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兵庫県立加古川西高等学校 公式Webサイト

 
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日誌

校長室の窓から
2019/11/07

オープンハイスクール

| by:校長

オープンハイスクールが終了しました

 11月6、7日の午後には、毎年恒例の加古川西高等学校オープンハイスクールが実施されました。天候にも恵まれ、両日とも300名弱の沢山の中学生と、保護者の方、中学校の先生方に来ていただきました。放送部の生徒が司会を務め、オープニングは本校生徒会と有志の生徒による、劇(?)とダンス。劇もダンスも、2日目の方がよりパワーアップしたように感じました。放送部制作の学校紹介映像を見てもらい、授業見学と、高校生との座談会。放課後は希望者による部活動見学と、加古川西高等学校の生の様子を見てもらいました。
 私は多くの高等学校に勤務しましたが、生徒だけが素晴らしいとか、先生方だけが素晴らしいということはあり得ないと思っています。加古川西高等学校は、生徒の皆さん、先生方、同窓会、育友会、応援いただく地域の方々と、いわゆるステークホルダーの皆さんが全てにおいて高いレベルにあると感じています。伝統の力と言ってしまえばそれまでですが、これまでの多くの方々に支えられて、今日の加古川西高等学校が出来上がってきたのだと思っています。
 見学してもらった中学3年生の皆さん、皆さんも来年の4月にはこの学校で高等学校生活をスタートしてみませんか。お待ちしていますよ。


16:48
2019/10/30

育友会研修旅行

| by:校長

育友会研修旅行について

 10月26日には、毎年恒例の育友会研修旅行が実施されました。昨年度は立命館大学を見学したようですが、今年度は関西学院大学を訪問しました。西宮上ヶ原キャンパスは緑が多く、勉学には良い環境だと思いました。学内を案内してくれたのは、大学生の皆さんで、非常にしっかりした方々でした。
 関西学院大学から、六甲山に登り、昼食をいただきました。「六甲・ミーツ・アート」ということで、多くの芸術作品が並んでいました。生憎の霧(ガス)のため、山上から下界の景色は臨めませんでした。
 神戸北野に降りてきて、自由行動です。たまたま路上で「猿回し」をやっていたので、最後まで鑑賞しました。ある先生に「猿回し、最後まで見てしまいました」と言うと、「校長先生が回されていたのですか?」と面白いことを言うので、「私は奥さんの手のひらで回されています」と答えておきました。
 予定の時間ぴったりに西高まで帰ってくることが出来ました。計画して、当日案内いただいた研修委員の方々、また当日ご参加いただいた育友会の皆さん、先生方、ありがとうございました。お疲れ様でした。


14:08
2019/10/15

「蜜蜂と遠雷」について

| by:校長

「蜜蜂と遠雷」について

 恩田陸さんの小説「蜜蜂と遠雷」は2016年9月に出版され、2017年度の直木賞と本屋大賞のダブル受賞した作品です。国際ピアノコンクールを舞台に、そのコンクールに挑む4人の若きピアニストたちの葛藤や成長を描いた青春群像小説で、四六判上製本で687ページもある大作です。恩田陸さんは、「夜のピクニック」通称「夜ピク」で一度本屋大賞を受賞されていますが、この「蜜蜂と遠雷」は衝撃的でした。「文字で、音を表現する」読んでいると、本当にピアノ演奏が聞こえてくるように思いました。私はクラシック音楽には詳しくないので、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番といわれても全く分かりませんが、演奏している様子が頭に浮かんできたことを覚えています。
2019年に文庫本が出版されましたが、当然一冊では収まりきれず、上下2分冊です。この度この小説が映画化され、10月5日から公開されています。原作では4人のピアニストのうち、風間塵(かざま じん)にスポットが当てられていますが、映画では松岡茉優が演じる栄伝亜夜(えいでん あや)が主役のように描かれています。小説では、一人一人の背景を細かく描写し、それぞれが持つピアノに対する熱意をあぶり出していますが、映画は2時間くらいに納める必要があるので、原作からはカットした部分がかなりあります。それでもこの作品の主役は音楽ですから、それは素晴らしい演奏で固めてありました。私は原作を読んだ後に映画を見たのですが、映画を見てから原作を読んだ人があれば、感想を聞かせてもらいたいと思います。


