校長室より

校長室より

令和6年度 「新年度のご挨拶」

 兵庫県立香寺高等のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 令和5年4月に校長として本校に着任し、2年目を迎えます 森 美樹 と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。日頃より本校の教育活動に’ご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。

 本校は、昭和24年に兵庫県立福崎高等学校神南分校として開校され、昭和49年に兵庫県立香寺高等学校として独立、そして平成9年に兵庫県下初めての総合学科高校に改編され、創立75年となる伝統ある学校です。

  本校では、総合学科の特性をふまえ、数多くの選択教科・科目が用意されており、将来の目標や興味関心を見据えて生徒が自分自身で学びたいものを学ぶシステムとなっています。選択するにあたっては、ミスマッチや選び損ないを防ぐため、教師の手厚いサポートが受けられます。夢、目標、志をかなえるために、長所や得意なことをさらに伸ばすことができる学校です。令和5年度の1年間、生徒の活動を見守る中で、他校にはない充実した教育環境と指導技術、また体験学習や特徴ある課外活動を通して、生徒の成長がいかに大きなものであるかに感じ入り、目を見張る思いがしました。

  香寺高校で2年目となる私にとりまして、本校の1番の自慢は生徒です。教職員に対してはもちろんのこと、校内でおみかけした初対面の方や校外で出会った地域の方々にも気持ちのよい挨拶と明るく素直な言動が相手に好感を与えるような存在です。ご家庭での養育や本校教員による指導の賜物であり、香寺高校を選んで入学してくる生徒の元々の良さが入学後大きく花を開かせているのだと確信しています。

  本校教育活動のさらなる充実と発展のため、ホームページをご覧いただいた皆様には、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

                                        令和6年4月1日

                                        兵庫県立香寺高等学校

                                        校長  森  美 樹

令和5年度 「新年度のご挨拶」

 兵庫県立香寺高等のホームページにアクセスしていただき、ありがとうございます。

 令和5年4月3日に校長として本校に着任しました 森 美樹 と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

  本校は、昭和24年に兵庫県立福崎高等学校神南分校として開校され、昭和49年に兵庫県立香寺高等学校として独立、そして平成9年に兵庫県下初めての総合学科高校に改編され、今年創立74年目を迎える伝統ある学校です。姫路市北部に位置し、四季折々の豊かな自然に恵まれ、非常に落ち着いた学習環境を有しています。また、総合学科ならではの多彩な選択科目の中から「なりたい自分」を実現させるのに最適な科目を選ぶことができます。3年間で徐々に力をつけ、成長していく姿を見守りながら、私たち教職員は一丸となって全力でサポートしていく所存です。

 「個性伸ばせば、夢ひろがる ~君の夢が実現します~」のスローガンのもと、 生徒も教職員も学ぶことを最優先にしている学校を目指します。「この学校で学んで良かった」「この学校に子供を通わせてよかった」「地元にこの学校があってよかった」と言っていただけるよう、全身全霊を尽くして取り組んで参ります。

 日頃より本校の教育活動に’ご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。本校教育活動のさらなる充実と発展のため、ホームページをご覧いただいた皆様には、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

                                        兵庫県立香寺高等学校

                                           校長 森 美樹

 

 

ありがとうございました

ありがとうございました

 年度末を迎えました。2年間、兵庫県立香寺高等学校の校長として、大変お世話になりました。定年退職後の再任用校長としての2年間を、香寺高等学校で勤務できたことを本当に嬉しく思っています。

 思えば2年前の4月1日、井上新悟教頭先生の自家用車で香寺高等学校に着任しました。先生方から温かく迎えていただいたことを、昨日のことのように覚えています。

 2年間、本当に好きなようにやらせていただきました。始業式や終業式のパワポを用いたお話、文化祭や体育大会での親父ギャグ入りの挨拶、これでもかという程の回数の「校長室より」と「理科の散歩道」。多くの先生方に支えていただきました。特に井上教頭先生は、体育大会での「1、2、3、ダーッ」発言のように、芸風が変わってしまいました。申し訳ないことです。

 また、西播磨地区校長会、総合学科校長会等の会議では、たくさんの校長先生方に助けていただきました。また県の教育委員会事務局、特に高校教育課と教職員人事課の皆様には感謝しかありません。

 私事ですが、新年度からは東加古川にある、兵庫大学教職センター、というところに勤めることになりました。今度は大学生を相手に、教員採用試験や就職試験の合格へ向けてのお手伝いをすることになります。香寺高等学校からも、毎年兵庫大学に進学する生徒がいます。大学生になった皆さんとは、教職センターでお会いできることを楽しみにしています。

 私は香寺高等学校からは離れますが、4月からは新しく森美樹校長先生が着任されます。これからも香寺高等学校の発展を応援しています。生徒の皆さん、先生方、関係の皆様方のますますのご活躍を祈念してやみません。本当にありがとうございました。 

 木村 篤志

 

大塩平八郎の乱

大塩平八郎の乱

 藪田貫(やぶた ゆたか)さんが書いた、中公新書「大塩平八郎の乱」です。藪田さんは日本近世史を専門とする歴史学者で、現在兵庫県立歴史博物館の館長をされており、第二代の大塩事件研究会会長を務めています。

 大塩平八郎の乱は、日本史の教科書には必ず登場する事件ですが、私もこの本を読むまでは詳しい内容を知りませんでした。大塩平八郎の乱の研究としてまとめられたものとしては、幸田成友(こうだ しげとも)の「大塩平八郎」(1910)が最初です。ちなみに幸田成友は、文豪幸田露伴の実弟です。続いて石崎東国(いしざき とうごく)の「大塩平八郎伝」(1920)、戦後は相蘇一弘(あいそ かずひろ)の「大塩平八郎書簡の研究」(2003)が全三巻で発行されました。しかしこれらの研究では、書簡の分析等から大塩平八郎の人となりの研究が中心で、乱自体の分析が少ないものであった、と藪田さんは書いています。

 大塩は大坂町奉行所の元与力(町奉行を補佐する中間管理職で、行政を中心に、警察官と裁判官の役割を兼ねた)でした。大塩は文としては陽明学を研究し、私塾洗心洞(せんしんどう)を立ち上げ、弟子を数多く育てました。また武としては、槍の達人で、鉄砲や大砲などの砲術にも堪能でした。まさに文武両道で、徳川幕府の実績のある役人として活躍した人物であっただけに、大塩の乱は幕府を震撼させました。

 その大塩が天保8年(1837)2月19日に反乱を起こします。天保の大飢饉があり、餓死者が続出する中、奉行所に救済を嘆願したが容れられず、私塾の門弟たちと「救民」を掲げて決起しますが、わずか1日で鎮圧されます。大塩の乱の評価は二分しています。大塩贔屓(びいき)の意見は、決起当日に撒かれた「檄文」が「飢饉のため、餓死者が出ているような社会であるのに、幕府や奉行所は庶民を救おうとしない。また豪商たちと結託して、贅沢の限りを尽くしている。このような状況を救うために、我々は決起する」という内容であり、実際に所蔵していた書籍等を売却して窮民に施しを行ったので、大塩は素晴らしいというものです。反対に大塩嫌いの意見は、飢饉の最中に市街戦を決行し、罹災者を増加させてしまったのはけしからんというものです。

 そして反乱壊滅後、大塩は約40日あまり大坂市内に潜伏していました。他の同志たちは捕まったり、自害していたのですが、なぜ大塩だけは生き延びていたのか。その理由は乱の前日に幕府、特に老中あてに「国家のことについて掛け合う」という内容の密書を送り、その返答を待っていたようなのです。ここでも文武両道の大塩像が見られるようです。ともあれ、現在でも熱狂的な大塩ファンの人々がいるのは間違いないですし、今後また新たな書簡等が発見され、研究が進む可能性もあります。大塩の研究は親潮や黒潮に乗って、満ち潮のときに進むかもしれません。

 

小津と芭蕉の共通項

小津と芭蕉の共通項

 「江東区が世界に文化的に誇れるのは、松尾芭蕉と小津安二郎だ」作家の高橋治さんが残した言葉です。

 今年で生誕120年を迎える日本映画界の巨匠、小津安二郎(1903~63)は東京都江東区深川で生まれ、小学生の頃に三重・松阪に引っ越し、約10年を過ごした後に深川に戻り、映画界に入りました。映画監督として「東京物語」「晩春」「麦秋」といった世界的にも著名な代表作の数々を、脚本家の野田高梧、俳優の原節子、笠智衆といった「小津組」と呼ばれるおなじみの顔ぶれで制作しました。

 日本を代表する江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~94)は伊賀上野の出身なので、忍者かもしれないという説があります。亡くなるまでの約14年間、深川の芭蕉庵を主な拠点とし、「野ざらし紀行」や「おくのほそ道」などの旅に出ました。有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句を詠んだ場所も深川の芭蕉庵でした。芭蕉には蕉門(しょうもん)という一門があり、俳諧連歌は弟子たちと一緒に作り上げるものでした。「古池や~」の句は、芭蕉庵に集まった弟子たちと行った句会で、芭蕉が詠んだ最初の一句(発句)でした。

 俳諧と映画監督という違いはありますが、世界的にも有名なこの2人が、東京深川と三重にゆかりがある人物だということは、私も知りませんでした。また、芭蕉の俳句と小津の映画はともに集団創作であり、蕉門と小津組は似ていると言えるかもしれません。

 小津は、オズの魔法使いを、芭蕉は場所をわきまえて、作品を作り続けたのかもしれません。

 

言葉と人は、不思議に出会う

言葉と人は、不思議に出会う

 ミステリー作家の米澤穂信さんが、毎日新聞に書いていました。劇作家の寺山修司の作品に「ポケットに名言を」という角川文庫があり、その中にフランスの作家アルベール・カミュの「手帖」という作品からの言葉で、次のようなものが収められています。

「性格を持たないとき、人はたしかに方法を身につけなければならない」

「私(米澤さん)はこの言葉を、天才でないなら技を磨かねばならないと解釈した。書くべき内面がないならば、せめて上手くなれ。その技は、もしかしたら、ひょっとしたら、何かの「性格」に届くかもしれないと思った。言葉と人は、不思議に出会う」

 世の中には天才と呼ばれる人が、いるにはいるのでしょう。例えば将棋の藤井聡太さんは多分天才なのでしょう。しかし藤井聡太さんは自分を天才だとは思っていないのだと思います。そうすると世の中に存在する人は、私も含めて、ほぼ凡人だらけということになります。それならば、せめて「上手くなれ」「技を身につけよ」ということです。何かを求めて格闘していると、人は不思議と良い言葉に出会う、という訳です。

