校長室より
ボナエ・リテラエ
ボナエ・リテラエ
私も初めて聞く言葉でした。ラテン語のようですが、直訳すると「良い書物たち」ですが、もう少し背景を広くとると「優れた・洗練された・品格のある」「文書・手紙・文芸・文学・教養・学問」という意味になります。「よい本を読めば、よい人間になる」かというと、そうでもないのが現実ですが、そう信じられていた時代もあったようです。
「ボナエ・リテラエ」という言葉をよく使ったのはエラスムス(1466~1536)です。ネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる)出身の人文主義者、神学者、哲学者で「痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん 愚神礼讃ともいう)」で、カトリック聖職者の腐敗を批判しました。彼が言う「ボナエ・リテラエ」は、キケロ、プルタルコス等の古典的書物や、キリスト教的な徳を建て、信仰の奥義を探ろうとするものが含まれていました。
また次に「ボナエ・リテラエ」の概念が登場するのは、17世紀のアメリカ、ニューイングランドです。ハーバード大学の初期カリキュラムは、中世以来の人文主義的な古典教育でできあがっていました。「リベラルアーツ」と「ボナエ・リテラエ」の2本立てです。古典的な人文主義教育の柱は、ギリシャ語やラテン語の学習で、それこそがプロテスタント聖職者の職業訓練にぴったりのものでした。多くのピューリタンがアメリカ渡航前に卒業したケンブリッジ大学、オックスフォード大学のカリキュラムと同じものです。
現在の日本の大学教育はどうでしょうか。すぐに役に立ちそうな教育ばかりがなされているような気がします。すぐに役に立ちそうなものは、すぐに役に立たなくなるものですから、いかがなものかと思います。良い書物を読んで、きゃもつ列車で、にゅもつを運びましょう。
スラムダンク
スラムダンク
劇場版アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」が公開されています。バスケットボールに携わる人間にとって、スラムダンクは避けて通ることができません。井上雄彦(いのうえ たけひこ)さんによって1990年から少年ジャンプで連載が始まり、その後テレビアニメが放送されました。スラムダンクを見て、バスケットボール部に入った中高生の数は、どれくらいになるのか見当もつきません。それくらい一世を風靡しました。
映画の内容はネタバレになるので、詳しくは書けません。ただし、スラムダンクをよく知っている人にも、今回初めて見る人にも対応した中身だと思いました。画面の迫力は素晴らしいものがありますし、バスケットボールに対する愛情が感じられる作品に仕上がっています。安西先生の名台詞も健在です。
一番気になるのが「ファースト」の意味です。セカンドやサードができるのか、という疑問です。できなくはなさそうですが、実際に作るのは大変そうです。今回も特に昔からの熱烈なファンに取っては「物足りない」という感想もあるようです。今後のお楽しみということでしょうか。
ダンクシュートを決めるためには、画家のムンクがミンクのコートを着て、インクでリンクを張ることが必要です。
ロシア語を学ぶ
ロシア語を学ぶ
今や世界中を敵に回している感があるロシアですが、歴史的にはロシア文学やロシア民謡には偉大な作品が数多くあります。また普通のロシアの人たちは、ある意味犠牲者と言えるかもしれません。ロシアの吟遊詩人「ブラート・オクジャワ」の「祈り」という歌があります。
神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ
賢い者には 頭を 臆病者には 馬を
幸せな者には お金を そして私のことも お忘れなく・・・
この歌の解釈は多様で、例えば「賢い者には頭」というのは、賢さとは心で悟るものだから頭脳とは別物だということを、「幸せな者にはお金」が必要なのは、幸福か否かはお金の問題ではないことをそれぞれ暗示しているという説があります。また、そうではなく全体として一般常識的な固定観念に対する皮肉であるという説もあります。そしてまた、それらの解釈とはまた別の層にある要素として、この詩には言語への希求のようなものがあるという説もあります。賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことにもなります。新しい語学を学ぶということは、新しい発見があるものです。
