校長室より

校長室より

紙芝居・イン・フランス

紙芝居・イン・フランス

 小さい頃に、紙芝居を見たことのある人は多いと思います。保育園や幼稚園、小学校で、あるいは街中でお菓子を買うと、おじさんが紙芝居をやってくれていました。

 そんな紙芝居ですが、発祥の地は日本ということです。その紙芝居をフランスで広めた人がいます。紙芝居作家の「つのゆいこ」さんです。もともと絵を描くことが好きで、美術大学に進学したつのさんですが、舞台美術や演劇にも興味があり、それなら両方ができる紙芝居をやってみようと思い立ったそうです。つのさんは父親の仕事の関係で、0~3歳までの幼少期をフランスで過ごしたということで、子供向けの紙芝居をフランスでやってみたいと思い、行ってきたということです。

 現地では大好評で、2018年にはフランスのラルースフランス語辞典にKamishibai(紙芝居)という言葉が掲載されたほどです。フランスでは紙芝居を通して友人もでき、紙芝居の舞台を作ってくれた人もいたそうです。もちろんフランスではフランス語で紙芝居を行いますが、現在つのさんは日本に帰ってきていて、日本でも紙芝居の普及に取り組んでいます。代表作は「めんどりさんときつねさん」。絵と、つのさんの語りによって、素晴らしい作品に仕上がっています。子供はもちろん、大人にも十分鑑賞に耐える作品です。ユーチューブでも見ることができるので、是非一度見てみてください。

 紙芝居には、ケバい姉ちゃんは出てきませんが、ヤバい話をかばい、ネバい結果が得られるかもしれません。

 

ぼくの職業は寺山修司です

ぼくの職業は寺山修司です

 歌人・劇作家・その他多くの肩書を持っていた寺山修司さんが、あなたの職業は何ですか、と尋ねられたときの答えは「ぼくの職業は寺山修司です」というものでした。

 ある人の中学校の同窓会があり、当時の先生が91歳になっていましたが、担任をした生徒全員の名前を暗唱されたそうです。年をとっても、自分の職業についての記憶が染みついているということです。日本語の職業は、英語ではオキュペーションに当たりますが、もう一つ、コーリングという語があります。(それをするべく)呼ばれている、召喚されているという意味です。自分がここに居ることの意味を問うと、「居る」を「要る」と考えることになります。ただ居るのではなくて、必要とされて要るということです。

 そして、人の生涯は私が生まれることで始まり、死ぬことで終わるのではなく、同時に、何かを受け継ぎ、また引き継がれるものとしてもあるということです。それを全うできたと思えた時にはじめて人は、寺山修司さんの言葉「ぼくの職業は寺山修司です」を、その人なりに口にしうるのでしょう。

 以上の文章は、哲学者の鷲田清一さんが書かれたものを、私が勝手に要約しました。大袈裟ですが、職業を「使命(ミッション)」と捉えられるかもしれません。生涯は受け継ぎ引き継ぐものという視点には、はっとさせられました。使命を果たし、汚名をそそぎ、悲鳴をあげて、記名をして、未明に呼名をしましょう。

 

森林の再生

森林の再生

 日本は国土の面積のうち、森林が67%を占めている森林王国です。しかし、林業は必ずしもうまくいっていないようです。なぜでしょうか。

 日本は第二次世界大戦によって多くの家屋が失われ、戦後その再建のために、多くの木材を必要としました。たくさんの木を切ってしまったため、洪水や土砂崩れなどの自然災害が頻発したため、1964年に木材の輸入を自由化しました。そのため安価で大量の外材が供給され、国産材の自給率が下がってしまいました。林業が他の産業と大きく異なるのは、生産に長期間を要することで、少なくとも30年、長ければ100年かかります。また、それだけの期間をかけて育てた木を伐採した後、次の木を植えていかなければ森林はダメになってしまいます。

