未来への希望を諦めない
(進路通信2月号より)
生徒諸君に寄せる
宮沢賢治
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強いられ率いられて
奴隷のように忍従することを欲するか
むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ
諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はこの地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ
宙宇は絶えずわれらによって変化する
新たな詩人よ
雲から光から嵐から透明なエネルギーを得て、人と地球によるべき形を暗示せよ
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
衝動のようにさえ行われる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ
新しい時代のダーウィンよ
更に東洋風静観のチャレンジャーに乗って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
潮や風……
あらゆる自然の力を用い尽すことから一歩進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る 透明な風を感じないのか
(抜粋・現代仮名遣いに修正)
未来への希望を諦めない!
■苦難の時代・人生を生きた宮沢賢治
左の詩を、声に出して読んでみて下さい。1920年代に農業高校で教師をしていた宮沢賢治が、未来に希望を持つことを力強く呼びかける詩です。元気が出ますね。
しかし、賢治は、決して希望に満ちた時代に、幸せな人生を送ったわけではありません。
明治三陸大津波の年に生まれ、凶作や飢饉(ききん)に見舞われる過酷な風土の中で育ちました。大正デモクラシーの自由闊達な雰囲気の中での学校生活で心に刻んだものと、その後の日清戦争から日露戦争にいたる戦争の時代の空気感との矛盾に苦しんだようです。
25歳で農業高校の教員になったものの、翌年深く愛した妹トシを肺炎で亡くし、計り知れない打撃を受けました。
そして、29歳で「百姓になる」と言って、突然教員をやめてしまいます。その心中にあったものは何かよく分かっていませんが、何らかの深い絶望があったと推察されます。その後、37歳の若さでこの世を去ります。
■深い絶望の中で紡ぎ出した希望
左の未来への希望を謳った詩は、いつ創作されたと思いますか?希望に満ちていきいきと教員生活を謳歌していた時期ではないのです。実は、賢治が教員をやめた2年後の31歳の時だとされています。上の背景を考えれば、深い絶望の中で創作したと推察されます。
ハーバード大学で人間の感情を研究している人たちによると、「希望という感情は絶望の後にしか現れない」のだそうです。
■困難な時代だからこそ、希望を語ろう!
希望のあるところに人生がある。
希望は新しい勇気をもたらし、
何度でも、強い気持ちにしてくれる。
『アンネの日記』の著者・アンネフランクの言葉です。ユダヤ人だったアンネは、第二次世界大戦中に、ナチスに迫害されて逃亡生活を送り、最期は、強制収容所の中で餓死しました。そんな絶望の中で、アンネは、希望を持つことの大切さを語りました。
■退廃は、希望を失うことから始まる
今、世界はコロナウィルスの蔓延で、暗い雰囲気に包まれています。もしかすると、日本・世界は大変な経済危機に見舞われるかもしれません。高校生活を送る君たちの中にも、自分や日本の将来に不安を感じている人も多いでしょう。
しかし、退廃は、希望を失うことから始まります。困難な時期だからこそ、希望を持って高校生活を送りたいですね。