校長室より

校長室より

県庁インターンシップ

県庁インターンシップ

 毎年夏休みの期間に、2005年から兵庫県内の高校生を対象にして、公務員の仕事を体験する「県庁インターンシップ」が実施されています。高校生に目標を持って進路を選択できるようになってもらおうという趣旨で、2022年度は県内39の高校から70人が参加しました。8月22日の開講式では藤原俊平教育長が配置通知書を手渡し、生徒の代表は「実際に働く体験を通して兵庫県を担う一員としての心構えを学びたい」と述べたそうです。

 今年度本校からも2年次のA君が県庁インターンシップを希望し、採用されました。もともとA君は進路先として公務員を希望していることもあり、やる気満々で臨んだようです。配置先は県庁の教育委員会事務局のB課になりました。教育委員会事務局の仕事は多岐に渡りますが、個人情報等も扱っているため、高校生にやってもらえる仕事には限度があります。今回、A君は差し支えのない範囲でのデータの確認等の仕事を与えられたようで、期間中毎日黙々と取り組んでくれたようです。

 22日から26日までのインターンシップが終わった後、B課で働く私の知り合いのCさんからメールをもらいました。「香寺高校のA君の仕事ぶりが素晴らしかった。できたらB課で勤めて欲しいくらいです」というものでした。更に、私の知り合いのB課のD課長からもメールが届きました。「決裁板に挟んだ伝票状の資料と認定証などを一つ一つ確認している姿は、まるでずっと以前から、当課に座っている課員のように見えました」素晴らしいお褒めの言葉をいただきました。

 A君のように、周りの大人たちを感心させるような体験ができたことは大変素晴らしいことですし、今後の高校生活にも生かされるものと思います。またこの夏休みの期間中、香寺高校の生徒たちは色々な場所で多くの経験をしてくれたと思います。高校での補習への参加、クラブ活動での大会や発表会への参加、オープンハイスクールでの中学生への案内等、普段の授業ではあまり経験できないような体験ができた人も多かったのではないでしょうか。9月からも「チーム香寺」で頑張っていきましょう。

 

島守の塔

島守の塔

 島田叡(しまだ あきら)さんを描いた映画「島守の塔」が公開されています。島田さんは1901年神戸市に生まれ、旧制神戸二中(現県立兵庫高等学校)から第三高等学校、東京大学に進み、旧内務省の官僚として活躍し、1945年1月、沖縄最後の官選知事として戦争末期の沖縄に赴任し、6月に行方不明となりました。知事としての在職期間はわずかでしたが、台湾から米を確保するなど、沖縄の人々のために尽力されました。

 島田さんは学生時代から野球に打ち込み、優秀な選手だったようです。沖縄県では奥武山公園内の多目的グラウンドが「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と命名されています。また、秋に開催される沖縄県高等学校野球新人中央大会の優勝校には「島田杯」が授与されることになっています。映画の中で、俳優萩原聖人さんが演じる島田叡は、俳人である正岡子規(彼も野球好きで有名だった)の「筆まかせ」の一節を披露します。

「実際の戦争は危険多くして損失夥(おびただ)し ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし」

 野球も含め、スポーツや文化活動等は、平和な世の中でないとやっていくことができません。この映画では島田知事に仕える「比嘉凜(ひが りん)」役を、戦争当時は吉岡里帆が演じていますが、戦争を生き延びた凜は、映画の最後で島守の塔に手を合わせに来ますが、その役を香川京子が演じています。吉岡里帆と香川京子が同一人物であるという証明も見事な映像でした。

 ベースボールを野球と訳したのは島田さんではないようですが、普通なら「塁球」ですよね。さて、問題です。次の日本語は何の球技のことでしょうか。

1 排球(はいきゅう) 2 籠球(ろうきゅう) 3 撞球(どうきゅう) 4 羽球(はねきゅう) 5 門球(もんきゅう) 6 蹴球(しゅうきゅう) 7 送球(そうきゅう) 8 闘球(とうきゅう) 

では答えです。1 バレーボール 2 バスケットボール 3 ビリヤード 4 バドミントン 5 ゲートボール 6 サッカー 7 ハンドボール 8 ラグビー

昔の人は偉かった。

 

 

鴎外森林太郎(おうがい もり りんたろう)

鴎外森林太郎(おうがい もり りんたろう)

