校長室より
二極分化
二極分化
昔に比べて、スポーツ競技の成績や記録は一般的には向上していると思います。トレーニングの方法や、食事やサプリメントの補給、また道具の進歩などには著しいものがあるからです。ところが、陸上競技の男子400mの日本記録は、高野進さんが1991年に記録した44秒78が30年以上破られていません。どうしてでしょうか。
もちろん、高野進さんが素晴らしいアスリートであり、オリンピック等でも活躍した選手ではありましたが、30年の間には、ウエア、靴、競技場のトラック等、物理的に多くの進歩があったはずです。また、トレーニングをとっても映像をコンピュータで解析する等、格段の進歩があったに違いありません。
武井壮さんが次のように解説していました。
道具やトレーニングの進歩で、昔に比べて練習の効率は著しく進歩した。その進歩をうまく利用できるアスリートはどんどん競技力が向上する。逆に、効率だけを求めて、自力の向上を図れないアスリートは記録が伸びない。科学の進歩により、アスリートにも二極分化が起こっているのではないか。
ここまではアスリートの話でしたが、これは他の多くの出来事に応用できないでしょうか。勉強や仕事においても、二極分化が進んでいないでしょうか。多くの人にとって適切であろう勉強(仕事)を、先生(上司)に言われるがままにやらされている。これで勉強(仕事)ができるようになるでしょうか。自分にとって最適な方法を自分で考えて、目標と締め切りを設定して努力する人は、きちんと成長するに決まっています。皆さんも、快調に最長に体調に気を付けて、成長を続けてください。
のびしろ
のびしろ
「俺らまだのびしろしかないわ」
Creapy Nutsの「のびしろ」という楽曲があります。MCの「R―指定」さんは大阪出身、DJの「DJ松永」さんは新潟出身、2017年にメジャーデビューした2人組ヒップホップユニットです。2021年9月に発売された2枚目のフルアルバム「Case」に収録された楽曲が「のびしろ」です。
軽快なリズムのラップに乗っているので、おじさんの耳にはすべての言葉がきちんと聞き取れません。仕方ないので、最初の部分を書きだします。
サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか
やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭
カッコのつけ方 調子のこき方 腹の据え方 良い年のこき方
脂乗りに乗った 濁った目した だらしない身体
嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ
俺らまだのびしろしかないわ
リリック(「歌詞」をこう呼ぶようです)を書いたR―指定さんは、30歳を前にして、20歳の頃と比較して、前半にあるような、やや否定的な事を身につけてきたが、逆説的に自分にはこれからものびしろしかない、と歌っています。
生徒の皆さんは高校生ですから、まさしく「のびしろ」のかたまりです。1日、1週間、1か月の時間でも見違えるように変化していきます。また我々教員もその速度は遅いかもしれませんが「のびしろ」にあふれています。人間は何歳になっても、新しいことに挑戦する限り「のびしろ」があるのだと思います。
もっと覚えたい事が山のようにある のびしろしかないわ
俺らまだのびしろしかないわ
のびしろのために、カビはしろくないですが、タビはしろい方が良いです。
一汁一菜
一汁一菜
一汁一菜(いちじゅういっさい)というのは、主食(白米や玄米や雑穀米)に汁物(味噌汁等)一品と菜(おかず、総菜)一品を添えた、日本における献立の構成の一つです。菜(おかず)としては、香の物(漬物類)も含まれます。つまり、唐揚げもハンバーグもなくて、ご飯と味噌汁と漬物だけということですから、若い高校生の皆さんは「えー、それだけー」と思うでしょうね。
