校長室より

校長室より

生きる姿勢 ~みんなちがって、みんないい~(3学期始業式にて)

 皆さん、明けましておめでとうございます。正月早々に能登半島地震、羽田空港衝突事故という胸が締め付けられる悲しい出来事がありました。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、早くの復興、再発防止を願いたいと思います。また、募金など私たちに出来る支援をしていきましょう。

 さて、2学期の終業式に、自分で判断・決断し前向きな後悔を重ねていきましょうという話をしました。今日は、判断する前の生きる姿勢を私に教えてくれた詩を紹介します。

 “金子みすゞ”という名前を知っていますか?彼女は、大正時代から昭和の初めにかけて活躍しましたが、放蕩な夫との結婚生活で苦労し、26歳の若さでこの世を去った詩人です。亡くなってから90年余りになります。生前はあまり注目されなかったようですが、近年、広く知られるようになりました。私も山口県に訪れた際、金子みすゞ記念館に行ってきました。

 その金子みすゞの作品にある言葉で、印象的な言葉が、「みんなちがって、みんないい」という言葉です。その言葉が出ている「わたしと小鳥とすずと」という作品を紹介します。

 

 わたしが両手をひろげても、

 お空はちっともとべないが、

 とべる小鳥はわたしのように、

 地面(じべた)をはやくは走れない。

 

 わたしがからだをゆすっても、

 きれいな音はでないけど、

 あの鳴る鈴はわたしのように、

 たくさんなうたは知らないよ。

 

 すずと、小鳥と、それからわたし、

 みんなちがって、みんないい。   という詩です。

 

 小鳥には小鳥の得意・不得意があり、鈴には鈴の得意・不得意があり、わたしにはわたしの得意・不得意がある。そして、それぞれが得意であるものは、他のものが真似することのできない素晴らしいものであると言うのです。

 「みんなちがって、みんないい」という言葉には、ハッと思わせられるところがあります。くじけそうになった時に勇気を与えてくれる言葉であり、また、私たち一人ひとりに生きる姿勢を教えてくれている言葉でもあるように思います。自分の個性を伸ばすとともに、自分の不得意な部分を卑下したり劣等感を持ったりしないで、突き進んでいくべきだという指針を与えてくれる言葉だと思います。概して世の中は一つの枠に当てはめようとする傾向があります。それは基本として大切な時もあります。しかし、その枠を打ち破って離れなければ成長はありません。そういうことを教えてくれている言葉でもあります。

 この詩を、人と人との関係で見ればどういうことになるのでしょうか。他人の痛みがわかる人、他の人に対する思いやりの気持ちを持っている人のことを言っているのだと思います。他人を見る目や、他人に接する姿勢に温かさを持たなければなりません。他の人を温かい目で思いやるためには、自分の心のゆとりも必要でしょう。心のゆとりが優しさを生むと言ってもいいと思います。心の広い、温かい人になるように、私自身も日々努力しなければならないと思っています。

 皆さんも一度金子みすゞの詩を読んで、何かを感じ考えてほしいと思います。そして、温かい学校、社会をつくっていきましょう。

校長 塙 守久

前向きな後悔 ~2学期終業式にて~

生徒諸君、おはようございます。

今日は、敢えて生徒諸君と言わせていただきました。というのも、今から40数年前、私が高校1年生の時です。「生徒諸君」という漫画が流行っていました。少女漫画ですが男子にも人気がありました。今でいうと「鬼滅の刃」とまではいきませんが、映画化もされ、かなりのブームになっていました。その漫画のコミックス全巻がクラスで回っていて、私の番が来ました。あまり乗り気ではなかったのですが、家に帰り読み始めると面白く、徹夜して一気に読んだ記憶があります。主人公とその仲間が高校・大学時代に様々な困難にぶつかり、もがき苦しみながらも、それを乗り越え互いに成長していくストーリーで、その主人公がラストシーンで自分の夢であった教員になり、全校集会の壇上で「生徒諸君!」と第一声を発し終わるという漫画だったと思います。

たまたま出会った漫画ですが、私が教員を目指すきっかけとなりました。その時は、将来の選択肢の一つに加わった程度でしたが、今思えばその漫画に出会っていなかったら、今ここに立っていないと思います。

