校長室より

校長室より

24時間の使い方

24時間の使い方

 どんな人にも平等に与えられているものが、時間です。大変忙しい人も、ボーッと生きていてチコちゃんに叱られる人も、一日は等しく24時間しかありません。

 先日、香寺高等学校の女子バスケットボール部が太子高等学校と練習試合を行いました。顧問の鍋田先生は、とても熱心に指導をしていただいています。

「試合に出ている選手だけではなくて、ベンチに座っている選手達も、試合の中で学ぶことはあるのだから、ボーッと見ているだけではだめだ」その通りです。試合が終わった後に、私はこんな話をしました。

 「バスケットボール部の練習や試合の時間は、1時間とか2時間くらいしかありません。その短い時間に集中して練習を頑張ることは大事です。でももっと大事なのは、それ以外の時間の使い方です。夜はしっかり睡眠を取る。ちゃんとご飯を食べる。甘いジュース等を飲み過ぎない。生活のあらゆるところで時間を大切に使うことができれば、バスケットボールはもっとうまくなります」

 もちろんこの話は、バスケットボール部に限ったことではありません。どんな部活動にも当てはまりますし、勉強にも当てはまります。これから暑い夏休みに向かいます。生徒の皆さんは、しっかりした時間の過ごし方を心がけて下さい。時間の使い方を、オカンに任せてはあかんですし、土管に保管してもいけません。

 

 

小さな目標

小さな目標

 今やアメリカで最も有名な日本人は、メジャーリーグエンゼルスの大谷翔平選手でしょうか。30年前だと、多分オノ・ヨーコさん(元ビートルズのジョン・レノンの奥さん)だったと思います。

 大谷選手は岩手県の花巻東高校の出身ですが、3学年先輩に菊池雄星選手がいます。同じ高校から二人のメジャーリーガーを輩出したというのはすごいことです。湯川秀樹さんと朝永振一郎さんという、京都一中(現在の京都府立洛北中学校・高校)から二人のノーベル賞受賞者を出したのと同じくらいの値打ちがあると思います。

 大谷選手は高校1年生の頃、目標を立てています。曼荼羅(まんだら)チャートとして有名なので、見たことがある人もいるかもしれません。目標の真ん中には「ドラ1、8球団」とあります。日本のプロ野球で8球団からドラフト一位指名を受けると言うことです。その周りに下位の目標8個が書かれています。「体づくり」「メンタル」「人間性」「運」「変化球」「スピード160km/h」「キレ」「コントロール」。当時の彼の考え方では、「体づくり」と「運」は並列関係にあったということが見て取れます。そして、その8個の目標に対して、またそれぞれ下位の目標8個が書かれています。例えば「運」の項目では「あいさつ」「道具を大切に使う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」「審判さんへの態度」「部屋そうじ」「ゴミ拾い」とあります。

 一つの大きな目標を掲げ、それを実現するために小さな目標をいくつか立てて努力を続ける。誰もが大谷選手のようになれるわけではありませんが、その姿勢を見習うことはできるかもしれません。姿勢は良いのに越したことはありません。知性を磨き、個性を生かし、既成の概念を打ち壊し、野生の勘で余生を送りましょう。

 

明るく、自ら考え、へこたれない

明るく、自ら考え、へこたれない

 このフレーズは今から14年前に、私がそのとき勤務していた県立高校で、学年主任を務めたときのキャッチフレーズです。生徒の皆さんにも、学年の先生方にもこのフレーズを多用していました。

 「明るく」というのはそのままで、明るい挨拶、明るい返事、明るい対応、明るい学年集会等を含んでいます。思えば私の親父ギャグもこの頃から一層磨き(?)がかかったように思います。

 「自ら考え」というのは、親、先生や友人からの意見や考えをよく聞く必要はあるけれども、最後に取り入れるかどうかはその人の判断であり、何事も自分でよく考えてから行動するのが望ましいということです。そのためにも、多くの人と意見交換をしたり、読書をしたりして(スマホをいじるだけではない)、自分が考えられる材料を多く持つことが大切です。

 「へこたれない」というのは、やはり何事かを成し遂げようと頑張っても、失敗することの方が多いです。そのときに「自分はもうだめだ」と思うのか、「次はもう少し工夫してチャレンジしてみよう」と思うのかは決定的です。うまく行かないときに「へこたれない」、最近の流行の言葉で言うと「レジリエンス」でしょうか。竹のように、重みがかかってもしなる力で持ちこたえて、もとへ復元するという力です。

 そのときに高校生だった皆さんや、同僚の先生方は、跡形もなく忘れておられると思いますが、私はなぜか気に入っていて、覚えています。あれから14年たちましたが、改めて皆さんに紹介する「木村オリジナル」です。「オリジナル」という言葉は「独創的」「独自のもの」という意味で、ナショナルに、パーソナルに、プロフェッショナルに、インターナショナルなものではありません。

