兵庫高校Blog
2025ベトナム研修5日目
HSGS(ベトナム国家大学ハノイ校科学大学附属高等学校)の生徒たちとタンロン遺跡、家電屋、VAST(Vietnam Academy of Science and Technology)に行きました。
タンロン遺跡ではベトナムの昔の王朝の宮殿などを見てきました。ベトナムの生徒に建物について教えてもらいました。家電屋ではベトナムの生徒たちと協力して家電についてどんな半導体が使われているのかやどの製品が人気なのかの情報を集めました。
お昼はハノイホテル内の中華料理レストランに行きました。ベトナムの生徒とお互いに学校について話しながら食べました。日本の学校との違いに驚きました。
VASTでは、どのようにして人材を育てているのかをプレゼンテーションしてもらいました。研究所では半導体ができるまでの過程や使う機械などについて説明してもらいました。半導体を作るために多くの最新機器が使われていることが分かりました。
夜ご飯はロッテホテルの近くにあるピザ屋に行きました。ピザ屋の名前はpizza 4 pieces という店です。この店は日本人が創設し地産地消を掲げています。とても美味しかったです。
またベトナムにも七夕の飾りがあったので願いを書いてきました。ベトナムにも七夕の文化が広まっていてうれしいと感じました。またロッテマートで家族や友達に買うお土産をたくさん買いました。
明日もベトナムの生徒とたくさんコミュニケーションをして発表などに取り組みます。
※配信担当者より:次回の配信は7/28(月)となる予定です。
2025ベトナム研修4日目
ベトナム研修4日目は、HSGS(ベトナム国家大学ハノイ校科学大学附属高等学校)の生徒と共にハノイ工科大学、女性博物館、ホアンキエム湖の散歩に行きました。
ロッテホテルの朝ごはんは本当に豪華で美味しかったです。荷造りを終えロビーに向かうとそこにはもう既にHSGSの生徒が数人いて、みんなで挨拶をしました。
その後ハノイ工科大学に向かい、阪大の教授とハノイ工科大学の教授から、半導体の話や溶接の機械の話を英語で伺いました。恐らく日本語で説明されても理解出来ないであろう難しい話をHSGSの子たちは完璧に理解していて、流暢な英語で質問もしていたので本当に凄かったです。私ももっと英語を頑張らなければならないと思いました。
レストランで昼食をとり、その後一緒に女性博物館を見学しました。
ホーチミンの女性博物館の内容は戦争がメインなのに対し、ハノイの女性博物館は女性の全体的な歴史を振り返るような内容でした。HSGSの生徒たちが展示品ひとつひとつを丁寧に解説してくれて、とても有難かったし勉強になりました。
女性博物館から出たらそのままホアンキエム湖を散歩しました。私の班は偶然にも途中で他の班と合流することとなり、15人という大人数でハノイを散策しました。
路上に売っていた怪しげなフルーツを食べたり、ユニクロに行ってベトナム限定Tシャツを買ったり、棲旭橋の前で集合写真を撮ったりしました。ホアンキエム湖はとても広く、3時間かけて1周しながらたくさんの生徒と会話をすることが出来ました。
夕食は路上のバインミー屋で食べました。日本語のメニューが書いてある所をわざわざ探してくれたそうです。路上の店なので衛生管理が少し不安ですが、味自体はとても美味しかったです。その後集合場所までぶらぶら歩き、解散しました。
私たちの拙い英語にも一生懸命耳を傾けてくれて、ベトナム語を翻訳してくれて、ハノイを案内してくれて、HSGSの生徒たちには足を向けて寝られません。明日も明後日も一緒に行動するので、引き続き会話を頑張ろうと思います。
2025ベトナム研修3日目
ベトナム研修3日目は、サイゴンハイテクパークと女性博物館に行きました。
サイゴンハイテクパークは、ホーチミン市内にあり、半導体について開発と近隣国を含めた学生インターンシップなどの人材育成を行う研究所です。私たちはこの研究所の中に特別に入らせていただきました。人の髪の毛や、メイクなどは半導体の製造に害を与えるので特別なスーツに着替えて、エアシャワーを浴びました。この研究所では、温度は22℃、湿度は50%以下に保たれています。そのために、気圧を調整し外に空気を流れるようにしています。また、有毒なガスなども気圧によって管理されています。研究所の中には紫外線ではフォトレジストという化学製品にに悪影響を与えてしまうため黄色い光の部屋もありました。普段入れないところに入って、半導体の製造のしくみを実際に見ることができてとても勉強になりました。
お昼ご飯は、スパイス料理のお店にいきました。日本人の口に合うものを多くたくさん食べることができました。
