校長室より
食育のあれこれ
食育のあれこれ
今から15年くらい前に「食育」という言葉が流行しました。生徒の皆さんは聞いたことがありますか。食育とは何の事なのでしょう。
実は、食育という言葉を最初に用いた人は石塚左玄(いしづか さげん)で、明治時代に陸軍の医師・薬剤師として活躍しました。1896年「体育智育才育は即ち食育なり」という言葉を残しています。また明治の小説家である村井弦斎(むらい げんさい)も「食道楽」という著書で食育の大切さを説きました。
こんな昔の言葉を探し出してきて、2005年「食育基本法」が制定され「生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの」と位置づけられました。ここまでの話でしたら、別に何の問題点(?)もないように思います。
ここからは「カルビー」と「マクドナルド」の関係者の方々には誠に申し訳ない話になってしまいます。前もってすみませんと書いておきます。食育の推進の前提にあるのは「栄養の偏り」「不規則な食事」「肥満や生活習慣病の増加」「過度の痩身志向」「日本の食が失われる危機」等、これではダメだというものがあります。ところがカルビーやマクドナルド等の企業は、この食育運動を推進しているのです。いわゆるスナック菓子やファストフードと、食育活動は相容れないものだと思いますが、いかがでしょうか。もっと言うと、人が食べるものを国が決める、方向付ける、なんて事があっても良いのでしょうか。
朝ご飯は食べた方が良いでしょう。夕食は一家団欒で、家族全員がそろうことが望ましいでしょう。でも分かっていても、できない家庭状況、経済状況にあるご家庭はたくさんあるはずです。大きなお世話という感じです。食育の今後の行き先は、どっち行く、こっち行くという感じです。
新年度のご挨拶
新年度のご挨拶
2022年度、令和4年度が始まりました。昨年度に引き続き、木村篤志が兵庫県立香寺高等学校の校長を勤めさせていただくことになりました。
今年度も「校長室より」を継続していきますので、ご期待(?)下さい。世の中は、新型コロナウイルスの感染者数が、わずかながら増加傾向にあり、ロシアとウクライナの戦争にも、大きな変化が見えない状況が続いています。円安や物価の上昇傾向も気になるところです。兵庫県の教育界でも、先日県立高等学校の統廃合の案が示され、旧の姫路福崎学区ではかなりの数の統廃合が実施されるようです。香寺高校でも、これまでご尽力いただいた何人かの先生方が退職、転勤されました。また新たに本校に採用、転勤された先生方をお迎えしました。新しい体制で、教育活動に取り組んで行きます。
「1年の計は元旦にあり」といいます。高等学校では、4月1日が元旦ですから、私も目標を考えました。
「香寺高校で良かったね」
高等学校の使命は、高校生を育てることです。学習に部活動に、学校行事に力一杯頑張らせたいと思います。生徒が「香寺高校で高校生活を送ることができて良かったね」。生徒を育てるのは先生方です。先生方が「香寺高校で教員として勤めることができて良かったね」。生徒を高校へ通わせているのは、保護者の皆様です。保護者の方々が「子供を香寺高校へ通わせて良かったね」。同窓会や地域の方々にも大変お世話になっています。「この地域に香寺高校という高等学校があってくれて良かったね」。
関係する皆様方から「香寺高校で良かったね」と思ってもらえるように、私も頑張っていきます。高校は船が航行するように、野球が後攻でも、親孝行を忘れずに運営されていきます。
文化相対主義
文化相対主義
今回は「人類学」の世界では有名な「文化相対主義」です。これは「全ての文化は優劣で比べるものではなく対等である、という思想のこと」で、20世紀になってからアメリカの人類学者であるフランツ・ボアズが提唱し、ルース・ベネディクト(1946年に出版された、日本文化を記述した「菊と刀」の著者)によって確立されたと言われています。
対義語は「自文化中心主義」で「自分たちの文化を基準として、他の文化を否定したり低く評価したりする考え方」のことです。産業革命以後、ヨーロッパの国々が「帝国主義」のもと、アジアやアフリカを植民地にしていきました。これは当時の西洋人たちが「正しい知識のもと、進んでいる文化」を持っており、遅れているアジアやアフリカに対して「助けてやっているんだ」という考え方をしていたということです。
文化相対主義の具体的な例を見てみましょう。例えば「食文化」があげられます。日本には、ご飯、みそ汁、漬物といった日本食、和食の文化があります。欧米ではパンにステーキ、ワインといったメニューがあります。中華料理や、インド料理も1つの食文化です。また食べ方も、はしを使う、ナイフやフォークを使う、手づかみで食べる等の違いがあります。自国の人から見れば、他国の文化が異様に見える場合がありますが「文化相対主義」は個々の文化に対して固有の価値を認めます。そして、序列や順位をつけません。