振り返れば、あの時が分岐点だったなと思えることがいくつか思い浮かびます。良かった選択もあれば、後悔している選択もあります。私自身で言えば、後悔している選択の方が多くあります。いえ、後悔している選択がほとんどです。後悔の連続、後悔の重なりが私の人生と言ってもいいと思います。ただ、自分で決めた選択と、親や他人に決められた選択では、後悔の質が違います。自分で決めた選択で後悔したときは、「次はこうしよう。」「次はこんなことに気を付けよう。」など、次に向かって前向きになります。しかし、自分以外に決められたり、流されたり、強いられた選択で後悔したときは、「やっぱりこうしておけばよかった。」「あの時こうしたかったのに。」「誰々のせいや。」など、ついつい後ろ向きな思考になってしまい、次になかなか進めません。

自分で決めることが肝要です。しかし、独りよがりになってはいけません。論語にこういう言葉があります。「学びて思わざれば即ちくらし、思いて学ばざれば即ちあやうし」。これは、教えを受けただけで、自ら考えなければ、真理には到達できない。しかし、自分だけの考えで、他者に耳を傾けなければ、独りよがりに陥ってしまうという教えです。

君たちは、これから様々な分岐点に立ち、選択を迫られることが多々あると思います。その時は、自分の頭で考え、他者に耳を傾けつつも、自分で決定し、自分で責任をとる。そのために、今、様々なことを学び、経験しているのです。そして、前向きな後悔を重ねていきましょう。

本日は終業式です。また、これから年末・年始の節目を迎えます。この節目では少し立ち止まって自らの一年を振り返り、来年に向け前向きに考えてほしいと願っています。

 

校長 塙 守久

12月避難訓練後の話

皆さん、おはようございます。

今回の避難訓練は地震及び火災の想定での訓練でした。前回より真剣に取り組めましたか?

「天災は忘れた頃にやってくる」と言いますが、本当に突然やってきます。突然の対応が迫られ、判断、行動しなければなりません。その時は考える間もなく、その場で考えていては手遅れとなってしまいます。ですから、あらゆる場面を想定して準備しておく必要があります。少なくとも学校や自宅での準備は必要です。そのための訓練です。

2011年3月11日、東日本大震災の時、「釜石の奇跡」と言われた出来事がありました。地震が起こり、釜石東中学校の生徒が避難訓練のとおり校庭に集まり、その後高台に走って逃げました。隣の鵜住居(うのすまい)小学校の児童は、最初、訓練どおり3Fの教室に上がり避難していましたが、隣の中学生が高台に走って行くのを見て、小中合同訓練を思い出し、校舎を駆け下り、中学生のあとを追い高台に逃げました。津波で釜石市は1300名を超す行方不明者がいましたが、釜石東中学校と鵜住居小学校の児童生徒は570名全員無事でした。

中学校は、津波を想定して高台に逃げる避難訓練をしていたため迷わず高台に逃げることが出来たということ。小学校は、3Fへの避難を想定していたが、中学生が高台に逃げる様子を見て、合同訓練を思い出し、3F以上の津波が来るかもしれないと急遽判断し、中学生のあとを追ったこと。普段の避難訓練と急遽の判断、2つのことが奇跡を生みました。避難訓練で想定していたからこそ、その場の判断が間に合ったという奇跡です。

学校での避難訓練は、今年最後ですが、自宅に帰ったら、各ご家庭で、防災グッズの点検、避難経路・避難場所の確認等をお願いします。

また、自分の無事や被災地の家族・知り合いの安否確認ができる災害伝言ダイヤルは覚えていますか?私の身長1・7・1です。いざという時のために覚えておいてください。

 

校長 塙 守久

平和の有難さ ~2学期始業式にて~

 

 皆さん、おはようございます。7月下旬からの長い夏季休業期間が終わりました。正規の授業がないというだけであって、補習、部活、模擬試験などで、普段と変わらないような生活をした人も多かったことと思います。事故や怪我なく無事に過ごせたでしょうか。

 1学期の終業式では、「甘え心を捨てること」「基本に徹すること」の話をしました。甘え心は払拭できましたか。基本は身に付きましたか。それができた人は、必ず2学期にグングンと成長します。楽しみにしておきましょう。

  

 さて、毎年のことですが、8月は、戦争と平和や、人の命のことを考える機会が多くありました。8月6日は広島に原子爆弾が投下された日、9日は長崎の日、そして15日は終戦の日と、連日、新聞やテレビで関連のニュースや番組 が多く取り上げられました。

 私は、この時期に必ず「火垂るの墓」という映画を観ることにしています。野坂昭如の原作で、戦時中、神戸を舞台に子供の兄と妹だけで生き抜こうと、必死で生きたが、はかなく二人とも亡くなってしまう物語です。この映画を観る度、涙が流れます。涙する度、生きていることを実感します。生きていることを実感する度、平和の有難さを感じます。