女性博物館では、第二次世界大戦からではなく、フランスの植民地であった時からの女性の闘争(ストライキ)が展示されていました。ストライキの内容、例えばフランスに食べ物を売らないことなどが詳しくかかれていました。ベトナム人女性は前線に出て戦い、戦闘員、スパイ、通信員などの役割を担っておりました。日本人女性とは違い、当時前線にでて戦っていたベトナム人女性はとても勇敢だと思いました。
夜ご飯はそれぞれ空港で食べました。ガイドさんのバオさんおすすめのハスの粉が入っているフォーをいただきました。とてもおいしかったです。
その後、ハノイに移動し、ロッテホテルにいきました。思ってた以上に綺麗で、テンションが上がりました。明日の活動も頑張りたいと思いました。
2025ベトナム研修2日目
ベトナム研修2日目の今日は、クチトンネルと、ベトナム戦争博物館へ行きました。
朝ごはんは、ホテルの中のビュッフェをいただきました。朝から多種多様な料理を楽しむことができ、1日を頑張る活力になりました。
クチトンネルはベトナム戦争時、(1965~1975年)で南ベトナム解放民族戦線がアメリカ軍に対抗するために築いた、全長約200~250kmにも及ぶ巨大な地下トンネル網です。ベトナム戦で三層(3m、6m、8m)ものトンネルが作られ、トンネル戦となりました。クチゲリラの民間人が、米軍と戦うため内部はとても複雑に作っていて、クチ平野の至るところに落とし穴や罠が仕掛けられています。トンネルの中は一方通行で、落とし穴や意図的に狭くなっているところがあり、米軍が入ってきたときのための罠も準備されています。トンネルの中で芝居や映画の上映、勉強、炊事までもをしていました。塹壕がどこにでもあり広く集落と繋がっていました。簡素な武器にも関わらず戦闘システムが完璧だったため戦争は長引きました。アメリカの軍官いわく、「ベトナムゲリラはどこにも見えないがどこにでもいる」というほど巧妙な罠や仕掛けでクチゲリラたちは米軍を翻弄していた様子でした。体験では、とても狭い入り口から入って、25mほど、狭い地下道をかがんで進みました。蒸暑く息苦しかったため、壮絶なトンネル生活の様子が垣間見れました。ライスペーパー作りの様子を実際に見学しました。
昼ご飯は少し中華チックで、日本人にも食べ慣れた味だったので、みんなもりもり食べることができました。個人的には、この2日間の料理の中で1番好みで美味しかったです。
戦証博物館では、悲惨なベトナム戦の記録を実際の写真や監獄を見ながら学びました。ベトナム戦争は、初めて、各国のジャーナリストが取材をした戦争なので、当時の写真や、記事、命令内容が事細かに残されていて、酷い戦争記録をはっきりと目で見ることができ、心が傷んだとともに、多方面からの見方や、記事が掲載されていました。ベトナム戦争が美談にされていたり悲劇として語られていたりして、とり方の相違にも驚かされました。枯れ葉剤の被害にあった人々の写真も展示されていて、戦争の爪痕が今にまで残っているという恐ろしさがまざまざと思い浮かびました。2度と繰り返してはならない無惨な戦争の記録を写真で見ることで恐ろしさがよりリアルに感じられました。忘れられない忘れてはならない体験ができたと思います。
夜ご飯はお洒落なフレンチでした。店内も綺麗で、本格的なコース料理にみんなテンションが上がりました。メインのお肉はすごく柔らかくて、スパゲッティもクリーミーで美味しかったです。校長先生もおっしゃっていましたが、高校生のうちからこんなに豪華な料理をいただくことができるなんて、本当に貴重なことだと感じました。
戦証博物館の帰りには、郵便局に寄りました。
郵便局では、みんなそれぞれ自分や家族、友人へのお土産を楽しく選ぶことができました。
2025ベトナム研修1日目
今日はついにベトナム研修がはじまりました。初日はホテルへの移動と、市内フィールドワークを行いました。
朝早くから関西国際空港に集合し、荷物検査、出国審査を全員無事に通過することができ、先生方や保護者の方に見送られながら日本を出発しました。お昼ご飯は機内食で、和食と洋食の2つから選べ、どちらもとても美味しかったです。
約5時間でホーチミン空港に到着しました。入国審査も問題なくベトナムに入ることができました。空港で日本円をベトナムドンに両替するためにいくつかの両替スポットを手分けして比較し、1番安いと思われるところで両替できました。空港から外に出るとものすごい人がいました。
その後のフィールドワークでは、家電量販店に行き、どんな半導体関連産業がベトナムに進出しているかを見て回りました。夕食も良かったです。明日からは本格的に活動がはじまります。これから協力して頑張っていきます!