こうして世界には様々な文化が存在し、それぞれの文化を認めて、グローバルな社会を作っていきましょう、という風潮があったはずなのですが、コロナ渦と、戦争によって、再び「自文化中心主義」の考え方が出てきているような気がします。宇宙から見た地球は、青く美しく、国境の線は見えません。人間が勝手に国境を決めてしまいました。文化相対主義で、総体を早退してはいけません。
プーチンが目指すもの
プーチンが目指すもの
ロシア軍がウクライナに侵攻して1ヶ月になります。世界中からの非難を受けながら、プーチンは何を、そして誰を目指しているのでしょうか。現在のロシアとその前のソ連、そのまた前の帝政ロシアを振り返ってみましょう。
1人目はソビエト連邦を形作った「ヨシフ・スターリン」です。1917年のロシア革命でロマノフ王朝が倒され、ウラジミール・レーニン(プーチンと同じ「ウラジミール」というファーストネームです)率いるソビエト連邦が成立しました。1924年にレーニンが死去した後、ソ連共産党書記長として最高指導者となったのがスターリンです。スターリンはソ連という国家を作り、第二次世界大戦ではドイツ軍を撃退し、戦後は国連の常任理事国となり、多くの成果を上げたという一面もあります。しかし猜疑心が強く、数知れない多くの人々を粛清と称して処刑や投獄、追放処分を行った独裁者でもあります。現在でも否定的な存在だと思われるので、プーチンが目指す目標ではないと思われます。
2人目は約300年続いたロマノフ王朝の皇帝「ピョートル1世」です。彼は1672年から、亡くなる1725年までツァーリの地位にあり、軍隊を整備し、他国との戦争の結果、ロシアの領土を増やすことに成功しました。当然、ロシア側からすれば「英雄」になるのでしょうが、侵略された側からすると憎き悪人ということになります。プーチンは大統領執務室にピョートル1世の肖像画を飾っていたと伝えられているので、彼が目標だと思われます。
そうすると、軍隊を強化して「ロシアの安全のため」という理由をこじつけて、他国に攻め込む政治指導者、ピョートル1世とプーチンが重なる存在となります。本当にプーチンがピョートル1世を目指しているのなら、これはすぐに解決する戦争ではないような気がしてきます。ピョートルではなく、平和をトルにしたいものです。
自信と過信は紙一重
自信と過信は紙一重
日本代表も務めた、プロサッカー選手の大久保嘉人(おおくぼ よしと)さんが現役を引退されました。彼は現役時代にフォワードとして活躍し、J1通算最多得点記録191得点をマークしましたが、J1通算最多イエローカード記録104枚をマークした、いわゆる「やんちゃ小僧、熱い男」です。
大久保選手は長崎県国見高校の出身ですが、国見高校と言えば、小嶺忠敏(こみね ただとし)監督です。全国高校サッカー選手権で6回優勝した大監督ですが、長崎県の教員を定年退職した後も、長崎総合科学大学附属高等学校の監督として活躍されましたが、残念ながら2022年1月に亡くなられました。
小嶺監督が大久保選手にかけた言葉で、大久保選手が今でも覚えているものが、冒頭の「自信と過信は紙一重」という言葉です。小嶺監督は、サッカー選手としての大久保さんのことを、非常に高く評価していたに違いありません。だからこそ、プロの世界へ飛び込む大久保選手にこの言葉を送ったのだと思います。
プロの選手ですから、自信がなければやっていけません。またプロの選手で期待されながら、思うように活躍できずに姿を消してしまう選手たちも後を絶ちません。自信は必要ですが、過信になってはいけません。しかし、その境目は本当に微妙な差でしかありません。その事をよく自覚して練習に、生活に励みなさいということです。私がこの言葉を聞いたとき、これはプロの選手だけに当てはまるものではないと感じました。学生であったり、社会人全般に当てはまると思ったので、ここで紹介しています。生徒の皆さんも、自信をもって、過信せずに、都心で、ニシンでも食べて、ミシンを使って、苦心してください。
抵抗の新聞人 桐生悠々
抵抗の新聞人 桐生悠々
桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)、本名桐生政次という人がいました。1873年に石川県金沢で生まれ、第四高等学校から帝国大学法学部に進学したと言いますから、当時の超エリートです。しかし卒業後は、短期間で職業を転々とします。そんな中、栃木県の下野(しもつけ)新聞を皮切りに、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞、東京朝日新聞で記者を勤め、1910年長野県の信濃毎日新聞の主筆(しゅひつ)に就任します。主筆という言葉は現在では馴染みがありませんが、新聞の社説を書いたり、コラムを書いたり、記事をチェックするという仕事をする人です。反権力、反軍的な言論を繰り広げ、表現の自由のためにペンの力で立ち向かいます。
