~活躍する卒業生~

卒業生の素晴らしい話

  4月25日の朝、JR赤穂駅で高齢の男性が階段から転落して大けがをしました。通学中の卒業34回生の熊野七海さん(関西福祉大学4年生)が友人2名と倒れた高齢男性の救護を行い、救急車に引き継ぎました。熊野さんたちの適切な救護によって、男性は命に別状はありませんでした。

熊野さんは地元の赤穂民報の取材に「けがをされた方が、その後どうだったかずっと気になっていました。命に別状がないとわかった、それが一番うれしいです。」と答えています。

熊野さんのような素敵な先輩がいることは、播磨南高校の誇りです。

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活躍する卒業生 第23回 松原章哲さん

 

 

活躍する卒業生 第23回 

松原章哲(Akinori Matsubara )さん

 

兵庫県出身

 

・卒業後の進路、現在の仕事(活動)内容

高校卒業後、福祉系の大学に進学。大学卒業後、NPO法人でサッカー教室や体操教室の指導にあたる。その後、現職の播磨町社会福祉協議会に入職。

12年ほどデイサービスセンターにて相談員として勤務後、部署異動で地域包括支援センターの社会福祉士として勤務。

 

 地域包括支援センターは、65歳以上の方の相談や支援をしています。

社会福祉士としての役割は高齢者虐待や消費被害などですが、そのほかにも認知症に関すること(認知症の相談、認知症カフェの開催、認知症サポーター養成講座の開催など)や成年後見制度の相談対応や支援にも尽力しています。

 母校である播磨南高等学校では、以前より3年生の選択科目(家庭科)で毎年、認知症サポーター養成講座を行っています。

今後は、1年生全員に認知症についてお話をさせていただくことになっています。

 

 

・播磨南高等学校で学んだことで現在に活かされている事

 社会福祉士の仕事は相談援助が中心になります。

仕事の中で重要なことは、人の話や思いを聞き、非難否定をせず、受容することです。

高校時代には同級生や先生など、たくさんの人と関わる機会がありました。その中で、自分とは違う考えを持った人がたくさんいることを知りました。

 何か事を成すときには自分の考えが相手に伝わるよう表現し、相手の意見を受け入れ調整することが必要で、苦悩することもありました。その経験が今の仕事に必要な相手を受容すること、人と連携すること、また多くの意見を調整しまとめることに活かされています。

 

 

・今後の目標を教えてください。

 子どものことや仕事のことで余裕がなかった30代でした。

これからは、今の仕事を全うしながら職能団体に加入し、自己研鑽を重ねたいと考えています。

その先に、現在の職場、もしくは自分一人で何かできることが見つかれば取り組んでいきたいと思います。

 

・在校生に一言お願いします。

 私は、高校から大学に進学するときに自分の道が明確には見えていませんでした。

大学を選択する際には、児童に関わる仕事がしたいと思い進学しました。

その後、いろいろな経過がありながら今に至っていますが、今では自分に合った仕事だと思っています。

皆さんの中にも明確に道が見えていない人はたくさんいると思います。

10年後に何をしているかは自分にも誰にもわかりません。

意味がないように思うことも遠回りした後に道が繋がることもあります。何もしなければ道は繋がりません。

皆さんもいつか道が繋がると信じて、楽しいこともしんどいことも避けずにたくさんの経験をしてください。

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活躍する卒業生第22回 大野未優さん

活躍する卒業生第22回

大野未優(Miyu Ohno)さん

35回生、芸術保育類型(音楽)

兵庫県加古川市出身、大阪府在住 

 

・卒業後の進路、現在の活動(仕事)内容

 大阪芸術大学芸術学部演奏学科声楽科在学。 声楽を田代恭也氏に師事。

 幼い頃からバレエ、ジャズ、タップ、ミュージカル等を幅広く学び、多数の舞台に出演。

 ぐうっとかこがわ・加古川市プロモーションビデオに出演中。

 

・播磨南高等学校で学んだことで、現在に活かされていることはありますか?