13:28
2019/10/10

ノーベル化学賞について

| by:校長

ノーベル化学賞について

 旭化成名誉フェロー、名城大学教授の吉野彰さんに、2019年度のノーベル化学賞が授与されました。私は2学期の始業式の式辞で、吉野彰さんは有力なノーベル賞候補だという話をしましたが、覚えていますか。吉野さんは大阪吹田市に生まれ、大阪府立北野高校から京都大学工学部石油化学科に進まれました。工学部石油化学科といえば、1981年にノーベル化学賞をもらった福井謙一さんが教授をされていた学科です。当時、大学生だった私は「なぜ、石油化学科で、フロンティア電子理論なのか」と疑問に思った覚えがあります。福井さんのフロンティア電子理論はいわゆる量子化学の分野で、理論系の理学部が研究するような内容なのですが、先輩に尋ねると「石油化学科は特別で、理論をいっぱいやってる学科なのだ」と教えてもらったことがありました。吉野さんは福井さんの孫弟子にあたります。
 今でこそ「リチウムイオン電池」は、スマホ、パソコン、電気自動車の電源としてなじみある物ですが、充電可能な二次電池としては長年(今も)鉛蓄電池、バッテリーが使用されてきました。リチウムはアルカリ金属の仲間で、イオン化傾向が大きく(化学の先生みたいでしょ)、電池の負極活物質(今はこういう言い方をします)としては優れた物質です。ただ、水と触れるとすぐに酸化されてしまうので、電解質溶液には有機溶媒を使わざるをえません。安全性を確保するのが大変でした。吉野さんの素晴らしい研究成果でした。
 吉野さんもコメントしていましたが、対象がリチウムイオン電池になれば、受賞するだろう。それがいつ回ってくるのか。私は、今回の受賞には二つの幸運があったと思います。
① 共同受賞者のジョン・グッドイナフさんが97歳と高齢であったこと
ご存知の通り、ノーベル賞は存命の人に贈られます。高齢の受賞者が多いのは、学説が確定するまでに時間がかかることと、存命中に受賞してもらおうということがあります。
② 「リチウムイオン電池」の次の世代の電池が開発され、実用化が目前であること
現在、電極等はほとんど同じで、電解質溶液だけを有機溶媒から固体物質に変えた「全固体電池」が開発され、実用化の段階に入っています。これが電気自動車を普及させる鍵となります。その実用化の前に、本家である「リチウムイオン電池」にやっとけ、ということになったと思っています。
 日本に縁のある方のノーベル賞の受賞はめでたいことですが、日本の基礎科学研究の状況は、かなり大変な状態です。お金も人も寂しい状況です。頑張って研究をしようとしても、資金がなかったり、ポストが非常勤だったりします。個人の努力だけでは、どうしようもない状況を何とかしないといけません。


09:12
2019/10/08

大学で学ぶということ

| by:校長

大学で学ぶということについて

 加古川西高等学校を卒業する生徒の皆さんの大半は進学していきます。そして、その多くは四年制の国公立、私立大学を希望しています。
生徒の皆さんは、中学校を卒業して、加古川西高等学校に進学してきましたが、1年生に入学してきたとき、どのように感じたでしょうか。中学校によっては、少人数の中学校もありますから、西高は大きな学校だなと思った人もあるでしょう。また、最初に感じたのは、中学校の先生と、高等学校の先生の違いではないでしょうか。よく言えば、高等学校の先生は、専門性が高い。悪く言えば、冷たい感じがする。中学校のように「手取り、足取り」教えてくれる訳ではない。どこか、突き放されたような感じがする。そう思った人は少なくはないと思います。もちろん、40数年前の私がそう思ったことがあるからです。しかし、今になって思えば、これは発達段階に応じた対応であり、大人の仲間入りへの一歩なのだと理解できます。
では、高等学校を卒業して、大学に入ったら、どうなるでしょう。高等学校までの教育は、まさしく教え、育てるですが、大学の使命は「研究」と「教育」です。これまで以上に、主体的な学びが求められます。自分から求めていかないと、得るものは少ないでしょう。前回に取り上げた、今野真二さんが書かれた「日日是日本語」(にちにちこれにほんご)という本の中から、もう一つ引用させてもらいます。