1914年に信濃毎日新聞から新愛知新聞に移りますが、1928年に再び信濃毎日新聞に戻ります。1933年、彼が書いた社説の中で最も有名になった「関東防空大演習を嗤う(わらう)」が発表されます。これは東京を中心として関東一帯で行われた防空演習を批判したもので、文章の中身は至極当然な内容で、12年後に現実となる東京大空襲を予言するものでした。しかし当時の陸軍は「嗤う(さげすみ、笑う)」という言葉に反応したようで、彼は信濃毎日新聞を追われてしまいます。
以後は「他山の石」という個人雑誌を出版していきますが、変わらぬ政府や軍部に対する批判を書き続け、発禁処分を何回も受けることになります。1941年、太平洋戦争開戦の3ヶ月前に、喉頭ガンのため、68歳の生涯を閉じます。
1980年、長野県出身のジャーナリストである、井出孫六(いで まごろく)による岩波新書「抵抗の新聞人 桐生悠々」が出版されました。私はこの本を読んだ覚えがあるのですが、2021年に岩波現代文庫として再版されました。井出孫六は2020年に亡くなられたのですが、今回の再版では、同じく長野県出身のフリージャーナリストである青木理(あおき おさむ)が解説を書いています。青木理は、現在も週刊誌、新聞、テレビなどで、活躍しています。桐生悠々、井出孫六、青木理と受け継がれてきた反権力のジャーナリスト魂を感じることができました。魂のこもった文章を読むことは楽しいですね。
文明の衝突
文明の衝突
戦争状態になっています。21世紀になって、こんな前近代的な出来事が起こるとは、人間とはいかに愚かな生き物なのでしょうか。ロシアのプーチン大統領がいなければ、こんな事にはなっていないと思いますが、プーチンだけが悪者であるとも思えません。第2、第3のプーチンが出てこないとも限りません。一刻も早く、戦闘状態が終結することを祈るばかりです。
さて、1996年にサミュエル・ハンチントンが書いた「文明の衝突」という書籍が出版されました。日本語訳は1998年に出され、かなりな評判になりました。これは1991年に旧ソ連が崩壊して、「冷戦」と呼ばれた資本主義対共産主義の対決が終了して、平和な世界が訪れるかもしれないという期待があった時期に書かれたものです。そこには、冷戦が終了したとしても、異なる文明の国の間では、衝突が起こりうるということが予言されていました。例えば、アメリカとイスラム勢力との対立、アメリカと中国との対立等です。まさに、冷戦後の対立関係を予言して、的中しているところがあります。またこの本の中には「ロシアがウクライナを攻撃するかもしれない」という一節があります。もちろん歴史的にはウクライナもロシアもソビエト連邦を作っていた兄弟国ですから、私は戦争になることなどは予測できないと思っていました。しかし、ウクライナはロシアやヨーロッパから侵略された歴史を持ち、どちらかと言うとヨーロッパに親近感を持つ人々が多いように思われます。ハンチントン氏は、いわゆるヨーロッパとロシアの間には「文明の衝突」があるかもしれないと、20年以上前に予測をしていました。
戦争を始めるのも人間ですから、戦争を止めるのも人間の力だと思います。私たちの力も微力ですが、無力ではないと思っています。
旧暦と二十四節気
旧暦と二十四節気
現在の日本の暦(こよみ)は、1582年ローマ教皇グレゴリウス13世が改良した太陽暦である「グレゴリオ暦」を採用していますが、この暦を採用したのは1872年、明治5年からです。それまではいわゆる「旧暦」と称する「太陰太陽暦」を用いていました。太陽暦はその名の通り、太陽の運行に着目した暦ですが、太陰暦は月の満ち欠けに着目した暦で、古代中国で成立したものを日本も長く採用してきました。古文を勉強するときに、現在の暦とずれているのはこのためです。
太陰暦では1ヶ月という期間を、満月から満月まで、または新月から新月までとします。そうすると1ヶ月は29日または30日になり、1ヶ月という単位は考えやすいものになります。しかし、1年12ヶ月は約354日になるため、太陽暦の365日に対して約11日短くなるため、3年に1回程度、閏月(うるうづき)を入れて季節の調整をしなければなりませんでした。
旧正月というのは、太陰暦で元日にあたる日のことですが、通常は雨水(うすい)2月19日ごろの直前の朔日(さくび)すなわち新月の日を指します。具体的には1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動します。中国等では現在でもこの旧正月を春節(しゅんせつ)と呼んで、大きなお祭りをしています。