土井善晴(どい よしはる)さんという人がいます。この人の父親は土井勝(どい まさる)さんといって関西の家庭料理研究家で「土井勝料理学校」を作った人です。勝さんの次男の善晴さんは、大学卒業後、スイスとフランスでフランス料理を学び、帰国して日本料理を学び、料理研究家として料理番組に多数出演しています。善晴さんが書いた本のタイトルが「一汁一菜でよいという提案」です。この本は次の文で始まります。「この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んでほしいのです」そして「一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います」と続きます。
ご飯の炊き方、味噌汁の作り方から始まり、旬のものを食べる、器を吟味する等、当たり前と言えば当たり前のことを、一つずつ丁寧に解説していきます。ファストフードやコンビニ弁当が流行る時代ですが、カロリーの取りすぎ、肥満や生活習慣病等は「飽食」が原因の一つだと考えられています。江戸時代から続く一汁一菜を、もう一度見直してみる必要があるかもしれません。一汁一菜なんて、一歳になっても、一切知らなかったと言わないように。
クルド問題
クルド問題
私たち島国である日本で暮らしている人たちには、なぜロシアとウクライナが戦わなければならないのかが、もう一つぴんと来ないところがあります。ロシアもウクライナも、昔はソ連という一つの国であったわけですから。そして、私たちは無意識のうちに一つの国家には一つの民族が住み、一つの言語を話すものだと錯覚しています。
生徒の皆さんは、クルド人という人々のことを聞いたことがありますか。「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれています。国でいうと、イラク、シリア、トルコ、イランの4カ国にまたがって暮らしていて、難民としてヨーロッパ各地やその他の地域に避難した人々もいます。もともと中東地域は、宗教や民族の違いによる対立と、独裁政権とそれに反対する民主化勢力との戦い、外部から介入する大国間の代理戦争に近いものと、不安定な国情が続いています。クルドの人々も、本当は自前の国家を持ちたいという気持ちはあるのかもしれませんが、それぞれの国で微妙なバランスの上で、現状を追認しているところもあるようです。特にシリアでは、2011年からシリア内戦が始まり、多くの難民がヨーロッパへ逃れるということがありました。昔の日本の時代劇のように、一方が悪者で、もう一方の善人が悪をやっつけるというような構図にはなっていないので、なかなか解決は困難です。戦争になると、弱い立場の人々が苦しむという図式は世界共通です。特に子供たちに、食料や安心して住むところ、教育を保証しないとダメです。
クルド人が来るど、などとふざけた事を書いている場合ではありません。
いまを生きる
いまを生きる
生徒の皆さん、入学して、進級してしばらく経ちますが、元気で頑張っていますか。1年次の皆さんは、部活動紹介も終わり、少しずつ香寺高校になれてきていると思います。2、3年次の皆さんは、部活動の大会が迫ってきたり、文化祭の準備等で忙しく過ごしている人も多いと思います。毎日が淡々と、バタバタと過ぎているかもしれません。
「いまを生きる」という映画がありました。1989年のアメリカ映画で、有名な俳優であるロビン・ウィリアムスが、キーティング先生という高校の教員の役で主演しました。原題は「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」。キーティング先生の台詞の中に「Carpe Diem(ラテン語で「いまを生きろ」という意味)」というものがあり、そこから邦題をつけました。物語は、キーティング先生のある意味型破りの指導から始まります。規則や常識に縛られず、自由な生き方を目指していきます。教室でキーティング先生が机の上に立ち「ここからは世界がまったく違って見える」と言い、生徒にも机に立たせるシーンを覚えています。
高校生の時期というのは、子供から大人へのステップの段階だと思います。いろいろな悩みを抱えることも多くあるはずです。そんなとき、このキーティング先生は「いまを生きる」ということを生徒に訴えかけました。昨日でも明日でもなく「いま」です。過去は変えられませんが、未来は変えられます。しかし、先の事ばかりを見据えて、いまが充実しないのもよくありません。今日という日は二度とありません。毎日朝起きたときに「今日も充実した1日にする」と自分で思い込んで、いまを生きることを目指していきましょう。もちろんこのことは生徒の皆さんだけに提案しているのではなくて、私自身も心がけようとしています。心がけがないと、すごい崖で卵かけご飯を食べることになるかもしれません。