 私にとって播磨南高校の3年間は音楽一筋でした。

 大阪芸術大学への進学を第一に考えていたので、楽典(音楽理論)等の勉強などで分からない問題があれば、音楽教師で担任でもあった先生に、分かるようになるまで何度も何度も質問し、教えていただきました。

 また、芸術保育類型では生徒主体の演奏会や地域イベント等、人前で演奏させていただく機会がたくさんありました。演奏の準備や練習は大変でしたが、私はこれまでの消極的な自分から脱するべく、とにかく演奏会等に参加し、その結果、何事にも積極的に取り組めるようになりました。

 

・今後の目標を教えてください。

 より一層勉学に励み、舞台人として、そして、人としても成長できるよう、今後目の前の一つ一つの出来事に全力を尽くせるようになりたいです。

 大学在学中にコロナ禍が収束すれば、海外留学も視野に入れています!

 

・在校生・受験生に一言お願いします。

 受験生・在学生の皆さん、新型コロナウイルスの影響で様々なことが制限される中、日々工夫をしながら懸命に過ごされていることと思います。

私も大学へ入学し5ヶ月が経ちますが、まだ半分以上の授業がオンラインで行われており、不安定な日々が続いています。しかし、今一時を嘆くよりも、収束した未来で輝けるよう、今、行動を起こすことがとても大切だと思います。

播磨南高校はやりたいことに全力で取り組める環境があり、同じ目標を持つ仲間や、全力でサポートしてくださる先生方がいらっしゃいます。

きっと、高校3年間でやりたいことがたくさん見つけられると思います。

1度しかない高校生活を精一杯楽しんでください。

共に頑張りましょう!

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活躍する卒業生第21回 青木重也さん

活躍する卒業生第21回

青木重也(Sigenari Aoki)さん

2回生

兵庫県加古郡播磨町出身

 

・卒業後の進路、現在の活動(仕事)内容

 卒業後、中日本自動車短期大学に進学、在学中に二級自動車整備士資格を取得。

 大学卒業後、神戸トヨペット株式会社に入社し、25年務めるも、高校時代からの夢を諦めきれず平成28年に脱サラし起業。

 加古川市平岡町土山にて主に旧型オートバイの販売、修理を行うガレージトライシクルを開業、現在に至る。

 

・播磨南高等学校で学んだことで現在に活かされていることはありますか?

 私にとっての高校時代は、正直に言うとつまらないものでした。漠然とした将来に対する不安や、がんじがらめの校則にうんざりで、学校をいつ辞めようかと日々そればかりを考えていました。

 当時からオートバイが大好きだった私にとって、当時の「※3ナイ運動」は素直に受け入れることができず、何度も校則違反を繰り返し、かといってきっぱり学校を辞め働くこともできない半端ものでした。

 なんとかギリギリの単位で3年生を迎えた私には将来有望な就職先などあるハズもなく、進路も決まらぬままオートバイで走り回る荒れた毎日でした。しかし、そんな出来損ないの私にでさえ、当時の担任の先生は、本当に一生懸命にぶつかってきてくれました。

 退学を宣言された私に代わり、校長先生に私が学校に残れるよう深々と頭を下げてくださった姿は、一生涯忘れることはできません。

その上、「それだけオートバイが好きならこんな学校もあるぞ!」と岐阜県にある自動車整備士を養成する環境の整った短期大学まで導いていただきました。

そこには自分の求めていたもの以上のものがあり、すべてが新鮮で、高校時代にあった迷いや憂鬱などはすぐに消えていました。そして、そこで出会った仲間や経験など夢のような2年間は本当にかけがえのない人生の宝物となりました。

 自分の中では暗黒時代にさえ思えた高校時代ですが、今思えばあの時に寛大な措置を与えてくれた播磨南高校と恩師に出会っていなければ、有意義な学生生活はもちろん、今の生活もなかったでしょう。

※高校生によるオートバイ(第1種原動機付自転車を含む)ならびに自動車の運転免許証取得や車両購入、運転を禁止するため、「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた日本の社会運動のこと。
引用文献https://ja.wikipedia.org

 

・在校生・受験生へ一言お願いします。

 上記のように順風満帆とは言えない高校生活を送った私が、今現在進路や現状に悩んでいる在学生の皆さんに伝えるとするならばやはり、「今はまだ、人生の通過点でしかない」の一言に尽きます。

