校長室より

校長室より

世阿弥 最後の花

世阿弥 最後の花 

 室町時代の有名な猿楽師である世阿弥です。観世流の能として現代にも受け継がれていますし、著書である「風姿花伝」は能の理論書としても、また芸道書とも読め、昔から多数の読者を獲得してきました。

 三代将軍の足利義満に気に入られ、名声を得ますが、六代将軍足利義教からは弾圧を受け、罪のないまま72歳にして佐渡島へ流刑されてしまいます。世阿弥の佐渡での様子を著した小説が藤沢周さんによる「世阿弥 最後の花」です。

 実は世阿弥についてはよく分かっていないことが多くあり、佐渡へ流されたのは間違いないようですが、その後許されて京に戻ったという説と、佐渡で生涯を閉じたという説があります。

 藤沢周さんは、史実を踏まえながらも、佐渡で出会う魅力的な人間を多数配置し、老いた世阿弥が「最後の花」を咲かせる舞台を創造していきます。この小説を書くにあたり、彼自身も観世梅若流(かんぜうめわかりゅう)の謡(うたい)と仕舞(しまい)を稽古するようになり、文章に説得力が増すことになります。昔から罪人が流されてきた佐渡島ですが、その地にあって、世阿弥が亡き父親や息子を思い、ほぼ命がけで雨乞立願能(あまごいりつがんのう)を舞い、佐渡の仲間たちと「西行桜」を完成させる。私も読みながら佐渡島で能舞台を見ているような気分になりました。

 能は、Noと言わずに、Know(知っておく)べきものですね。

 

 

老化は進化

老化は進化 

 「老化」は「進化」です。すごいフレーズですが、小泉今日子さんの発言です。小泉今日子といえば、1982年にデビューした「アイドル」で、この年は堀ちえみ、三田寛子、石川秀美、松本伊代、早見優、中森明菜、シブがき隊と「花の82年組」がデビューした、キラキラの年です。KYON2(キョンキョン)の愛称でも知られますが、彼女も芸能活動40周年を迎え、56歳になりました。

 「老化は進化です。40代ぐらいからちょっとずつ自分の変化を・・・心も体も感じながら生きているんですけど。56歳になった今、感じるのは、自分が思っているより世界はずっと広くて、その広さが反比例みたいな感じで、年を重ねるごとに広くなっていくっていうイメージですね」

 「物はとらえようで、老眼になったりしたら『ここまでやっときた』『みんなが言っていたのはこれなんだ』みたいな。そういうのを楽しんでいる」

 「今度は老人のイメージとか価値観を変えていきたい。新しい価値観を何か見つけて、みんなに提示したかったりする。例えば、朝クラブに集まるとか、そういうのを考えるのが楽しい」

 当時の若者たちに大人気だったKYON2です。私が大学生の時に、学園祭にKYON2が歌いにやってくることが決まり、大騒ぎになって、大騒ぎになりすぎて、結局中止になったことを思い出します。「なんてったってアイドル」ですから、AドルやBドルではなくて、Iドルですね。

 

 

非家の人

非家の人 

 読書をしていると、それまで自分が知らなかった言葉を発見することがあります。私にとっては「非家(ひか)」という言葉もそうでした。この言葉は「専門家ではない、素人(しろうと)である」という意味だと知りましたが、この言葉の使用例として、兼好法師の「徒然草」第187段が挙げられていました。

 万(よろず)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛み(ゆるみ)なく慎しみて軽々しくせぬと、偏へ(ひとえ)に自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作のみにあらず、大方の振舞・心遣いも、愚かにして慎めるは、得の本なり。巧みにして欲しきままなるは、失の本なり。

 それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で上手な人と並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが自分の生きる道(天職)であると思い、その技芸・知識を慎んで訓練して軽々しく扱わないことと、素人が自由気ままに練習して上達を目指すことの違いである。

 芸能や儀礼の所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。技術が優れているからといって好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。

 「万の道の人」は「非家の人」に負けるはずがない。なるほど、プロゴルファーとアマチュアゴルファー、プロ将棋棋士とアマチュア将棋棋士、これは勝てそうにないですね。ではベテランの先生と初任の先生、ではどうでしょうか。ちょっと怪しい気持ちもしてしまいます。「愚かにして慎める」ことが大事です。非家の人に負けないように、イカをヌカ漬けして食べながら、丘を散歩して、坂を登り、墓参りをしましょう。