 2022年は森鴎外の生誕160年、没後100年の年に当たります。明治時代の文豪としては、夏目漱石と森鴎外の2人が有名ですが、ご承知の通り、森鴎外は陸軍の軍医という職業も持っていて、その活動量には素晴らしいものがあります。多彩な小説はもちろん、翻訳や論争や雑誌活動に精魂傾け、学問と芸術の世界を自由に歩き回りました。1971年に出版された岩波書店「鴎外全集」は、全38巻もあります。

 森林太郎は1862年、石見国(いわみのくに)今の島根県津和野に生まれ、1872年一家で東京に出ます。東京医学校(後の東京大学医学部)に学び、陸軍の軍医となります。1884年ドイツ留学の命を受け、4年間ドイツに滞在します。そのときの体験をもとに、ドイツ三部作が執筆されますが、そのうちの一つが、高等学校の国語の教科書に取り上げられている「舞姫」です。鴎外がモデルと思われる主人公の「太田豊太郎」が舞姫である「エリス」と恋に落ちますが、豊太郎は自分の将来を考えてしまいエリスを残して帰国してしまうというストーリーです。事実とは異なった部分も大きいようです。

 初期の鴎外は、海外文学の翻訳を多数出版しました。また俳句や短歌も数多く作り、歴史小説も書き始め、「山椒大夫」や「高瀬舟」などの作品を出します。史伝としての「渋江抽斎」も有名です。

 1922年、体調を崩した鴎外は遺書を口述します。「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」(原文では平仮名部分はカタカナになっている)墓石にも森林太郎とだけ彫るように伝えます。江戸、明治、大正を駆け抜けた60年の人生でした。最後に1911年に「文芸断片」として次のように書いています。

「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」

 現在のどこかの国の政治家に聞かせてやりたい文章を、今から100年以上前に書いていました。鴎外の人生は、法外で郊外で風害で当該なものでした。

 

亜鉛の少年たち

亜鉛の少年たち

 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんが書いた「亜鉛の少年たち」です。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんは1948年、ウクライナに生まれた作家、ジャーナリストです。「戦争は女の顔をしていない」「ボタン穴から見た戦争」「アフガン帰還兵の証言」「チェルノブイリの祈り」等の作品で知られ、2015年にジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞しました。

 今回の作品「亜鉛の少年たち」ですが、1979年から1989年の10年間も続いたアフガニスタン戦争で、ロシア人の若者たちが「国際友好の義務を果たす」という政府の方針で送り出され、「亜鉛の棺」に納められて帰国してきた様子を聞き取り、書き留めた戦争の記録であり、91年に出版され、95年に日本語版が出版されました。ところが93年ベラルーシで、「亜鉛の少年たち」に登場していた証言者たちが、アレクシエーヴィチさんを相手どり、次々に裁判を起こします。この裁判は支離滅裂なもので、「黒幕」としてベラルーシ政府関係者による「政権に不都合なことをいう輩は裁判にかけるなり圧力をかけるなりして黙らせろ」という力がはたらいたものと思われます。アレクシエーヴィチさんはこの裁判の記録等も含めた新しい「亜鉛の少年たち」を2016年に出版し、2022年日本語訳の刊行となりました。

 一人一人の若者である兵士や、その母親に対する丁寧な聞き取りを続け、戦争の悲惨さを表現する。そして、敵対する勢力からの裁判闘争にも、記録をもって対抗する。すごいことをやってのける人物です。そして今、アレクシエーヴィチさんが生まれたウクライナが戦争状態になっています。早く平和な毎日が取り戻せるようにしたいものです。戦争で死んでしまって、亜鉛の棺に入れられると、もう二度と会えんのですから。

 

中国の故事と名言500選

中国の故事と名言500選

 私の本棚から一冊を紹介します。「中国の故事と名言500選」平凡社 奥付を見ると1980年7月1日初版第5刷発行とありますから、もう40年以上前のものです。当時大学生だった私には、上下二巻組で2800円という金額はかなり高い買い物だったと思われますが、すっかり忘れていました。

 この本で取り上げられている約500の語句は、古来わが国で使い慣わされている語句の中でその典拠を中国の古典に持つもの、になります。昔の書籍はこんな風に小さい活字で700ページもありますから、全体を読み通すことは大変です。一つだけ例を挙げます。