 

世界のおすもうさん

世界のおすもうさん

 相撲は皆さんの身近にありますか。日本の伝統ある格闘技、興行ではあるのですが、若い世代にとっては少しとっつきにくいですよね。特に最近の大相撲を見ていると、日本人力士よりモンゴル出身力士の方が活躍しているイメージがあります。

    大相撲の世界に外国出身力士が登場しはじめたのは、ハワイ出身の高見山からだと思います。以後曙や武蔵丸、小錦とハワイ出身力士が活躍しますが、これは第二次世界大戦以前から、日本からハワイに移民する人たちが増えて、相撲が普及していったという経緯があります。

    実は1992年から「世界相撲選手権」が始まっています。世界中からアマチュアの力士が集まり、日本の相撲のルールで戦うのです。2019年には大阪で第23回世界相撲選手権大会が世界31の国と地域から選手が集まり開催されました。2020年は当然のように新型コロナウイルスの影響で中止になったそうです。

 世界中には、相撲のようにいわゆる武器を手にせずに、肉体のぶつかり合いだけで勝敗を決する格闘技が数多く存在しています。沖縄相撲シマトゥイ、韓国のシルム、中国のシュアイジャオ、そして「モンゴル相撲」等です。大相撲にモンゴル出身力士が多いのも、「モンゴル相撲」の存在があるからです。

 「モンゴル相撲」正しくは「ブフ」といいます。ブフのルールは、日本の大相撲とはかなり異なります。まず土俵がありません。ですから寄り切りとか押し出しという決まり手はありません。勝負は両足の裏側以外の部分が地面についたら負けです。だからモンゴル出身力士は、外掛けやけたぐり等の足技や、投げ技が得意な人が多いわけです。

 おすもうさん達は、身体を大きくするのが仕事です。朝起きて、稽古をして、ちゃんこ(いわゆる「ちゃんこ鍋」以外でもおすもうさんの食事は「ちゃんこ」と言うらしい)をたくさん食べて、昼寝をする。また起きて、稽古をして、ちゃんこをたくさん食べて寝る。一日2食で、食べたら寝る。これが太るのに適しているようです。ちゃんこはおすもうさんが食べるもので、にゃんこのエサにはなりません。

Beatles

Beatles

 もちろん「カブトムシ」ではなくて、バンドとしての「ビートルズ」です。世界の音楽業界に燦然とした実績を残し、現在でも多くのアーティスト達からリスペクトされている伝説のバンドでした。

 イギリスのリバプールという港町で結成された「ジョン・レノン」「ポール・マッカートニー」「ジョージ・ハリスン」「リンゴ・スター」の4人組ですが、ジョンは1980年にニューヨークで撃たれて、ジョージは2001年に亡くなっており、ポールとリンゴも80歳くらいになっています。

 1960年にThe Beatlesという名前になり、1962年に「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビュー(CDでも、配信でもない)し、1970年には解散しましたから、実質8年間ほどの活動でしかありませんでした。ミュージシャンとして素晴らしい才能を発揮したビートルズでしたが、絶大なる人気のため、世間を賑わせることでも超一流でした。いくつかの例を挙げます

1 1965年にイギリス帝国五等勲章をもらうとき、元軍人たちが「ビートルズのような胡散臭い芸人などと一緒にされるのは屈辱である」として勲章を返納した。そのときにジョン・レノンは次のように言った。「人を殺したことによってではなく、人を楽しませたことによって勲章をもらうのを誇りに思う」

2 1966年に来日し、日本武道館でコンサート(ライブという言葉はなかった)を行った。今でこそ武道館は多目的に使用していて、たくさんのアーティストがライブ会場に使っているが、もともとは1964年の東京オリンピックの柔道会場に使用するために建てられた、武道の大会に用いる施設で、音楽のしかも外人のコンサート会場に使用するなどとは想像もできなかった。いわゆる右翼団体がコンサート使用反対行動を行ったため、約1万人の観客に対して3千人の警察官が配備された。

 60年代のイギリスという混沌とした社会が生んだという側面もある、偉大なロックバンドでした。皆さんも、今度バンドを組んで、温度の高いインド本土で、何度も限度までライブをやりませんか。

 

芸術文化観光専門職大学

芸術文化観光専門職大学

 先日、総合学科を持つ高等学校の校長先生方の会議で、県立豊岡総合高等学校へ行ってきました。その日には、豊岡にこの4月に開学した「芸術文化観光専門職大学」にも見学に行くことができました。