 3月、4月は、別れと出会いの時期です。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」1995年、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の冒頭の一節です。今回はいつものように(?)真面目に終了します。

 

赤いインク

赤いインク

 ある男が、東ドイツからシベリア送りとなりました。彼は、検閲官が自分の手紙を読むことを知っていました。だから、友人にこう言ったのです。「暗号を決めておこう。もし、俺の手紙が青いインクで書かれていたら、手紙の内容は真実だ。だが、もし赤いインクで書かれていたら、それは嘘だ」1ヶ月後、彼の友人が手紙を受け取ると、すべてが青いインクで書かれていました。そこには、こう書かれていたのです。「ここでの暮らしは大変素晴らしい。美味しい食べ物もたくさんある。映画館では西側の面白い映画をやっている。住まいは広々して豪華だ。ここで買えないものと言ったら、赤いインクだけだ」

 このジョークは、ドイツがまだ東ドイツと西ドイツに分かれていた時代に、ソ連の「社会主義」を皮肉ったものです。しかし、このジョークはひょっとしたら現在の私たち「資本主義」での暮らしにも当てはまるかもしれません。

 今私たちが享受している「自由」や「豊かさ」がこの青いインクで書かれた手紙の世界だとしたら。例えば、日本に暮らす私たちは、ウーバーイーツで美味しいものを注文したり、Netflixで好きな映画を見たり、ルンバの自動掃除機を買うこともできる。そんな世界では、私たちの望む自由がすべて実現されているように見えるかもしれません。でもそれはただ、この社会の不自由を描くための赤いインクがないからだとしたら。だって、実際には、給料は安いし、仕事もつまらない。家も車もローンを組まないと(あるいはローンを組んでも)買えない。定年まで必死に働いても年金はもらえないかもしれない。さらに、気候危機は悪化していく。そのうえ、インフレに悩まされる世界経済の先行きは不安で、日本には円安や人口減少という問題もある。ロシアとウクライナの戦争は終わる兆しがないし、台湾有事も心配だし、北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるか分からない。実際には、これからも資本主義が続く、と言われて未来に希望を持てる人は、どんどん減っているのではないでしょうか。これは単に、資本主義では赤いインクが手に入らなくて、世界が青いインクで塗りつぶされているだけなのかもしれません。

 ここまで長く引用した文章は、経済学者の斎藤幸平さんが書いた、NHK出版新書「ゼロからの『資本論』」の一節です。斎藤さんは現在に必要な赤いインクとして、マルクスの「資本論」を取り上げます。マルクス、資本論、社会主義などという言葉は、過去の遺物としてとらえられている気もします。斎藤さんは「資本論」とマルクスが書き残したメモ等を読み込み、これから必要とされる社会のあり方を考えていきます。もちろんそれは当時のソ連や現在の中国が行っている「社会主義」とはまったく異質な社会です。一読をお勧めします。社会を赤いインクで書くと、深い理解が得られ、愉快な機会が増えて、高い2階に登り、世界を見る視界が広がります。

 

失笑する人は笑っているか

失笑する人は笑っているか

 日本語、漢字は難しいシリーズが続きます。「失笑(しっしょう)」という言葉はどういう意味でしょうか。「失業(職業を失う)」「失念(うっかり忘れること)」「失格(資格を失う)」「失望(望みを失う)」などと同様に、「失笑」を「笑いを失う」つまり「(あきれるなどして)笑いも出ない」つまり「笑わない」と思う人が増えているそうです。

 二字熟語に「失」が含まれる場合、確かにそれを「なくす」「なくなす」「喪失する」という意味にとらえる場合が多いのは事実です。しかし「失」にはもう一つ「しそこなう」「落ち度」「誤る」という意味もあります。「失言(言葉を誤ること)」「失火(誤って火事を起こしてしまうこと)」「失禁(我慢できず大小便を漏らすこと)」「失政(政治の手法を誤ること)」などが例としてあげられます。「失笑」もこちらの意味で、「おかしさのあまり、吹き出してしまうこと。笑ってはいけない状況で、こらえきれずに笑いだしてしまうこと」という意味です。失笑する人は、当然笑ってしまった人になります。「失笑を禁じ得ない」という風に使います。

 またもう一つ、「失」には「行き過ぎ」「度を超す」という意味もあり「遅きに失する(遅すぎてタイミングをのがす。時機に遅れたため用をなさない)」という風に使います。同じ形で「長きに失する」「遠きに失する」「奇抜に失する」などが使われますが、それぞれ「長すぎる」「遠すぎる」「奇抜すぎる」という意味で、「失する」は「限度を超えている」「~であり過ぎる」という意味で使われます。

やはり日本語、漢字は難しいです。失笑すると、決勝で圧勝して、熱唱して、一生、発症や、抹消せずに、折衝ができるかもしれません。

 

音楽の構成

音楽の構成

 北海道函館市出身のロックバンド、GLAYです。1994年にメジャーデビューして、数多くのヒット曲があります。メンバーは、TERU(ボーカル)、TAKURO(ギター)、HISASHI(ギター)、JIRO(ベース)の4人で、活動の初期にはリーダーでもあるTAKUROが楽曲を作っていました。GLAYのヒット曲の中でも有名な曲は、97年8月に発表された「HOWEVER」です。この曲を作ったTAKUROが、先日こんな話をしていました。

 同じ97年2月に発表された小室哲哉さん作詞作曲で、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」を聞いたときに、これは当時のJ-POPの最高傑作だと思いました。新しい言葉づかいで歌詞の「永遠っていう」でいいんだと、その自由さが当時の安室さんの心情を出していて、あまりにも感動した僕は、一度でいいからこの曲のような「サビのような、いわゆる“つかみ”が来て、その後にちょっとしたイントロがある」という構成で書いてみたいと思って「HOWEVER」を作ったんです。

 「CAN YOU CELEBRATE?」は名曲で、現在でも結婚式ソングとして歌われています。「HOWEVER」も名曲ですが、こんな裏話があったとは知りませんでした。歌詞もメロディーも全然違う曲ですが、言われて見れば曲の「構成」はそっくりです。曲の発表当時にはこんな話はできなかったかもしれませんが、26年経ちましたから、もう時効ということでしょう。それにしても現在にも歌い継がれている名曲が、同じ年に発表され、先の曲を元ネタに使って、次の曲が誕生するというのは、面白すぎます。

 今のJ-POPは「Aメロ、Bメロ、サビ」という風に形式が決まっていたり、コンピュータミュージックのように、リズム重視の曲が多いように思いますが、97年にはこのように「音楽の構成」が模倣されていたのですね。構成を考えると、趨勢に押され、統制や養成する間もなく、優勢に創世されて、どうせいと言うのやら。

 

 

漢字の音読み

漢字の音読み

 皆さんは、漢字の読み方に音読みと訓読みがあることはご存じだと思います。このうち訓読みは、日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したもので、一般にひらがなで表記されます。そして多くの漢字の訓読みは、一種類です。

 それに対して、音読みの方は、漢字の中国語における発音に由来するものが多く、漢字によっては、複数の読み方があります。例えば「明」という漢字は訓読みだと「明るい(あかるい)」と読みますが、音読みだと「みょう」「めい」「みん」と三種類もあります。これはどういうことでしょうか。

 実は音読みには「呉音(ごおん)」「漢音(かんおん)」「唐音(とうおん)」の三種類があります。最も古い時代に伝わり、定着した音読みが呉音です。現在では仏教の用語に多く残っています。漢音は7~8世紀、奈良時代後期から平安時代初頭にかけて、遣隋使、遣唐使や留学僧などによってもたらされた読み方で、現在一番よく使われている読み方です。唐音は平安末から江戸時代の終わりまでに、禅宗の留学僧や貿易商によってもたらされました。唐音で読む語数は少なく、例えば椅子(いす)、行灯(あんどん)、提灯(ちょうちん)、蒲団(ふとん)などがそれにあたります。先ほどの「明」でいうと、呉音が「みょう」、唐音が「めい」、唐音が「みん」になります。ですから、音読みには複数の読み方が生じるのです。

 このうち、呉音で読む例としては、「眼(げん)」「行(ぎょう)」「品(ほん)」「色(しき) 般若心経に出てくる、色即是空(しきそくぜくう)」「食(じき) 断食(だんしょく ではなくて、だんじき)「発(ほつ) 発起人(はつきにん ではなくて、ほっきにん)」「変化(へんげ) 七変化(しちへんか ではなくて、しちへんげ)」「男女(なんにょ) 老若男女(ろうじゃくだんじょ ではなくて、ろうにゃくなんにょ)」「金(こん) 金堂(きんどう ではなくて、こんどう)」などがあげられます。なるほど仏教の用語がとっつきにくいとされるのは、この呉音読みにも原因の一つがありそうです。

 いやー、小学生の時には、なぜ一つの漢字の読み方がたくさんあるのかが不思議でしたが、そういうことだったのですね。呉音の読み方で、御恩返しができそうです。

 

湯道

湯道

 茶道や華道があるように、お風呂の入り方について「湯道」を提案したのは、小山薫堂さんです。薫堂さんは元々は放送作家として「料理の鉄人」をはじめ、数多くのテレビ番組を担当してきましたが、熊本県の出身でもあり、人気キャラクターの「くまモン」を生み出した人でもあります。2008年には映画「おくりびと」の脚本も手掛け、今回は映画「湯道」の企画・脚本を手がけました。

 「まるきん温泉」という銭湯を中心にした物語ですが、生田斗真、濱田岳、橋本環奈の3人が主役級です。その他、結構有名な俳優さんたちが少しずつの場面で、強力に個性を発揮しています。私の好きなオヤジギャグも満載です。日曜日の15時からFMで放送されている「日本郵便SUNDAY‘S POST」という番組に、小山薫堂さんとアナウンサーの宇賀なつみさんが出演されていますが、この番組で映画「湯道」の出演者が宣伝のためにゲストに来ていました。2月19日は小日向文世さん、26日は厚切りジェイソンさんでした。

 小日向さんは定年退職を迎える郵便配達員の役で、全体の狂言回しを行います。ラストシーンでは、素晴らしいセリフが与えられていました。ラジオでも、そのセリフが一番良かったと話していました。厚切りジェイソンさんは、日本の女性を奥さんに迎えるため、その女性の父親と仲良くなるために、一緒にまるきん温泉に行きます。ところが、びっくりするようなありえない行動をとってしまいます。「それは実際にはないやろ」と思いましたが、ラジオを聞くと、薫堂さんは「この話はフランスで聞いた実話です」と言われていました。ネタバレを避けるため、こんな表現になりましたが、他にも見どころ満載です。劇中歌もシャレが効いてて、素晴らしい。是非一度鑑賞してみてください。お風呂に入って、湯道を極めて、湯豆腐を食べましょう。

