「二中」ができて、第1回の入学式が行われたのは、明治41年(1908)であって、本校ではこの年から年齢を数え、5月5日を創立記念日と定めている。当時の、校舎は木造で今の運動場の西半分に建っていた。一方、「県四」が垂水小学校の一部を借りて開校されたのは昭和17年であった。その後、戦時下、校舎の確保に幾多の苦労を重ね、最後には東須磨小学校の校舎を借りて使った事もあったが、学制の改革にともない、「二中」と「県四」とは合併して、「兵庫高校」が生まれたのである。「二中」「県四」以来の卒業生の数は約3万人を数え、全国各界で活躍しているが、美術や音楽などの芸術方面に人材が多く出ているのは大きな特色である。学校の合併と共に同窓会も一つになり、「武陽会」の名のもとに卒業の年度を越えて親しみ合い、励まし合っている。武陽とは本校の美称である。
二中の初代校長鶴崎久米一先生は、質素・剛健・自重・自治の精神を教育方針として掲げられ、全国に先がけてカーキ色の制服を定められた。この精神が本校の校風の根幹となり、これを四綱領と呼んで今も本校教育の根本精神である。
二中創立間もなく、運動場のまわりに150本のユーカリの苗木が植えられた。オーストラリア原産のこの木はぐんぐんと育って校舎の屋根を越え、30mに達する大樹となった。一年中浅みどり色の葉を繁らせ、大空をめざして立つ姿は壮観であり、この木はいつしか本校のシンボルとなった。先輩たちは校風にかなったこの大樹に夢と理想を託し、ユーカリの木の下で学業に励み、心身を鍛え、友情を育ててきたのである。それゆえ、本校の校歌をはじめ、生徒会歌、応援歌、エールなどには必ずといっていいほどユーカリが歌われており、本校の校章は、そのユーカリの葉と実とを組み合わせて作られている。現在では昔のままの木は見られないが、昭和51年先輩有志によって新たな願いをこめて苗木が植えられた。いま新しいユーカリが校地周辺にぐんぐん育っている。
二中の校歌は、故白川敏輔先生が新興二中の意気と理想を歌われたのが、そのまま校歌として歌いつがれた。県四の校歌は優しく軽やかなメロディで歌敷の丘と海を歌い、愛と理想を歌っている。兵庫高校の校歌は、発足間もなく当時の国語の先生がたによって作詞され、先輩の作曲家綱代栄三氏によって作曲された。新しい時代をめざし敗戦の荒廃から立ち上がろうとする新生兵庫の情熱と自負が高らかに歌われている。同じ頃、生徒会歌や逍遥歌も教師、生徒によって作られた。
時は移り、学制は変わったが、「質素・剛健・自重・自治 これを貫くに至誠をもってす」の気風は脈々と伝えられ、虚飾華美を排し、本質の練磨向上に努め、たくましく、幅広く、温かい人間をめざして主体的な高校生活を、生徒自身の手で打ち建てようとする情熱が校風を成している。
出典
武陽第一号兵庫県立第二神戸中学校校友会(明治43年12月発行)