旧暦の考え方だけでは、正月等の日程が毎年少しずつ変わってしまいます。そこで太陽暦の考え方を導入して、二十四節気(にじゅうしせっき)を考え出しました。これは太陽の動きを基に、夏至・冬至・春分・秋分の二至二分(にしにぶん)の日を決め、立春・立夏・立秋・立冬の四立(しりゅう)、その他の季節として全部で24の名称を定めました。2月4日ごろに、よくニュースでは「今日から暦の上では春を迎えますが・・・」と言われますが、この日が立春になり、その前の日2月3日が節分になります。二十四節気は太陽暦を基にしているので、日付けが変わったとしても1日程度になっています。旧暦と二十四節気は、全く別の暦なのです。
暦は現在でも世界中で様々なものが使用されています。暦を学習することを強みにして、たくさんの本をお読み。
メタバース
メタバース
最近の流行語である「メタバース」です。メタバース(metaverse)は英語の超(meta)と宇宙(universe)を組み合わせた造語です。コンピュータやネットワークの中に構築された、現実世界とは異なる三次元の仮想空間やそのサービスのことを指します。利用者はオンライン上に構築された三次元コンピュータグラフィクスの仮想空間に世界中から思い思いのアバターと呼ばれる自分の分身で参加し、相互にコミュニケートしながら買い物やサービス内での商品の制作・販売といった経済活動を行ったり、そこをもう一つの「現実」として新たな生活を送ったりすることが想定されています。もちろん、完全な実用化はもう少し先になりますが、現在でもネット上で買い物をしたり、一部のゲームでは自分のアバターを使って遊ぶものは、メタバースの先取りと言えるかもしれません。Facebookが会社名をMetaに変更したことでも有名になりました。将来的には莫大な量のお金が動くことが予想されていて、多くの企業の参入が見込まれています。
この話の中で私が思い出すのは、2021年公開、細田守監督のアニメーション映画「竜とそばかすの姫」です。この映画では50億人以上が集うインターネット仮想空間「U」と出会ったそばかすのある女子高校生「すず」が、歌姫の「ベル」というアバターで「U」に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていきます。現実と仮想空間を行き来して物語が進みますが、映画やドラマになった「美女と野獣」をモチーフにしたところもあります。「竜とそばかすの姫」は細田守監督の長編オリジナル作品第6作になりますが、2009年公開の第1作「サマーウォーズ」も同じようなネット上の仮想空間でのお話しでした。今から13年前の作品でしたが、山下達郎さんの主題歌「僕らの夏の夢」とともに記憶に残る良い映画でした。
今後のメタバースは、どのように発展していくのかはわかりません。メタバースといえば、昔阪神で活躍した外国人選手の・・・。それはランディ・バース。
ウエスト・サイド・ストーリー
ウエスト・サイド・ストーリー
スティーブン・スピルバーグ監督が「ウエスト・サイド・ストーリー」を再び映画化しました。現在上映中です。元々は1957年に初演された、ブロードウェイ・ミュージカルで、シェークスピアの有名な戯曲「ロミオとジュリエット」に着想を得て、当時のニューヨークを舞台に、ポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との2つの異なる少年非行グループの抗争の犠牲となる若い男女の2日間の恋と死までを描いています。
舞台で大評判となったため、まず1961年に映画化されました。映画も大ヒットし、この年のアカデミー賞では作品賞をはじめ、10部門を受賞しました。1961年といえば、私が生まれた年ですが、私はこの映画を映画館で見た記憶があります。多分中学生くらいの頃、リバイバル上映をしていたのだと思います。レナード・バーンスタイン作曲の歌は素晴らしく、登場人物のダンスも魅力的なのですが、結末はなかなか悲しいもので、涙を誘います。
今回2021年版も見てきました。びっくりしたのは、1961年版でアニタ(プエルトリコ系のシャークス団のリーダー、ベルナルドの恋人)役を演じたリタ・モレノ(彼女は1961年版で、アカデミー助演女優賞に輝きました。現在は90歳を超えていますが、元気です)が、2021年版では、若者たちのたまり場となるドラッグストアの店主であるヴァレンティナ役で出演しています。しかし何といってもこの映画の主人公はロミオにあたるトニーと、ジュリエットにあたるマリアの2人です。今回トニー役はアンセル・エルゴート、マリア役はレイチェル・ゼグラーというあまり知られていない役者さんが演じていますが、マリアの役は約三万人の中からオーディションで選ばれただけあって、さすがの出来映えでした。2021年版もアカデミー賞には多くの部門でノミネートされていて、受賞が楽しみです。
最後に難点を1つだけ。生徒の皆さんでしたら、全く問題ないと思いますが、私のような年寄りには、2時間37分という上映時間は長すぎます。予告編等を含むと3時間近くになってしまいます。映画鑑賞を執行するためには水分補給にご注意を。
世界史は暗記もの?
