兵庫県立尼崎稲園高等学校

 校地の「猪名寺(いなでら)」は、旧町村制の「園田村」に属するが、一方「しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿(やどり)は無くて」《「万葉集」巻七》、「有馬山猪名の篠原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」《「小倉百人一首」大弐参位》などの歌にみられる「猪名野」は、近傍の地であり、古来著名な歌枕である。


 「猪名野」は、伊丹市南部の伊丹台地の古称とされ、猪名川から武庫川に至る西摂平野一帯の地をさして呼び、奈良時代以来、貴族の遊猟地とされたことを考えれば、校地のあたりも広義の「猪名野」に属するとみられる。


 さらに東北方には、猪名寺廃寺跡や田能遺跡などがあり、古代文化の栄えた地域でもある。近代工業地域化した「尼崎」にあって、古代のすがたを想望する意味をこめ、かつ「猪名寺」の「猪名」と音の上で通じ、謙虚さ、厳しさ、豊かさと、天地をめざして力強く伸びるすがたを象徴し、生命の糧でもある「稲」の文字を用い、前述した「園田」の「園」と合成して、「稲園(いなぞの)」とし、これに「尼崎」の二字を冠して「尼崎稲園」とした。


 現代と古代、工業地域と田園の対照は、同時に、新しい文化の創造の願いを示す。