校長室より

播但線

播但線

 生徒の皆さんは、どのようにして香寺高校に通学していますか。多分徒歩、自転車、JR播但線利用のどれかだと思います。今回は播但線について考えてみましょう。

 まず播但線という名前ですが、これは旧の国名で、播磨の国と但馬の国をつなぐ線路ということで、播但線という名前になりました。もともとは、生野銀山で取れる銀を、飾磨の港に運ぶために1878年に「銀の馬車道」という馬車が走る道路ができました。その道路をもとにして、1895年に飾磨―生野間に播但鉄道という私鉄(当時はもちろん蒸気機関車)が走るようになりました。現在のJR播但線は姫路と和田山を結んでいますが、もとは生野と飾磨港を結んでいたのですね。

 皆さんもご存じの通り、線路の播但線は市川という川沿いを走っています。また国道312号線や、播但連絡有料道路も同じように並んでいるところがあります。これは大きな河川が流れている場所は、川の浸食作用にために平坦な地形が多く、線路や道路を通すためには適した土地になっているからです。兵庫県には他にも加古川沿いに線路の加古川線と県道18号線、揖保川水系の栗栖川沿いに線路の姫新線と国道179号線という例があります。播但線は、加古川線、姫新線とともに、単線のローカル線とはいえ、高校生の通学の足としてなくてはならない線路です。

 線路を保つためには、遠路はるばる遍路に行く人たちを、暖炉で温め、コンロで料理をしてもてなす必要があります。