世界史は暗記もの?
私が大学受験の時、社会科で共通一次試験を受けたのは、世界史と倫理社会の2科目でした。世界史は縦の年代と、横の各国同士の関係を座標のように捉えていく必要があるので、理科系の生徒向きといわれていました。日本史は小学校以来何度も学習したり、大河ドラマ等で見聞きする機会もありますが、世界史は普段はなかなか触れることが少ないです。昨年末から、岩波講座「世界歴史」の第3期が発刊されています。全24巻ということですが、とりあえず第1巻のうちのほんの一部を紹介します。
世界史といえば「○○という国と○○という国の間で、○○年に○○戦争が起こった」というような事をひたすら暗記していくというイメージがありますが、第1巻冒頭の小川幸司さん(この人は長野県の高等学校の先生)の「私たちの世界史へ」を読み、ある意味感動しました。
2011年3月11日は東日本大震災が起こった日ですが、この日、福島県の双葉消防本部の4人の消防士は、全国消防駅伝大会のために、東京都内に滞在しており、この日の夕食を「最後の晩餐」だと思った、と話しています。原発の事故が伝えられると、消火、救助活動に当たった消防士たちは、ソ連(当時)の「チェルノブイリ原子力発電所」の事故の際に消火活動に当たった消防士たちのその後の悲惨な運命を思い浮かべました。また福島第一原発に出発する消防士は「きっと特攻隊はこうだったのだろう」という思いでした。そしてこのような思いや発言が残されているのは、震災から9年後の2020年、吉田千亜さんによる「孤塁―双葉郡消防士たちの3・11」というルポルタージュが出版されたおかげです。
このように、過去の人間たちの姿やイメージを引照しながら、自分の生きている位置を見定め、自分の進むべき道を決めようとするのであれば、それは世界史を考えていることになる。またその記憶を、記録として残していくことは「世界と向き合う世界史」であると、小川幸司さんは述べています。世界史は、偉い歴史家や学者の先生が出す論文の中だけにあるのではなく、私たちの「世界史実践」の中にもあるということです。
私がこれまで考えていた「世界史」というものとは全く違う捉え方です。1つの出来事を、多面的に理解してまとめていく姿勢には驚きでした。「最後の晩餐(ばんさん)」は「最後の電算」でも「最後の換算」でも「最後の塩酸」でもありません。
紅白歌合戦
紅白歌合戦
昔は、大晦日の夜はNHK紅白歌合戦を見るものと決まっていました。昨年の第二部の平均世帯視聴率は史上最低の34、3%でした。これでもかなり高いな、と思う人がいるかもしれませんが、1963年は81.4%だったということですから、時代の流れを感じます。年配の人はジャニーズ系や若い人の歌を知りません。若い人は演歌を聴きません。「二兎を追う者は一兎も得ず」という事で、年配の方にも、若者にも嫌われてしまったのかもしれません。紅白歌合戦の存在自体が問われているようです。
昔は一家には一台のテレビしかなく、一家二世代、三世代にわたってテレビを見ていたものです。現在では、地上波のテレビは見ないという人も増えてきました。NetflixやYouTubeの方が面白いという訳です。テレビではなく、コンピュータのモニターやスマホを見ている人が多いです。不特定多数の大きな人口に対して、情報を発信していくことが時代遅れになりつつあるのでしょう。少数でもコアな人たちから賞賛される方を求めていく方が、時代に合っているのかもしれません。
ところで、2022年のアカデミー賞のノミネート作品が発表されました。村上春樹さんの小説を原作にした、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、日本映画として初めて作品賞にノミネートされたということで、話題になっています。他の作品を見ると、もちろん映画として公開された作品が多数ではありますが、NetflixやAmazonで配信された作品も並んでいます。そんな時代になっていくのですね。紅白歌合戦も、紅白饅頭に席を譲って、引退していくのかもしれません。
独裁者
独裁者
生徒の皆さんは「独裁者」と聞くと、誰を想像しますか。歴史を振り返ると、また現在の世界を見渡しても「独裁者」であろう人物を何人も指摘できそうです。しかし過去史上最大の独裁者と言えば、やはりドイツの「ヒトラー」だと思います。今回、芝健介さんが書いた岩波新書の「ヒトラー」を読んだので、彼について考えてみます。
知っている人は知っている事実なのですが、アードルフ・ヒトラーは実はオーストリアの生まれで、後にドイツ国籍を取得しました。画家を目指していましたが、第一次世界大戦では「通信兵」としてドイツ軍に従軍しています。第一次世界大戦終了後、ドイツは敗戦国となりますが、当時最も民主的と呼ばれた「ワイマール憲法」を制定し、復興に取り組みます。その中からヒトラーが率いる「ナチス党」は「合法的」に選挙で多数派を形成し、首相になっていきます。当時のドイツ国民は、困難な生活状況を何とか変革してくれないか、という希望をヒトラーとナチス党に託したのでした。
