総長・校長室より

総長・校長室より

「ひょうご安全の日」ー精一杯真心こめて助け合う気持ちをー(R4.1.17)

 1月17日(月)、阪神・淡路大震災が起こって27年目の「ひょうご安全の日」に、附属高校では朝に全校放送で、附属中学校は全校集会で、震災について話した。

 今でも震災で苦しんでいる人がいることを忘れず、どんなに苦しい状況であっても、できる人ができる範囲で、精一杯真心こめて助け合う気持ちが大切であることを伝えた。

 生徒たちは真剣に話を聞いてくれましたが、ボランティア精神の大切さもわかって行動して欲しいと願っている。

                                      校長 小倉 裕史

 

 阪神・淡路大震災の追悼(概要)

 阪神淡路大震災が発生してから、今日で27年目を迎えました。今日、1月17日は、「ひょうご安全の日」と定められ、県内各地で防災に関する行事が行われています。

 27年前の1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震といわれる、淡路島北部沖を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震が発生し、最大震度7を記録しました。

 この地震によって、戦後最大の都市型災害が起こり、多くの方々が犠牲となられました。この阪神淡路大震災によって、6434名の尊い命が一瞬に奪われ、負傷者も約4万4千名(43,792名)で、それまで賑やかであった神戸や阪神間の街並みが一瞬に変わりました。皆さんと同じ19歳以下の未成年者は、569人が犠牲になりました。

 阪神淡路大震災について、皆さんは、写真などで見たことがあるかもしれませんが、阪神高速道路が倒壊し、学校や病院をはじめ多くの建物が倒壊したり、火災によって焼失し、今日のような真冬の寒い中、多くの人が体育館などでの避難生活を余儀なくされました。自宅の倒壊を免れた人も水道・ガスなどのない生活を送り、JRを初めとする交通機関も長らく寸断され不便な生活を送る大変な状況になりました。

 高校2年生の人は、昨年、淡路の野島断層保存館に行って感じたことと思います。

 今では、街並みも完全に復興して震災の爪痕を見ることはありませんが、震災で家族や自宅、会社など大切な物を失って、今もなお苦しまれている方が多くいることを忘れてはなりません。今では誰でも知っているボランティアという言葉も、阪神淡路大震災当時はあまり知られていませんでしたが、避難所となった高校で、高校生が被災者のために、献身的に働いていました。自分自身も被災したにもかかわらず、学校の再会がいつになるかもわからない中、一生懸命働いていました。普段は、両親や友達に甘えて暮らしていた高校生たちが、たくましくボランティア活動をする姿は感動的でした。阪神淡路大震災で根付いたボランティア精神は、11年前の、平成23年の東日本大震災(マグニチュード9.0、死者15,879人、行方不明者2,700人)や、平成28年の熊本地震においても、大きな力を発揮しています。

 どんなに苦しい状況であっても、できる人が できる範囲で 精一杯真心を込めて助け合う そんな気持ちが一番大切ではないかと思います。私たち一人ひとりが、精一杯 諦めずに最後まで頑張る その思いを忘れなければ、どんなに苦しい状況でも、必ず道が開かれ、乗り越えていけると信じています。

「人の行く ウラに道あり 花の山」

 中学生には、冬休みのしおりに書きましたが、人と同じ道ではなく、人のしない努力をする そうすれば素晴らしい花の山、自分の目的が達成できると思います。

 高校3年生は、昨日までの2日間の大学入学共通テストお疲れさまでした。これから自己採点をして出願する大学を決めることとなりますが、ある意味これからが本当の頑張り時です。最後まで諦めずに頑張ってください。