数多くの言語が存在します。リンゴを食べながら、タンゴを踊りながら、サンゴを愛でながら、今後のことを考えましょう。
書評のすすめ
書評のすすめ
「木村校長はたくさん本を読んでいるようですが、どうやって探しているのですか」と聞かれることがあります。私が書籍を探すのは、まず姫路駅のビオレにある「ジュンク堂書店」です。しょっちゅう徘徊していますので、見かけたら声をかけて下さい。もう一つは姫路と加古川の市立図書館です。買ったり、借りたりするのは主にこの2つです。
では、新刊の図書で読むべき本をどうやって見つけているのか。これは新聞の「書評」から探すことが多いです。各新聞には、週一回書評が掲載されます。以前は日曜日が多かった(今は読売だけ日曜日)のですが、最近では土曜日が多くなっています。土曜か日曜に図書館へ行き、朝日、毎日、読売、神戸、日経の各紙の書評欄をチェックします。個人的には、朝日と日経の書評欄が充実しているように思います。書評はある程度の専門家がその書籍の紹介、特に「良い本だ」と紹介している場合がほとんどなので、それを見て書店や図書館で探すことにしています。
何回か経験があるのですが、先に買ったり借りたりして読んだ本が、後で書評欄に紹介されるケースがあります。このときは「やったった」とガッツポーズをします。私の方に先見の明があった、ということです。皆さんも新聞の書評欄を読んでみると、意表をつかれた、不評な批評に出会えるかもしれません。
なぜ嘘をついてはいけないのか
なぜ嘘をついてはいけないのか
皆さんは小さいときに両親や先生から「嘘をついてはいけません」と言われたことはありませんか。私はあります。でも、なぜ嘘をついてはいけないのかを考えたことはありますか。「嘘も方便」という言葉もありますから、一概に嘘は全部ダメとは言えないのではないでしょうか。
ドイツの哲学者でカントという人がいました。カントは「実践理性批判」という著書で次のように書いています。
「君の意思の採用する行動原理が、常に同時に普遍的な法則を定める原理としても妥当しうるように行動せよ」
自分の行為が道徳的に正しいのか、疑問に思ったときは、もし皆が自分と同じ事をした場合、社会がどうなるかを想像してみれば良い。皆が自分に都合の良い嘘をついていたら、この社会は成立するだろうか。無理だろう。だから嘘をついてはいけないのだ。良き行為をしたければ、じっくり考えれば良い。
死んだら無になると思うと、自分勝手な思いを抑えられなくなるかもしれない。だが、自分の中には永遠に生きる可能性が秘められていると思えるのなら、もしくは、自分は無限に向上していけるのだと思えるのなら、今からでも利己心に打ち勝ち、道徳的行動しようと思える。
どこかの国の大統領や、どこかの国の世襲の政治家たち、大企業経営者たちに聞かせてやりたい話です。もちろん、私も含めて皆さんにも考えてもらいたいと思います。カントは、ホントにマントを着て散歩して、良く生きるヒントをタント考え出しました。
勇気とは
勇気とは
生徒の皆さんには勇気がありますか。勇気とは何なのでしょうか。
古代ギリシャの哲学者で、アリストテレスという人がいました。アリストテレスは、ソクラテスの弟子のプラトンの弟子にあたる人です。そのアリストテレスはこんな風に考えました。
「最善は常に2つの悪例の中間に存在する。つまり中庸こそが美徳である」
この考え方は現代に生きる私たちから見ると「中庸というのは中途半端な考え方」「足して2で割るということは、どっちつかずではないか」と思えてしまいます。しかしアリストテレスは「勇気」について次のように考えました。
「勇気とは、無鉄砲と臆病のちょうど中間のことである。両極端の悪い例と等しく距離をおくことを最善とする」
臆病すぎると、勇敢な行動は取れない。かといって無謀なのも勇気とは違う。何も怖くない、心配したことなど一度もない人がいたとしたら、その人は勇敢ではなく、ただ無謀なだけだ。真の勇気とは、少なくともどこかで不安を感じつつ、それを克服して行動することだ。無謀であることと、臆病であることから等しく距離を置くというさじ加減は決して簡単なものではない。人間はその難しい調整を肝に銘じなければならない。ということです。
現代では、極端な考え方がもてはやされている感じがあります。それだけではなくて、ソクラテスの中庸が美徳という考え方も大切だと思います。勇気とホウキを持って、早期に納期を守ってくれと、言う気はありません。
食育のあれこれ
食育のあれこれ
今から15年くらい前に「食育」という言葉が流行しました。生徒の皆さんは聞いたことがありますか。食育とは何の事なのでしょう。
実は、食育という言葉を最初に用いた人は石塚左玄(いしづか さげん)で、明治時代に陸軍の医師・薬剤師として活躍しました。1896年「体育智育才育は即ち食育なり」という言葉を残しています。また明治の小説家である村井弦斎(むらい げんさい)も「食道楽」という著書で食育の大切さを説きました。
こんな昔の言葉を探し出してきて、2005年「食育基本法」が制定され「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられました。ここまでの話でしたら、別に何の問題点(?)もないように思います。
ここからは「カルビー」と「マクドナルド」の関係者の方々には誠に申し訳ない話になってしまいます。前もってすみませんと書いておきます。食育の推進の前提にあるのは「栄養の偏り」「不規則な食事」「肥満や生活習慣病の増加」「過度の痩身志向」「日本の食が失われる危機」等、これではダメだというものがあります。ところがカルビーやマクドナルド等の企業は、この食育運動を推進しているのです。いわゆるスナック菓子やファストフードと、食育活動は相容れないものだと思いますが、いかがでしょうか。もっと言うと、人が食べるものを国が決める、方向付ける、なんて事があっても良いのでしょうか。
朝ご飯は食べた方が良いでしょう。夕食は一家団欒で、家族全員がそろうことが望ましいでしょう。でも分かっていても、できない家庭状況、経済状況にあるご家庭はたくさんあるはずです。大きなお世話という感じです。食育の今後の行き先は、どっち行く、こっち行くという感じです。
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サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
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