現在ではヒトラーを「評価」する意見もわずかにあるようですが、彼の所業はとんでもない事ばかりです。第二次世界大戦を引き起こしたこと、ユダヤ人や障がい者等を虐殺したこと、自分に反抗した人々を処刑しまくったこと、数え上げればきりがありません。そしてこれだけの悪行を行えたのは、ヒトラー一人の力ではありません。取り巻き、側近である多くの人物によるヒトラーへの「忖度」が大きな影響を及ぼしました。あまりにも非人道的な政治が続いたので、ヒトラーは反対勢力から二度、暗殺されかけました。不幸なことに、二度とも失敗に終わってしまい、その後はドイツ国内に「反ヒトラー」勢力は表面的にはなくなってしまいました。
ヒトラーはさすがに極端な例だとは思いますが、過去を振り返っても、現在においても、どこの国家においてもある意味「独裁者」が存在しています。権力を持つものにおもねり、すり寄り「忖度」を繰り返す人間は後を絶ちません。人間は歴史に学ばねばなりません。絶対権力は絶対的に腐敗すると決まっているのですから。ヒトラーは無視して、マヨラーやキティラーを大切にしましょう。
許したれよ
許したれよ
年寄りあるある、の中には「昨日や一昨日の事は全く忘れているが、30年前の事は鮮明に覚えている」というものがあります。
そう、あれは30年もっと前でしょうか。私が大学を卒業して、高等学校の教員として仕事を始めた頃、私の高校の同級生たちと集まったときの会話です。私の友人のF君は、私が高校生時代「あつしは、融通が利かない」ということを良く知っていました。「あつし、お前高校の先生するんやったら、たいがいのことは『許したれよ』。高校生なんか子供やねんから、間違えたり、失敗するもんやで」
私はこのとき「何を言うてんねん。高校の教育現場はいろんな生徒がいて、大変やねんぞ」と反発したい気持ちになったことを覚えています。しかし、F君の言葉がずっと耳に残っていました。確かに高校生がすることで「いじめ」や「人のものを盗む」等、許されない出来事は、許されません。ただ「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉もあります。何事にも寛容の心を持って接することの大切さを感じる日々があったことも事実です。また高校の先生が生徒を指導するという場面だけではなく、日常生活の中で、理不尽だと感じたり、憤りを感じたりすることがあります。そのときに怒りにまかせて発言したり、行動してしまうと、あまり良い結果にならないことが多いように思います。最近多発している社会的な事件についても、寛容の心がないものが多いです。
多くの人々がもう少し「許したれよ」の気持ちを持てば、社会も変わっていくような気がします。観葉植物でも見ながら、寛容の心を持つことが肝要です。
正当防衛
正当防衛
とてもやりきれない、悲しい出来事です。もちろん、他人を傷つけて、他人を巻き込んで自殺するという事件も許されません。それよりも、もっと気の毒だと思われるのは1月23日正午ごろ、栃木県のJR宇都宮線の車内で、優先座席に寝っ転がって加熱式タバコを吸っていた容疑者に「タバコをやめてくれませんか」と注意した男子高校生のことです。この容疑者は「ケンカを売られた」「正当防衛だ」と言っていると報道されていますが、男子高校生に土下座をさせ、暴行をはたらき、顔面骨折などの重傷を負わせたとされています。
先に言っておきますが、もし私がその場に出くわしていたならば、多分「見て見ぬふり」をしてしまうと思います。人間誰しも自分の身が1番かわいいという事実は変えられません。評論家のようなきれい事を言うつもりはありませんが、その上で考えるべきことがたくさんあります。
報道されている内容が全て事実であるかどうかは分かりませんが、ほぼ正しい内容であると仮定すると、多くのことが許されないことだと思います。
1 世の中に、禁煙である電車内の、しかも優先座席に寝っ転がって電子タバコを吸う人がいるということ
2 電車内にいた多くの人は、そんな人は「変わった人」「こわい人」だから関わり合いにならずにおこうと、見て見ぬふりをしていたこと
3 見るに見かねて、勇気を出して注意した高校生に「ケンカを売られた」「正当防衛(これは正当防衛とは言いません。過剰防衛です)」という理屈をつけて暴行したこと
4 周りにいた人たち(高校生や大人たち)の多くが、そのまま見て見ぬふりを続けたこと
5 新聞やテレビで報道されると「こういう『違う世界の人』とは関わらないようにしましょう」という感想が出てきたこと
