玄関右側の銅板の由来

  

   本校玄関右側にある銅板について  (神戸新聞掲載の学校人脈から引用)

 

 大正5年に尼崎市にも県立中学校建設の要望が高まり、県に陳情したが財政難を理由に首をタテに振らなかった。

 「いっそ、市立中学校・・」を建設してほしいという市民運動が盛り上がり、当時の上村市長が先頭に立ち、市民の寄附も相次いだが、目標の建設資金は集まらなかった。

 そこで、尼崎市内で運送業をしていた佐古寛一氏が中心となり、資金調達の手段として「芝居」を興業し、その資金を学校建設に充てる等の努力により建設に漕ぎ付けたものである。

 銅板には、その当時の市民からの寄附者 649名の名前が刻まれている。