この歌を紹介してくれたのは「奈倉有理(なくら ゆり)」さんですが、彼女は1982年生まれで、2002年にペテルブルグに留学し、2008年に日本人としては初めてロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業し、多くのロシア文学の翻訳書を出版し、ロシアの動向について発言をしています。ちなみに「ゆり」という名前は日本では主として女性の名前でしょうが、ロシアでは「ユーリー」は男性の名前だそうです。彼女の著書である「夕暮れに夜明けの歌を」では、彼女がロシア語に魅せられて、語学を学ぶ中での学生や先生、近所に住むロシアの人たちとのやりとりやエピソードを記したエッセイです。一人の日本人と普通のロシア人たちは、生活して交流して当たり前のように友情を築き上げていきます。当たり前の日常が、早く戻ってくることを願わざるを得ません。当たり前だのクラッカー(若い人には分からない?)。
予想と期待
予想と期待
何回目かのラジオネタです。本来は歌手の「GACKT」さんですが、格付け番組等で有名になったり、病気で療養したりしています。彼は人を前向きにするような言葉を多く発言しています。
「予想を裏切る 期待には応える」
彼がライブを行うときは、観客が予想しているようなステージや、楽曲の構成を裏切るようにしているそうです。しかし結果として観客には感動を与え、大満足で帰宅の途につくように、期待には応えることを心がけているそうです。
この言葉は、もちろんショービジネスには欠かせない視点だと思いますが、他の分野にも当てはまることが多いと思います。「○○という会社が、新製品の××を開発した」「○○先生の授業は、斬新な切り口で、勉強になる」「○○課長は、課員の背中を押すような業務の取り上げ方をしてくれる」「○○という作家の小説は、次々と新しい世界を見せてくれる」これまでに社会現象にまでなった製品、例えば「ウォークマン」や「ファミリーコンピューター」「iPhone」等は、予想を裏切り、期待に応えたものだったと思います。
私も「木村校長の始業式・終業式での話は、毎回予想を裏切るが、期待には応えてくれる。最後のギャグだけはすべりまくりだが」と言われるように心がけています。期待に応えるためには、機体に気体を詰めて、帰隊しなければなりません。
山紫水明
山紫水明
山紫水明(さんしすいめい)という言葉は「日に映じて、山は紫に、澄んだ水は清くはっきりと見えること。山水の景色の清らかで美しいこと」という意味で、風光明媚(ふうこうめいび)な景色を表すものです。しかし普通、山は春から夏にかけては緑色だし、秋からは紅葉で黄色か赤色のはずです。山が紫色とはどういうことでしょう。
四字熟語の漢字ですから、語源は中国の歴史書からのものと思いがちですが、実はこの言葉は日本の江戸時代後期に、平安時代から江戸時代までの歴史書「日本外史」を書いたことで有名な「頼山陽(らい さんよう 1781~1832)」が作った言葉です。頼山陽は京都鴨川の西岸に「水西荘(すいせいそう)」と名付けた居を構え、敷地内の書斎に「山紫水明処」という号をつけました。夕方に水西荘から東側を見ると、日が傾いて東山の山肌はすでに紫色にかげっているが、鴨川の川面は夕日の照り返しでまだ明るい。昼から夜に移り変わる夕暮れの短い間にだけ見られる、はかなくも美しい特別な景色を山紫水明と名付けたのです。後の人々は、時間を限定せずにただ美しい山水の景色を山紫水明と呼ぶようになっていった訳です。
このように江戸時代には、まだまだ漢文の文化が主流でした。揖斐高(いび たかし)さんが書いた岩波新書の「江戸漢詩の情景」には、山紫水明以外にも多くの江戸時代の日本における漢詩が紹介されています。当時の学問といえば「儒学」とりわけ「朱子学」ですから、漢字ばかりです。漢字を知らないと、いい感じの幹事にはなれません。
学校紹介・美術工芸部紹介
サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
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