じゃんけんの強い人
じゃんけんの強い人
先日、ラジオを聞いていると興味深い話をしていましたので、紹介します。若い女性キャスターが、年配の男性キャスターに質問をしました。「私の彼氏にするのには、どんなひとがいいですか」年配の男性の返事は
「じゃんけんの強い人が良い」
何のことかなと思いましたが、その説明は次のようなものでした。
「じゃんけんに必勝法はない。つまりじゃんけんに強い、弱いはない。だから『私はじゃんけんが強い』と言える人は自分に自信がある人だろう。例えば5回勝負(5回勝ったら勝ち)でじゃんけんをするとする。2対4になってしまった時『あと1回負けたら負けだから、もう負けだ』と思う人はダメで、『必ずこれから3連勝する』と思いこめる人が強い。自分で道を切り開いていける人、諦めずに粘り強く頑張る人は、こんなタイプの人だ。だからあなたの彼氏としては、じゃんけんの強い人が良いだろう」
この説明で大いに納得した女性は「じゃあ、どうしたらその人がじゃんけんが強いかどうか、分かるんですか」と聞くと「それは、その男性に聞いてみるしかない。『あなたはじゃんけんが強いですか』と」
賛否両論あるかもしれませんが、私は、誰かに「あなたはじゃんけんが強いですか」と聞かれたら、間髪おかずに「はい、めっちゃ強いです」と答えることにしようと思いました。じゃんけんぽん、あいこでしょー、まんじゅーの中は、あんこでしょー。
その他の外国文学
その他の外国文学
前回は新聞の書評欄について書きましたが、その中で「先に私が読んで、後で新聞の書評欄に取り上げられた」ことがある話をしました。今回はそれに該当した書籍「『その他の外国文学』の翻訳者」という本を取り上げます。私が図書館で借りて読んでいて、4月9日の毎日新聞の書評欄で紹介されました。
この本は2022年2月末に「白水社」から発行されました。白水社のwebマガジン「webフランス」に連載された原稿を加筆修正して書籍にしたものです。
「その他の外国文学」とは何の事でしょうか。外国語で書かれた文学作品を日本語に翻訳して出版するときは「英文学」「フランス文学」「ロシア文学」という風に分類されます。いわゆるマイナー言語による文学作品を「その他の外国文学」と一括りにしている訳です。この本では、9つの言語を取り上げていますが、例えば「ベンガル語」はどこの国で用いられている言語でしょうか。正解はバングラデシュとインドの西ベンガル州です。私たち日本で暮らす人々は、1つの国に1つの言語があると思いがちですが、世界を見渡すとそうではありません。ポルトガル語はもちろんポルトガルで用いられますが、話者分布で言うと8割の人数がブラジルです。アフリカのアンゴラでも公用語になっています。
「バスク語」の話者はスペインとフランスにまたがっていますが、この言語はスペイン語ともフランス語とも全く異なる言語です。ほとんどのヨーロッパ言語は「主語+動詞+目的語」の順番ですが、バスク語は日本語と同じ「主語+目的語+動詞」の順番です。またマイナー言語を学ぶときの苦労話も満載です。辞書がない、文法書がない、その国に留学して学ぼうとしても講座がない、国民の中でどの人がその言語の話者なのかが分からない等、本当に大変なのですが、その言語と文学に魅せられて、何とか日本の人に紹介したいという熱い情熱を感じ取ることができました。
外国語というと、まず英語ということになってしまいますが、世界には数多くの言語が存在します。リンゴを食べながら、タンゴを踊りながら、サンゴを愛でながら、今後のことを考えましょう。
書評のすすめ
書評のすすめ
「木村校長はたくさん本を読んでいるようですが、どうやって探しているのですか」と聞かれることがあります。私が書籍を探すのは、まず姫路駅のビオレにある「ジュンク堂書店」です。しょっちゅう徘徊していますので、見かけたら声をかけて下さい。もう一つは姫路と加古川の市立図書館です。買ったり、借りたりするのは主にこの2つです。