 第2次世界大戦によって、心ならずも犠牲になった方々が大勢おられました。日本では300万人以上の方が亡くなられたと言われています。その中には君たちと同世代の若い人たちも多数含まれていました。戦争末期、片道限りの特攻隊が組織され、出撃した特攻隊員の多くが20歳前後の若者でした。陸軍少年飛行兵学校や予科練習生を経た少年、学徒出陣で動員された大学生もいました。戦争の時代と言える昭和初期に育ち、"お国のために"戦争におもむくのは当然、戦場で命を散らすのは名誉なことだという価値観の中で生きていました。特攻隊員になることは志願制とされましたが、そこには命令や指名もあり、拒否することはできませんでした。そのなかで、万に一つも生き残る可能性のない特攻を前に、苦悩したり疑問を感じたりした若者も少なくなかったでしょう。痛ましいことです。

 戦争は、まともな人間らしさを持つことが許されません。ですから、人間らしさを保てる平和な時代に生きている私たちは、次の世代に歴史を語り継ぎ、同じ過ちをせず、平和の大切さを伝えなければなりません。

 今、ウクライナでは、ロシアの侵攻による戦争が1年半も続いています。多くの命が奪われています。ウクライナ国民は、いつ平和が訪れるのか、いつ日常が戻ってくるのか、不安な日々を過ごしていることでしょう。同じ時代に生きている私たちは、しっかりと関心を持ち続け、ウクライナが平和へ近づくため、何らかの支援をすることが今後も大切です。

 

 平和な日本といえども、コロナの第9波が必ず来ると言われています。9度目の波ということで「またか」と辟易している人もいるかと思います。しかし、私たちひとり一人の命は、平和が繋いだ大切な命です。その時には、人間らしさを忘れず、防止対策を徹底して、ひとり一人の命を守っていきましょう。今日は防災の日です。災害伝言ダイヤル覚えていますか?私の身長、171です。

 この2学期に君たちひとり一人の命が、より一層輝くことを願っています。

 以上で、校長の話を終わります。

 

校長 塙 守久

「キホン」~令和5年度 第1学期終業式にて~

 みなさんおはようございます。本日よりサッカー女子ワールドカップが開催されますが、今日はスポーツでよく言われる基本についてお話ししたいと思います。

 「基本や基本。」私が部活動顧問の時、よく言っていたことです。「反復練習で忍耐力と基本を身に付ける。できなければまた基本に戻る。その繰り返しで体に覚えさせ、自然に動けることが大切である。」と。基本には技術だけではなく、「挨拶をする、返事をする、嘘をつかない、感謝する、道具を大切にする。」などもありますが、これらは、社会で生きていく上での基本的なルールです。人と人との間では、当たり前のことです。

 私は長い間にわたって、高校生に接してきました。今も昔も高校生は純真で、素晴らしい可能性を持った存在です。けれども、私が今の高校生を見て一番残念に思うことは、弱々しさが目立つということです。精神面でも身体面でも、そのように感じます。

 人は時代の流れの中で生きていますから、社会の変化につれて高校生も変化してきたのは当然です。高校生は大人の世界を映しているとも言えます。そういう意味では、大人一般とも共通することです。

世の中には、平気で嘘をつく人がいます。言い逃れをしてごまかそうとする人がいます。他人への配慮が乏しく自己中心的な人がいます。大人の中にもそのような人がいます。自分に対して甘い人です。

 生きる力という言葉がしばしば使われていますが、私は、社会の基本的なルールの本旨(本来の趣旨・意図のことです。)それを理解し、しっかりと身に付けることこそが、生きる力であると考えています。そういう意味では、本校のリーガルマインドは基本であり、生きる力であると思います。

 そして、自分のことは自分でするということが大切です。自分に与えられたことを、弱音を吐かずにやり抜くことです。世の中はあまりにも過保護な世界になっています。他人に手助けしてもらうことを当然だと考えている人がいます。親切であることと過保護であることとは全く違うのですが、そのことに気づいていない人がいます。過保護から抜け出すには、自分で責任をとるということしかありません。

 今日は終業式です。学校生活の区切りの日です。自分自身を振り返ってみてください。自分自身の中に巣くっている甘え心に気づきませんか。自分のことは自分でするのだという気構えを、改めて強く持ってほしいと思います。その気持ち一つが、勉強への取り組みも、部活動の姿勢も、社会生活する考えや態度も変えていくのだと思います。一歩一歩、大人の世界に仲間入りしようとしている君たちにとって、“甘え心を捨て去ること”そして“基本に徹した生き方をすること”それが必要だということを、強く言いたいと思います。そして、充実した夏休みになることを願っています。

校長 塙 守久