 

高級語彙

高級語彙

 言語学者の鈴木孝夫さんによると、「日常生活の中で誰もが普通に使う易しいことば」群を「基本語彙」と規定し、「主として学者や専門家が用いる難しいことば」群を「高級語彙」としました。そして日本語に対して、英語の高級語彙は門外漢にはなかなか理解できないと言います。

 例えばagoraphobia(アゴラフォビア、広場恐怖症)という神経症の病名があります。これは本来、広場のような広々とした空間にいると恐怖や強い不安を持続的に感じる病気の事です。この語はagora(アゴラ)という「公共の場」を意味する古代ギリシャ語と、やはりギリシャ語由来のphobia(フォビア)という「恐怖症」を意味する接尾語が組み合わさってできたものです。専門家でない人がそうした古典語の知識や教養抜きにパッとagoraphobiaを示されてもまったく意味が取れません。しかし日本語ならば「広場恐怖症」という字面を見ただけで、大体の意味内容を推測することができます。

 鈴木孝夫さんはこのように述べています。「なぜこのような違いが日本語と英語の間に見られるのかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組み合わせで造られているのに、英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである」

 なるほど、その通りなのかもしれません。ヨーロッパでは、大学で一般教養としてラテン語が必修科目だと聞いたことがあります。ただ日本でも漢字を見て、その意味が大体わかるというのは、ある程度の教養が必要になってきているように感じます。日本の小学校でも英語の学習が必修になりましたが、漢字の学習も疎かにしてはいけない気がします。漢字をしっかり学ばないと、園児が返事をせずに、臨時の惨事や珍事が起こり、民事の判事が汝に代わって、点字で印字してしまうかもしれません。

 

薫陶と陶冶

薫陶と陶冶

 薫陶(くんとう)を受ける、薫陶よろしきを得る、という言葉があります。薫陶という言葉はもともと「香を焚きしめて、粘土を焼き陶器を作ること」ということから、自分の徳で人を感化すること。すぐれた人格で教え育てあげること。という意味です。

 芥川龍之介の「手巾(ハンケチ)」という作品に「何故と云えば、先生の薫陶を受けている学生の中には、イプセンとか、ストリントベルクとか、乃至(ないし)メエテルリンクとかの評論を書く学生が、いるばかりではなく・・・」という文章があります。先輩や先生から良い影響を受けて、自分が成長するときに用いられます。

 もう一つ陶冶(とうや)という言葉もあります。これももともと「陶器や鋳物をつくる」という語でしたが、「人の生まれ持った資質や才能を円満完全に発達させること。人材を養成すること」という意味で使われます。「人格を陶冶する」「情操陶冶の教育を行う」という風に用いられます。少し難しい言葉たちですが、語源を知ると、また使いたくなりますね。

 このように、人格形成、人材育成はしばしば作陶(さくとう)、陶器をつくることに喩(たと)えられます。良い陶磁器を焼くためには、材料の粘土や釉薬、そして窯の温度や時間等、多くの手間がかかることから、このような表現が生まれたのだと思います。陶器を焼くためには、早期に冬季に勇気を持って、納期に間に合うように、早期に放棄してはいけません。

 

3.5パーセント・ルール

3.5パーセント・ルール

 アメリカのハーバード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院教授のエリカ・チェノウスさんが書いた「市民的抵抗 非暴力が社会を変える」を読み終わり、社会を見る目が少し変わりました。

 この本は、人々は政治的な暴力―テロ、宗派間暴力、内戦、反乱―を追求することがあるが、これは革命を起こすためには暴力を用いる方がうまくいくからだ、という思いこみがあるからである、というふうに始まります。しかし著者は社会を変革するためには暴力を用いるのではなく、非暴力の市民的抵抗の方が効果が高いことを実証していきます。その例として、1945年から2014年までの間に、世界中で実施された政府機関等に対する389回の市民的抵抗運動を題材に取り上げています。そして運動の観察可能な出来事の絶頂期に、全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説を唱えます。389回の市民的抵抗運動のうち、3.5パーセントのハードルを越えたのは、たった18回しかありません。しかしその18回のうち、明らかに失敗した例は2回だけで、あとの16回はいずれも体制を変革することに成功しています。

 この非暴力の市民的抵抗が成功するためには、大規模な参加、忠誠心のシフト、戦術的イノベーション、抑圧に直面した時に持ちこたえる力、の4つの特徴が必要です。現在でも、軍事力を背景にした独裁者が政権運営を行っている国家が見受けられます。民主的で、人間と環境に優しい国づくりが望まれるところです。革命を起こすためには、悪名を高くして、匿名のふりをして、克明に復命をすることが必要です。

 

 

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

シェイクスピアはなぜ、今も上演されるのか

 ウィリアム・シェイクスピアはイングランドで1564年に生まれ、1616年に亡くなりましたから、16世紀末から17世紀に活躍した劇作家です。四大悲劇と呼ばれる「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」など、数多くの傑作を残し、現在でもその戯曲は上演されています。当時のロンドンでは多くの演劇が上演されていましたが、シェイクスピア以外の作品は、今ではほとんど上演されません。なぜでしょうか。

 この疑問に答えているのが、劇作家、演出家で、兵庫県立・芸術文化観光専門職大学の学長である、平田オリザさんが書いた朝日新書の「名著入門 日本近代文学50選」です。この本によると、シェイクスピアの時代は、身分が固定され、自由な恋愛ができない封建社会からイギリスでは、エリザベス朝ルネッサンスと呼ばれる時代への過渡期である。ルネッサンス以降、人々は自らの努力によって、恋愛や冨や権力を獲得できるようになった。いや、なったというのは正確ではない。その可能性が生まれた。シェイクスピア劇は近代の黎明の時代に書かれた。人々は「もしかしたら、俺達って、とっても自由なんじゃない?」と考え始めた。新しい文学、新しい芸術は、こうした新しい秩序とともに生まれる。あるいは新しい秩序の完成途上に、その矛盾と向き合う形で生まれていく。その意味でシェイクスピアの戯曲は、新しさを失わない。このような内容です。

 またこの本の主題は、明治以降の日本の近代文学の歴史なのですが、明治、大正、昭和と時代が進む中で、やはり戦争の影響はとても大きいものがあったと書かれています。早く戦争のない世界を作らないと、運送や演奏ができないし、真相や人相もわからないし、連想や論争ができるように、奔走したいと思います。

 

西山太吉

西山太吉

 西山太吉さんという、元毎日新聞社の記者だった人がいます。第二次世界大戦の終了から、沖縄の施政権はアメリカ合衆国のものとなり、アメリカ軍の基地が多数置かれ、特にベトナム戦争では沖縄の基地から爆撃機等がベトナムに向かっていました。このままではいつまでたっても、沖縄はアメリカの統治下のままです。そのころ沖縄出身の歌手、南沙織さんはパスポートを持って、日本本土に来ていました。

 当時の佐藤栄作首相は、アメリカのリチャード・ニクソン大統領と1971年に沖縄返還協定を結び、72年5月15日に沖縄が日本に返還されました。その功績から、佐藤栄作首相にはノーベル平和賞が授与されました。しかし、この交渉の中では、功を焦る日本政府は

①アメリカが沖縄の基地を、これまで通り自由に使い続けること 

②沖縄返還にかかる費用は日本が負担すること

③その代わり、アメリカ軍が沖縄に保管していた核兵器はすべて撤去すること

という交渉をしていました。「していました」というのは、後になってアメリカの公文書が公開されて明らかになったことで、「アメリカが沖縄の地権者に支払う土地原状復帰費用400万ドルを、日本政府がアメリカ政府に秘密裏に支払う」という密約が存在していました。ここで「西山事件」が起こります。西山太吉記者が外務省事務官からこの機密情報を聞き出し、それを当時の日本社会党国会議員に漏洩したのでした。

 事務官と西山さんは逮捕され、裁判で有罪判決を受けますが、この時政府は「密約は存在しない」の1点張りでした。日本政府がウソをついていたわけですが、問題は西山さんの国家公務員法違反という罪に置き換えられてしまいました。また、アメリカの公文書公開からこの密約の存在が確認された後、西山さんは国家賠償請求訴訟を起こしますが、これも敗訴してしまいます。形としては国家に楯突いた西山さんが、嵌められたという構図です。

 この時も「公文書は存在しない」と言われました。最近にも同じような事件がありましたね。また、①のように、現在でも沖縄にはアメリカ軍基地が存在し、辺野古に新しい基地を作りつつあります。②のように、費用負担で言えば「思いやり予算」という名前で継続しています。

 西山さんは1931年生まれですから、現在92歳です。2022年に出版された「西山太吉 最後の告白」という集英社新書では、西山太吉さんと評論家の佐高信さんが対談をしながら、多くの出来事を振り返っています。私も大変勉強になりました。密約の存在を許すと、お金を節約して、活躍することができません。

 

紙芝居・イン・フランス

紙芝居・イン・フランス

 小さい頃に、紙芝居を見たことのある人は多いと思います。保育園や幼稚園、小学校で、あるいは街中でお菓子を買うと、おじさんが紙芝居をやってくれていました。

 そんな紙芝居ですが、発祥の地は日本ということです。その紙芝居をフランスで広めた人がいます。紙芝居作家の「つのゆいこ」さんです。もともと絵を描くことが好きで、美術大学に進学したつのさんですが、舞台美術や演劇にも興味があり、それなら両方ができる紙芝居をやってみようと思い立ったそうです。つのさんは父親の仕事の関係で、0~3歳までの幼少期をフランスで過ごしたということで、子供向けの紙芝居をフランスでやってみたいと思い、行ってきたということです。

 現地では大好評で、2018年にはフランスのラルースフランス語辞典にKamishibai(紙芝居)という言葉が掲載されたほどです。フランスでは紙芝居を通して友人もでき、紙芝居の舞台を作ってくれた人もいたそうです。もちろんフランスではフランス語で紙芝居を行いますが、現在つのさんは日本に帰ってきていて、日本でも紙芝居の普及に取り組んでいます。代表作は「めんどりさんときつねさん」。絵と、つのさんの語りによって、素晴らしい作品に仕上がっています。子供はもちろん、大人にも十分鑑賞に耐える作品です。ユーチューブでも見ることができるので、是非一度見てみてください。

 紙芝居には、ケバい姉ちゃんは出てきませんが、ヤバい話をかばい、ネバい結果が得られるかもしれません。

 

