相生歴史巡検 Part3(小河)

 

 築池記念碑のすぐ横に、三昧(さんまい)跡が残っています。三昧とは葬儀場のことで、昔はどの村でも葬儀を行っていました。手前の石の上にお供えものを置き、後ろの石には棺を置き、葬儀を行っていたそうです。

 

 

 小河川に沿って約1kmほど遡ると、左手に宇麻志(うまし)神社があります。江戸時代までは馬子大明神といい、蘇我馬子を祀っていましたが、明治維新以後、蘇我氏が天皇を殺めていたため逆臣を祀るわけにはいかず、「うまし」と呼び名が同じである宇麻志阿斯詞備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)を招聘し祀るようになったそうです。

伝説によると、蘇我馬子が相生に来て亡くなり、その従者であった将監光庵が、馬子のために菩提を弔い、剃髪して庵を結び、光庵禅師を名乗り、子孫代々光庵を名乗ったそうです。源重郎池を造った光庵源重郎も小河の豪農として、代々源重郎を襲名していたそうです。

この神社には、相生市指定有形民俗文化財に指定されている絵馬「神馬図絵馬」が有名です。

宇麻志神社の境内右手に見える農村舞台。 宇麻志神社拝殿。
立派な本殿。 「神馬図絵馬」享保14(1729)年奉納。

 

 松本先生の、相生歴史よもやま話を堪能し、ふるさと相生を振り返る素晴らしい一日になりました。巡検の詳細は、後日、HP等を順次作成していきますのでお待ちください。