2021年1月の記事一覧
【校長室より】阪神・淡路大震災追悼行事講話
平成7(1995)年1月17日5時46分、淡路島北部を震源とし、死者6,435名、重傷者10,683名の未曾有の被害をもたらした震度7の大地震、阪神・淡路大震災の発生から26 年を迎えました。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
本校においては、震災直後から避難住民を受入れ1月20日には、2,500人を超しました。2月8日から1年生は北区の神戸甲北高校で、2年生は鈴蘭台高校(現在の神戸鈴蘭台高校)で、教室を間借りして授業が再開されました。
それ以降、9月26日に全校生1117名が本校に復帰し、翌年、2月14日に避難者がゼロとなるまで、避難者とともに学校生活を送ったのです。
その歩みは、1階事務室前の柱の銘板に記されており「兵庫県立兵庫高等学校は、神戸市内で最大の避難所となり、被災者支援と教育活動の両立に困難を極めた。しかしながら、生徒も、教職員も粘り強く耐え、被災された人々とともに、394日間を戦い抜いた。」と刻まれています。
昨年1月、2 年生(74 回生)は、災害時に自力で帰宅することも想定し、学校 から HAT 神戸まで歩く「1.17 ひょうごメモリアルウォーク 2020」 に参加しました。その感想の中で、ある生徒は「ウォークに参加していつ起こるかわからない地震などの災害に対して常に備える必要があることを学んだ」、またある生徒は震災体験の継承が「今は被災者から未災者へ、であるのが、未災者から未災者へ、に変わっていくという話が印象に残った」と感想を記しています。震災の教訓を生かすことの必要性を強く感じたことがうかがえます。今年は残念ながらメモリアルウォークは中止されるとの報道がありました。2年生は貴重な体験をすることが出来て本当にありがたいことです。
東日本大震災をはじめ多くの豪雨災害の発生など、感染症の流行も含め、いつどこで何が起こるか分からない時代です。
全く心配のない平穏な日常を送ることができるのは、当たり前のことではなく、むしろ例外なのかもしれません。例外を当たり前だと勘違いすると、世の中を見誤ることになります。3年生は、明日からの大学入試共通テストが始まります。現在の状況において、予定通りテスト実施されること自体大変ありがたいことです。
兵庫高校生は、震災や10年前の新型インフルエンザの流行など、いかなる時も苦難を前向きに捉えて乗り越えてきました。共通テストも心穏やかに、悔いのないよう取組んでくれるものと信じています。
大震災から26年が経過したいま、震災の経験や教訓を忘れず、いかに伝え、これを活かし、しっかりと災害などの危機に備えていくことが、我々の課題です。全校をあげて次の災害へ備える心構えをつらなければなりません。
終わりに、大震災翌年の第48回卒業証書授与式で、生徒代表の石井宏幸さんが答辞で語られた一部を紹介します。
「本校が大規模な避難所となったため、授業は鈴蘭台高校での間借り、 鈴蘭台西高校での仮校舎暮らし、さらに本校で、被災者の方と共同生活をしながら続けられました。戦火の時代を除けば、まさに第二神戸中学校開学以来の危機状況でした。
それでも、普通の生活が思うに任せない苦境の中でも、我々は耐えてきました。いや、静かに耐えるだけではなく、自己と学校の未来を切り開こうと 懸命でした。震災直後から連日にわたるボランティア活動への参加。学校が再開されると、グラウンドのない劣悪な条件下で県総合体育大会への出場、そして、短時間で作り上げた思い出深い九州修学旅行への取組み。試練にあったとき、人はその人間が試されますが、厳しい環境で、我々が不可能だと思えることを先生方とともに次々と克服してきました。
そうした歩みは、校訓である自らを治める『自重自治の精神』が我々の中に生き続けている証明です。そして私は、その兵庫高等学校生の一員であったことを誇らしく思います。もちろん、復興しなければならないのは兵庫高校だけではなく、神戸の街であり、被災地のすべての街であり、被災者の心です。幸い「再建の意気高く」働ける優位な人材は48回生に数多くおり、神戸復活の気概で燃えています。」
以上、阪神・淡路大震災から26年にあたり、講話とします。
令和3(2021)年1月15日
升 川 清 則