 折檻(せっかん)という言葉は現在では「厳しく意見を加える」「責めさいなむ」という意味でよく使われます。子どもを虐待するときにも、折檻という言葉が使われたりします。しかし、もともとは「強く諫(いさ)める」という意味です。出典は「漢書」という前漢の歴史を録した正史の中の「朱雲伝」。朱雲(しゅうん)という人の話です。漢の成帝(せいてい)の時代に、当時丞相(じょうそう 今の総理大臣にあたる)だった張禹(ちょうう)という人物が勢力を持っていました。しかし勇気と腕力があり、人柄も学問にも優れた朱雲は、張禹は卑しい人物で、斬ってしまおうと考え、そのことを帝に進言しました。帝は怒って、朱雲を捕まえようとしますが、朱雲は宮殿の檻(手すり)にしがみついて動こうとしません。朱雲と帝の家来は「檻が折れて」地上に落ちました。それでも帝を戒めようと朱雲は叫び続けたため、成帝も機嫌を直して、朱雲を罰することを思いとどまりました。その後、折れた檻(手すり)を修繕することになりましたが、帝は「取り替えなくともよい。そのままつなぎ合わせておいて、直言の士を顕彰することにしよう」と言ったと伝わっています。

 折檻は、この話の「檻が折れた」ことから出た言葉で、もともとは手すりが折れるくらいに「強く諫める」という意味です。このように、もともとの意味から転じて違う意味になっている言葉はたくさんあります。言葉は、波止場で蹴とばして出来上がっていきます。

 

 

目薬・日薬・口薬

目薬・日薬・口薬

 ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)という言葉があります。どうにも答えの出ない事態に直面した時に性急に解決を求めず、不確実さや不思議さの中で宙づり状態でいることに耐えられる能力、を意味する言葉です。もとは19世紀の英国の詩人キーツが、詩人が対象に深く入り込むのに必要な能力として使った言葉でした。

 このネガティブ・ケイパビリティという言葉を紹介してくれたのは、作家で精神科医の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんです。彼のこのペンネームは源氏物語五十四帖の第二帖帚木(ははきぎ)と第十五帖蓬生(よもぎう)からとられたものだそうです。

 病気と長く付き合わなければならない患者さんと向かい合う時「病気を治そう」という考えだけではどうにもならない場合があります。そんなとき、ネガティブ・ケイパビリティによると、三つの薬が考えられます。

 一つ目は「目薬」。「あなたの苦しみは私が見ています」という目薬。

 二つ目は「日薬」。「何とかしているうち、何とかなる」という日薬。

 三つ目は「口薬」。「めげないで」と声をかけ続ける口薬。

 患者さんは難しい状態にあっても、何とかこれでやり過ごすことができます。人間の復元力は、早さとは異次元の所で発揮されますから、早さばかりが頭にあると、つまずきやすいものです。

 社会の問題に向き合う時も、ネガティブ・ケイパビリティは役立ちます。「みんなが言うから自分も」という付和雷同を慎み、待てよ、と踏みとどまる。極論に走らず、真ん中を見通すための、知性と歴史観を持つことが大切だと思います。

目薬・日薬・口薬、近代医学からすれば、とても薬とは呼べないものばかりのような気もしますが、人間は機械ではないので、それぞれの人に合った治療法があってもかまわないと思います。薬は、なすりあいや、こすりあいや、かすりあいにせず、ヤスリでユスリあいにすると大丈夫です。

 

 

桜桃忌

桜桃忌

 6月19日は、作家太宰治の命日で「桜桃忌(おうとうき)」と呼ばれています。この名前は、同郷の作家「今官一(こん かんいち)」によって命名されました。ご存じのように、太宰治は38年の生涯を心中自殺で終えましたが、国語の教科書にも掲載されている「走れメロス」や「斜陽」「人間失格」等の小説で、よく知られた存在です。

 これまで私は、桜桃忌という名前のもとになった「桜桃」という小説を読んだことがありませんでした。他にも有名な作品は多いのに、なぜ桜桃なのだろう、と思っていました。さて、「桜桃」は太宰の死の一月前の5月に執筆された、文庫本で10ページ余りの短編小説です。太宰と思われる小説家の主人公と、3人の小さな子供を抱えた奥さんとの「夫婦喧嘩」の小説です。冒頭は「子供より親が大事、と思いたい」で始まります。晩年の太宰はこうした本来あるべき言葉を「逆に」使用することが多かったそうです。一般的には「親より子供が大事」というべきところです。そして、夫婦喧嘩に耐え切れずに家を出て、酒を飲みに入った店で「桜桃が出た」。そこまでのシーンは、苦しい生活や子供のことが述べられていて、色彩的には、暗い、グレーな感覚が続いていたのです。残り7行となった、最終盤に、桜桃です。そこでパッと鮮やかな色彩が目に浮かびます。ミカンやリンゴではダメだったでしょう。ここはサクランボが相応しい。桜桃によって、キリリと引き締まった感じがする作品になっていると思いました。