ぼくの職業は寺山修司です

ぼくの職業は寺山修司です

 歌人・劇作家・その他多くの肩書を持っていた寺山修司さんが、あなたの職業は何ですか、と尋ねられたときの答えは「ぼくの職業は寺山修司です」というものでした。

 ある人の中学校の同窓会があり、当時の先生が91歳になっていましたが、担任をした生徒全員の名前を暗唱されたそうです。年をとっても、自分の職業についての記憶が染みついているということです。日本語の職業は、英語ではオキュペーションに当たりますが、もう一つ、コーリングという語があります。(それをするべく)呼ばれている、召喚されているという意味です。自分がここに居ることの意味を問うと、「居る」を「要る」と考えることになります。ただ居るのではなくて、必要とされて要るということです。

 そして、人の生涯は私が生まれることで始まり、死ぬことで終わるのではなく、同時に、何かを受け継ぎ、また引き継がれるものとしてもあるということです。それを全うできたと思えた時にはじめて人は、寺山修司さんの言葉「ぼくの職業は寺山修司です」を、その人なりに口にしうるのでしょう。

 以上の文章は、哲学者の鷲田清一さんが書かれたものを、私が勝手に要約しました。大袈裟ですが、職業を「使命(ミッション)」と捉えられるかもしれません。生涯は受け継ぎ引き継ぐものという視点には、はっとさせられました。使命を果たし、汚名をそそぎ、悲鳴をあげて、記名をして、未明に呼名をしましょう。

 

森林の再生

森林の再生

 日本は国土の面積のうち、森林が67%を占めている森林王国です。しかし、林業は必ずしもうまくいっていないようです。なぜでしょうか。

 日本は第二次世界大戦によって多くの家屋が失われ、戦後その再建のために、多くの木材を必要としました。たくさんの木を切ってしまったため、洪水や土砂崩れなどの自然災害が頻発したため、1964年に木材の輸入を自由化しました。そのため安価で大量の外材が供給され、国産材の自給率が下がってしまいました。林業が他の産業と大きく異なるのは、生産に長期間を要することで、少なくとも30年、長ければ100年かかります。また、それだけの期間をかけて育てた木を伐採した後、次の木を植えていかなければ森林はダメになってしまいます。

 現在は地球温暖化が進んでいると言われています。木材の用途としては「用材(原木を製材や合板類、チップにするもの)」と「燃材(薪や炭、ペレットなどの燃料)」がありますが、石炭、石油などの化石燃料の代わりに木材を用いたり、間伐材を用いたバイオマス発電に利用する等、温暖化をこれ以上進めないために木材が使用できそうです。また、地球上の炭素のかなりの部分が森林に蓄えられていて、光合成による空気中の二酸化炭素の取り込みも期待できます。長く森林の問題に取り組んできた、吉川賢さんが書かれた「森林に何が起きているのか」という中公新書には、世界の森林の現在の状況と、今後の展望が記されています。「世界中の森林が持続的に利用されて、地球環境の保全に欠かせない役割を果たしてくれることを望む」と結ばれています。

 森林を活用すると、近隣の山林の年輪が増えて、世界に君臨することができます。

 

モチベーション

モチベーション

 生徒の皆さんは、モチベーションを高くもって、勉強や部活動に頑張っていますか。モチベーションを高く保つには、どうしたらよいのでしょうか。

 昭和の時代の運動部は、体罰(今はダメです)当たり前(でもないですが)、先生に怒られるから頑張る、先生に怒られないように手を抜く、などということがよくありました。モチベーションは、自分自身から出てくることがあまりなかったのかもしれません。

 モチベーション論には有名な「3人のレンガ職人」という比喩があります。

・レンガを積む作業を、単なる義務だと思うAさん

・レンガで壁を作れば、ご褒美がもらえると思うBさん

・レンガの壁の教会ができれば、みんなが幸せになると思うCさん

この3人の中で最もモチベーションが高いのは誰でしょうか。

 また、運動が脳に効くメカニズムについて、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏の著書「運動脳」では、運動をすることで脳細胞間のつながりを強化し、細胞の生存や成長を促し、老化を遅らせることができるそうです。私のようなおじさんが、運動に対するモチベーションも同様です。

・運動しなければならない、という義務感のAさん

・運動で得られる健康というご褒美を目指すBさん

・運動の先にある大会出場などの体験を楽しむCさん

 Aさんは、長続きしそうにありません。Bさんは少しましでしょう。Cさんはモチベーション高く継続できそうです。感動が大きい人ほど人は行動しやすいようです。生徒の皆さんも、勉強や部活動の先にある感動を目指して、頑張ってみませんか。感動すると、神童と呼ばれた人も、剣道などの運動をして、面倒な問答をせずにすみます。

 

国際連盟

国際連盟

 国際連盟は1918年に第一次世界大戦が終了し、パリ講和会議の後、1920年に発足しました。提唱したのは当時アメリカの大統領だったウッドロウ・ウィルソンですが、よく知られているように、アメリカはモンロー主義によって議会で否決され、結局国際連盟には参加しませんでした。

 国際連盟の仕事としては、①戦争の防止 ②委任統治、少数民族の保護 ③社会・経済的な取り組み の3つがあげられました。このうち、結果としては第二次世界大戦が起こってしまいましたから、①戦争の防止 が達成できませんでした。ということで、現在では国際連盟の値打ち(?)はなかった、という感じになってしまっています。果たしてそれでよいのでしょうか。

 国際連盟の本部はスイスのジュネーブに置かれましたが、発足当時は人も物もお金もなく、文字通り手探りの立ち上がりだったようです。ゼロから1を作り出すことは大変です。当分の間はホテルの部屋を借りて、本部にしていたそうです。当時の国際連盟本部は、現在では国際連合ジュネーブ事務局として利用されています。②と③については、かなりの成果があったものもあります。そして第二次世界大戦終了後の国際連合の立ち上げについては、国際連盟でのノウハウがかなりの部分に生かされています。限界はありましたが、当時の多くの人々の苦労が積み重ねられた国際連盟でした。連盟のために、混迷の中で懸命に運命を感じて、鮮明に本命に任命されるように頑張りました。

 

ないものねだりより、あるもの探し

ないものねだりより、あるもの探し

 斎藤幸平さんという学者がいます。大阪市立大学から東京大学へ転勤しましたが、2021年に出版した『人新世の「資本論」』という集英社新書が有名になり、新書大賞2021を受賞しました。マルクスの資本論を読み直して、環境問題や社会的資本の大切さを重視すべきだという内容でした。その斎藤さんが、日本各地の現場を取材して、毎日新聞に連載していた文章をまとめて「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」を出版しました。この本の中で、水俣を取材する中で出会った言葉が「ないものねだりより、あるもの探し」というものです。

 私たちは、日々の生活に追われて忙しくしていると、どうしても「ないものねだり」をしてしまう傾向があると思います。「もう少しお金があったら」「1日が25時間あったら」「私の成績が良くないのは先生のせいだ」等々。しかし、ないものねだりというのは、文字通り「ないもの」なのです。ないものをねだっても、あるものは生まれてきません。それよりも「あるもの」を探す方が、はるかに前向きだと言えます。あるいはもっと言うと、多くの人の力を借りながら、自分の力で「あるもの」を生み出していけば良いわけです。現在の世界には、閉塞感があるようにも思いますが、この本では多くの地域で、少しでも良い社会を作っていくために、努力している人たちの姿が描かれています。斎藤さんは学者であるからこそ、実際の現場から学び直しをしなければいけないと強調しています。

 学者が作者に代わって、役者として拍車をかけると、落車してしまうかもしれません。

 

詩人の言葉

詩人の言葉

 「朝、家を出てから、学校に着くまであったこと、見たことをきちんと言葉で伝えられればいい。詩を書くのはそのあとでいいでしょう」

 詩人の谷川俊太郎さんの言葉です。劇作家・演出家の平田オリザさんとの対談が済み、会場にいた若手教師が谷川さんに、今の子どもたちに最も大事な「国語の力」は何かと質問しました。自由な発想や想像力といった答えを誰もが想像しましたが、答えは冒頭の言葉でした。平田さんは「背筋が伸びる思いだった」と振り返ります。

 谷川俊太郎さんは、私たちが日常生活で用いるような平易な言葉を使って、鋭く奥行きのある詩を書かれる詩人です。その谷川さんの言葉ですから、余計に重みを感じます。何も特別難しい言葉を用いる必要はない、家から学校までにあったことや見たことを言葉で伝えられれば、そこから詩が生まれるまではほんのわずかだ、ということでしょうか。

 私はもちろん詩人ではなく、一人の高等学校の教員ですが、生徒や先生方に何かを伝えたいと思い、文章を書いたり、全校集会で話したり、歌ったり(!)しています。

 

キャット空中3回転

キャット空中3回転

 漫画ネタが続きますが「キャット空中3回転」と聞いて、これは「いなかっぺ大将」に出てくる「ニャンコ先生」の得意技だな、と分かる人はそんなに多くないと思います。漫画「いなかっぺ大将」は1967年から連載が始まった川崎のぼるさんの作品ですが、1970年からテレビアニメが放送され、小学生の私は熱心に見ていました。青森から上京してきた少年、大ちゃんこと風大左衛門(かぜ だいざえもん)は一流の柔道家を目指し、猫であるニャンコ先生と共に修行に励みますが、いつもずっこけてばかりです。私がテレビを見ていた当時には、気がつきませんでしたが、大ちゃんの声は「野沢雅子」、ニャンコ先生の声は「愛川欽也」、そして主題歌の「一つ人より力持ち~」を歌っていたのは「吉田よしみ」という名前になっていますが、実は「天童よしみ」でした。

 キャット空中3回転は、ニャンコ先生が柔道の技で投げられても、空中で3回転して足から着地するという技ですが、猫は空中に放り出されても必ず足から着地できるということは、よく知られています。今回この話を取り上げたのはノースカロライナ大学の「グレゴリー・J・グバー」という人が書いた「ネコひねり問題を超一流の科学者たちが全力で考えてみた」という本を読んだからです。猫が必ず足で着地するという現象をどのように理解するのかは、昔から研究されてきた出来事で、多くの著名な科学者たちが関わってきました。現在の高度な物理学を応用する必要もあるとのことです。この本を読んで(まず、読んだ人は大変少ない)、ニャンコ先生のキャット空中3回転を思い出した(この2つを結びつける人はもっと少ない)ので、これは希少価値にあふれていると思いました。この本でサイコーに面白かったのは、著者がこの本を読んで「どうか猫を高いところから落とさないでほしい」と訴えている所です。比較の対象としては、1975年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」の大ヒットによって、世界中のサメが大量に殺されてしまったという出来事です。自分の著書をジョーズと比較するとは、何と上手な宣伝でしょうか。

