校長室より

校長室より

湯道

湯道

 茶道や華道があるように、お風呂の入り方について「湯道」を提案したのは、小山薫堂さんです。薫堂さんは元々は放送作家として「料理の鉄人」をはじめ、数多くのテレビ番組を担当してきましたが、熊本県の出身でもあり、人気キャラクターの「くまモン」を生み出した人でもあります。2008年には映画「おくりびと」の脚本も手掛け、今回は映画「湯道」の企画・脚本を手がけました。

 「まるきん温泉」という銭湯を中心にした物語ですが、生田斗真、濱田岳、橋本環奈の3人が主役級です。その他、結構有名な俳優さんたちが少しずつの場面で、強力に個性を発揮しています。私の好きなオヤジギャグも満載です。日曜日の15時からFMで放送されている「日本郵便SUNDAY‘S POST」という番組に、小山薫堂さんとアナウンサーの宇賀なつみさんが出演されていますが、この番組で映画「湯道」の出演者が宣伝のためにゲストに来ていました。2月19日は小日向文世さん、26日は厚切りジェイソンさんでした。

 小日向さんは定年退職を迎える郵便配達員の役で、全体の狂言回しを行います。ラストシーンでは、素晴らしいセリフが与えられていました。ラジオでも、そのセリフが一番良かったと話していました。厚切りジェイソンさんは、日本の女性を奥さんに迎えるため、その女性の父親と仲良くなるために、一緒にまるきん温泉に行きます。ところが、びっくりするようなありえない行動をとってしまいます。「それは実際にはないやろ」と思いましたが、ラジオを聞くと、薫堂さんは「この話はフランスで聞いた実話です」と言われていました。ネタバレを避けるため、こんな表現になりましたが、他にも見どころ満載です。劇中歌もシャレが効いてて、素晴らしい。是非一度鑑賞してみてください。お風呂に入って、湯道を極めて、湯豆腐を食べましょう。

 

高級語彙

高級語彙

 言語学者の鈴木孝夫さんによると、「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」としました。そして日本語に対して、英語の高級語彙は門外漢にはなかなか理解できないと言います。

 例えばagoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)という神経症の病名があります。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気の事です。この語はagora(アゴラ)という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ語由来のphobia(フォビア)という「恐怖症」を意味する接尾語が組み合わさってできたものです。専門家でない人がそうした古典語の知識や教養抜きにパッとagoraphobiaを示されてもまったく意味が取れません。しかし日本語ならば「広場恐怖症」という字面を見ただけで、大体の意味内容を推測することができます。

 鈴木孝夫さんはこのように述べています。「なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組み合わせで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである」

 なるほど、その通りなのかもしれません。ヨーロッパでは、大学で一般教養としてラテン語が必修科目だと聞いたことがあります。ただ日本でも漢字を見て、その意味が大体わかるというのは、ある程度の教養が必要になってきているように感じます。日本の小学校でも英語の学習が必修になりましたが、漢字の学習も疎かにしてはいけない気がします。漢字をしっかり学ばないと、園児が返事をせずに、臨時の惨事や珍事が起こり、民事の判事が汝に代わって、点字で印字してしまうかもしれません。

 

薫陶と陶冶

薫陶と陶冶

 薫陶(くんとう)を受ける、薫陶よろしきを得る、という言葉があります。薫陶という言葉はもともと「香を焚きしめて、粘土を焼き陶器を作ること」ということから、自分の徳で人を感化すること。すぐれた人格で教え育てあげること。という意味です。

 芥川龍之介の「手巾(ハンケチ)」という作品に「何故と云えば、先生の薫陶を受けている学生の中には、イプセンとか、ストリントベルクとか、乃至(ないし)メエテルリンクとかの評論を書く学生が、いるばかりではなく・・・」という文章があります。先輩や先生から良い影響を受けて、自分が成長するときに用いられます。