 サクランボも応答しないと、高騰して、封筒に入ってしまいます。

 

 

みんなちがって、みんないい

みんなちがって、みんないい 

 毎年8月後半には、中学生向けのオープンハイスクールが実施されます。今年の中播磨地区は8月23日、24日に予定されています。香寺高校学校ではこの日に向けて、中学生向けのパンフレットを作成するのですが、その中に「みんなちがって、みんないい」というフレーズが取り上げられています。ご存じの方も多いと思いますが、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩の一節です。

 私が両手をひろげても

 お空はちっとも飛べないが

 飛べる小鳥は私のやうに、

 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、

 きれいな音は出ないけど、

 あの鳴る鈴は私のやうに

 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、

 みんなちがって、みんないい。

 金子みすゞさんは1903年に山口県で生まれ、約500編の詩を遺しましたが、26歳の若さで亡くなります。没後半世紀はほぼ忘却されていましたが、1980年代に脚光を浴び、再評価が進みました。

 現代は多様化の時代ですから「みんなちがって、みんないい」というフレーズには説得力があります。多様化については、さようか、という寛容の心が大切です。

 

 

給料はあなたの価値なのか

給料はあなたの価値なのか 

 アメリカの社会学者であるジェイク・ローゼンフェルドさんが書いた「給料はあなたの価値なのか(みすず書房)」という本を紹介します。

    私たちが労働の対価として受け取る給料ですが、その額はあなたの市場価値の反映なのでしょうか。この本の著者による大規模なアンケート調査によると、給料をもらう人も、給料を払う人も、給料額を決定する要因として最も大切なものは「個人の成果」だと考えていました。それが事実だとすると、高い給料をもらう人は、個人の成果が優れているということになりますが、著者はその考え方を全否定します。その考え方は「神話(昔から伝えられてきているが、事実とは異なる)」であるとしました。

   給料を決定する要因は「権力、慣性、模倣、公平性」の4つだとします。そうすると、コロナ渦の中で注目された「エッセッシャルワーカー」医療・福祉、保育、運輸・物流、小売業、公共機関等に従事する人たちの給料が、安すぎることになります。アメリカでは(日本でも)巨大企業の経営者の給料は異常に高くなっています。これは行き過ぎた「株主資本主義」のためであり、株主の利益と経営者の利益が一致し、企業に留保された資本が株主と経営者に向かい、従業員の給料上昇に結びついていません。

 では、どうすれば改善されるのか。最低賃金を大幅に引き上げる、経営者等の多額の給料には大きな税金をかける。Amazonやスターバックスでも始まった、労働者の組合を結成する。年功序列の給与体系を導入する。色々な提案がなされています。

 改めて「給料はあなたの価値ではない」ということが分かりました。あなたの価値を決めるものは、土地の土を耕し、町を支え、道を守り、口を出す余地を作り、素晴らしい落ちを考えることです。

 

晴れの日は枝が伸びる

晴れの日は枝が伸びる 雨の日は根が伸びる 

 実業家の福島正伸さんの言葉です。私も初めて聞いた言葉なのですが、含蓄があるな、と思ったので紹介します。

 日によって天気は異なります。晴れの日も雨の日もあります。一般的には、晴れの日が良くて、雨の日は悪いという感覚ですが、植物にとって、またため池やダムにとっては、雨はなくてはならないものです。1人の人の人生にも、晴れの日も雨の日もやってきます。天気がどうであれ、植物は生長していきます。人間も同じで、成長を続けるのですが、伸びる部分が異なるというわけです。

 例えば物事がうまく行っているときは「これは晴れの日だから、枝が伸びている」と思えます。逆に困難に直面したときは「これは雨の日だから、苦しいけれども、今は根が伸びている時期であると考えて、何とか頑張ってみよう」と思うようにしましょう。

 どちらかというと、うまく行くことの方が少なくて、しんどい思いや、つらい思いをする方が多いのですが、気持ちの持ちようでかなり異なることも事実です。苦しい時こそ、自分のこれまでの経験や、昔の人たちの考え方を参考にすることが大切です。

 伸びるのは、身長や体重は結構なのですが、麺類は伸びると美味しくありません。

 

 