 

ゴルゴ13

ゴルゴ13

 ゴルゴ13は、小学館が発行する「ビッグコミック」誌で、1968年から連載が始まった「さいとう・たかを」さんによるアクション劇画です。日本人あるいは日系と思われる国籍不明のスナイパー・自称デューク東郷が、何物にも支配されず、ただ己の掟にのみ従って、依頼された仕事を完璧に遂行していくストーリーです。単行本の刊行が207巻を超え、2021年にはギネス世界記録にも認定されました。

 作者のさいとう・たかをさんは2021年9月に84歳の生涯を閉じられましたが、「さいとう・プロダクション」によって現在も連載が継続しています。これだけ長く連載が続いていますから、ストーリーの基本は時代とともに変化してきました。アメリカのCIA(中央情報局)とソ連のKGB(国家保安委員会)の暗躍が柱だった1970年代、産業スパイものが目立つ90年代、デジタル万能社会を使いこなし、かつ我が道を征くゴルゴが際立った2000年代以降、という具合です。この作品を読んで、国際情勢を学んだ読者も大勢いると思います。

 私には、主人公のデューク東郷は、イギリスの007シリーズのジェームズ・ボンドと重なって見えることもあります。昔は平気だったと思いますが、最近はコンプライアンス重視の傾向があるので、画期的な新しい作品を生み出していくことが困難になっていくのかもしれません。とりあえず連載は続いていくようなので、今後の活躍に期待しましょう。ゴルゴ13の話題を、大阪の十三に行ったつもりで、1月13日に掲載できることを嬉しく思います。

 

幸田文

幸田文

 「ただひとつ、去年どんないいことがあったか、を数えてみることにしている」

 幸田文(こうだ あや 1904~1990)さんの言葉です。幸田文さんといえば、文豪として著名な幸田露伴の娘さんですが、文さんの娘さんの青木玉さんも、その玉さんの娘さんの青木奈緒さんも作家、随筆家として有名です。露伴から4代続けて文芸の世界で知られる存在は、とても珍しいものだと思います。

 幸田文さんは繊細な感性と観察眼、江戸前の歯切れの良い文体が特徴で、折々の身辺雑記や動植物への親しみなどを綴った随筆の評価が高い人物です。伝わっている写真の姿は、和服姿のものが多く、明治時代の文化を感じることができます。

 冒頭の言葉は、嫌なことはずっと引きずるが、いいことはたいていその場限りで忘れてしまうことが多いので、年が改まったときこそ、去年あったいいことを思い出そう、という趣旨のものです。現代人の生活スピードはますます速くなっている気がして、次のこと、次のことで精一杯な毎日です。我が身を振り返る機会も大切だと教えてもらえた気がします。

 幸田露伴が、どうして文(あや)という名前を娘につけたのかは知りませんが、まさか孫やひ孫までもが文(ぶん)章で生きていくことになるとは、夢にも思わなかったと思います。

 

成熟スイッチ

成熟スイッチ

 皆様、明けましておめでとうございます。2023年が始まりました。今年こそ平和な世界の実現を望んでやみません。

 さて今回は、作家の林真理子さんの新著「成熟スイッチ」です。古希(70歳)に近づいている林真理子さんですが、日本大学の理事長を引き受け、雑誌の連載も続け、今回のエッセイの出版です。どれだけ元気でパワフルやねん、と感心するのですが、この本から引用します。

 「年をとって、後輩に成熟の素晴らしさを教えてくれる人と、老いの醜さ見せつける人がいます。若い頃には、それほど違いがなかったかもしれない人たちが、歳月を経ると、まるで別世界の住人のように振り分けられていきます。成熟にも格差が生じてくるのです」

 「成熟は一日にしてならず。しかし成熟への道は、成熟を目指したとたんに開けていきます。日常の小さな心がけの一つ一つ、世の中のいたるところに、成熟へと向かう小さなスイッチがちりばめられているのです」

 確かに年齢を重ねていくにつれ、「老害」「暴走老人」になってしまってはいけません。私も我が身を振り返り、スイッチを探そうという気になりました。成熟するためには、早熟のまま、原宿や新宿で遊ばなければなりません。

 

怒らない男

怒らない男

 作家の吉行淳之介さんは、温厚で「怒らない男」と呼ばれたそうですが、本人はそうでもないと書かれています。負の感情が爆発しそうになると、ある禅僧の次の言葉を思い出したそうです。

 「気に入らぬ風もあろうに柳かな」

 あの柳をごらん。気分のいい風ばかりではなかろうに素知らぬ顔で吹かれているじゃないか。と、そう考えれば少しは落ち着く。吉行さんによれば「だいたい効き目がある」そうです。

 本当に怒らなければならないこともたくさんあると思います。しかし、後になって冷静に考えてみると、そこまで腹を立てる必要もなかったことも数多いのではないでしょうか。腹立たしいことがあったときに、柳の木を思い出してみることも大切かもしれません。2022年も終わりを迎えますが、来年は腹立たしいことが少なくなるような年にしたいものです。腹立つことは、巨人の原辰徳監督に任せましょう。

 

トマ・ピケティ

トマ・ピケティ

 その筋では有名な人物であるトマ・ピケティです。1971年に生まれたフランスの経済学者です。彼を有名にしたのは、2013年の著書「21世紀の資本」です。当然フランス語で書かれた本ですが、世界10数カ国語に翻訳され、累計百万部を超えるベストセラーになりました。日本語版はみすず書房が2014年に出版しましたが、728ページもあり、定価5500円にもかかわらず、13万部売れています。

 「21世紀の資本」の内容を簡単に要約すると、次のようになります。「資本から得られる収益率が経済成長率を上回ると(実際にそうなっている)富は資本家へ蓄積される。そして富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすということを主題としている。この格差を是正するために、累進課税の富裕税を、それも世界的に導入することを提案している」この本が画期的だったのは、データが残っている範囲で、過去200年以上のデータを分析して、これまで収益率が経済成長率を上回ってきたことを実証したことにあります。

 今回、香寺高等学校の図書室にトマ・ピケティの新著「来たれ、新たな社会主義」を購入してもらいました。この本は学術書に近い「21世紀の資本」とは異なり、フランスの新聞「ル・モンド」に書いたコラムをまとめたもので、かなり読みやすくなっています。この本から引用します。

 「ハイパー資本主義はあまりにも行き過ぎてしまった。いまや私たちは、資本主義を超える新しい体制、すなわち、参加型かつ分散型、連邦主義的かつ民主主義的で、環境にやさしく、他民族共生かつ男女同権といった新しい形の社会主義について考える必要がある。私はそう確信している」

 「社会主義」という言葉にネガティブなイメージを持つ人もいると思いますが、現在の資本主義が絶対的に正しいとも言えないように思います。トマ・ピケティの言うことが100%正しいかどうかは分かりませんが、考えてみる余地は多分にあるように思います。ピケティよりキティちゃんの方が可愛いのは間違いありませんが。

 

杜撰

杜撰

 さて今回は杜撰(ずさん)です。物事が大雑把でいい加減、中途半端な様子を表す言葉ですが、私はこの言葉には語源があることを知りませんでした。

 中国の宋の時代(960~1279)に実在した詩人である杜默(ともく)にあるとされています。名前の「杜(と)」と詩文を作成するという意味の「撰(さん)」が組み合わさり生まれたものです。杜默が作る詩や文章は、定型詩の形式に当てはまらないものが多く、当時いい加減と批判されました。その故事から、詩や文章など著作物において誤りが多い、ひいては、いい加減な様子を著す四字熟語として「杜默詩撰(ともく しさん)」という言葉ができ、「杜撰」という言葉が生まれたと言われています。

 杜默にすれば迷惑な話ですが、それから千年も使われている言葉として残っているということは、逆にありがたい話なのかもしれません。計画性がなかったり、詰めが甘いということで、悪い意味で用いられてきました。私たちも杜撰な仕事をしないように心がけたいものですね。杜撰なことをすれば、悲惨な予算を組むことになり、遺産や資産をなくして破産してしまうかもしれません。

 

フリーのコーラ

フリーのコーラ

 「木村先生は、親父ギャグというか、ダジャレが好きですね」とよく言われます。「はい、その通りです」と答えています。日本語は同音異義語が多く、また、脚韻や頭韻を踏むと、文章にリズムが出てくるので、私が書く文章や、人前でお話をする場面で、数多く利用しています。

 しかし日本語以外の言語でも、このような例はたくさんあります。今でも私が鮮明に覚えているのが、1985年のアメリカ映画「バックトゥザフューチャー」の中の台詞です。主人公のマーティ(マイケルJフォックス)がタイムマシンに乗って、30年前の世界にタイムスリップしたときの話です。喫茶店だったか、ドラッグストアだったかで、マーティが好きな「ペプシコーラ」を注文するときに「FreeのCola」を頼みます。マーティが頼んだのはもちろん「Sugar Free」のコーラ、砂糖が入っていないコーラのつもりです。しかし、30年前の世界には「Sugar Free」のコーラは存在していませんから、店のおじさんは「Free(値段がタダ)のCola」なんかうちの店にはないと、怒ってしまいます。Freeという単語には、○○がない、という意味と、値段がタダ、という2つの意味があるから生じた、親父ギャグ、ダジャレだということです。当時の映画の日本語字幕では、Freeという単語の上に、マーティの台詞では○○がない、店のおじさんの台詞では値段がタダ、という風になっていたと思います。

 このように、ダジャレは世界中で愛好されています。皆さんも生活の中に潤いを求めて、使用してみて下さい。ダジャレは、オシャレなワインのボジョレーや、コジャレたすじゃれ(すだれ)にも使われます。

 

ボナエ・リテラエ

ボナエ・リテラエ

 私も初めて聞く言葉でした。ラテン語のようですが、直訳すると「良い書物たち」ですが、もう少し背景を広くとると「優れた・洗練された・品格のある」「文書・手紙・文芸・文学・教養・学問」という意味になります。「よい本を読めば、よい人間になる」かというと、そうでもないのが現実ですが、そう信じられていた時代もあったようです。

 「ボナエ・リテラエ」という言葉をよく使ったのはエラスムス(1466~1536)です。ネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる)出身の人文主義者、神学者、哲学者で「痴愚神礼讃(ちぐしんらいさん 愚神礼讃ともいう)」で、カトリック聖職者の腐敗を批判しました。彼が言う「ボナエ・リテラエ」は、キケロ、プルタルコス等の古典的書物や、キリスト教的な徳を建て、信仰の奥義を探ろうとするものが含まれていました。