 與那覇潤(よなは じゅん) 図書2018臨時創刊「大学で一番大切なこと」
そのように足場を固めることで、人は未知のこと、答えがまだ(あるいは、永遠に)出ない問いに対してすらも、論じる作法を手に入れる。どこまでが「いまの自分」に断言できて、どこからは留保が必要か。その見極めを繰り返す中で、異なる意見の持ち主とも「口喧嘩」でなく「討議」することが可能になる。この意味で、政治学に限らず大学教育は「民主主義への通過儀礼」だったはずであり、専門が英文学か日本史かはたまた分子生物学かは、「儀式の祭具になにを用いるか」の相違でしかない。不確かなことだらけの世界で、他者と関わりつつ言葉を使う人を育てるという本義を果たさないなら、外国語の原書や手書きの古文書や各種の数式は、魔法のかかっていない呪物――つまりは落ち葉や石ころとおなじだ。

 「討議」するために、外国語の原書や手書きの古文書や各種の数式を、魔法のかかった呪物として扱えるように、学んでいってほしいと願っています。


07:56
2019/10/03

文武両道について

| by:校長

文武両道について

 皆さんは、加古川西高等学校が「文武両道」に力を入れていることをご存じだと思います。現代ではこの言葉は「勉強も部活動も両方頑張る」という意味に捉えられているのではないでしょうか。しかし、もともと「文武両道」という言葉は、文事と武事、学芸と武芸の両道に努め、秀でていることを意味しました。ここで言う「文事」とは必ずしも学問に限ったことではなく、和歌や書、茶道や絵画も含めたもののようです。また「武事」はいわゆる武道、柔道や剣道、弓道等はもちろん、肉体を用いる活動全体を意味するようです。
 先日、今野真二さんという方が書かれた「日日是日本語」(にちにちこれにほんご)という本を読みました。著者の今野さんは現在清泉女子大学の教授で、日本語学者なのですが、著書も沢山お持ちで、何より2年間かけて「日本国語大辞典全13巻」を読み通して「自身が知らない(これまで出会ったことがない)日本語はいくらでもある」と言われた方です。この本の中で「経文緯武」(けいぶんいぶ)という言葉を見つけました。私は恥ずかしながらこの言葉を初めて目にしました。「文を経にし、武を緯にする」経はたていと、緯はよこいと、の意味です。文事をたていとにして、武事をよこいとにして、布を織る、すなわち「文武両道」と同じような言葉です。中島みゆきさんの「糸」という歌に「たての糸は私、よこの糸はあなた」という歌詞がありますが、同じような比喩ですね。この本には私が今まで知らなかった言葉が沢山紹介されており、これからも紹介していこうと思います。
 加古川西高等学校の生徒の皆さん、これまでも、これからも「文武両道」「経文緯武」で頑張っていきましょう。


15:21
2019/09/26

国連気候行動サミットについて

| by:校長

グレタ・トゥーンベリさんのスピーチについて

 スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが9月23日、ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットで、約5分間のスピーチを行いました。その内容は、地球温暖化対策に本気で取り組まなければ、あなたたちを許さないと大人たちを叱責したものです。いろいろと報道されていたので、ご存じの方も多いと思います。注目されたのは次の2点のためだと、私は思っています。
① 彼女が16歳の高校生であること。
② 彼女は自ら「アスペルガー症候群」という障がいを持つことを公表していること。
16歳の高校生が国連の大会でスピーチをすることは普通はありません。ですが、グレタさんは、すでに十分な活動歴があり、立派な代表としてこのスピーチに臨んでいます。また、自分の障がいを個性として捉えるという見方をしています。これも、最近よく取り上げられるようになった考え方の一つです。
 このグレタさんのスピーチの内容に対して、いろいろな意見があることは理解できます。ただ、高校生だから、とか、障がいがあるから、ということだけで、グレタさん個人を批判することは、私は間違っていると思います。皆さんはどうお考えでしょうか。


16:50
2019/09/19

第71回体育大会が終了しました

| by:校長

第71回体育大会が終了しました

 絶好の天候に恵まれ、第71回体育大会が無事に終了しました。
全校生徒による入場行進から始まり、各競技にチームの、クラスの、学年の応援を受けながら、「西(せい)いっぱい」(これが今回のスローガンです)の活躍を見せてくれました。ところで、西高の体育大会では、各競技の名前がしゃれています。例えば、「棒引き」は「竹取物語」、「綱引き」は「それ引けニシコウセイ」、どのうを持ち上げて頭の上に支えてどれだけの時間耐えられるかを競う競技は「Do now」などです。
競技の最後は3年生によるフォークダンスです。私たちの時代のフォークダンスといえば、オクラホマミキサーや、マイムマイムなのですが、最近の高校生は創作のダンスで、おじさんにはついていけません。素晴らしい踊りで、アンコールもあり、最後を締めてくれました。生徒会、各運動部等、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。また、指導していただいた先生方もご苦労様でした。筋肉痛に注意です。
朝早くから、多くの来賓、保護者、卒業生、地域の方々にお越しいただきました。暑い中、高校生の演技に声援を送ってもらいました。ありがとうございました。