 小学校から高校まではそれこそ勉強を強いられます。

勉強とは読んで字の如く「勉めることを強いられること」です。しかし、大学では学問を学びました。

学問は、「自ら興味と疑問を持ち、検証しながら正解を探すために学ぶこと」であり、大学で初めて、学ぶことの楽しさを心の底から実感しました。

そこでようやく、これまでの勉強が必要だったことにも気づかされました。

 

 もう一つ、どんなに小さなことでもいいので、「夢」を持ってください。

 私が嫌々ながらもなんとか高校を卒業し、本当に厳しい整備士修行時代などを乗り越え我慢できたのは、オートバイ屋になりたいというささやかな夢があったからだと思います。

 もしかすると、今、貴方は将来の夢もなく、悩みさまよっているかもしれません。

貴方たちには若さという無限の可能性があります。

私のように、卒業後に人生が一変することがあるかもしれません。

まさに「一瞬先は光」とポジティブに考え、今を生きてほしいと思っています。

 

 私は現在、播磨南高校を卒業し32年。

夢だった大好きなオートバイに囲まれた幸せな人生を送っています。

人生を狂わされかけたのもオートバイ、その人生を助けてくれたのもまた、オートバイでした。

 もし、これを読んで少しでもこれからのことや夢について考えてくれる生徒さんが一人でもいるのであれば、あの時の恩師への恩返しになると信じ、苦手なキーボードと格闘しています。(笑)

 人生は一度きり、高校時代も一度きり、悔いのない高校生活を送ってほしいと願ってやみません。

・ 店舗サイト

 ~GARAGE Tricycle~  https://garagetricycle.com/

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活躍する卒業生第20回 井原卓也さん

活躍する卒業生第20回

井原卓也(Takuya Ihara)さん

1回生

・卒業後の進路、活動(仕事)内容

 高校卒業後、大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)で放送映画を学ぶ。

 卒業後、テレビ制作会社に就職(1989年)し、テレビカメラマンになる。

 BAN-BANネットワークス開局を前に入社(1995年)し、テレビ番組の制作部門に配属され地域情報番組を数多く作成。

 特に、歴史紹介番組では地域の様々な神社仏閣や歴史遺構を取り上げ、番組をまとめた書籍『東播磨の道標を訪ねて』(2004年)を出版。

 現在は、取締役 ネットワーク営業部長として営業部門を統括している。

・播磨南高等学校で学んだことで現在に活かされていることはありますか?

 仲間と「楽しむ」を創る事。

 私は高校時代の3年間はラグビー部に所属し、チームプレイ(One for all,All for one)の精神を学びました。

 その中でも、メンバーと一緒になって目標に進んでいくことの大切さを経験し、特に一つのボールを全員で繋ぎながらTRYに結びつけるプレーは一体感とともに、自らの行動が他者に与える影響の大きさを知りました。

 この部活動での経験が、卒業後の進路に良い影響となり、将来を考えた時に仲間と一緒に物事を作り上げる仕事に就きたいと思い、様々な人が関わって完成されるテレビ制作の仕事を選びました。

・今後の目標を教えてください。

 BAN-BANネットワークスは、地域ケーブルテレビ局として誕生しおよそ四半世紀が経ちました。その間、アナログからデジタルへの変革を迎え、インターネットサービスや電話サービス、また、無線通信サービスなどを世の中の動きに合わせて新サービスを提供してきました。

 このコロナ禍では「ニューノーマル時代の幕開け」とも言われ、新しい時代への突入を余儀なくされています。その様な中で「デジタルトランスフォーメーション(DX)」が提唱され、世の中がデジタルテクノロジーを使って、生活や働き方を変革する時代になってきました。

 その様な時代でも、播磨地域の方々のIT格差を生まない様に、地元企業としてBAN-BANネットワークスから様々なIOTサービスを提供していき、播磨地域の明るい未来を作り上げる一翼を担いたいと考えています。

・在校生・受験生へ一言お願いします。

私の座右の銘を贈ります。

 「為せば成る、為さねばならぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)

 どんな事でも強い意志をもって行動しよう!結果が伴わないのは意思を持っていないからです。

まずはコトを起こそう!でなければ何も始まりません。そして、そのコトを全力で楽しめ!全力で創れ!!

BAN-BANネットワークス:http://www.banban.co.jp/

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