道半ば 

道半ば 

 もう20年くらい前の話です。私より5歳くらい年配で、大変お世話になったある中学のバスケットボール部顧問の先生がいました。当時は高校生はハーフ20分の前後半、中学生はハーフ15分の前後半で試合をしていましたから、高校の先生が中学の大会で審判をすると「短いな、もう終わり」と感じたし、中学の先生が高校の大会で審判をすると「いつまで続く、長いな」と感じたはずです。その先生がその年の3月で日本公認審判(現在のシステムでは、B級公認審判 当時中学の先生で日本公認審判の資格を持っている人は少なかった)をリタイアすることになり、お疲れ様の宴会をしたときの話です。

 「私は公認審判はリタイアしますが、バスケットボール部顧問としてはこれからも頑張っていきます。まだまだ道半ば(みち なかば)です」

 この言葉はもともとは「どこかへ行く途中」という意味ですが、多くは「何かを成し遂げる途上」という意味で、まだ達成できていない事を表します。この先生の「道半ば」という発言を今でも覚えています。それまでもチーム作りに尽力し、多分普通の中学の先生の仕事も、求められる以上のことをやってきたと思います。それでも「道半ば」ということは、私なんて「鼻くそ」みたいな物だなと思いました。

 私も60歳を過ぎ、世間ではリタイアの年齢に入りつつあります。本来でしたら「これまで良くやってきたな」と振り返って自分を褒めたいところですが、まだまだ「道半ば」だと思っています。もうしばらくは、香寺高校をより良い学校にするために、頑張っていきたいと思っています。

 道半ばでは、若葉の季節に、近場の酒場で飲み過ぎて、墓場へ行ってしまってはいけません。

 

世阿弥 最後の花

世阿弥 最後の花 

 室町時代の有名な猿楽師である世阿弥です。観世流の能として現代にも受け継がれていますし、著書である「風姿花伝」は能の理論書としても、また芸道書とも読め、昔から多数の読者を獲得してきました。

 三代将軍の足利義満に気に入られ、名声を得ますが、六代将軍足利義教からは弾圧を受け、罪のないまま72歳にして佐渡島へ流刑されてしまいます。世阿弥の佐渡での様子を著した小説が藤沢周さんによる「世阿弥 最後の花」です。

 実は世阿弥についてはよく分かっていないことが多くあり、佐渡へ流されたのは間違いないようですが、その後許されて京に戻ったという説と、佐渡で生涯を閉じたという説があります。

 藤沢周さんは、史実を踏まえながらも、佐渡で出会う魅力的な人間を多数配置し、老いた世阿弥が「最後の花」を咲かせる舞台を創造していきます。この小説を書くにあたり、彼自身も観世梅若流(かんぜうめわかりゅう)の謡(うたい)と仕舞(しまい)を稽古するようになり、文章に説得力が増すことになります。昔から罪人が流されてきた佐渡島ですが、その地にあって、世阿弥が亡き父親や息子を思い、ほぼ命がけで雨乞立願能(あまごいりつがんのう)を舞い、佐渡の仲間たちと「西行桜」を完成させる。私も読みながら佐渡島で能舞台を見ているような気分になりました。

 能は、Noと言わずに、Know(知っておく)べきものですね。

 

 

老化は進化

老化は進化 

 「老化」は「進化」です。すごいフレーズですが、小泉今日子さんの発言です。小泉今日子といえば、1982年にデビューした「アイドル」で、この年は堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優、中森明菜、シブがき隊と「花の82年組」がデビューした、キラキラの年です。KYON2(キョンキョン)の愛称でも知られますが、彼女も芸能活動40周年を迎え、56歳になりました。

 「老化は進化です。40代ぐらいからちょっとずつ自分の変化を・・・心も体も感じながら生きているんですけど。56歳になった今、感じるのは、自分が思っているより世界はずっと広くて、その広さが反比例みたいな感じで、年を重ねるごとに広くなっていくっていうイメージですね」

 「物はとらえようで、老眼になったりしたら『ここまでやっときた』『みんなが言っていたのはこれなんだ』みたいな。そういうのを楽しんでいる」

 「今度は老人のイメージとか価値観を変えていきたい。新しい価値観を何か見つけて、みんなに提示したかったりする。例えば、朝クラブに集まるとか、そういうのを考えるのが楽しい」

