校長日誌
2018年4月の記事一覧
「しそうの逸話」紹介
つい昨日ですが、本校HP右側のコーナーの一つに「しそうの逸話」という黄色いバナーを加えました。これは宍粟市商工会様が運営されている「宍粟SNS、E‐宍粟」の中の企画で、約10年前から掲載されてきていたものです。元々は平成7年頃から「サンホールやまさきニュース」に掲載されていた記事をまとめた冊子『しそうの逸話』が原典となっているものなのですが、旧宍粟郡5町(山崎、一宮、波賀、千種、安富)に古くから伝わる数々の伝説を、美しい映像と画像、そして哀愁漂う音声とナレーションによって紹介しているものです。これまでも、市内の観光施設等で上映されていたり、或いはDVD等で紹介されてきたものなのですが、特に高校生諸君には地元に伝わる昔話を知る上で是非とも一度見てもらいたいと思っています。全5町の作品を数えれば100話ぐらいはありますし、一話一話に味わいがありますので、非常に素晴らしい勉強になります。例えば、一宮町能倉(よくら)の庭田神社に伝わる「ぬくゐ川とお酒」という話は播磨国風土記に出てくるもので、日本酒について書かれた最も古い文献であるが故に、宍粟が「日本酒発祥の地」と言われている事情をよく伝えてくれています。私は生まれも育ちも、そして今も安富町で暮らしていますが、町内最北端関地区の「鹿ヶ壷」に伝わる大鹿伝説「伊佐々王」の話や、町内南部の29号線沿いにある「お万の滝」伝説は幼い頃から親しんできただけに、大いなる感激をもって繰り返し見ています。何度見ても飽きるということがありません。千種高校の教頭をしていた平成25年頃に、千種高校のHP内にこの黄色いバナーを掲示してリンクを貼ると共に、同じ頃千種町に伝わる「お花屋敷と忠佐護神社」という話を英訳して「千種町英語教育研究会」の冊子(千種高校HP内で閲覧可能)に掲載したこともあります。今後宍粟市内若手の中高英語教員と共に、こういった地元に伝わる逸話・伝説を英訳して、宍粟ならではの英語教材を開発することが出来れば、という夢も持っています。なお、これらすべての映像作品の撮影から編集、及び美しいCG画像を描いているのは、山崎町青木の山内一輝君です。この黄色いバナー「しそうの逸話」も4年前に彼に作ってもらいました。市内の各種イベント、特に5月の連休中の「山崎ウォーキング&ウォッチング」では、重いカメラ機材をかついで町内を歩き回っていますので、その映像は「しーたん放送」等で見られると思います。本校も5月3日に「山高街の駅」を開催しますので、どうぞご期待下さい!
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新学期、朝の登校風景
昨日、始業式と入学式を終えた山高生にとって、今日が本格的な新学期の始まりとなりました。このところ朝起きると肌寒さを感じる日々が続いているのですが、春休み中から毎朝変わらず続けてくれているのが野球部諸君による朝の清掃活動です。7時を過ぎた頃にはもう始まっていて、登校する生徒の数が増える7時45分頃まで学校周辺のごみ拾いや掃き掃除を展開してくれています。今朝私は学校到着後少しだけ校長室で用務の確認を行った後、7時40分頃から校門付近に立って、野球部顧問の先生方と一緒に登校する生徒諸君に「おはよう!」と声をかけていきました。「おはようございます!」と元気のよい声で挨拶を返してくれる生徒、恥ずかしそうに小さな声で応えてくれる生徒、会釈だけの生徒、特に何の反応も示さない生徒、と様々な今の山高生の様子が分かりました。本校の校歌は「朝の挨拶」という言葉で始まります。元気のよい挨拶こそが一日の始まりの基本です。「もっと大きな声で!」「挨拶をきちんとせえよ!」と少しうるさい校長ですが、互いの心の扉を開いてくれる朝の挨拶を大事にしたいと思います。

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第73回入学式挙行
昨日午後1時30分から本校体育館にて第73回入学式が挙行され、森林環境科学科36名、生活創造科40名、普通科135名、計211名が晴れて山崎高校の門をくぐりました。宍粟市長福元晶三様、山崎町内3中学校長様を始めとするご来賓の皆様方、及び各ご家庭の皆様方多数ご列席の下、高校生としての決意も新たに各担任の先生方の呼名に力強く応える姿が印象的でした。昨年度創立110周年を祝い、また新たなる一歩を踏み出した伝統ある山崎高等学校にとって、新入生の入学は初々しい命、若々しい力を迎える大いなる喜びの時であります。第1学年担当の先生方に伺いますと、今年の一年生は元気な挨拶ができる生徒が多いということで、常々「元気な挨拶」「明るい笑顔」こそが一番大事と考えてきた私にとっても、これほど嬉しいことはありません。42歳年下の後輩諸君ですが、式典の壇上から一人一人の顔を見つめながら、非常に頼もしく思いました。高校生活のリズムを早く会得し、山高生としての伝統を受け継ぐべく、勉学に部活動にと様々な面で活躍してくれることを期待しています。ご入学、本当におめでとう! 入学式に先立つ始業式でも、2・3年生に対して、これからの山高を形づくる上で大事な点を述べさせて頂きました。どのように時が流れ、時代が移り変わって行こうとも、「不易」、つまり変わらぬものがあります。私の高校時代でも大事であったこと、40年以上経った今でも決して色あせることのない大事な事柄です。本校の生徒諸君へ.pdf


