沿革
日付 | 概要 |
---|---|
昭和52年11月1日 | 県立明石高等学校長木下儀次、兵庫県教育委員会事務局学事課参事に補せられ、県立高等学校開設準備事務担当を命ぜられる。 開設準備事務室を兵庫県庁内警察本部東別館に置く。 |
昭和53年1月1日 | 開設準備事務室を県立伊川谷高等学校内に移す。 |
昭和53年3月17日 | 第1回入学者選抜学力検査を県立伊川谷高等学校で行う。 |
昭和53年3月25日 | 校名を兵庫県立須磨東高等学校と決定する。 |
昭和53年3月31日 | 校舎(管理・普通教室棟、昇降口棟、設備棟)新築工事竣工。 |
昭和53年4月1日 | 兵庫県立須磨東高等学校開設。 兵庫県教育委員会事務局学事課参事木下儀次、初代校長に補せられる。 |
昭和53年4月8日 | 開校式ならびに第1回入学式を本校図書室において行う。180名、4学級。 |
昭和53年7月2日 | 校舎(特別教室棟、渡り廊下棟)増築工事竣工。 |
昭和53年12月23日 | 体育館新築工事竣工。 |
昭和55年11月5日 | 開校記念式典を本校体育館において行う。校歌制定。 |
昭和56年2月25日 | 第1回卒業証書授与式を行う。卒業生181名。 |
昭和57年1月16日 | 校訓を「立志、誠実、努力」と定める。 |
昭和57年2月11日 | プール新設工事竣工。 |
昭和57年4月1日 | 木下儀次校長、県立龍野高等学校長に転補。 兵庫県立のじぎく会館長渋谷勝康、第2代校長に補せられる。 |
昭和61年3月31日 | 渋谷勝康校長退職。 |
昭和61年4月1日 | 兵庫県立総合体育館長谷口啓二郎、第3代校長に補せられる。 |
昭和62年11月1日 | 創立10周年記念式典ならびに同窓会館(東鷹会館)竣工記念式典を行う。 |
昭和63年4月1日 | 谷口啓二郎校長、兵庫県教育委員会事務局体育保健課長に転補。 兵庫県立家島高等学校長西山弘幸、第4代校長に補せられる。 |
平成2年4月1日 | 西山弘幸校長、兵庫県立尼崎高等学校長に転補。 兵庫県立西宮甲山高等学校長和田正、第5代校長に補せられる。 |
平成5年3月31日 | 和田正校長退職。 |
平成5年4月1 | 兵庫県立伊丹西高等学校長廣田公省、第6代校長に補せられる。 |
平成7年1月17日 | 午前5時46分阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)により、校舎、テニスコート等が被災する。 |
平成8年3月31日 | 廣田公省校長退職。 |
平成8年4月1日 | 兵庫県立須磨東高等学校教頭柏木登志子、第7代校長に補せられる。 |
平成9年10月24日 | 創立20周年記念式典を行う。 |
平成10年4月1日 | 柏木登志子校長、兵庫県立明石城西高等学校長に転補。 尼崎市立城内高等学校長岡田侃己、第8代校長に補せられる。 |
平成12年3月31日 | 岡田侃己校長退職。 |
平成12年4月1日 | 兵庫県立高砂南高等学校長藤木三千男、第9代校長に補せられる。 |
平成13年4月1日 | 藤木三千男校長、中播磨教育事務所長に転補。 兵庫県立宝塚高等学校長岡本武夫、第10代校長に補せられる。 |
平成15年3月31日 | 岡本武夫校長退職。 |
平成15年4月1日 | 中播磨教育事務所長上中一雄、第11代校長に補せられる。 |
平成15年12月1日 | 同窓会(東鷹会)から土地(テニスコート)の寄贈を受ける。 |
平成17年4月1日 | 上中一雄校長、兵庫県立星陵高等学校長に転補。 兵庫県立星陵高等学校教頭進藤裕策、第12代校長に補せられる。 |
平成19年10月24日 | 創立30周年記念式典を行う |
平成20年3月31日 | 進藤裕策校長退職。 |
平成20年4月1日 | 兵庫県立伊川谷高等学校長藤森陽子、第13代校長に補せられる |
平成22年4月1日 | 藤森陽子校長、兵庫県立相生高等学校校長に転補。 兵庫県立こばと聴覚特別支援学校長矢田啓二郎、第14代校長に補せられる。 |
平成24年3月31日 | 矢田啓二郎校長退職。 |
平成24年4月1日 | 兵庫県立神戸北高等学校校長堀省一、第15代校長に補せられる。 |
平成27年3月31日 | 堀省一校長退職。 |
平成27年4月1日 | 兵庫県立西宮甲山高等学校校長蔭木原洋、第16代校長に補せられる。 |
平成29年4月1日 | 蔭木原洋校長、兵庫県立明石高等学校校長に転補。 兵庫県立神戸北高等学校校長厚田太加志、第17代校長に補せられる。 |
令和2年3月31日 | 厚田太加志校長退職。 |
令和2年4月1日 | 兵庫県立武庫荘総合高等学校校長宗石理、第18代校長に補せられる。 |
令和5年3月31日 | 宗石理校長退職。 |
令和5年4月1日 | 兵庫県立北条高等学校校長塙守久、第19代校長に補せられる。 |