 当時の若者たちに大人気だったKYON2です。私が大学生の時に、学園祭にKYON2が歌いにやってくることが決まり、大騒ぎになって、大騒ぎになりすぎて、結局中止になったことを思い出します。「なんてったってアイドル」ですから、AドルやBドルではなくて、Iドルですね。

 

 

非家の人

非家の人 

 読書をしていると、それまで自分が知らなかった言葉を発見することがあります。私にとっては「非家(ひか)」という言葉もそうでした。この言葉は「専門家ではない、素人(しろうと)である」という意味だと知りましたが、この言葉の使用例として、兼好法師の「徒然草」第187段が挙げられていました。

 万(よろず)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛み(ゆるみ)なく慎しみて軽々しくせぬと、偏へ(ひとえ)に自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作のみにあらず、大方の振舞・心遣いも、愚かにして慎めるは、得の本なり。巧みにして欲しきままなるは、失の本なり。

 それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で上手な人と並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが自分の生きる道(天職)であると思い、その技芸・知識を慎んで訓練して軽々しく扱わないことと、素人が自由気ままに練習して上達を目指すことの違いである。

 芸能や儀礼の所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。技術が優れているからといって好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。

 「万の道の人」は「非家の人」に負けるはずがない。なるほど、プロゴルファーとアマチュアゴルファー、プロ将棋棋士とアマチュア将棋棋士、これは勝てそうにないですね。ではベテランの先生と初任の先生、ではどうでしょうか。ちょっと怪しい気持ちもしてしまいます。「愚かにして慎める」ことが大事です。非家の人に負けないように、イカをヌカ漬けして食べながら、丘を散歩して、坂を登り、墓参りをしましょう。

 

 

サイエンス コミュニケーション

サイエンス コミュニケーション 

 サイエンス コミュニケーション。あまり聞いたことがない言葉です。「科学に関する意思疎通」とも言うようですが、ますます良く分かりません。

 桝 太一(ます たいち)さんは、日本テレビのアナウンサーで、いろいろな報道番組の司会等をやっていましたが、2022年3月に退職して(これまで通り、いくつかのテレビ番組には出演している)同志社大学ハリス理化学研究所の専任研究所員に転出しました。その動機は「サイエンス コミュニケーションについてもっと深く考えて実践したいから」というものでした。

 桝さんは、東京大学農学部でアサリの研究を行い、修士課程を終了したバリバリの理系人間です。アナウンサーとして就職して、科学番組にも携わりましたが、テレビ局の持つ「サイエンスリテラシー」の欠如に違和感を持ったようです。

 京都大学iPS細胞研究所名誉所長の山中伸弥さんも、感染症については専門外としながらも、今回のコロナ渦について、多くの発言をしてきました。その上で、次のように述べています。「科学を進歩させることも大切ですが、難しく感じる科学を一般の方にわかりやすく、かつできるだけ正確に伝える科学コミュニケーションも非常に重要です。それも研究者にとって大事な仕事の一つだと私は考えています」

 「社会の役に立つ研究や学問をするべきだ」という意見もあります。しかし例えばプロのスポーツ競技について「社会の役に立つプロのスポーツ競技をすべきだ」という意見は聞いたことがありません。サッカーでも野球でも好きな人は純粋に好きだから、面白い・感動する・成長できるから競技をしたり、応援をしたりするわけで、そういった意味で、科学も文化の一つとして広まって欲しいと思います。

 手前味噌ですが、香寺高等学校美術工芸部の皆さんと、私による「理科の散歩道」も、科学の普及に少しでも貢献できたらなと思っています。科学や医学は、苦学しながら、長く、磨くことが望まれます。

 

新しい資本主義

新しい資本主義 

 どこかの国の総理大臣が「新しい資本主義」などと言っています。資本主義をどのようにとらえるかは難しいと思いますが、「大量生産、大量消費」「貧富の格差の拡大」「環境に優しくない」等、問題点はたくさんあるように思います。だからといって、資本主義に代わる夢のようなシステムがあるかと言われると、これもまた難しいのが現実です。

 ヤニス・バルファキスという人が書いた、原題「ANOTHER NOW(日本語では「もう一つの現在」くらいが適切)」という本の日本語訳が「クソッたれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」というかなりぶっ飛んだタイトルで出版されました。著者のヤニス・バルファキスという人は、ギリシャ出身で経済学の学者ですが、2015年ギリシャが全国的な経済危機に陥ったときに、チプラス政権の財務大臣に就任し、財政緊縮策(国の予算を小さくする策で、良い面もなくはないが、庶民は困ることが多い)を迫るEUに対して大幅な債務減免(国の借金を、なかったことにしてくれという無茶な話)を主張し、注目を集めた人物です。

