校長日誌

校長日誌(30年度)

第73回入学式挙行

昨日午後1時30分から本校体育館にて第73回入学式が挙行され、森林環境科学科36名、生活創造科40名、普通科135名、計211名が晴れて山崎高校の門をくぐりました。宍粟市長福元晶三様、山崎町内3中学校長様を始めとするご来賓の皆様方、及び各ご家庭の皆様方多数ご列席の下、高校生としての決意も新たに各担任の先生方の呼名に力強く応える姿が印象的でした。昨年度創立110周年を祝い、また新たなる一歩を踏み出した伝統ある山崎高等学校にとって、新入生の入学は初々しい命、若々しい力を迎える大いなる喜びの時であります。第1学年担当の先生方に伺いますと、今年の一年生は元気な挨拶ができる生徒が多いということで、常々「元気な挨拶」「明るい笑顔」こそが一番大事と考えてきた私にとっても、これほど嬉しいことはありません。42歳年下の後輩諸君ですが、式典の壇上から一人一人の顔を見つめながら、非常に頼もしく思いました。高校生活のリズムを早く会得し、山高生としての伝統を受け継ぐべく、勉学に部活動にと様々な面で活躍してくれることを期待しています。ご入学、本当におめでとう! 入学式に先立つ始業式でも、2・3年生に対して、これからの山高を形づくる上で大事な点を述べさせて頂きました。どのように時が流れ、時代が移り変わって行こうとも、「不易」、つまり変わらぬものがあります。私の高校時代でも大事であったこと、40年以上経った今でも決して色あせることのない大事な事柄です。本校の生徒諸君へ.pdf

  
  

式典の終了後、在校生諸君による校歌の紹介があり、作詞竹中郁先生、作曲川澄健一先生による曲を堂々と歌ってくれました。新入生諸君も早く覚えて欲しいと思いますが、この私自身も、実は今の校歌が出来たのが本校卒業後の昭和54年11月であるが故に、まだ知りません。懸命に覚えようと思っています。同時に、私たちの高校時代、校歌として歌っていた名曲「山崎高校生徒会歌」(小倉悠丘先生作詞、秋月直胤先生作曲)を、全校生が力強く歌うことが出来るように復活させたいと考えています。
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野球部練習試合(対神崎高校)

本日、山崎高校グラウンドで野球部が神崎高校との練習試合を行うと、昨日聞いていましたので、お昼頃に覗いてみると丁度昼休みが終わりかけて、第2試合に備えてウォーミングアップをしているところでした。聞くと、朝9時に始まった第1試合は、10-0で神崎高校の勝ち、そして、これは夕方に聞いたのですが、第2試合目は6-3で山崎高校が勝利を収めたとのことでした。つい先日まで勤めておりました神崎高校の生徒諸君が、元気よく私を出迎えてくれて嬉しく思いました。両校共に今後練習を重ね、切磋琢磨して夏の大会で勝ち進んでくれることを願っています。

  
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着任のご挨拶

4月2日(月)、野谷校長先生の後任、第37代校長として着任致しました原田尚昭(はらだ ひさあき)です。本校31回生で、安富町出身です(初代小笠原校長[大正2年]、15代松下校長[昭和38年]に続いて3人目)。高校時代は、写真部(1年生8月まで)やESS(1年生9月から)に所属し、11月の文化祭では毎年英語劇を演じていました。昭和58年4月に教職に就いてから早35年。本校で9校目となりました。宍粟での勤務は、平成24年~26年度の千種高校教頭に続いて2度目となります。山崎高校に奉職するのは今回が初めてなのですが、よく公務や練習試合で出入りし、時には恩師の先生を訪ねたりしながら、常に本校の様子を外から見つめて参りました。現在の校歌は、卒業後の昭和54年11月に出来たものなので知らないのですが、昭和27年2月に作詞小倉悠丘先生、作曲秋月直胤先生御二人によって生み出された名曲「山崎高校生徒会歌」をこよなく愛しています。よって、私より年上の先輩多数の方々の心のふるさと「生徒会歌」を応援歌として位置づけ、復活させたいと考えています。「夢かなう山高、輝く地域の星として」を合言葉として持てる力をすべて結集し、母校の発展のために力の限り尽くして参ります。同窓生の皆様方、地域の皆様方、或いは各御家庭の皆様方、どうぞ遠慮なくいろんなご意見やアイディアをお持ち寄り下さい。校長着任挨拶.pdf また、2日着任直後の職員会議では、先生方に教師としての基本的な姿勢について、私が考えるところを少しお話しさせて頂きました。平成30年度を始めるにあたって.pdf 山崎高校全教職員老いも若きも一丸となって、明日を担うこころ豊かなひとづくりに向かって、力強く前進して参りたいと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今年は桜の開花が早く、入学式にはもう花が散ってしまっていることになったのですが、4月3日時点が満開で、見事な桜花爛漫の春に迎えられ、着任することが出来ました。

  
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