校長室より
教養とは
教養とは
小泉信三(こいずみ しんぞう 1888~1966)は慶應義塾大学に学び、経済学者となり、後には塾長を勤めた人物です。1976年からは慶應義塾大学主催の全国高校生小論文コンテストに「小泉信三賞」があり、私が学年主任をしていた頃に、この賞を受賞した生徒が出た覚えがあります。小泉信三は多くの名言を残していますが、その一つがこれです。
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」
現代では「ファスト○○」がはやっているようです。ファストファッション、ファストフードは既に有名です。ファスト映画は、権利者に無断で映像や静止画を利用して字幕やナレーションをつけて作った、実際の映画よりも短い動画を指すとのことです。ファスト教養というのもあるそうです。教養とは、すぐに役に立たないが、身につけるためには時間がかかるけれども、長い目で見るとその人の人生を豊かにするものをいうはずです。ファスト教養とは自己矛盾のはずですが。
テレビニュースなどで活躍している池上彰(いけがみ あきら)さんの本職は、東京工業大学のリベラルアーツセンターの教授ですが、彼こそは「教養」「リベラルアーツ」の大切さを説いています。東京工業大学に入学してくる学生ですから、理科系バリバリの学生がほとんどです。その学生に向かって「教養」「リベラルアーツ」を学ばせる訳ですから、かなりの困難が予想されます。その池上彰さんも、小泉信三の名言「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」を取り上げています。逆に言うと「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずっと役に立つ」ということです。
教養は、強要して身につくものではありません。今日用があることが大切です。
琵琶湖疎水
琵琶湖疎水
先日、京都の蹴上(けあげ)にある琵琶湖疎水記念館を訪れる機会がありました。
まず琵琶湖疎水についてですが、明治時代に琵琶湖の水を京都市へ流すために作られた水路です。明治維新の際、京都から東京へ都を移すことになり(東京奠都(とうきょう てんと))、それに伴って京都では人口の減少と、産業の衰退が見られるようになりました。このため第3代京都府知事の北垣国道(きたがき くにみち この人は兵庫県養父市出身)が灌漑(かんがい)、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疎水を計画しました。そして主任技術者として、工部大学校(のちの東京大学工学部)を卒業したばかりの当時21歳の田邊朔郎(たなべ さくろう)を起用しました。北垣知事に田邊を推薦したのは、当時工部大学校学長であった大鳥圭介(おおとり けいすけ)で彼は兵庫県上郡町の出身です。後に田邊は、北垣知事の娘と結婚することになります。また、欧米の測量術を学んで実績を積んでいた島田道生(しまだ どうせい 当時33歳)が精密な測量図を作成しました。琵琶湖疎水記念館には、この測量図が展示されています。
現在の第一疎水は1885年に着工し、1890年に完成しましたが、特に難工事だったのは2436mに及ぶ第一トンネルでした。当時の事ですから、ダイナマイトと人力で掘り進めました。工期を短縮するために、両側からだけではなく、竪坑(たてこう シャフト)を利用して真ん中からも掘り進めました。工事費は125万円で、これは京都府の年間予算の約2倍に相当します。
この疎水の完成により、灌漑や上水道、琵琶湖から大阪までの水運業、水車を使っての発電事業と、数多くの産業が生まれることになり、現在でも利用されています。蹴上周辺には、記念館以外にもたくさんの遺産があります。
・北垣国道と田邊朔郎の銅像 これはあっても不思議はありません。後に田邊朔郎は東京帝国大学教授を勤めることになります。
・疎水工事殉職者弔魂碑・殉職者の碑 弔魂碑には工事による殉職者17名の氏名が刻まれています。
・蹴上インクライン 水面の落差が大きくて、普通に船が運航できないとき、インクラインといって、ケーブルカーのように台車に船を乗せて、ワイヤーで引っ張り上げる(下げる)もので、レールの跡と台車が現在も残っています。
・ねじりまんぽ 「まんぽ」というのはトンネルのことで、蹴上インクラインの下を横断するトンネルです。強度を上げるために、らせん状にレンガが積まれていて、渦を巻いているように見えます。
・扁額(へんがく) 疎水のトンネルなどに設置されている先人たちの揮毫(きごう)です。その人たちは、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、松方正義、そして北垣国道と田邊朔郎など、当時の偉人ばかりです。
もっと時間があれば詳しく見たいものがありましたが、駆け足での訪問でした。琵琶湖疎水は今でも治水や保水のために、安い麻酔の代わりに薄い汚水は運んでいません。
賢い不服従
賢い不服従
今回は「盲導犬」の話です。視覚に障がいがある方々に対して、盲導犬が役立つことがあります。この盲導犬は、どんな犬でもできるものではなく、長い期間の訓練が必要ですし、ユーザー(障がい者)の方との相性もあるようです。盲導犬は、ユーザーの命令に従って行動するようにしつけられています。そんな中「賢い(「利口な」という場合もある)不服従」というものがあります。これはユーザーの安全を守るために、あえてその命令に逆らう事です。賢い不服従ができることは盲導犬がその役割をうまく果たすために重要な能力の一つであるため、この訓練は重要な訓練の一つです。
