校長室より

2022年2月の記事一覧

ウエスト・サイド・ストーリー

ウエスト・サイド・ストーリー

 スティーブン・スピルバーグ監督が「ウエスト・サイド・ストーリー」を再び映画化しました。現在上映中です。元々は1957年に初演された、ブロードウェイ・ミュージカルで、シェークスピアの有名な戯曲「ロミオとジュリエット」に着想を得て、当時のニューヨークを舞台に、ポーランド系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との2つの異なる少年非行グループの抗争の犠牲となる若い男女の2日間の恋と死までを描いています。

 舞台で大評判となったため、まず1961年に映画化されました。映画も大ヒットし、この年のアカデミー賞では作品賞をはじめ、10部門を受賞しました。1961年といえば、私が生まれた年ですが、私はこの映画を映画館で見た記憶があります。多分中学生くらいの頃、リバイバル上映をしていたのだと思います。レナード・バーンスタイン作曲の歌は素晴らしく、登場人物のダンスも魅力的なのですが、結末はなかなか悲しいもので、涙を誘います。

 今回2021年版も見てきました。びっくりしたのは、1961年版でアニタ(プエルトリコ系のシャークス団のリーダー、ベルナルドの恋人)役を演じたリタ・モレノ(彼女は1961年版で、アカデミー助演女優賞に輝きました。現在は90歳を超えていますが、元気です)が、2021年版では、若者たちのたまり場となるドラッグストアの店主であるヴァレンティナ役で出演しています。しかし何といってもこの映画の主人公はロミオにあたるトニーと、ジュリエットにあたるマリアの2人です。今回トニー役はアンセル・エルゴート、マリア役はレイチェル・ゼグラーというあまり知られていない役者さんが演じていますが、マリアの役は約三万人の中からオーディションで選ばれただけあって、さすがの出来映えでした。2021年版もアカデミー賞には多くの部門でノミネートされていて、受賞が楽しみです。

 最後に難点を1つだけ。生徒の皆さんでしたら、全く問題ないと思いますが、私のような年寄りには、2時間37分という上映時間は長すぎます。予告編等を含むと3時間近くになってしまいます。映画鑑賞を執行するためには水分補給にご注意を。

 

世界史は暗記もの?

世界史は暗記もの?

 私が大学受験の時、社会科で共通一次試験を受けたのは、世界史と倫理社会の2科目でした。世界史は縦の年代と、横の各国同士の関係を座標のように捉えていく必要があるので、理科系の生徒向きといわれていました。日本史は小学校以来何度も学習したり、大河ドラマ等で見聞きする機会もありますが、世界史は普段はなかなか触れることが少ないです。昨年末から、岩波講座「世界歴史」の第3期が発刊されています。全24巻ということですが、とりあえず第1巻のうちのほんの一部を紹介します。

 世界史といえば「○○という国と○○という国の間で、○○年に○○戦争が起こった」というような事をひたすら暗記していくというイメージがありますが、第1巻冒頭の小川幸司さん(この人は長野県の高等学校の先生)の「私たちの世界史へ」を読み、ある意味感動しました。

 2011年3月11日は東日本大震災が起こった日ですが、この日、福島県の双葉消防本部の4人の消防士は、全国消防駅伝大会のために、東京都内に滞在しており、この日の夕食を「最後の晩餐」だと思った、と話しています。原発の事故が伝えられると、消火、救助活動に当たった消防士たちは、ソ連(当時)の「チェルノブイリ原子力発電所」の事故の際に消火活動に当たった消防士たちのその後の悲惨な運命を思い浮かべました。また福島第一原発に出発する消防士は「きっと特攻隊はこうだったのだろう」という思いでした。そしてこのような思いや発言が残されているのは、震災から9年後の2020年、吉田千亜さんによる「孤塁―双葉郡消防士たちの3・11」というルポルタージュが出版されたおかげです。

 このように、過去の人間たちの姿やイメージを引照しながら、自分の生きている位置を見定め、自分の進むべき道を決めようとするのであれば、それは世界史を考えていることになる。またその記憶を、記録として残していくことは「世界と向き合う世界史」であると、小川幸司さんは述べています。世界史は、偉い歴史家や学者の先生が出す論文の中だけにあるのではなく、私たちの「世界史実践」の中にもあるということです。

