塔陵健児のひとりごと

塔陵健児のひとりごと~佐用高校からのお知らせ~

主のいないスリッパたち 〜あの足の香りさえ恋しい〜

今日のお昼の昇降口。
1年1組の下駄箱だけが今日は妙に静かでした。

そう、インフルエンザ蔓延のため
本日から5日間の学級閉鎖。

棚を見れば、主のいなくなったスリッパたちが
ぽつん…と並んでいる。

普段は
「ちょっと!また左右逆に入れてる!」とか
「その履き方で廊下走るから音すごいねん!」とか
ツッコミどころ満載のスリッパたち。

それが今日ばかりは
どこか寂しそうで、しょんぼり見える。

──あの、
~なんとも言えない“思春期の足のかほり”~でさえ、
ないとそれはそれで寂しいもんです。
(いや、普段は全力で消臭したいんですけどね!?)

いつものにぎやかな足音が、
また早く戻ってきますように。

季節の変わり目、皆さんも気をつけて。
手洗い・うがい・換気・マスク。

そして何より、
元気で学校に来てくれることが一番です。

また、スリッパたちが“あの香り”に包まれる日を(?)
心待ちにしています。

灯油燃焼型火鉢

吾輩はストーブである。名前はまだ無い。

どこで生まれたか、とんと見当がつかぬが、気がつけばこの教室の片隅に置かれていた。
毎年、冬が顔をのぞかせるころになると、誰かが吾輩のスイッチを押しにやって来る。
それが、吾輩の「今年も出番だぞ」という合図である。

ぽうっと灯がともり、芯が赤く染まっていくと、不思議と周りがそわそわし始める。
寒さで縮こまっていた学生たちの肩がほぐれ、
「ストーブ神!」などとつぶやく声が吾輩の金網を揺らす。

吾輩は、ただ温めるだけの存在である。
だが、温かさとは不思議なもので、人の心までほどいてしまうらしい。
試験前のピリピリした空気も、吾輩が灯れば少しばかり丸くなる。
学生たちの手は、吾輩の前で自然と伸び、凍えた指先に命が戻る。

ときどき、「あつっ!」と叫ばれるのは少し心外であるが、
それもまた、吾輩の役目を果たしている証と心得ている。

しかし、吾輩にも悩みはある。
「換気してくださーい!」という声が上がるたび、
窓が開けられ、せっかく満たした温もりが逃げてしまうのだ。
まことに遺憾である。
だが、これも安全のためならば仕方がない、と吾輩は寛大である。

春が来れば、吾輩はまた静かに片付けられる。
倉庫の奥で一年のほとんどを眠る身だが、
それでも人々の冬のひとときを支えられるのなら、本望である。

吾輩の願いはただひとつ。
この冬も、
そなたらが元気に過ごせるよう、黙って、ひとしく、温め続けたいのだ。

——吾輩はストーブである。今日もまた、誇り高く燃えている。

 来週からストーブ使用開始です(^O^)/

この惑星の若者は、なぜポイ捨てをするのか。

――私は、宇宙人ジョーンズ。
この惑星で「高校」という場所を観察している。

ある日、2棟の階段の前に、一つのゴミが落ちていた。
丸められた包装紙。おそらくポテトか、スナックの袋。
それを見たとき、私は思った。
なぜこの星の若者は、地球をゴミ箱にしたがるのか――と。

人間たちは「環境を守ろう」と口では言う。
だが手にしたゴミを、ほんの数メートル先のゴミ箱まで運ぶことを面倒くさがる。
罪悪感の欠如、周囲が掃除してくれるという甘え、
「自分くらい大丈夫」という同調の魔法。

だが、地球の法律は甘くない。
廃棄物処理法違反――
軽いポイ捨てでも、最悪“5年以下の懲役または1000万円以下の罰金”だという。
彼らはそれを知らない。
あるいは知っていても、「まさか自分が」と思っている。

しかし私は知っている。
一つのゴミは、心の乱れのはじまりだ。
一人が捨てれば、次の一人も捨てる。
そして学校は、知らぬ間に「誰かが掃除する場所」に変わっていく。

だから私は言いたい。
――君たちの学校を、ゴミ箱にするな!

拾う人がいるということは、
まだこの星には希望があるということだ。

私は宇宙人ジョーンズ。
この惑星で、今日も一つゴミを拾った。
知らんけど。

さよたまプリン、感謝のしるし。

家政科の2年生17名が、心をこめて作りました。
その名も——「

農業科学科のみなさんが丁寧に育ててくれた“さよたま”と野菜。
そのおかげで、シフォンケーキや給食のお弁当が生まれ、たくさんの笑顔が広がっています。

今回は、その“ありがとう”の気持ちを込めて、農業科学科のみなさんへ87個のプリンをお届けしました。
なめらかでやさしい甘さの中に、家政科生全員の「感謝」がとろけています。

今日は収穫感謝試食会。
野菜も笑顔もたっぷりの1日。
その様子は——また次回の講釈で。

 

黄金色に染まる秋──佐用町の大イチョウ、そろそろ見ごろ

佐用町のシンボル、大イチョウが今年も鮮やかに色づき始めました。
樹齢はおよそ1000年、高さは28メートル。悠々と空に枝を伸ばす姿は、まるで時の流れそのものを映しているようです。

陽の光を浴びて輝く葉は黄金色にきらめき、足もとには黄色のじゅうたんが広がります。
一枚一枚が静かに落ちていくその瞬間、まるで自然がつくり出す芸術のよう。

学校帰り、電車を一本遅らせて、ふと立ち寄ってみてはいかがでしょう。
ざわめく日常の中で、ほんの少しだけ足を止めて見上げれば、
1,000年の時を生きる木が、きっと何かを語りかけてくれるはずです。