 この大学は兵庫県立の公立大学で、日本で初めて芸術文化と観光が学べる専門職大学で、学長が平田オリザさんという、有名な劇作家、演出家の方です。この日はたまたま平田学長がおられたので、少しだけ話を伺うこともできました。

 見学させてもらうと、建物はできたばかりですし、施設設備も大変充実していました。劇場に使える部屋が大小2カ所あり、照明や音響の勉強もできるようになっています。大学のスタッフも、世界的にも有名な方々を招いており、少人数での教育活動があるようです。今年の入試では全国から出願があり、人気を集めました。地域に根ざした大学を目指しているようで、豊岡や但馬地区にある多くの事業所ともコラボしています。

    私も若ければ、このような大学で学んでみたいな、と思いました。受験して合格するためには、かなり難しそうではありますが、生徒の皆さんの進路先の選択肢に加えてみてはどうでしょうか。芸術文化観光専門職大学は、「芸術」と「文化」と「観光」の三つが学べるのではなくて、「芸術文化」と「観光」の二つが学べる大学です。文化を分化してはいけません。

 

あなたも英語がペラペラに

あなたも英語がペラペラに

 生徒の皆さんは、英語が好きですか、得意ですか。実は日本という国は明治時代以降、英語には苦しんできています。大学で英語を教えていた、明治時代の文豪である夏目漱石も、留学したイギリスのロンドンでは、会話で苦労してノイローゼ気味になっています。なぜそんなに英語の習得に苦労するのでしょうか。今回は少し長い文章になりますが、頑張って読んでみて下さい。

 2020年12月に出版された岩波新書「英語独習法」をもとに、考えてみましょう。著者の今井むつみさんは、英語の先生ではなくて、認知科学が専門の先生です。認知科学というのは、人の知覚、記憶、思考や学習の仕組みを心と脳のさまざまなレベルで理解しようとする学問で、英語に限らず、他の分野の学習についても応用できます。

 「わかりやすく教えれば、教えた内容が学び手の脳に移植されて定着する」という考えは幻想であることは認知心理学の常識である。なぜかというと、先生がいくらわかりやすく教えたとしても、それが生徒の期待と一致しないもので、生徒が別の情報を期待していれば、教えられた情報に気づかずに受け流してしまう可能性が高いからである。

 英語の学習に必要な概念は「スキーマ」である。スキーマというのは、氷山の水面下にある、非常に複雑で豊かな知識のシステムである。スキーマは、ほとんど言語化できず、無意識にアクセスされる。英語母国語話者は小さい頃からこの英語のスキーマを無意識のまま身につけている。この例として、可算名詞と不可算名詞を取り上げよう。

 英和辞典で名詞をみると、数えられる名詞(可算名詞)と、数えられない名詞(不可算名詞)の区別が書いてある。例えばwater(水)やmilk(牛乳)は液体なので、数えられない名詞であることはすぐにわかる。しかしfurniture(家具)やjewelry(宝飾品)が数えられない名詞である(a furnitureとかfurnituresとは言わない)と聞くと「えっ、なんで」と思ってしまう。これはfurnitureという言葉が「家具」という概念を表す言葉なので不可算名詞であり、家具の範疇に入る具体的な「机」「椅子」「ソファ」などは当然可算名詞になる。このように英語が母国語の人たちは、furnitureという単語が不可算名詞であることを、スキーマとして理解している。日本語が母国語の者は、日本語のスキーマを持っているので、そのスキーマでは、なぜ英語では家具が不可算名詞であるのか理解できない。おまけに、高校の英語教育の現場では「furnitureやjewelryなどは例外的に不可算名詞だから、とにかく暗記して」と言われることが多い。そうすると生徒は、例外だから暗記して、は右から左にスルーしてしまい、思い込みは直らないのである。

 ということで、日本語母国語話者があまり努力もせずに、簡単には「英語がペラペラ」にはならない。他の学習と同じように、どれくらい英語が使えるようになるのか、その目標を立てることが大切である。普段の生活での会話で意思疎通ができるレベルを目指すのか、英語で論文が書けるようになるレベルを目指すのかで、当然学習内容やかける時間も変わってくる。ただ、やはり基本的な語彙や発音、文法の知識は必要である。その上に英語のスキーマを身につける必要がある。これはなかなか大変であるが、方法がないわけではない。

 これ以上書くと、著者の今井むつみさんに叱られそうなので、この後は書籍を購入して読んでみて下さい。「あなたも○○で英語がペラペラに」とか「あなたも○○で痩せました」などは、眉唾ものです。そんなに簡単なものではありません。物事を簡単にしようとするなら、元旦に播但線に乗らず、ガソリンを満タンにして、淡々と先端の分担にチャレンジしましょう。