 私がこれまで考えていた「世界史」というものとは全く違う捉え方です。1つの出来事を、多面的に理解してまとめていく姿勢には驚きでした。「最後の晩餐(ばんさん)」は「最後の電算」でも「最後の換算」でも「最後の塩酸」でもありません。

 

紅白歌合戦

紅白歌合戦

 昔は、大晦日の夜はNHK紅白歌合戦を見るものと決まっていました。昨年の第二部の平均世帯視聴率は史上最低の34、3%でした。これでもかなり高いな、と思う人がいるかもしれませんが、1963年は81.4%だったということですから、時代の流れを感じます。年配の人はジャニーズ系や若い人の歌を知りません。若い人は演歌を聴きません。「二兎を追う者は一兎も得ず」という事で、年配の方にも、若者にも嫌われてしまったのかもしれません。紅白歌合戦の存在自体が問われているようです。

 昔は一家には一台のテレビしかなく、一家二世代、三世代にわたってテレビを見ていたものです。現在では、地上波のテレビは見ないという人も増えてきました。NetflixやYouTubeの方が面白いという訳です。テレビではなく、コンピュータのモニターやスマホを見ている人が多いです。不特定多数の大きな人口に対して、情報を発信していくことが時代遅れになりつつあるのでしょう。少数でもコアな人たちから賞賛される方を求めていく方が、時代に合っているのかもしれません。

 ところで、2022年のアカデミー賞のノミネート作品が発表されました。村上春樹さんの小説を原作にした、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、日本映画として初めて作品賞にノミネートされたということで、話題になっています。他の作品を見ると、もちろん映画として公開された作品が多数ではありますが、NetflixやAmazonで配信された作品も並んでいます。そんな時代になっていくのですね。紅白歌合戦も、紅白饅頭に席を譲って、引退していくのかもしれません。

 

 

独裁者

独裁者

 生徒の皆さんは「独裁者」と聞くと、誰を想像しますか。歴史を振り返ると、また現在の世界を見渡しても「独裁者」であろう人物を何人も指摘できそうです。しかし過去史上最大の独裁者と言えば、やはりドイツの「ヒトラー」だと思います。今回、芝健介さんが書いた岩波新書の「ヒトラー」を読んだので、彼について考えてみます。

 知っている人は知っている事実なのですが、アードルフ・ヒトラーは実はオーストリアの生まれで、後にドイツ国籍を取得しました。画家を目指していましたが、第一次世界大戦では「通信兵」としてドイツ軍に従軍しています。第一次世界大戦終了後、ドイツは敗戦国となりますが、当時最も民主的と呼ばれた「ワイマール憲法」を制定し、復興に取り組みます。その中からヒトラーが率いる「ナチス党」は「合法的」に選挙で多数派を形成し、首相になっていきます。当時のドイツ国民は、困難な生活状況を何とか変革してくれないか、という希望をヒトラーとナチス党に託したのでした。

 現在ではヒトラーを「評価」する意見もわずかにあるようですが、彼の所業はとんでもない事ばかりです。第二次世界大戦を引き起こしたこと、ユダヤ人や障がい者等を虐殺したこと、自分に反抗した人々を処刑しまくったこと、数え上げればきりがありません。そしてこれだけの悪行を行えたのは、ヒトラー一人の力ではありません。取り巻き、側近である多くの人物によるヒトラーへの「忖度」が大きな影響を及ぼしました。あまりにも非人道的な政治が続いたので、ヒトラーは反対勢力から二度、暗殺されかけました。不幸なことに、二度とも失敗に終わってしまい、その後はドイツ国内に「反ヒトラー」勢力は表面的にはなくなってしまいました。

 ヒトラーはさすがに極端な例だとは思いますが、過去を振り返っても、現在においても、どこの国家においてもある意味「独裁者」が存在しています。権力を持つものにおもねり、すり寄り「忖度」を繰り返す人間は後を絶ちません。人間は歴史に学ばねばなりません。絶対権力は絶対的に腐敗すると決まっているのですから。ヒトラーは無視して、マヨラーやキティラーを大切にしましょう。