第79代生徒会長選挙をおこないました。
6月26日(木)に全校生徒が体育館に集合し、第79代生徒会長選挙をおこないました。
最初に選挙管理委員会の生徒の紹介があり、次に生徒会長立候補者の立会演説がおこなわれました。
その後、2名の応援演説がおこなわれ、立会演説会が終了しました。
今回は、1名の立候補者のため信任投票になりました。
投票は、オンライン投票でおこなわれ、学年ごとに教室に戻り投票をおこないました。
すべての学年の投票がおこなわれ第79代生徒会長選挙が終了しました。
フィンランド・東ヘルシンキ音楽院来校 本校・吹奏楽部との合同演奏会をおこないました。
令和7年6月9日(月)本校講堂でフィンランド・東ヘルシンキ音楽院から約80名が来校され、
本校・吹奏楽部との合同演奏会をおこないました。
観客として2年生全生徒・保護者も参加する中、素晴らしい演奏会となりました。
東ヘルシンキ音楽院は1995年設立で、「イーストウィンド(東風)」、「ウィンドヴェイン(風見鶏)」、「ピーパリ(笛吹隊)」の3つの吹奏楽団で構成されています。
今回来校されたイーストウィンドは、12歳から20歳の演奏者からなり、フィンランド国内で高い演奏技術とクラシック音楽を中心とした質の高いレパートリーで知られ、北欧吹奏楽デイズ、ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団との協演、大統領官邸での演奏など、華やかなイベントや大きなホールへの出演依頼も受けています。
第1部は、本校吹奏楽部が『エルフゲンの叫び』を演奏し、第2部は、東ヘルシンキ音楽学校吹奏楽団が『ラップランドの情景』光と闇の大地、『交響詩 フィンランディア』、『真夜中の太陽の子』の3曲を演奏しました。
第3部は、本校吹奏楽部と東ヘルシンキ音楽学校吹奏楽団が『モナーク・アヴェニュー』を
合同演奏しました。
その後、昼食を一緒にとり交流を深めました。
本校生徒は「本当に貴重なすごい経験ができた」「音楽で心が通じることが分かった」と滅多にない機会に目を輝かせていました
令和7年度 防災・避難訓練を実施しました。
想定として、「5月28日(水)に淡路島沖を震源とする地震が発生、震度5強の揺れを感じ、本館4階被服教室からのアイロン火災により発見時にはすでに燃え広がり、停電し一般放送が使えないが緊急放送は使用できる」を立ててそのもとで防災・避難訓練をおこないました。
生徒達はみんな落ち着いて行動し、グラウンドに集合しました。
今年は、阪神淡路大震災の発生から30年を迎えました。常日頃より防災意識を持ち震災での教訓を活かし備えを進める、貴重な機会となりました。
令和7年度春季定期戦をおこないました。
5月8日(木)神戸総合運動公園において、本校の伝統行事である神戸高校との春季定期戦をおこないました。
午前中に、グリーンアリーナでは男女バレーボール部、テニスコートでは男女ソフトテニス部が対戦しました。また、ユニバー記念陸上競技場では、サッカー部が対戦しました。
そして午後には、メイン競技である野球をほっともっとフィールド神戸でおこない、両校全生徒もそれぞれ1塁側・3塁側にわかれて集合しました。
最初にファンファーレが鳴り、生徒会旗・自治会旗交換、両校校歌斉唱、両校応援団によるエール交換がおこなわれ、その後両校応援合戦がおこなわれました。
次に、兵庫高校の井上校長が始球式をおこない、試合が開始されました。
両校とも互いに譲らず、逆転に次ぐ逆転の好ゲームとなり最終的に兵庫高校の勝利となりました。
全対戦が終了後、ほっともっとフィールド神戸で閉会式がおこなわれました。
最初に成績発表がおこなわれ、4勝2敗で兵庫高校が勝利しました。
そして、兵庫高校の井上校長より表彰があり、次に、神戸高校の新谷校長の挨拶がありました。
その後、両校校歌斉唱、エール交換、生徒会旗・自治会旗交換がおこなわれ、令和7年度春季定期戦を終了しました。
離任式をおこないました。
4月9日(水)に体育館で離任式をおこないました。
2年生・3年生が体育館に集合したのちに、離任される先生方が拍手の中入場されました。
最初に、井上校長より離任される先生方の紹介があり、次に離任される先生方一人ずつ離任の
挨拶がありました。
その後生徒代表のお礼の言葉があり、生徒会及びPTAから離任される先生方に、花束の贈呈が
ありました。
以上で離任式が終了し、離任される先生方が生徒の作った通路を通り退場しました。