 また次に「ボナエ・リテラエ」の概念が登場するのは、17世紀のアメリカ、ニューイングランドです。ハーバード大学の初期カリキュラムは、中世以来の人文主義的な古典教育でできあがっていました。「リベラルアーツ」と「ボナエ・リテラエ」の2本立てです。古典的な人文主義教育の柱は、ギリシャ語やラテン語の学習で、それこそがプロテスタント聖職者の職業訓練にぴったりのものでした。多くのピューリタンがアメリカ渡航前に卒業したケンブリッジ大学、オックスフォード大学のカリキュラムと同じものです。

 現在の日本の大学教育はどうでしょうか。すぐに役に立ちそうな教育ばかりがなされているような気がします。すぐに役に立ちそうなものは、すぐに役に立たなくなるものですから、いかがなものかと思います。良い書物を読んで、きゃもつ列車で、にゅもつを運びましょう。

 

スラムダンク

スラムダンク

 劇場版アニメ「THE FIRST SLAM DUNK」が公開されています。バスケットボールに携わる人間にとって、スラムダンクは避けて通ることができません。井上雄彦(いのうえ たけひこ)さんによって1990年から少年ジャンプで連載が始まり、その後テレビアニメが放送されました。スラムダンクを見て、バスケットボール部に入った中高生の数は、どれくらいになるのか見当もつきません。それくらい一世を風靡しました。

 映画の内容はネタバレになるので、詳しくは書けません。ただし、スラムダンクをよく知っている人にも、今回初めて見る人にも対応した中身だと思いました。画面の迫力は素晴らしいものがありますし、バスケットボールに対する愛情が感じられる作品に仕上がっています。安西先生の名台詞も健在です。

 一番気になるのが「ファースト」の意味です。セカンドやサードができるのか、という疑問です。できなくはなさそうですが、実際に作るのは大変そうです。今回も特に昔からの熱烈なファンに取っては「物足りない」という感想もあるようです。今後のお楽しみということでしょうか。

 ダンクシュートを決めるためには、画家のムンクがミンクのコートを着て、インクでリンクを張ることが必要です。

 

ロシア語を学ぶ

ロシア語を学ぶ

 今や世界中を敵に回している感があるロシアですが、歴史的にはロシア文学やロシア民謡には偉大な作品が数多くあります。また普通のロシアの人たちは、ある意味犠牲者と言えるかもしれません。ロシアの吟遊詩人「ブラート・オクジャワ」の「祈り」という歌があります。

 神よ 人々に 持たざるものを 与えたまえ

 賢い者には 頭を 臆病者には 馬を

 幸せな者には お金を そして私のことも お忘れなく・・・

 この歌の解釈は多様で、例えば「賢い者には頭」というのは、賢さとは心で悟るものだから頭脳とは別物だということを、「幸せな者にはお金」が必要なのは、幸福か否かはお金の問題ではないことをそれぞれ暗示しているという説があります。また、そうではなく全体として一般常識的な固定観念に対する皮肉であるという説もあります。そしてまた、それらの解釈とはまた別の層にある要素として、この詩には言語への希求のようなものがあるという説もあります。賢さや幸せという、普段は自明のものと認識している言葉の意味を考え直すことにもなります。新しい語学を学ぶということは、新しい発見があるものです。

 この歌を紹介してくれたのは「奈倉有理(なくら ゆり)」さんですが、彼女は1982年生まれで、2002年にペテルブルグに留学し、2008年に日本人としては初めてロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業し、多くのロシア文学の翻訳書を出版し、ロシアの動向について発言をしています。ちなみに「ゆり」という名前は日本では主として女性の名前でしょうが、ロシアでは「ユーリー」は男性の名前だそうです。彼女の著書である「夕暮れに夜明けの歌を」では、彼女がロシア語に魅せられて、語学を学ぶ中での学生や先生、近所に住むロシアの人たちとのやりとりやエピソードを記したエッセイです。一人の日本人と普通のロシア人たちは、生活して交流して当たり前のように友情を築き上げていきます。当たり前の日常が、早く戻ってくることを願わざるを得ません。当たり前だのクラッカー(若い人には分からない?)。

 

予想と期待

予想と期待

 何回目かのラジオネタです。本来は歌手の「GACKT」さんですが、格付け番組等で有名になったり、病気で療養したりしています。彼は人を前向きにするような言葉を多く発言しています。

 「予想を裏切る 期待には応える」

 彼がライブを行うときは、観客が予想しているようなステージや、楽曲の構成を裏切るようにしているそうです。しかし結果として観客には感動を与え、大満足で帰宅の途につくように、期待には応えることを心がけているそうです。

 この言葉は、もちろんショービジネスには欠かせない視点だと思いますが、他の分野にも当てはまることが多いと思います。「○○という会社が、新製品の××を開発した」「○○先生の授業は、斬新な切り口で、勉強になる」「○○課長は、課員の背中を押すような業務の取り上げ方をしてくれる」「○○という作家の小説は、次々と新しい世界を見せてくれる」これまでに社会現象にまでなった製品、例えば「ウォークマン」や「ファミリーコンピューター」「iPhone」等は、予想を裏切り、期待に応えたものだったと思います。

 私も「木村校長の始業式・終業式での話は、毎回予想を裏切るが、期待には応えてくれる。最後のギャグだけはすべりまくりだが」と言われるように心がけています。期待に応えるためには、機体に気体を詰めて、帰隊しなければなりません。

 

山紫水明

山紫水明

 山紫水明(さんしすいめい)という言葉は「日に映じて、山は紫に、澄んだ水は清くはっきりと見えること。山水の景色の清らかで美しいこと」という意味で、風光明媚(ふうこうめいび)な景色を表すものです。しかし普通、山は春から夏にかけては緑色だし、秋からは紅葉で黄色か赤色のはずです。山が紫色とはどういうことでしょう。

 四字熟語の漢字ですから、語源は中国の歴史書からのものと思いがちですが、実はこの言葉は日本の江戸時代後期に、平安時代から江戸時代までの歴史書「日本外史」を書いたことで有名な「頼山陽(らい さんよう 1781~1832)」が作った言葉です。頼山陽は京都鴨川の西岸に「水西荘(すいせいそう)」と名付けた居を構え、敷地内の書斎に「山紫水明処」という号をつけました。夕方に水西荘から東側を見ると、日が傾いて東山の山肌はすでに紫色にかげっているが、鴨川の川面は夕日の照り返しでまだ明るい。昼から夜に移り変わる夕暮れの短い間にだけ見られる、はかなくも美しい特別な景色を山紫水明と名付けたのです。後の人々は、時間を限定せずにただ美しい山水の景色を山紫水明と呼ぶようになっていった訳です。

 このように江戸時代には、まだまだ漢文の文化が主流でした。揖斐高(いび たかし)さんが書いた岩波新書の「江戸漢詩の情景」には、山紫水明以外にも多くの江戸時代の日本における漢詩が紹介されています。当時の学問といえば「儒学」とりわけ「朱子学」ですから、漢字ばかりです。漢字を知らないと、いい感じの幹事にはなれません。

 

カタール

カタール

 サッカーのワールドカップが開かれる、中東の国カタールです。アラビア半島に突き出したカタール半島で、面積は日本の秋田県と同じくらいの1427km2で、人口は250万人くらいの小さな国家です。国土の全域が砂漠気候であり、年間降水量が100ミリといいますから、日本で少し強い雨が1日降るときの降水量が、1年分ということになります。もちろん豊富な石油と天然ガスの産地ですから、経済的には豊かで、カタールでも大人気のスポーツであるサッカーのワールドカップを招致することができました。

 世界中で人気のあるヨーロッパのリーグ戦が毎年秋から春にかけて行われるため、これまでのワールドカップは、それを避けて夏の時期に実施されてきました。ですから最初はカタールでも夏に行うことを考えましたが、カタールの夏は気温が50℃になるくらいのとんでもない暑さなので、スタジアム全体を冷却する案が検討されたりもしました。結局夏の開催は諦めて、そのかわりヨーロッパリーグ戦を一時中断する(! 非常に大きな金額のお金が動いた?)ということで、開催に至りました。

 カタールは、本来のカタール人は人口の1割強しかおらず、残りの9割弱は南アジアや東南アジアからの外国人労働者で、特に男性労働者が大量に流入しているため、住民の4分の3が男性です。今回、狭い国家にスタジアムを作るために、かなり無理をして工事を行ったようで、外国人労働者の人権を無視した可能性が高いようです。そのためワールドカップの実施自体、どうなんだ、という意見もあり、ヨーロッパの中には、通常であればパブリックビューイングを実施するはずが、抗議の意味を込めて実施しない国もあるようです。でもワールドカップ自体を中止するということにはなりません。

 日本代表は、初戦のドイツ戦を逆転勝利という素晴らしいスタートを切りましたが、大きなスポーツの大会がお金まみれという現状はいかがなものか、という感じもします。ワールドカップはコップの中でアップして、シップを貼って、トップを目指しましょう。

 

これからのリーダー

これからのリーダー

 厚生労働省で事務次官を務めた村木厚子さん(木村ではない)は、これからの時代のリーダーに求められるのは「メンバーそれぞれの強みを生かすチームづくりだ」と言っています。そして「どんな上司が望まれますか」という問いには「情報を上げたいと思われる上司になることが大切だ」と話しています。

 「重要な情報が耳に入らずに『自分は聞いていない』という上司がいます。私もそう言いたいときはありますが、自分が部下の立場だったら、本当に大事な人には相談しています。もっとはっきりいうと、役に立つ上司のところには情報を持っていきます。大事なことを聞かされないのはリーダーとして格好悪いことなのかもしれません」

 確かに「私は聞いていない」と言って怒る社長や校長たちがいると聞いたことがあります。それは部下に対して「ちゃんと報告しない部下が悪い」と怒っているのでしょうが、実は聞かされていない自分の責任である、と考えることもできるわけです。怒る前に、自分のやり方を反省した方がよいのかもしれません。

 村木厚子さんは、厚労省の課長時代に事件に巻き込まれ、逮捕されましたが、実は冤罪(えんざい 無実なのに罪をかぶせられること)で裁判では無罪判決となり、厚労省に復帰して官僚としては最高位である事務次官になった人です。普通ではできないような経験をしてきた人だからこその説得力があります。生徒の皆さんも、情報を上げたいと思われる上司を目指しましょう。上司がよければ、調子に乗って、よい表紙が書けそうです。

 