 

 

サイエンス コミュニケーション

サイエンス コミュニケーション 

 サイエンス コミュニケーション。あまり聞いたことがない言葉です。「科学に関する意思疎通」とも言うようですが、ますます良く分かりません。

 桝 太一(ます たいち)さんは、日本テレビのアナウンサーで、いろいろな報道番組の司会等をやっていましたが、2022年3月に退職して(これまで通り、いくつかのテレビ番組には出演している)同志社大学ハリス理化学研究所の専任研究所員に転出しました。その動機は「サイエンス コミュニケーションについてもっと深く考えて実践したいから」というものでした。

 桝さんは、東京大学農学部でアサリの研究を行い、修士課程を終了したバリバリの理系人間です。アナウンサーとして就職して、科学番組にも携わりましたが、テレビ局の持つ「サイエンスリテラシー」の欠如に違和感を持ったようです。

 京都大学iPS細胞研究所名誉所長の山中伸弥さんも、感染症については専門外としながらも、今回のコロナ渦について、多くの発言をしてきました。その上で、次のように述べています。「科学を進歩させることも大切ですが、難しく感じる科学を一般の方にわかりやすく、かつできるだけ正確に伝える科学コミュニケーションも非常に重要です。それも研究者にとって大事な仕事の一つだと私は考えています」

 「社会の役に立つ研究や学問をするべきだ」という意見もあります。しかし例えばプロのスポーツ競技について「社会の役に立つプロのスポーツ競技をすべきだ」という意見は聞いたことがありません。サッカーでも野球でも好きな人は純粋に好きだから、面白い・感動する・成長できるから競技をしたり、応援をしたりするわけで、そういった意味で、科学も文化の一つとして広まって欲しいと思います。

 手前味噌ですが、香寺高等学校美術工芸部の皆さんと、私による「理科の散歩道」も、科学の普及に少しでも貢献できたらなと思っています。科学や医学は、苦学しながら、長く、磨くことが望まれます。

 

新しい資本主義

新しい資本主義 

 どこかの国の総理大臣が「新しい資本主義」などと言っています。資本主義をどのようにとらえるかは難しいと思いますが、「大量生産、大量消費」「貧富の格差の拡大」「環境に優しくない」等、問題点はたくさんあるように思います。だからといって、資本主義に代わる夢のようなシステムがあるかと言われると、これもまた難しいのが現実です。

 ヤニス・バルファキスという人が書いた、原題「ANOTHER NOW(日本語では「もう一つの現在」くらいが適切)」という本の日本語訳が「クソッたれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」というかなりぶっ飛んだタイトルで出版されました。著者のヤニス・バルファキスという人は、ギリシャ出身で経済学の学者ですが、2015年ギリシャが全国的な経済危機に陥ったときに、チプラス政権の財務大臣に就任し、財政緊縮策(国の予算を小さくする策で、良い面もなくはないが、庶民は困ることが多い)を迫るEUに対して大幅な債務減免(国の借金を、なかったことにしてくれという無茶な話)を主張し、注目を集めた人物です。

 この本の内容を紹介するのは至難の業なのですが、やってみましょう。一言で言えばSFです。現在の資本主義の世界と、それを劇的に改善してできた架空の世界を比較し、個性的な登場人物5人に自由に語らせたという形式です。1980年代、イギリスのサッチャー首相が「There is No Alternative」「(資本主義、市場主義のほかに)選択肢はない」の頭文字を取って「TINA(ティナ)」と言ったのに反対して「That Astonishingly There is An Alternative」「驚くことに選択肢は存在する」の頭文字を取って「TATIANA(タティアナ)」を主張しました。一つの想像上の理想的な社会を考案するのですが、その実現のためには名もなき庶民1人1人の努力と貢献と行動が欠かせないと書かれています。この架空の世界では、商業銀行、株式市場、上司と部下の関係、その他「当然のように存在すると思われるもの」が全く存在しません。まさにSFなのですが、私は絵空事だと笑い飛ばす気にはなれませんでした。

 資本主義の代わりはないことはない。日本にも手本となる見本を作り、絵本になるような基本を大切にしましょう。