令和6年度相生歴史巡検

10月27日(日)、心配された雨予報の天気はなんとか秋曇りといった天候のもと、松本恵司先生を講師に迎え、相生歴史巡検を行いました。今年度の巡検は、2年生10名・1年生1名の計11名が参加しました。

今回のテーマは「若狭野地区の歴史」ということで、若狭野地区を半日かけて巡りました。

相生駅前をバスで出発し、若狭野ふれあい公園で下車。まず松本先生から、基本的な若狭野地区の歴史についてお話しいただきました。

若狭野地区は四方を山に囲まれており、水資源を得やすい場所に位置しています。そのため、古代から条里制のもと水田が営まれました。中世に相生市一帯の地域が「矢野荘」として立荘される際には、国衙領であった若狭野地区の土地も囲い込まれるかたちで荘園が成立しました。鎌倉時代に至って、荘園の領有をめぐる争いが、地頭海老名氏と領家藤原氏の間で繰り広げられると、若狭野地区内に境界線が設定され、下地中分が行われました。江戸時代には、旗本若狭野家の所領となり、政務を行う陣屋も建てられました。こうした歴史にまつわるスポットを散策していきます。

相生駅前に集合(左側、講師の松本先生)

若狭野地区の歴史について講話

若狭野地区を散策

まずは、下土井大避神社です。下土井大避神社は、矢野荘の鎮守として人々の信仰をあつめてきました。中世、農民の寄り合いが開かれる場となりました。悪政を敷く代官に対しては、農民たちは一致団結し立ち向かったのです。中世のたくましい庶民の息遣いを感じられるスポットです。

次に、条里制の遺構を訪ねました。条里制とは古代の土地の区分けの仕方のことで、これに従って区画整備された土地は面積こそ一定ですが、地形にあわせて境界線がまっすぐにならないことが多いです。現代では機械での作業を見込んでまっすぐに区画整備されることが一般的です。機械による農業が出現する前の貴重な風景を見ることができました。

条里制遺構のほど近い場所に、下地中分線があります。この道筋(写真右下)に従って、東側が地頭方、西側が領家方です。鎌倉時代の土地支配にまつわるスポットです。

   
 下土井大避神社で絵馬を見学 条里制遺構を歩く   下地中分線上でハイチーズ

最後に、若狭野陣屋を訪ねました。旗本浅野家の陣屋ですが、寛文 13(1673)年 3 月、赤穂城主である浅野長直の愛孫にあたる浅野長恒が分家として若狭野につくったものです。明治 30 年代に浅野家は陣屋を去り、陣屋の大半は解体されて、広場や神社になりました。唯一、 札座が現存しています。大正時代に屋根を葺き替えており、屋根の反り方が普通と逆で意匠な造りとなっています。講師の松本先生はこの札座の保存活動をされており、調査の結果、近年札座の築年月が分かったことなどをご紹介いただきました。

松本先生の相生歴史よもやま話を堪能し、ふるさと相生を振り返る素晴らしい一日になりました。

若狭野陣屋・札座の中へ 札座の中で講話 講師の先生へお礼の挨拶