二兎を追う

二兎を追う

 「二兎を追うものは一兎も得ず」ということわざは、もともと英語で「If you run after two hares you will catch neither」ということわざを日本語に訳したもののようです。「同時に2つのことをしようとする者はどちらの成功も得られない。1つの事柄に集中するのがよろしい」という意味です。しかしこのことわざに対して「二兎を追うものだけが二兎を得る」という言葉もあります。生徒の皆さんはどう考えますか。

 「文武両道」という言葉があります。中国の歴史書である「史記」にも記述があるようですが、日本では鎌倉時代以降の武士の世界で、文事と武事の両方に秀でることとして使われた言葉です。現在の高等学校でも、勉強と部活動の両立を目指すこととして、多くの学校の目標として用いられています。確かに、高校生には勉強はもちろんですが、部活動に取り組むことも大切で「二兎を追う」ことにつながります。

 総合学科の高等学校では、以前から「探究活動」に重きを置いてきました。探究は自分の興味関心のある事柄について、色々な方法を駆使しながら深堀していくもので、現在では普通科の高等学校にも広く取り入れられています。通常の学習活動と探究活動を両立させていくことも「二兎を追う」ことになると思います。

 ビジネスの世界では「二兎を追っていると三兎めが出てくる」という話もあるようです。多角経営を奨励するときには、適切なのかもしれません。皆さんも二兎を追うと、古都を問う事ができるかもしれません。

 

自信を持つ

自信を持つ

 生徒の皆さんは自信がありますか。どうすれば自信が持てるようになるのでしょうか。クラブの大きな大会に臨むとき、大学の入学試験を受けるとき、就職試験の面接を受けるとき、どれも緊張しますよね。これまでに経験のない状況になったとき、緊張したり、自信を持てなくなったりします。どうすればいいのでしょうか。

 まず、準備をしっかり行うことが1番大切です。大会前に練習をしっかりやって、試合に臨む。その大学の過去の入試問題を10年分くらいやり遂げてから、入試を受ける。先生方を利用し倒して、面接の練習を繰り返し行った後で面接試験を受ける。どこまで準備すれば100%になるのかは分かりませんが、しっかりした準備は必ず自信につながります。

 次は、自分を客観視することです。自分を自分以外の人から見たときに、どのように見えているのだろうと、想像してみることをおすすめします。緊張して、手足や唇が震えているとしたら「他人から見ても、緊張しているように見えるだろうな。でも、自分でもそのように思えているということは、私は落ち着いている」「大丈夫。これまでの人生の中で、1番緊張した○○のときよりも、私は落ち着いている」少し難しく感じるかもしれませんが、こういう習慣を身につけてしまえば、案外使えるようになるものです。

 最後は楽観的になることです。失敗しても、ミスをしても、命がなくなる訳ではありません。自分ではうまくいかなかったと思ったとしても、他人からは評価される場合もあります。頑張って、ダメならまた次に頑張れば大丈夫だ、と信じて対応することです。

 この3つの考え方は、私が40年以上昔の、大学受験のときに思ったことです。今でも本当に大変だった思いがありますが、やり遂げたことが私の自信につながっています。皆さんも、自信を持って、地震に負けずに、自身を発揮して下さい。

 

戦争絶滅受合法案

戦争絶滅受合法案

 今から約100年前に、大正デモクラシーを代表するジャーナリストである「長谷川如是閑(はせがわ にょぜかん 1875~1969)が紹介した「戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけあいほうあん)」です。

 「開戦後10時間以内に次の者を最下級兵卒として最前線に送ること。①国家元首 ②その親族 ③首相・大臣・次官 ④戦争に反対しなかった代議士ら」

 この法案が可決されれば、間違いなく戦争はすぐに終結します。それほど、①~④の人たちは、戦争を他人事として考えているわけです。戦争というものはいつの時代でも、年寄りが考えて、若者が戦うものです。長谷川如是閑がこの法案を考えた時代は、ちょうど日本が戦争に向かっていた時代でした。ですからかなりの勇気を持って、この法案を発表したのでしょう。約100年後の現在のロシアに対しても、当てはまるところです。

 生徒の皆さんも、役に立ちそうな法案を、草庵にこもって、答案を考案してみて下さい。

 

周りがあきらめてくれる

周りがあきらめてくれる

 兵庫県神河町の出身である女優の「のん」さんです。2006年にオーディションでグランプリを獲得し、本名の「能年玲奈(のうねん れな)」としてテレビや映画で活躍していましたが、いろいろなトラブルがあったようです。2016年から現在の「のん」という名前で活動しています。現在も映画「さかなのこ」では「さかなクン」をモデルにした役を演じています。

 そののんさんが、あこがれの人だという「矢野顕子」さんと対談をしました。矢野顕子さんといえば、シンガーソングライターとして独創的な歌声で世界的に評価されています。坂本龍一さんの奥さんで、子どもさんはやはりミュージシャンの「坂本美雨」さんです。

 のんさんは「どうやったら、やりたいことを貫いている矢野さんのようになれるのですか」と尋ねました。矢野さんの答えは「やりたいことをやり続けたら、周りがあきらめてくれるのよ」というものでした。のんさんには、やりたいことをやるために、相手を説得する考えはあっても、あきらめてもらう発想はありませんでした。「こんな言葉は矢野さんからしかきいたことがない。かっこいいなと思いましたね。余計なことを考えずに、シンプルにやりたいことをやろうと思うようになりました」

 生徒の皆さんはどう思いますか。自分がやりたいと思うことがやれていますか。他人にどう思われるか、を気にしすぎて、最初から諦めていませんか。萎縮していませんか。自分がなにものであるのか、なにができるのか、なにがしたいのか、自己肯定感を持てていますか。周りがあきらめてくれるくらいに、突っ走ってみてはどうでしょうか。私は、周りがあきらめてくれるくらいの、親父ギャグラーを目指していますが、まだまだ道半ばです。あきら君が馬手(めて)をくれるかな。

 

むずかしいこと

むずかしいこと

 「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」

 私がこの「校長室より」で目指していることなのですが、もちろん、私が考えた台詞ではありません。作家や劇作家として著名な「井上ひさし(1934~2010)」さんの言葉です。

 「私たちはとかく『やさしいことをむずかしく』「むずかしいことをあさく」『あさいことをつまらなく』語ってしまいがちです。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章を書くことは簡単だからです。深く考えないで、脊髄反射で、思い浮かんだことを書けばいいのですから。『むずかしく』『あさく』『つまらない』文章は、コンテンツを発信する側が受け取る相手のことより、自分の都合や思いを優先しているときに起きます。相手を雑に型にはめて単純化してしまうことで、思考停止になってしまっているのです」

 私がこの井上ひさしさんの言葉を知ったのは、朝日新聞夕刊の「素粒子」というコラムを読んだときです。新しくこのコラムを担当する方が、座右の銘として、この言葉を書いていました。私自身も目指していますが、なかなかたどり着けない目標として、素晴らしい言葉です。生徒の皆さんに話す機会の多い私としては、常に心がけたいと思っています。

 やさしく、ふかく、おもしろいこと、白い犬は、おもしろい(尾も白い)。

 

不思議なイギリス

不思議なイギリス

 2022年のサッカーワールドカップは、中東のカタールで開催されます。32の参加国の中には、イングランドとウェールズが入っています。同じイギリスという国の中に属するはずなのに、これはどういうことでしょうか。

 実はイギリスという国の正式な名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といいます。グレートブリテン島と呼ばれ、イギリスの本体である島の中にイングランド、ウェールズ、スコットランドという3つの地域「カントリー」があり、隣にあるアイルランド島のうち、北東部の「北アイルランド」を含め、4つの「カントリー」からできています。国家としてはイギリスとして1つの国ですが、サッカーやラグビー等のスポーツでは、カントリー毎にチームを作っているので、イングランドとウェールズは異なる2つのチームとして出場します。日本から「関東チーム」と「関西チーム」が出場するようなものです。

 もっと不思議なことは、アイルランド島という地続きの島で、北東部の北アイルランドはイギリスであり、それ以外の南西部は「アイルランド」という違う国になっています。これには長い歴史と、宗教の違い、文化の違い等があり、戦争も行われたりして複雑に絡み合って、現在のようになっています。これも日本でいうと、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍と、豊臣秀頼の西軍が別々の国として独立したようなものです。

 イギリスというと、世界で最初に産業革命を行い「大英帝国」として(多くの地域を植民地として)発展した国ですが、最近ではEUから離脱したり、今年は70年に渡り在位してきたエリザベス女王が亡くなり、チャールズ皇太子が国王となったり、話題を提供しています。また政権党である保守党のゴタゴタがあり、ポリス・ジョンソン首相、リズ・トラス首相を経て、インド系のリシ・スナクが首相になります。これまでにマーガット・サッチャー、テリーザ・メイと2人の女性首相がいましたが、リズ・トラスは非常に短命の3人目の女性首相でした。日本では女性の総理大臣はこれまでにはいません。また外国にルーツを持つ人間が首相になることはなかなか考えにくいです。やはり英国は、えい国なのでしょうか。

 

幸福とは

幸福とは

 人は誰しも「幸福」になりたいと思うものです。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。少子高齢化に歯止めはかかりませんし、気候変動問題によって、将来の経済発展に期待は持てません。地域間で、世代間で格差は広がり続けています。政治に対する不信感もあり、ロシアとウクライナの戦争の行方も読めません。「人生は本質的に苦しみだ」と考える人がいても不思議ではありません。苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきかを考えた哲学者がドイツのショーペンハウアー(1788~1860)です。

 彼は、生きる苦しみと向き合い、苦しみの源泉に他ならない欲望を否定し、エゴを超えていこうとしました。厳しい否定による悟りの境地である「意思の否定」を終着点とする「求道の哲学」を唱えました。なるほど、人間には欲望があるために、それが叶えられないとなると幸せにはなれません。最初から欲望を否定すれば、悲しみもなくなるというわけです。しかし、人間は本当に欲望をなくすることができるのでしょうか。ショーペンハウアーは晩年になり、その回答を示しました。

 「人生をできるだけ快適で幸福なものにする」ためには「思慮分別のある人は、快楽ではなく、苦痛なきを目指す」ことが必要です。そして幸福の礎となる「3つの財宝」を規定します。第一に「その人は何者であるか」人柄や個性、人間性などの内面的性質の事で、健康や気質、知性等とそれらを磨いていくことも含まれます。第二に「その人は何を持っているか」金銭や土地といった財産、その人が外面的に所有するものです。第三に「いかなるイメージ、表象・印象を与えるか」他者からの評価であり、名誉や地位、名声等です。