 この本の内容を紹介するのは至難の業なのですが、やってみましょう。一言で言えばSFです。現在の資本主義の世界と、それを劇的に改善してできた架空の世界を比較し、個性的な登場人物5人に自由に語らせたという形式です。1980年代、イギリスのサッチャー首相が「There is No Alternative」「(資本主義、市場主義のほかに)選択肢はない」の頭文字を取って「TINA(ティナ)」と言ったのに反対して「That Astonishingly There is An Alternative」「驚くことに選択肢は存在する」の頭文字を取って「TATIANA(タティアナ)」を主張しました。一つの想像上の理想的な社会を考案するのですが、その実現のためには名もなき庶民1人1人の努力と貢献と行動が欠かせないと書かれています。この架空の世界では、商業銀行、株式市場、上司と部下の関係、その他「当然のように存在すると思われるもの」が全く存在しません。まさにSFなのですが、私は絵空事だと笑い飛ばす気にはなれませんでした。

 資本主義の代わりはないことはない。日本にも手本となる見本を作り、絵本になるような基本を大切にしましょう。

 

「正常」が狭められていく 

「正常」が狭められていく 

 私たちは体調が悪いとき、病院へ行って検査を受けますよね。検査の結果「どこも悪いところはないです」と言われることはよくあることです。でも何か病名をつけてもらいたかったり、薬を出して欲しかったりします。これは「正常」な事なのでしょうか。

 人類学者の磯野真穂さんが新聞に書いていました。彼女は大学院生の時に摂食障害の研究を始めました。当時、摂食障害は「拒食症」と「過食症」の大きく二つに分けられていました。ところが「摂食障害の種類がどんどん増えていく」事に気づき、大学院の教授にその理由を尋ねてみました。答えは次のような、びっくりするものでした。

 「新しい疾患を確立すると、それが学者の業績となるから」

 学者の業績のために、新しい疾患が生み出され、その病名をつけられた「患者」からは「自分の状態に病名が与えられ、ようやく肩の荷が下りた」と歓迎される。これは不幸になる人を誰もつくらない、八方良しの状態なのでしょうか。しかし磯野さんは「これはまずい」と考えました。

 「あるべき状態」から外れている人たちを発見し、その人たちに病名を与え、治療の枠組みを確立することは、「正常」の範囲を狭められていく作業に他ならない。そのよい例が、注意欠陥多動性障害(ADHD)である。アメリカの子どもたちの15%がADHDと診断され、その大半が投薬を受けている。この背後には、製薬会社の多額の投資、子どもを薬物で鎮め、願わくば学力向上を図りたい大人の思惑、不明瞭な診断基準があるのではないか。「落ち着きがないのが子ども、という考えはもう古い」としてしまって本当に良いのか。

 人間をどんどん分類していって「障害」が増え続けていくのは、本当に正しいことなのでしょうか。あらゆる事に対して「正常」な人は、本当にいるのでしょうか。色々なことを考えさせられました。正常は、水上で愛情を持って、形状に注意して、退場しないように、平常で最上の結果を求めましょう。

 

 

キーウから遠く離れて

キーウから遠く離れて 

 歌シリーズが続きます。それくらい「私もこの戦争をやめさせることに、何か貢献できないだろうか」と感じているミュージシャンがたくさんいるということです。さだまさしさんの「キーウから遠く離れて」という曲です。歌詞の一部を紹介します。

 わたしは君を撃たないけれど

 戦車の前に立ち塞がるでしょう

 ポケット一杯に花の種を詰めて

 大きく両手を広げて

 わたしが撃たれても

 その後にわたしが続くでしょう

 そしてその場所には

 きっと花が咲くでしょう

 色とりどりに

 さださんがテレビ番組に出演され、この曲を披露するときの話です。

 今度の戦争ってライブで中継があるじゃないですか。ウクライナの老婦人がロシア兵に向かって「帰りなさい!」って抗議しているシーンが流れたんですよ。その人が「あんた、ポケットにひまわりの種、入れておきなさい。あんたが死んだ後、私がその花を眺めてやるから」っておっしゃった。それが胸にこたえましてね。命の捉え方っていろいろあるな、と思って。