07:56
2019/09/13

玉城デニー知事のインタビューと、島田叡(しまだ あきら)さん

| by:kouchou

玉城デニー知事のインタビューと、島田叡(しまだ あきら)さん

 9月12日の神戸新聞の記事で、沖縄県の玉城デニー知事のインタビューが掲載されていました。沖縄にある米軍基地の問題について、皆さんによく知ってもらいたいという内容でした。インタビューの最後に「兵庫県の皆さんにメッセージはありますか」と言う質問に、「沖縄の人は、島田叡さんのことを忘れることはありません」という返答がありました。
 皆さんは島田叡さんのことをご存じでしょうか。私の恥ずかしい話を書かせてください。今から12年前のことです。当時私はO高校で1年生の学年主任をしており、2年生で実施する与論島への修学旅行の準備をしていました。沖縄本島で一泊するので、平和学習のために、沖縄戦の様子をお話しいただく、語り部さんを派遣してもらうように依頼をかけていました。現在A高校の教頭先生をしておられる、当時副主任をしてもらっていたK先生が、直接お電話を差し上げたときのことです。
「そうですか。兵庫県の高校ですか。協力させてもらいます。しまだ あきら さんには本当にお世話になりましたから」
 K先生は私に「木村先生、しまだ あきら という方をご存じですか」「いや、知りません。あなたは地歴公民の先生だから、知ってるでしょう」「いや、私も知りません」
 お恥ずかしい話ですが、そこから しまだ あきら さんについて、調べていきました。本当に凄い人物でした。
 島田叡さんは1901年に神戸で生まれ、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業後、東京帝国大学に進み、内務省に勤める。当時の都道府県の知事は、現在のように選挙で選ばれるのではなく、官選で、島田叡さんは1945年1月に沖縄県知事の打診を受け、沖縄県最後の官選知事として赴任する。この頃は、第二次世界大戦の末期であり、日本は敗色濃厚、沖縄は米軍から狙われていることは明らかであった。
 自分も死んでしまうかもしれない覚悟のもとで、島田叡さんは沖縄のために大活躍をする。台湾から米を買い付け、那覇に搬入し、厳しく統制されていた酒や煙草を特別放出するなど、県民は深い信頼の念を抱くようになった。1945年6月に消息を絶ち、遺体は今も発見されていない。戦争が終わり、那覇市の奥武山運動公園に島田叡氏顕彰碑が建てられ、兵庫高校には、合掌の碑が設けられている。また学生時代から野球を愛好してきた島田叡さんに因み、沖縄県高等学校野球新人中央大会の優勝校には「島田杯」が授与される。
 兵庫県出身の素晴らしい人物がいたということ、そのことを沖縄の人々は今も忘れていないということ、これらのことを私も忘れないように、この文章を書きました。


11:43
2019/09/11

校長室の窓から を始めます

| by:kouchou

2学期が始まり、体育大会が近づいてきました

 8月の下旬は暑さも少し和らいでいたと思いますが、9月に入り、また真夏の暑さが続いています。9月2日に始業式を行い、2学期がスタートしました。始業式では1学期の終業式に引き続いて、パワーポイントのスライドを使った双方向型の話をさせてもらいました。これからも、この形式で実施していくつもりです。
 表彰伝達もたくさんあり、運動部、文化部ともに暑い夏によく頑張りました。また近畿大会出場の壮行会も実施し、陸上競技部の活躍を期待しています。
 9月18日には体育大会が予定されています。毎年3年生はダンスを実施しているようですが、ダンス委員の生徒が校長室にやってきて、「校長先生も踊ってください」とお誘いを受けました。「私は歌は歌えるが、ダンスは無理です」「映像があると、えいぞう」などという会話の後、参加することになりそうです。3年生の学年の先生方、大変ですね。
 ということで、天候が心配されますが、たくさんの保護者の方々に参加していただけるとありがたいです。よろしくお願いします。


14:23