校長日誌(31年度)

校長日誌(31年度)

近畿PTA連合会和歌山大会

本日、和歌山県民文化会館を会場に「第45回近畿地区高等学校PTA連合会和歌山大会」が開催され、本校から瀧本PTA会長さんと共に参加して参りました。まずは9時半から和歌山県立紀北農芸高等学校「和太鼓部」による見事な演奏があり、10時からの開会式と総会、続いて日本体育大学名誉教授・清原伸彦先生による「清原流 人を創る ~やれば誰でもできる~」と題しての記念講演がありました。小中高校を問わず運動会・体育大会で今や花形となっている「集団行動」の大家と言えば分かり易いかと思いますが、その総本山・日体大「集団行動」パフォーマンスの総監督。今日のご講演も、その映像を交えながらのお話しで、和歌山県民文化会館大ホールの会場を埋め尽くした約5千人の聴衆は正に目が点になる程の衝撃を受けることとなりました。是非ともYou-Tube等でご覧になって頂きたいと思います。清原先生は、学生一人一人を信頼すると共に相手が納得するように話をすることで「心」を基本とした関係づくりを大事にされているとのことで、これは親子関係においても非常に大切なことであるとおっしゃっていました。いずれに致しましても、先生の教えを受けた学生さんたちの一糸乱れぬ、まるでイワシの群れの如き「集団行動」の演技は神業と呼ぶより他はなく、清原流人づくりの極意を垣間見ることができました。昼食時には、和歌山県立紀央館高等学校「書道部」による書道パフォーマンスがあり、高校生による溌溂とした動きを堪能することができました。来年は、やはり同じ時期に奈良県で開催されます。古都奈良を舞台に近畿PTAの輪が更に広がることを願っています。

  
  
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神戸新聞「学校人脈」(昭和46年野球部編)

本日の神戸新聞に、「学校人脈(山崎高校編)」の第2回目が掲載されました。6月8日(土)の校長日誌で書きました様に、今回のテーマは「昭和46年夏の高校野球兵庫大会準優勝」にまつわる物語です。全く無名であった、宍粟郡の田舎の高校が演じた快進撃。当時小学5年生であった私にとっても、その前年に開催された「大阪万国博覧会ーExpo.70」に続く、本当にまばゆいばかりの懐かしき昭和の時代の思い出であり、決して忘れることが出来ません。今回の記事に何度も登場されている尾形さんは、同郷(安富町安志)の先輩であり、私達当時の安富町少年少女にとっては正に伝説上の方であったのですが、先日初めて山崎高校のグラウンドで直接お目にかかることが出来、約50年を経ての出逢いに我が胸も熱くなる想いでありました。「学校人脈(山崎高校編)」はまだまだ続きます。神戸新聞社宍粟支局長古根川さんの健筆に引き続きどうぞご期待下さい。神戸 R1.6.22(学校人脈2).pdf
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山崎高校同窓会理事会開催

昨日午前11時から山崎町日新会館にて、令和元年度の同窓会理事会が開催されました。古くは4回生(昭和27年卒業)から最近の70回生(平成30年卒業)までの各学年理事の方々約60名が、それぞれの高校時代の思い出話に花を咲かせ、先輩後輩の挨拶をしながら母校愛を確認する、年に一度の貴重な機会となりました。志水宣之会長様(23回生)からは、「この少子化の時代に山崎高校が宍粟の核となって頑張って欲しい」との激励の言葉と共に、「同窓会として母校の発展を力強く支えていきたい」との暖かいご支援のお言葉も頂きました。校長の私(31回生)からは14日に開催された「山高祭」や71回生の進路結果について報告すると共に、これまでにも増して同窓会のお力添えを頂くべく、「県立学校環境充実応援プロジェクト」へのご協力を呼びかけさせて頂きました。

  

参会者全員の自己紹介の後、昨年度の事業報告・決算報告及び今年度の事業計画や予算についての審議を行った後、全員で「校歌」と「生徒会歌」を声高らかに熱唱致しました。また、昼食を前にして地元の音楽サークル「mokumoko」さんの演奏に耳を傾け、昔懐かしい昭和の歌のメドレーを楽しむことが出来ました。皆様ご存知のとおり、神戸新聞の「学校人脈ー山崎高校編」がこれからまだ数か月続きます。そういったことも大いに日常の話題として頂きながら、母校山崎高校へのご支援を宜しくお願い致したいと存じます。
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教育実習生研究授業

今年度、5月27日(月)から6月14日(金)という3週間の日程で、68回生の5名が教育実習生として母校に帰って来ています。そのほとんどの日程をほぼ終了し、あと2日、つまり山高祭を中心とする学校行事を残すのみとなっています。そのような中、昨日と本日の2日間にわたって、それぞれが研究授業を行いました。地歴・公民(日本史)の松本君、理科(生物)の小倉さん、保健体育の安達君、英語の森浦さん、家庭の橋本さん、の5名がこれまでの2週間は勿論のこと、高校時代に受けた授業も思い起こしながら、さらには大学3年間で学んできたことも総動員して、少しでも後輩諸君の為になれば、との思いで頑張っていました。各教室には本校の先生方も多数参観に来られ、授業の後或いは放課後に各教科での講評会を持って、辛口の意見や励ましの声等がたくさん寄せられ、実習生にとっても緊張の連続となる2日間でした。この教育実習で学んだことを糧に、是非とも7月・8月の教員採用試験は勿論のこと、その後の人生においても最善を尽くして頂ければと願っています。

  
  
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野球部昭和46年準優勝時OB会

本日午後4時から約1時間、本校のグラウンドに昭和46年夏の高校野球兵庫大会で準優勝を果たされた時の先輩方が集合され、懐かしのグラウンドで当時の思い出話に花を咲かせるひと時を持たれました。これは、神戸新聞で先月25日から始まった「学校人脈(山崎高校編)」の取材を兼ねたもので、最初に集合写真を撮られた後、宍粟支局長・古根川さんによるインタビューに答えつつ、グラウンド南端を指さしながら、「あのポールを越えて、周りの家の瓦をよう割ったなあ。」とか、「お前やったら、今でもあの上を越えるぐらい打てるやろ。」といった具合に、野球に賭けた青春の日々をお互いに懐かしく語り合っておられました。今日お集まりになったのは、当時の石田広志監督さんと福元晶三宍粟市長様を始めとする13名の元選手の皆さんです。中には、現兵庫県野球連盟会長の尾形正巳さん(新日鐵広畑選手・監督)もおられて、回生で言えば24回生から26回生の先輩方です。昭和46年と言えば大阪万博があった次の年で、当時私はまだ小学5年生。地元の山崎高校が甲子園一歩手前という快挙を成し遂げられたれた時の、憧れの先輩方に初めてお会いすることができ、今日は忘れ得ぬ日となりました。「学校人脈(山崎高校編)」第2回目の記事は、今月末の「宍粟新聞」特集の折りに出ると思います。今から楽しみにしておいて頂ければ幸いです。

  

さて、6月に入り、校内にはまた色とりどりの花が咲き始めています。校門を入ってすぐにピンク色の松葉ボタンが目に入り、そして生徒諸君の登校を応援するように水色のアジサイが体育館前で梅雨入りを知らせてくれています。そして、玄関前の階段を上りきった所に見える校訓碑とその対面にある前栽のツツジがいよいよ咲き誇って鮮やかな色を見せ始めています。来週14日(金)の「山高祭」の折りには、更に咲き誇った姿を楽しんで頂けるのではないでしょうか。皆様方、是非学校にお越し下さいませ。

  
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