令和8年度 合格者の皆さんへ
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大雪の次の朝。
佐用高校は、静かな白に包まれていました。
音が消えたような校舎、
ふんわりと雪をかぶった木々、
やわらかな朝の光にきらめく景色。
いつもの風景が、
少しだけゆっくりで、
少しだけやさしく見える朝でした。
寒さの中にも、
どこかぬくもりを感じるような、
そんな静かな時間。
今日も、ここから一日が始まります。
職員室前の廊下に、ぼくはいる。
言葉を持たず、名も呼ばれず、ただ静かに息をしている。
背中を向けて立つ子がいる。
体調の悪さよりも、心の冷えを抱えたまま。
ぼくは何も問わない。
ただ、ぬくもりを差し出すだけだ。
悩みを聞いてもらった帰り道、
叱られたあとの重たい足取り、
そのすべてが、ここを通る。
ぼくは慰めない。
励まさない。
導かない。
ただ、変わらぬ温度で、ここに在る。
誰かが立ち止まり、
少しだけ呼吸を整え、
また歩き出していく。
それでいい。
それだけでいい。
職員室前の廊下に置かれた、
ひとつのストーブ。
けれどそこには、
確かに、やさしさが灯っている。
わたくし、生まれは南の島。
潮風育ち、名を三線(さんしん)と申します。
胴は蛇皮、糸は三本。
見た目は渋め、音色は人情派でございます。
もともとは琉球生まれ。
祝いも別れも、暮らしの真ん中で鳴らされてきた楽器です。
多くを語らず、でも胸にすっと染みる。
それが三線の持ち味。
さて今、わたくしは2年生の授業に出張中。
和楽器体験として、「海の声」を練習しております。
最初は指が届かないだの、音が出ないだの、
まあ賑やかなことこの上なし。
それでも少しずつ、音がつながってきました。
上手じゃなくていい。
揃わなくてもいい。
隣の音を聴いて、自分の音を出す。
それが三線流。
今日も教室の隅で、
そっと糸を鳴らすのを待っております。
さあ皆さん、
海の声、もう一曲いきましょうか。
そこには確かに、声があった。
名前を呼ぶ声、
答えを間違えて笑う声、
眠気をごまかすための小さな咳払い。
今はもう、
床に光が落ちているだけだが、
その光の下に、
確かに時間が積もっていた。
机はない。
椅子もない。
だが、
ここで悩んだ背中があり、
ここで迷った視線があり、
ここで決心した沈黙があった。
がらんとした教室は、
空っぽではない。
思い出で満ちている。
別れは、まだ来ていない。
二十六日には、足音が戻り、
二十七日には、胸を張る姿が並ぶ。
それでもこの静けさは、
「もう同じ日は来ない」と
確かに知っている。
ここは通過点だった。
泣く場所でも、
留まる場所でもなく、
旅立つための、
ほんの一瞬の居場所だった。
それでも言おう。
そこには確かに、青春があった。
声があり、迷いがあり、
未完成のまま輝く時間があった。
そして今、
教室は何も語らず、
ただ静かに、
その証を抱いている。
男子は8km。
女子は6km。
数字だけ見ると「まあまあじゃない?」と思うんですが、
これが走るとね、
8kmって永遠なんですよ。
6kmもね、だいたい途中で一回、人生を見つめ直します。
マラソンの起源は古代ギリシャ。
勝利を伝えるために走った兵士がいたそうですが、
今日の生徒たちも、
「なぜ走っているのか」を自分に問いかけながら進みます。
隊列を組んで走る姿は真剣そのもの。
最初は笑顔、途中から無言。
会話が消えるあたりから、本番です。
でも不思議なもので、
順位よりもタイムよりも、
最後に残るのは
「止まらずに走り切った」という事実。
ゴールした瞬間の顔が、何よりの証明です。
苦しかったはずなのに、
どこか誇らしい。
冬の寒さの中で走り抜けた8kmと6km。
これはもう、立派な物語です。
……ちなみに私は走っていません。
応援で声を出しすぎて、
一番息が上がりました。