 私たちはたいてい、第二、第三のものを追い求めてしまいます。これらは「~がほしい」「~されたい」という欲望の対象で、どれほど多くを手に入れても、決して満足できないものです。もちろん、この第二、第三の財宝が全く価値がないものであるというのではなく、優先順位を明らかにする必要があるということです。第一の財宝は「内面の富」であり、これが「幸福の源泉」であるとします。人間は、若い間はなかなかこのように思うことができないように思います。他者からどのように見られるかは、気になるものです。しかしある程度年齢を重ねていくと、なるほどと思うようになってくるのも事実です。幸福を求めるためには、降伏せずに、合服を着ましょう。

 

富士山に登る人

富士山に登る人

 日本大学というマンモス大学があります。前の理事長が大騒動を巻き起こして辞任してしまい、どうなるのかな、と思っていたら、卒業生で作家の林真理子さんが理事長に就任しました。林真理子さんと言えば、有名な作家で、小説やエッセイを大量に書いてきています。しかし、大学の理事長という職業は全く別の世界なので、大丈夫かな?と思っていました。その林真理子理事長のインタビューを読みました。そこには漫画「浮浪雲(はぐれぐも)」に出てくる次のフレーズが登場していました。

 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人は1人もいませんよ」

 漫画「浮浪雲」は、ジョージ秋山さんが1973年から2017年にわたり長期連載した作品です。主人公の「雲」は普段ボーッとしていて、若い女性を見かけると「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と声をかける習慣があります。しかし剣の達人で、顔も広く、哲学的な台詞を多く残しています。大変人気があったので、渡哲也さんやビートたけしさん主演によるテレビドラマやアニメ作品にもなりました。「富士山~」のフレーズも浮浪雲の台詞です。

 富士山に登ろうと思えば、かなりの準備が必要です。道具もいりますし、体力も必要です。高山病の対策も考えねばなりません。準備をしても、当日の天候や風などで登頂できないこともあるでしょう。心に決めないとできないことです。散歩がてらでは不可能です。もちろんこれは、富士山登頂に限らず、あらゆる事に当てはまると思います。生徒の皆さんでは、○○大学に合格したい、次の部活動の大会で優勝したい、来年の体育大会や合唱コンクールではクラス優勝をしたい等、何でも当てはまると思います。

 「優勝しようと心に決めた人だけが優勝するんです。何の準備もしないで優勝するはずがありません」

 私も、小さくても何でも目標をもって、それに向かってしっかり努力をする生活を続けていきたいと思いました。優勝するためには、闘将が交渉をして、通商をして報奨が必要です。

 

 

斎藤隆夫

斎藤隆夫

 兵庫県但馬国出石郡(現在は豊岡市出石町)出身の斎藤隆夫(1870~1949)です。「さいとう・たかを」と平仮名で書くと、昨年亡くなられた「ゴルゴ13」の作者である漫画家になってしまいます。ちなみに「さいとう・たかを」の本名は斎藤隆夫といいます。斎藤隆夫は「勉強したい」という思いを胸に上京し、早稲田大学で学び、アメリカのイェール大学に留学し、帰国後は弁護士を経て、戦前ですので帝国議会の衆議院議員となります。彼は立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、軍部の政治介入に抵抗します。

 彼の国会における演説には有名なものが多数ありますが、まず1936年の「粛軍演説」です。この年には2・26事件があり、また1932年に起こった5・15事件をうやむやに決着させたことが原因であると、軍部に対する批判と、軍部に寄り添う政治家に対する批判を述べました。次に1940年の「反軍演説」です。1937年から支那事変(本来は「日中戦争」と呼ぶべきだが、当時はこの名称が使われた。ロシアとウクライナの「戦争」もロシアは「特別軍事行動」と呼ぶのと似ている)が起こっていて、この戦争と引き起こした軍部を強烈に批判しました。その結果斎藤隆夫は懲罰委員会にかけられ、議員たちの圧倒的多数の賛成によって衆議院議員を除名されてしまいます。

 ところが、次の1942年の総選挙は有名な「大政翼賛会」選挙となります。ほとんど全ての議員が「大政翼賛会」の推薦者として立候補しますが、斎藤隆夫は「非推薦」ながらも但馬選挙区でトップ当選を果たして、衆議院議員に復活します。私が斎藤隆夫のことを取り上げようと思ったのは、当時の状況下における彼の勇気ある言動と、彼を支えた地元の多数の人々の勇気に感心したからです。地元の出石町には、斎藤隆夫記念館「静思堂」が建てられています。斎藤隆夫の思想につながる「大観静思(静かに思いを巡らせる空間)」に由来する名前です。静思は生死を制止して、製紙を静止することができます。

 

 

曾国藩

曾国藩

 近代の中国史の研究家である、京都府立大学教授の岡本隆司さんが岩波新書で「李鴻章」「袁世凱」と書いてきましたが、今回は「曾国藩(そう こくはん)」を出版しました。曾国藩てどんな人? という方も多いと思います。もちろん、私も知りませんでしたので、大変勉強になりました。

 最初の名前は曾子城(そう しじょう)、1811年湖南省に生まれました。当時は清朝にあたりますが、まだまだ科挙(かきょ 公務員試験の飛び切り難しいもの)が行われていて、立身出世のためには科挙に合格することが求められていました。もともと真面目で、コツコツ努力する人だったようで、1838年に合格して、北京での役人生活に入ります。ところが1843年洪秀全(こう しゅうぜん)がキリスト教の一種である上帝教を創立し、1851年太平天国の乱を起こします。当時の清朝の軍隊は腐敗しきっていたようで、全く役に立たず、当時の咸豊帝(かんぽうてい)は曾国藩に任せることにします。曾国藩は私兵である「湘軍(しょうぐん)」を組織して戦いますが、もともと戦いは下手くそで、勝ったり負けたり、軍費にも困りました。結局約10年の歳月と死者数千万人を出しながら、ようやく平定することができました。曾国藩は軍人としては失敗も多くありましたが、希代の名文家で、日記や手紙を多数残していたので、死後すぐに「曾文正公文集(そうぶんせいこうぶんしゅう 文正という、おくり名をもらった)」が編纂されたほどです。また太平天国の乱を戦う中で、弟子として李鴻章(り こうしょう)を重く用いました。李鴻章と言えば、その後清朝ではこれまた私兵の組織である「淮軍(わいぐん)」を率いて活躍し、日清戦争の後の下関講和条約では、清朝の代表として下関の春帆楼(しゅんぱんろう)で、日本側の伊藤博文と交渉しました。春帆楼は現在でもフグ料理で有名な店で、敷地内には下関講和条約で使われたテーブルや椅子が展示されています。私も一度訪れて、フグをいただいたことがあります。

 もともと地味で真面目な秀才であった曾国藩ですが、時代の波の中で慣れない軍人をやらされたという感じです。しかし結果として清朝のために働き、数多くの漢人を殺害したので、後の時代からは、賞賛されたり、批判されたり、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい評価がついて回りました。曾国藩は天津飯が好きだったかもしれません。

 

 

人生は目撃

人生は目撃

 ラジオを聞いていると、作詞家の秋元康さんがこのように発言していました。

 「人生とは目撃である」

 そのときに、その場にいて、実際の現場や、テレビ中継であっても、目撃することが大切だ、という話です。1958年生まれの秋元康さんは、父親に連れられて、1964年の東京オリンピックを見に行き、2021年の東京オリンピックも見ることができたと言われていました。巨人の王、長島の現役時代を知っているとか、アントニオ猪木対モハメド・アリの対戦も見たよ、ということです。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」という曲の作詞を担当したのは、秋元康さんが30歳のときで、「あーあー、かわのながれのよーうーにー」と歌う美空ひばりさんを見たときには鳥肌が立ったそうです。それまでは自分の肩書きを「放送作家」と名乗っていましたが、それ以降は「作詞家」としたそうです。現在でも活躍している矢沢永吉さんですが、昔組んでいたバンド「キャロル」の解散ライブを見たとも話していました。

 「色々な目撃体験をみんな大切にした方がいい。今しか見られないものを見た方がいい。自分の中で最後に残るのは記憶しかないわけだから、それはすごく大事だと思うんですよね」

 私が目撃した中で、いまでも強烈に覚えているのは、1969年のアポロ11号が月に着陸して、アームストロング船長が月に降りたときのテレビ映像です。私が8歳のときで、多分日本時間では夜中で、私自身は眠たかったはずですが、両親に起きて見なさいと言われて見ていたと思います。当時の事ですから、当然白黒テレビで、解像度も良くなかったはずですが、画像は今でも覚えています。

 生徒の皆さんも、香寺高校で行われる文化祭や合唱コンクール、体育大会等は、その年次では高校生活で1回だけのものです。その現場で頑張って競技したこと、見聞きしたことは、かけがえのない自分の経験です。これからも大事にしていきましょう。演劇を目撃したら、激痛が走るかもしれません。

 

 

ドラえもん

ドラえもん

 生徒の皆さんには、9月30日と10月3日の2回に分けて、話をさせてもらいました。前期の最後には「ドラえもんのひみつ道具を使って、誰かに何かをしてあげるお話しを作りましょう」という宿題を出しました。宿題といっても、提出は自由としました。そして後期の始まりでは、種明かしをしました。

 「なぜこのような宿題を考えたのか。私はいつも皆さんにはパワポを使って話をしていますが、今回の終業式と始業式は、話す時間も短く、時期も重なっているので、どんな話をしようと考えながら、おやつに御座候を食べていました。御座候、どら焼き、ドラえもんと思いつきました。「思いつきを形にする」後は話を組み立てていくだけです。皆さんに何を考えてほしかったのか。ある程度の制限のある中で、正解のない問題に対して、自分の発想力で最適解を思いつき、言語化する体験をしてもらいたかったのです」

 生徒の皆さんがいくつか提出をしてくれましたので、その中から2つを紹介します。

 「地平線テープ」狭いところがイヤになったときに使うテープで、これを貼ると、どこまでも地平線が広がる空間になる。「地平線テープ」を体育館に貼ると、雨の日でも色々な競技ができたり、日光に当たらずに体育の授業ができる。

 「かるがる持ち運び用紙」この用紙の上に何かを置くと、吸い込まれて紙になり、紙の重さになるので、軽々と持ち運びができるようになる。「かるがる持ち運び用紙」を使うと、掃除や学校行事の際の大きな荷物運びを手早く終わることができる。

 このように、普段の学校生活の中で、不便に感じたり、こうすればうまくいくぞ、ということを考えてくれました。素晴らしい。このような発想力を大切にして、より良い社会を構築していく力を養ってください。

 確かにドラえもんは、どら息子がドライブしたり、ドラの音を出すわけではありません。