式典の終了後、在校生諸君による校歌の紹介があり、作詞竹中郁先生、作曲川澄健一先生による曲を堂々と歌ってくれました。新入生諸君も早く覚えて欲しいと思いますが、この私自身も、実は今の校歌が出来たのが本校卒業後の昭和54年11月であるが故に、まだ知りません。懸命に覚えようと思っています。同時に、私たちの高校時代、校歌として歌っていた名曲「山崎高校生徒会歌」(小倉悠丘先生作詞、秋月直胤先生作曲)を、全校生が力強く歌うことが出来るように復活させたいと考えています。
式典の終了後、在校生諸君による校歌の紹介があり、作詞竹中郁先生、作曲川澄健一先生による曲を堂々と歌ってくれました。新入生諸君も早く覚えて欲しいと思いますが、この私自身も、実は今の校歌が出来たのが本校卒業後の昭和54年11月であるが故に、まだ知りません。懸命に覚えようと思っています。同時に、私たちの高校時代、校歌として歌っていた名曲「山崎高校生徒会歌」(小倉悠丘先生作詞、秋月直胤先生作曲)を、全校生が力強く歌うことが出来るように復活させたいと考えています。
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野球部練習試合(対神崎高校)
本日、山崎高校グラウンドで野球部が神崎高校との練習試合を行うと、昨日聞いていましたので、お昼頃に覗いてみると丁度昼休みが終わりかけて、第2試合に備えてウォーミングアップをしているところでした。聞くと、朝9時に始まった第1試合は、10-0で神崎高校の勝ち、そして、これは夕方に聞いたのですが、第2試合目は6-3で山崎高校が勝利を収めたとのことでした。つい先日まで勤めておりました神崎高校の生徒諸君が、元気よく私を出迎えてくれて嬉しく思いました。両校共に今後練習を重ね、切磋琢磨して夏の大会で勝ち進んでくれることを願っています。
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着任のご挨拶
4月2日(月)、野谷校長先生の後任、第37代校長として着任致しました原田尚昭(はらだ ひさあき)です。本校31回生で、安富町出身です(初代小笠原校長[大正2年]、15代松下校長[昭和38年]に続いて3人目)。高校時代は、写真部(1年生8月まで)やESS(1年生9月から)に所属し、11月の文化祭では毎年英語劇を演じていました。昭和58年4月に教職に就いてから早35年。本校で9校目となりました。宍粟での勤務は、平成24年~26年度の千種高校教頭に続いて2度目となります。山崎高校に奉職するのは今回が初めてなのですが、よく公務や練習試合で出入りし、時には恩師の先生を訪ねたりしながら、常に本校の様子を外から見つめて参りました。現在の校歌は、卒業後の昭和54年11月に出来たものなので知らないのですが、昭和27年2月に作詞小倉悠丘先生、作曲秋月直胤先生御二人によって生み出された名曲「山崎高校生徒会歌」をこよなく愛しています。よって、私より年上の先輩多数の方々の心のふるさと「生徒会歌」を応援歌として位置づけ、復活させたいと考えています。「夢かなう山高、輝く地域の星として」を合言葉として持てる力をすべて結集し、母校の発展のために力の限り尽くして参ります。同窓生の皆様方、地域の皆様方、或いは各御家庭の皆様方、どうぞ遠慮なくいろんなご意見やアイディアをお持ち寄り下さい。校長着任挨拶.pdf また、2日着任直後の職員会議では、先生方に教師としての基本的な姿勢について、私が考えるところを少しお話しさせて頂きました。平成30年度を始めるにあたって.pdf 山崎高校全教職員老いも若きも一丸となって、明日を担うこころ豊かなひとづくりに向かって、力強く前進して参りたいと考えています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
今年は桜の開花が早く、入学式にはもう花が散ってしまっていることになったのですが、4月3日時点が満開で、見事な桜花爛漫の春に迎えられ、着任することが出来ました。
今年は桜の開花が早く、入学式にはもう花が散ってしまっていることになったのですが、4月3日時点が満開で、見事な桜花爛漫の春に迎えられ、着任することが出来ました。
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◎登下校時の自動車での送迎について(お願い)
登下校時の自動車での送迎について、こちらをご確認ください。
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