 現在は地球温暖化が進んでいると言われています。木材の用途としては「用材(原木を製材や合板類、チップにするもの)」と「燃材(薪や炭、ペレットなどの燃料)」がありますが、石炭、石油などの化石燃料の代わりに木材を用いたり、間伐材を用いたバイオマス発電に利用する等、温暖化をこれ以上進めないために木材が使用できそうです。また、地球上の炭素のかなりの部分が森林に蓄えられていて、光合成による空気中の二酸化炭素の取り込みも期待できます。長く森林の問題に取り組んできた、吉川賢さんが書かれた「森林に何が起きているのか」という中公新書には、世界の森林の現在の状況と、今後の展望が記されています。「世界中の森林が持続的に利用されて、地球環境の保全に欠かせない役割を果たしてくれることを望む」と結ばれています。

 森林を活用すると、近隣の山林の年輪が増えて、世界に君臨することができます。

 

モチベーション

モチベーション

 生徒の皆さんは、モチベーションを高くもって、勉強や部活動に頑張っていますか。モチベーションを高く保つには、どうしたらよいのでしょうか。

 昭和の時代の運動部は、体罰(今はダメです)当たり前(でもないですが)、先生に怒られるから頑張る、先生に怒られないように手を抜く、などということがよくありました。モチベーションは、自分自身から出てくることがあまりなかったのかもしれません。

 モチベーション論には有名な「3人のレンガ職人」という比喩があります。

・レンガを積む作業を、単なる義務だと思うAさん

・レンガで壁を作れば、ご褒美がもらえると思うBさん

・レンガの壁の教会ができれば、みんなが幸せになると思うCさん

この3人の中で最もモチベーションが高いのは誰でしょうか。

 また、運動が脳に効くメカニズムについて、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏の著書「運動脳」では、運動をすることで脳細胞間のつながりを強化し、細胞の生存や成長を促し、老化を遅らせることができるそうです。私のようなおじさんが、運動に対するモチベーションも同様です。

・運動しなければならない、という義務感のAさん

・運動で得られる健康というご褒美を目指すBさん

・運動の先にある大会出場などの体験を楽しむCさん

 Aさんは、長続きしそうにありません。Bさんは少しましでしょう。Cさんはモチベーション高く継続できそうです。感動が大きい人ほど人は行動しやすいようです。生徒の皆さんも、勉強や部活動の先にある感動を目指して、頑張ってみませんか。感動すると、神童と呼ばれた人も、剣道などの運動をして、面倒な問答をせずにすみます。

 

国際連盟

国際連盟

 国際連盟は1918年に第一次世界大戦が終了し、パリ講和会議の後、1920年に発足しました。提唱したのは当時アメリカの大統領だったウッドロウ・ウィルソンですが、よく知られているように、アメリカはモンロー主義によって議会で否決され、結局国際連盟には参加しませんでした。

 国際連盟の仕事としては、①戦争の防止 ②委任統治、少数民族の保護 ③社会・経済的な取り組み の3つがあげられました。このうち、結果としては第二次世界大戦が起こってしまいましたから、①戦争の防止 が達成できませんでした。ということで、現在では国際連盟の値打ち(?)はなかった、という感じになってしまっています。果たしてそれでよいのでしょうか。

 国際連盟の本部はスイスのジュネーブに置かれましたが、発足当時は人も物もお金もなく、文字通り手探りの立ち上がりだったようです。ゼロから1を作り出すことは大変です。当分の間はホテルの部屋を借りて、本部にしていたそうです。当時の国際連盟本部は、現在では国際連合ジュネーブ事務局として利用されています。②と③については、かなりの成果があったものもあります。そして第二次世界大戦終了後の国際連合の立ち上げについては、国際連盟でのノウハウがかなりの部分に生かされています。限界はありましたが、当時の多くの人々の苦労が積み重ねられた国際連盟でした。連盟のために、混迷の中で懸命に運命を感じて、鮮明に本命に任命されるように頑張りました。