そしてこの事件の教訓が「触らぬ神にたたりなし」ということであるならば、この国は終わってしまいます。世の中の人たちを分断していくことが正当であるとは思えません。勇気ある行動を取った高校生が、早く心の傷を癒やし、萎縮することなく、人生を切り開いていって欲しいと願うばかりです。今回は最後のギャグはやめておきます。
音楽の方から迎えに来てくれる
音楽の方から迎えに来てくれる
歌手で俳優の福山雅治さんが、ラジオ番組でこんな話をしていました。
「曲がうまく完成できなくて、悩んでいたときにスタッフの人からこう言われた。『福山さん、大丈夫。そのうちに音楽の方から迎えに来てくれるから』この言葉で行き詰まっていた気持ちが癒やされた」
頑張って努力していても、うまくいかないことがあります。いや、うまく行かないことの方が多いかもしれません。それでも諦めないで頑張っていると、向こうの方から手を差し伸べてくれるような感覚になることがあるようです。いわゆる「ゾーンに入る」という感覚でしょうか。
古くは日本のプロ野球の巨人の監督をされた、川上哲治選手が現役時代の言葉で有名なものがあります。
「ボールが止まって見える」
スポーツ選手の世界では、何回か聞いたことがある話です。では私の場合は・・・
昔の話で恐縮ですが、12月の全校集会で生徒の皆さんには話をしたのですが、私の大学受験の時の話です。もともと私は数学の成績は良かったのです。しかし入試前の模擬試験で、数学の点数が200点満点で26点しか取れなくて「おいおい、どうするねん」と落ち込んでいました。入試当日、数学の試験では全部で大きな問題が6問ありました。ぱっと見て、これはできそうだな、と思った2番だったか、3番だったかから始めました。短時間で1問仕上げることができて「よし、いけるかも」と落ち着いた覚えがあります。その後は制限時間の120分ギリギリまで集中して、4問完答することができました。当時の感覚では、6問中2問完答では苦しい、最低3問解きたい、4問できれば万々歳という感じでした。自分でも「ゾーンに入ったな」と感じた瞬間でした。
必死に努力し続けていれば、向こうの方から迎えに来てくれる感じになる。こんな経験はあまりないことだとは思いますが、それくらい頑張れ、ということだと思います。「ゾーンに入る」という経験をするためには、ガーンとショックを受けて、ゴーンという鐘の音を聞いて、ドーンと構えておくことが必要かもしれません。
足が重い
足が重い
気が進まない、乗り気でない、やる気が出ない、腰が引けている、というような時に「足が重い」とか「足取りが重い」と言います。実は本当に「足は重い」ものなのです。
例えば、体重が50㎏の人であれば、片足で約10㎏あります。全体で50㎏だとすると、それくらいあっても別に不思議ではないですが、でも片足で10㎏、両足だと20㎏というのは「重い」感じはします。しかし普段の生活で、私たちは自分の足の重さを感じることはほとんどありません。これはなぜでしょうか。実は地球上に生まれてから、ずっと重力がある状態で生活をしているため、自然に手足や頭、身体を動かす骨格や筋肉を使うことに慣れているためです。ですから、普段と異なる状況のときに限り「足って重いな、身体って重いな」と感じることになります。2つ例を挙げましょう。
1 意識がない人や、病気の人を抱え上げたり、運ぶとき
自分の身体は自分で動かすことに慣れていますが、人の身体を持つとき、運ぶときは、大変重たく感じるものです。体重50㎏の人を一人で抱え上げるのは大変です。もっと体重の重い人だと、数人がかりでないと運べません。それくらい人の身体は重いものなのです。
2 宇宙飛行士の人は宇宙で筋力トレーニングをするが、地球に帰ってくると歩けない
宇宙では重力がないので、人は立ったり、歩いたりという基本動作をする必要がありません。ですから筋肉がどんどん衰えていきます。それを防ぐために毎日一定時間筋力トレーニングをするのですが、追いつきません。地球へ戻ってきた当初は、重力に逆らって立ったり歩いたりすることができません。これは病気等で、長期間寝たきりの生活をした後にも起こることです。
人間は普段は意識せずに、とても難しいことを何気なくやってのけています。その条件が変化したときに始めて「すごいことをしているのだな」と感じるわけです。私は重い思いを持って、heavyなthoughtを書き続けています。
守破離
守破離
この年末年始に、高校生のスポーツの全国大会をテレビ等で見る機会がたくさんありました。バスケットボールでは女子は桜花学園、男子は福岡大大濠が優勝しました。ラグビーでは東海大大阪仰星、バレーボールは女子が就実、男子は日本航空、サッカーは男子が青森山田、女子は神村学園が勝ちました。日ノ本学園は決勝戦まで勝ち進みましたが、残念でした。