 もう一つ陶冶(とうや)という言葉もあります。これももともと「陶器や鋳物をつくる」という語でしたが、「人の生まれ持った資質や才能を円満完全に発達させること。人材を養成すること」という意味で使われます。「人格を陶冶する」「情操陶冶の教育を行う」という風に用いられます。少し難しい言葉たちですが、語源を知ると、また使いたくなりますね。

 このように、人格形成、人材育成はしばしば作陶(さくとう)、陶器をつくることに喩(たと)えられます。良い陶磁器を焼くためには、材料の粘土や釉薬、そして窯の温度や時間等、多くの手間がかかることから、このような表現が生まれたのだと思います。陶器を焼くためには、早期に冬季に勇気を持って、納期に間に合うように、早期に放棄してはいけません。

 

3.5パーセント・ルール

3.5パーセント・ルール

 アメリカのハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院教授のエリカ・チェノウスさんが書いた「市民的抵抗 非暴力が社会を変える」を読み終わり、社会を見る目が少し変わりました。

 この本は、人々は政治的な暴力―テロ、宗派間暴力、内戦、反乱―を追求することがあるが、これは革命を起こすためには暴力を用いる方がうまくいくからだ、という思いこみがあるからである、というふうに始まります。しかし著者は社会を変革するためには暴力を用いるのではなく、非暴力の市民的抵抗の方が効果が高いことを実証していきます。その例として、1945年から2014年までの間に、世界中で実施された政府機関等に対する389回の市民的抵抗運動を題材に取り上げています。そして運動の観察可能な出来事の絶頂期に、全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説を唱えます。389回の市民的抵抗運動のうち、3.5パーセントのハードルを越えたのは、たった18回しかありません。しかしその18回のうち、明らかに失敗した例は2回だけで、あとの16回はいずれも体制を変革することに成功しています。

 この非暴力の市民的抵抗が成功するためには、大規模な参加、忠誠心のシフト、戦術的イノベーション、抑圧に直面した時に持ちこたえる力、の4つの特徴が必要です。現在でも、軍事力を背景にした独裁者が政権運営を行っている国家が見受けられます。民主的で、人間と環境に優しい国づくりが望まれるところです。革命を起こすためには、悪名を高くして、匿名のふりをして、克明に復命をすることが必要です。

 

 

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

 ウィリアム・シェイクスピアはイングランドで1564年に生まれ、1616年に亡くなりましたから、16世紀末から17世紀に活躍した劇作家です。四大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など、数多くの傑作を残し、現在でもその戯曲は上演されています。当時のロンドンでは多くの演劇が上演されていましたが、シェイクスピア以外の作品は、今ではほとんど上演されません。なぜでしょうか。

 この疑問に答えているのが、劇作家、演出家で、兵庫県立・芸術文化観光専門職大学の学長である、平田オリザさんが書いた朝日新書の「名著入門 日本近代文学50選」です。この本によると、シェイクスピアの時代は、身分が固定され、自由な恋愛ができない封建社会からイギリスでは、エリザベス朝ルネッサンスと呼ばれる時代への過渡期である。ルネッサンス以降、人々は自らの努力によって、恋愛や冨や権力を獲得できるようになった。いや、なったというのは正確ではない。その可能性が生まれた。シェイクスピア劇は近代の黎明の時代に書かれた。人々は「もしかしたら、俺達って、とっても自由なんじゃない?」と考え始めた。新しい文学、新しい芸術は、こうした新しい秩序とともに生まれる。あるいは新しい秩序の完成途上に、その矛盾と向き合う形で生まれていく。その意味でシェイクスピアの戯曲は、新しさを失わない。このような内容です。

 またこの本の主題は、明治以降の日本の近代文学の歴史なのですが、明治、大正、昭和と時代が進む中で、やはり戦争の影響はとても大きいものがあったと書かれています。早く戦争のない世界を作らないと、運送や演奏ができないし、真相や人相もわからないし、連想や論争ができるように、奔走したいと思います。