では、新刊の図書で読むべき本をどうやって見つけているのか。これは新聞の「書評」から探すことが多いです。各新聞には、週一回書評が掲載されます。以前は日曜日が多かった(今は読売だけ日曜日)のですが、最近では土曜日が多くなっています。土曜か日曜に図書館へ行き、朝日、毎日、読売、神戸、日経の各紙の書評欄をチェックします。個人的には、朝日と日経の書評欄が充実しているように思います。書評はある程度の専門家がその書籍の紹介、特に「良い本だ」と紹介している場合がほとんどなので、それを見て書店や図書館で探すことにしています。
何回か経験があるのですが、先に買ったり借りたりして読んだ本が、後で書評欄に紹介されるケースがあります。このときは「やったった」とガッツポーズをします。私の方に先見の明があった、ということです。皆さんも新聞の書評欄を読んでみると、意表をつかれた、不評な批評に出会えるかもしれません。
なぜ嘘をついてはいけないのか
なぜ嘘をついてはいけないのか
皆さんは小さいときに両親や先生から「嘘をついてはいけません」と言われたことはありませんか。私はあります。でも、なぜ嘘をついてはいけないのかを考えたことはありますか。「嘘も方便」という言葉もありますから、一概に嘘は全部ダメとは言えないのではないでしょうか。
ドイツの哲学者でカントという人がいました。カントは「実践理性批判」という著書で次のように書いています。
「君の意思の採用する行動原理が、常に同時に普遍的な法則を定める原理としても妥当しうるように行動せよ」
自分の行為が道徳的に正しいのか、疑問に思ったときは、もし皆が自分と同じ事をした場合、社会がどうなるかを想像してみれば良い。皆が自分に都合の良い嘘をついていたら、この社会は成立するだろうか。無理だろう。だから嘘をついてはいけないのだ。良き行為をしたければ、じっくり考えれば良い。
死んだら無になると思うと、自分勝手な思いを抑えられなくなるかもしれない。だが、自分の中には永遠に生きる可能性が秘められていると思えるのなら、もしくは、自分は無限に向上していけるのだと思えるのなら、今からでも利己心に打ち勝ち、道徳的行動しようと思える。
どこかの国の大統領や、どこかの国の世襲の政治家たち、大企業経営者たちに聞かせてやりたい話です。もちろん、私も含めて皆さんにも考えてもらいたいと思います。カントは、ホントにマントを着て散歩して、良く生きるヒントをタント考え出しました。
勇気とは
勇気とは
生徒の皆さんには勇気がありますか。勇気とは何なのでしょうか。
古代ギリシャの哲学者で、アリストテレスという人がいました。アリストテレスは、ソクラテスの弟子のプラトンの弟子にあたる人です。そのアリストテレスはこんな風に考えました。
「最善は常に2つの悪例の中間に存在する。つまり中庸こそが美徳である」
この考え方は現代に生きる私たちから見ると「中庸というのは中途半端な考え方」「足して2で割るということは、どっちつかずではないか」と思えてしまいます。しかしアリストテレスは「勇気」について次のように考えました。
「勇気とは、無鉄砲と臆病のちょうど中間のことである。両極端の悪い例と等しく距離をおくことを最善とする」
臆病すぎると、勇敢な行動は取れない。かといって無謀なのも勇気とは違う。何も怖くない、心配したことなど一度もない人がいたとしたら、その人は勇敢ではなく、ただ無謀なだけだ。真の勇気とは、少なくともどこかで不安を感じつつ、それを克服して行動することだ。無謀であることと、臆病であることから等しく距離を置くというさじ加減は決して簡単なものではない。人間はその難しい調整を肝に銘じなければならない。ということです。
現代では、極端な考え方がもてはやされている感じがあります。それだけではなくて、ソクラテスの中庸が美徳という考え方も大切だと思います。勇気とホウキを持って、早期に納期を守ってくれと、言う気はありません。
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サンテレビ「4時!キャッチ」2020/7/15
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