校長室より

12月24日 令和2年度 2学期終業式 式辞

令和2年度 2学期 終業式  校内放送にて

 皆さん、おはようございます。新型コロナウイルス対応に追われた一年でしたがまだまだこれからが正念場です。正月という大事な行事を各ご家庭で迎えられることだと思いますが、十分気をつけてこれからの時期を過ごして下さい。今日は2学期の終業式です。期末考査も終わってほっとしているときだと思いますが、「勉強する意味」について話をしてみたいと思います。
 こんな質問があったそうです。「なぜ勉強しないといけないんですか。勉強して将来役に立つことが本当にあるんですか。自分には勉強する意味がわからないからする気がしない。」みなさんはどう答えるでしょう。
 「勉強することは必ず将来役に立つ。勉強することで筋道を立てて考えることができるようになれば、将来、仕事にも生活にもぜったいプラスになる。」そんなふうに答える人もいるかもしれません。
 ただある人はこう答えました。「学校で勉強していることで、社会に出てそのまま役に立つことなんてほとんどない。」私は理科の教師ですが、高校で習う数学が今解けるかというと、解けないことの方が多いと思います。漢字テストも自信がありません。世界史も日本史も覚えていません。学生時代の勉強をすっかり忘れてしまった私ですが、だからといってそのことで日々の生活で困っているわけではない。
 あまりみなさんを悩ませてもいけませんから結論からいうとこうです。「勉強していろいろなことがわかるようになるということもあるが、本当はわからないことがたくさんある。勉強はわからないということに慣れる練習をしている。」  
 学校を卒業して社会に出ると、毎日が本当にわからないことだらけです。どんなふうに仕事をすればよいのか。将来の人生設計をどうすればよいのか。悩みは尽きません。筋道を考えてよく計画し、行動しようとしても、作戦通りにいかないことがほとんどです。そもそも作戦や戦略を立てて何かをすることが成功するのは、社会の仕組みやルールがよく整備されていて、その中身を完璧に理解できているときだけです。でも社会はそれほど完璧ではない。いろいろなことが複雑に絡み合っている。筋道を立てようとしても、立てようがない。
 だとすればよくわからない社会を毎日生きる上で最も大切なことは何か。それは「わからない」ということで簡単にあきらめないことです。逃げ出さないことです。別の機会にまた話をしますが、逃げ出さないでその場でジタバタする(ウロウロする)ということです。
 「わからない」から不安だとか、つまらないとか思わない。むしろ「わからない」からおもしろいと思えるかどうかです。
私の話は以上です。