 

 

 

忘れるが勝ち

忘れるが勝ち

 生徒の皆さんは、物覚えが良い方ですか。私は年齢のせいか、物忘れがひどく、特に人の名前が出てこないことがよくあります。その人の顔や特徴や所属先などは忘れていないのですが、名前だけ思い出せないことがよくあります。そしてこれはどうやら私だけではなく、世の中のおばさん、おじさん達に多く見られる現象のようです。

 「思考の整理学」という著書で有名な外山滋比古さんは、残念ながら2020年に96歳で亡くなられてしまいましたが、「忘れるが勝ち」という著書もお持ちでした。この本から紹介します。

 「人間は忘れるようにできており、それが自然です。しかし学校は問題を出して答えを書かせ、それが合っているかどうかだけを評価します。教師が教えたことを生徒に忘れてもらっては困るのです。そのため多くの人が「忘れてはいけない」と思うようになりました。でもそれは大間違いです。だいたい人間は忘れるようにできており、それが自然です。世の中の人は、忘れることは困ると思っていますが、どんどん忘れて頭が空っぽになっても、病気にはなりません。頭を空っぽにしたら、優秀な頭になって新しいことをどんどん覚えられるでしょう。頭はとかくゴミが溜まりやすいのです」

 何だか、忘れるということに罪悪感を持たなくても良いのだ、という気持ちになりました。それでも、知識や語彙は多く覚えている方が役に立つことが多いですよね。ですから、どんどん忘れて、どんどん覚えていくようにしましょう。記憶を保つためには、遠くの家屋で多くの経験が必要です。

 

 

播但線

播但線

 生徒の皆さんは、どのようにして香寺高校に通学していますか。多分徒歩、自転車、JR播但線利用のどれかだと思います。今回は播但線について考えてみましょう。

 まず播但線という名前ですが、これは旧の国名で、播磨の国と但馬の国をつなぐ線路ということで、播但線という名前になりました。もともとは、生野銀山で取れる銀を、飾磨の港に運ぶために1878年に「銀の馬車道」という馬車が走る道路ができました。その道路をもとにして、1895年に飾磨―生野間に播但鉄道という私鉄(当時はもちろん蒸気機関車)が走るようになりました。現在のJR播但線は姫路と和田山を結んでいますが、もとは生野と飾磨港を結んでいたのですね。

 皆さんもご存じの通り、線路の播但線は市川という川沿いを走っています。また国道312号線や、播但連絡有料道路も同じように並んでいるところがあります。これは大きな河川が流れている場所は、川の浸食作用にために平坦な地形が多く、線路や道路を通すためには適した土地になっているからです。兵庫県には他にも加古川沿いに線路の加古川線と県道18号線、揖保川水系の栗栖川沿いに線路の姫新線と国道179号線という例があります。播但線は、加古川線、姫新線とともに、単線のローカル線とはいえ、高校生の通学の足としてなくてはならない線路です。

 線路を保つためには、遠路はるばる遍路に行く人たちを、暖炉で温め、コンロで料理をしてもてなす必要があります。

 

私を野球に連れてって

私を野球に連れてって

 生徒の皆さんは、野球が好きですか。私は大好きで、もちろん昔から阪神タイガースの大ファンです。今シーズンは、ルーキーの佐藤選手の活躍もあり、首位を独走しているので、2005年以来の優勝を期待しています。

 アメリカのプロ野球メジャーリーグの試合では、どこの球場でも7回表の攻撃が終わると、観客が立ち上がり、「Take Me Out to the Ball Game」という曲をみんなで歌います。この曲は1908年に作られたもので、ある調査によると、アメリカで1番よく演奏される曲は「Happy Birthday」、2番目は「アメリカ国歌」、3番目がこの「Take Me Out to the Ball Game」だそうです。アメリカではこの曲がそれほど有名だということです。皆さんも一度YouTube等で聞いてみてください。

    この曲の日本語でのタイトルは「私を野球に連れてって」となります。1987年に公開された、原田知世さんの主演で「私をスキーに連れてって」という映画がありました(私も映画館で観ました)が、この映画のタイトルはこの曲にちなんだものと思われます(これは私だけが思っているのかもしれません)。

    超満員の観客であふれかえった甲子園球場で、矢野監督の胴上げを見る日を楽しみにしています。ちなみに甲子園という名前は、球場が完成した1924年が、十干十二支(じっかんじゅうにし)では、一番初めの甲子(きのえね こうし)の年に当たることから命名されました。西宮市には甲陽園、苦楽園という地名もあります。動物がいるのが動物園、6歳までの子供がいるのが幼稚園、水戸の偕楽園と金沢の兼六園と岡山の後楽園は、日本三名園。