どの競技を見ても「この選手たちは本当に高校生か?」というすごい選手たちがそろっており、指導者の先生たちも長年やっておられる有名な監督さんばかりで、多分練習する環境も恵まれているのだろうと想像できます。
さて「守破離(しゅはり)」です。もとは千利休の言葉らしいのですが、茶道や武道などの芸道・芸術における師弟関係のあり方を示したものです。まずは師匠から教わった型を「守る」ところから修行が始まり、その後、自分に合ったより良いと思われる型を試すことで、既存の型を「破る」ことができるようになります。さらに修行を積むと、型から「離れて」自在となることができ、新たな流派が生まれることになります。
昭和の時代の高等学校運動部の監督さんといえば、ものすごく恐ろしい人ばかりで、先生に怒られないようにプレーするのが最優先だったと思います。「守」ばかりだったのだと思います。今年の決勝戦を見る限り、選手たちが「守」ばかりでプレーしているチームはありませんでした。「破」の段階、あるいは「離」の段階で相手と戦っているチームばかりでした。何事にも基礎基本は大切なのですが、そこからいかにオリジナリティーを出していくことが求められる時代になっているようです。生徒の皆さんも、最初は素直な心で先生や監督さんの言うことを良く「守る」ことから始めて、「破」「離」の段階を目指していきましょう。「破」「離」にならないと、張り合いがありません。
年始のご挨拶
年始のご挨拶
皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。年末、年始と冬らしい寒波がありましたが、皆様お変わりはありませんか。今年は2022年、令和4年寅年です。よい年になるように願っています。
年始のご挨拶で何を書こうかと考えていました。箱根駅伝かオミクロン株か北京オリンピックか、結局アップルにします。アメリカの企業アップルの「時価総額」が3兆ドル(日本円で約346兆円)を超えたというニュースがありました。日本の1年間の国家予算が100兆円少しですから、アップルの3分の1程度ということになります。さて「時価総額」というのは何でしょうか。私もきちんとは知らなかったので、調べてみました。ある企業の株価に発行済株式数を掛けたものを時価総額と言います。つまり、株式の値段が高いほど、発行した株式の数か多いほど、時価総額は大きくなります。時価総額が大きいということは、その企業の現在の業績だけではなく、将来の成長に対する期待も大きいことを意味します。アップルといえば、生徒の皆さんも持っているスマホのiPhoneやコンピュータのMacで有名ですが、アプリ市場や音楽配信等が安定した収入をもたらしています。今後は仮想現実(VR)や自動運転車向けの新たな製品投入への期待も株価上昇の背景にあるようです。日本企業で時価総額トップはトヨタ自動車ですが、2470億ドルで世界第39位です。
2022年は、アップルのように現在の業績もいい、将来への期待も大きいというような香寺高等学校にしていきませんか。生徒の皆さんも是非頑張って下さい。問い「アップルって何語?」 答え「リン語」
年末のご挨拶
年末のご挨拶
令和3年、丑年が終わろうとしています。昨年に引き続き、今年も新型コロナウイルス感染症の影響が、多くの場面で見受けられました。高等学校の教育現場でも、学校行事や対外的な活動に制約があり、変更したり、縮小したりと、大変な運営が続きました。PTAの活動にも、ご迷惑をおかけしました。そんな中ですが、生徒の皆さんは制約のある中、元気よく教育活動に取り組んでくれたと思います。文化祭、体育大会、球技大会等、大きな成果を得ることができました。
そして特に2年次の大きな行事である修学旅行です。本来なら沖縄へ三泊四日の予定でしたが、USJと京都への一泊二日の旅に変更して実施しました。天気予報では雨マークが並んでいましたが、二日間とも日中は雨も降らず、班別行動を楽しんでくれました。香寺高校らしい、自由度の高い行事ができたと思います。
さて、来年は寅年です。来年こそは阪神タイガースも頑張ってくれるものと思っていますし、コロナ渦も落ち着いてくれることを願っています。固定観念にトラわれずに、多くの事にトラいしていきましょう。来年は修学旅行で沖縄に行きタイガー。
学校紹介・美術工芸部紹介
サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
Copyright(C)2019-
Kodera High School of Hyogo
All rights reserved.
このサイトの著作権はすべて
兵庫県立香寺高等学校にあ
ります。画像・PDFなど、
サイト内にある全てのコンテ
ンツの流用を禁じます。