例えば、ユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、その方向の地面に深い溝があってユーザーが転落するなどの危険が考えられる場合は、盲導犬はその命令を拒否します。また同じようにユーザーがある方向に進みたいと思い、そのような命令を盲導犬に出したとき、盲導犬自身は何の問題もなくその場所を通れたとしても、比較的低い位置に木の枝などがあって、ユーザーが頭をぶつける可能性がある場合は、やはり盲導犬はその命令を拒否します。
さて、賢い不服従は盲導犬だけに当てはまることでしょうか。例えば「良心的兵役拒否」というものがあります。アメリカの南北戦争の時、あるキリスト教のグループが良心的兵役拒否を行ったことがあります。第二次世界大戦の時も、アメリカでは6000人ほどの人が兵役拒否しています。ドイツでは1999年に17万四千人の若者が兵役を拒否して、市民的奉仕活動に従事しています。そういうシステムが認められている訳です。第二次世界大戦の時、日本では可能だったでしょうか。また兵役に限らず、このような例は絶対にないと言えるでしょうか。
作家の落合恵子さんは次のように書いておられました。「何かを強制されそうになったとき、私たちも自分の頭で考えて『賢い不服従』を貫くことを学びたい」不服従は、服従しないという意味で、復習をしないという意味ではありません。学習には復習が大切です。
アフラシア
アフラシア
「アフラシア」聞いたことがない言葉ですね。これはアフリカとアジアの両方の地域を足して、アフラシアと呼ぶことにしたそうです。アフラシアという言葉を最初に用いたのは、歴史家のアーノルド・トインビーのようですが、実際に「アフラシア」というタイトルの書物を出したのは、2013年ケニアの平和研究家であるアリ・マズルイでした。
なぜアフラシアという地域を考えるのかというと、21世紀の終わりである2100年には、アフリカとアジアの人口が世界の人口の8割を占めることが予測されているからです。国際連合経済社会局人口部の人口予測(中位推計)によると、2001年には世界の人口は62.2億人だったものが、2100年には111.8億人になり、そのうちアジアの人口が47.8億人、アフリカの人口が44.7億人になるようです。
アジアではもちろん中国とインドの人口の多さが突出していますが、何年かのうちに、中国よりインドの人口の方が多くなることは確実視されています。同様にアフリカではナイジェリア、コンゴ、タンザニア等の人口が高い割合で増加する予測です。未来を予測するのは難しいわけですが、人口の変化の予測はかなり精度が高くなります。人口の変化を左右する変数は三つに限られるからです。出生率、死亡率、移民の数の三つです。
世界は長く欧米中心に動いてきた歴史がありますが、特に15歳から64歳までの「生産人口年齢」の大小は、その国のGDPと密接な相関関係があると言われています。これからの世界を動かしていくのは、欧米ではなく、アフラシアになっていくのではないかと考えられています。もちろん、この話は予測のレベルですし、他にも食料や宗教、国家間の関係等、数多くの要素がありますから、一概に必ずそうなるかどうかは分かりません。しかし、人間が連帯して平和で、美しい地球を守っていくために、知恵を出し合うことが必要であることには間違いがないと思います。人間が知恵を出し合い、前を向いて声を上げ、笛を吹いて杖を使えば、見栄を張ることができます。
実るほど
実るほど
春に植えた稲が、秋になり、収穫の時期を迎えています。毎年この時期になると「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざを思い出します。有名なことわざなので、皆さんよくご存じだと思います。この「よく知っている」というのは、結構落とし穴になることが多いものです。
このことわざの意味は「稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢である」というものです。
「立派な人ほど謙虚な姿勢である」「虚勢を張って威張るだけの人は、人格者とはほど遠い」
なるほどその通りなのでしょうが、このことわざを「若いときから謙虚が大切」と読んでしまうとどうでしょうか。ある程度の年齢を重ね、それなりの成功をしている人たちはほとんど皆さん、謙虚な方ばかりです。しかし、若いうちから謙虚であったか、というと、決してそんなことはなかったようです。謙虚の反対は傲慢(ごうまん)ですが、ほとんどの人はその傲慢な生き方をしていたのではないでしょうか。しかし、その傲慢さによって、手痛い失敗や、ひどい経験をしてしまいます。その経験からいろいろと学んでいくうちに、だんだん望む結果を手に入れられるようになり、現在の成功をつかんだのだと思います。ですから、若いうちから頭を垂れて謙虚になど生きていく必要はなく、むしろ傲慢なくらい頭を上げて生きていった方が、将来的には立派な実りを得られるのではないかと思います。
またもう一つ「稲穂は、自らの意思を持って頭を下げているのではない」ということです。つまり自分が意識して謙虚になっているのではなく、ごく自然に当たり前に謙虚な生き方になっているということです。「謙虚にする」のではなく、「謙虚になる」ということです。皆さん、どうでしょうか。私も「謙虚になる」ように、新居に転居して、根拠を持って選挙に投票して免許を得たいと思います。
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サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
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