 僕は音楽家なので、銃は撃たない、と決めているんですね。じゃ、銃を撃たない僕がどうやって大切な人を守れるんだろうって随分考えたんです。方法は一つしか思い浮かばなかったですね。それは「戦争を始めさせない」っていうことしかないと思うんです。そのためにやっぱり音楽があり、人の心があり、言葉があると思います。きっと言葉は届くと信じてます。音楽っていうのはきっとそういうものだと思うんですよ。痛みだとか悲しみだとか喜びだとか、そういうものを声を出して共感する、元気に変えていく、音楽にはそういう力があると信じています。

 さださんは今年70歳(!)、現役のシンガーソングライターとして活躍中です。70歳は「古希」と言います。「古来希なり(こらいまれなり これだけ長生きをするのは珍しいことだ)」私も古希に向かって、飽きの来ないように、息長く、先を見据えて、好きなように、時を重ねたいと思います。

 

数字のマジック

数字のマジック 

 健康ドリンクか、栄養ドリンクかは忘れましたが、昔こんな宣伝文句がありました。

 「有効成分○○○、1000ミリグラム配合」

これは実は「有効成分○○○、1グラム配合」と同じことですよね。ではなぜ1グラムではなくて、1000ミリグラムを使ったのでしょうか。人間の耳には、1より1000の方が多いように聞こえるからに他なりません。私はこの数字のマジックは、限りなく詐欺に近いものがあるように思います。

 これは、ロシアがウクライナに攻めてきたから、日本を守るために「防衛費を引き上げて、GDPの2%にしよう」という話と似たところがあると思っています。これまで日本という国は、防衛費はだいたいGDPの1%程度を保ってきました。人間の耳には、1%を2%に引き上げることは、小さな金額に聞こえてしまいがちです。しかし、お金の数え方は金額と予算に対する割合で行うことが正しいと思います。

 そこで財務省のホームページより、金額と割合を見てみましょう。22年度一般会計歳出総額107兆6000億円、防衛費5兆4000億円、予算に対する割合は5.0%となります。この金額を2倍にするということは、10兆8000億円、予算に対する割合では10%になります。当然、小さな金額ではありません。

 世界では、軍事費の大きさを対GDP比で数えていることは事実です。また、日本の防衛費の数え方と、NATOの軍事費の数え方は一致していません。NATOの予算では、退役軍人年金や沿岸警備隊の経費、国連平和維持活動(PKO)拠出金等を軍事費にカウントしていますが、日本の防衛費では除外されています。これも見かけ上、防衛費を小さく見せようという忖度があるからなのかもしれません。

 ドリンクの有効成分は大きく見せよう、日本の防衛費は小さく見せよう、数字のマジックに引っかかってはいけません。数字は、冬至の日に、掃除をしながら、工事をして、法事の用事を済ませてしまいます。

 

大河への道

大河への道 

 「シン・ウルトラマン」に続き、今回も映画「大河への道」の紹介です。落語家の立川志の輔さんが、千葉県香取市にある「伊能忠敬(いのう ただたか)記念館」を訪れて、伊能忠敬が製作した「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず 輿地というのは地球もしくは世界のことです)」を見て感動して作った創作落語「伊能忠敬物語 大河への道」を原作として製作された、コメディタッチの現代劇でもあり時代劇の映画です。

 生徒の皆さんもそうだと思いますが、私も「大日本沿海輿地全図」は伊能忠敬が製作したとばかり思っていました。しかし伊能忠敬は1818年に74歳で亡くなっており、地図の完成は伊能組の多くの人たちの努力により、その3年後の1921年になりました。伊能忠敬は村の名主を務めた後、隠居していましたが、50歳(その当時の平均寿命を超えている?)から測量や天体観測を学び、地図の製作を始めました。まさに福澤諭吉の言葉にあるような「一身にして二生を経る」という人生です。この地図は現在の宇宙からの人工衛星写真と比べても、ほとんど一致するほどの正確さです。幕末に開国後の1861年にイギリス海軍が、日本沿岸の測量を強行しようとした際、伊能忠敬の地図を見て、その優秀さに驚いて測量を中止したという程の出来映えでした。

 さて、映画の方は中井貴一、松山ケンイチ、北川景子その他の俳優達が、令和の今の時代と、江戸時代に伊能忠敬が亡くなってから地図を完成する時代との一人二役で物語が進みます。笑いあり、涙ありの素晴らしい作品になっています。チョイ役(と言うと怒られそうですが)で出てくる俳優さん達も、素晴らしい活躍でした。いやー、映画って本当に絵画のようで、大河ドラマになるような名画が多いですね。